金曜日, 2月 26, 2021
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現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。


東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?

 もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。

 ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。

抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。

今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。

MERRY GO ROUND (ツインテール)

29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50

作品はこちらから

今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。

 今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。

コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか?

あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。

嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。

 確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。

Installation view from MASATAKA contemporary

こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?

 もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。

絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から?

本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。

そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。

フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか?

確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。

活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか?

作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。

さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。


プロフィール
1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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空想する存在として 望遠鏡で、宇宙の神秘を発見すべく空を見上げたことはあるだろうか。子供たちが、何でもかんでも「なぜ」と聞いて止まないように、我々人間は好奇心がやたら強く、想像力が異常に豊かである。ほとんどの文明では、神々もしくは、その不在を追い求め、又、空一杯の星空に描かれた絵を見上げ、宇宙人がいるか否かを議論する。かつて、地球は平らで、海水はあの世に流れ下ると信じていた我々を駆り立てるものとは。それは、「未知」の「説明がつかない」何かへのファンタジーである。 家庭での不思議探究 今やアートは、宇宙人の存在のように、私たちが必ずしも理解し得ない稀有なものに成長した。それこそが、多くの人にとって現代アートを価値あるもの、興味をそそられるものたらしめる理由の一つでもある。日々の生活に刺激を与えながらも、家族や来客者にもリラックスしてもらえる中立的な雰囲気を演出したいのなら、種々の芸術手法の中でも、抽象画の購入がお勧めである。抽象さに不確かな真実を探求するのに飽きは来ず、他者もその美しさに安らぐことができる(いや、一緒に探究参加なら尚嬉しい)。 今回は、Anja Stemmerの抽象アート作品を例に挙げ、抽象絵画と家との相性がいかに優れているかを紹介しよう。次回はもっと多くのアーティストを取り上げる予定だが、その間、「アートを自宅にコーディネートするコツ」を予習復習したい読者の方々はこちらをご一読あれ。自宅にアート 〜お洒落な飾り方 簡単ガイド〜 いかに上手く馴染んでいるか見て取れることだろう 最も簡単なテクニックは、ひとつの色をあなたの 部屋もしくは家具から選び、アートとマッチすること すると、あれま素敵! 作品詳細は画像をクリック! ため息の出るディテールも自宅で愉しみ放題 和室に抽象画は合わないなんて誰が言った? ペアだとより一層奥ゆかしい! もっと楽しい発見が欲しい貴方、是非ニュースレターのご購読をお忘れなく。

Akira Akiyama: 伝統的な友禅着物で精神性を表現する

...祈りは日本人の心の核心にあります。 <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130001" 2010年に自身のブランド「友禅丸正」を立ち上げる数十年前から、Akira Akiyamaは質の高い婚礼用の着物をデザインすることに専念していました。現在では、金箔や真珠をあしらった友禅着物を着る機会があるのは、ごく一部の花嫁だけとなっています。 今回のインタビューでは、日本の伝統的な結婚式の精神的な意味、友禅着物を作る上での苦労、伝統的な形の中に美しさを表現することを追求している秋山さんにお話を伺いました。(このインタビューは、長さとわかりやすさのために翻訳し、軽く編集しています) 儀式の中のスピリチュアリティ 着物デザインの芸術を完成させる Akira Akiyamaの友禅着物の購入先 儀式の中のスピリチュアリティ <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130002" 幸せなカップルは、一見無限の可能性を秘めているように見える新郎新婦-彼らを一緒にしてくれた運命にとても感謝すべきです。 日本では精神性はどのように示されているのでしょうか? 大晦日とその翌日には、自宅に仏壇も神棚もない日本では、多くの人が地域のお寺や神社に祈りを捧げに行きます。これは、日本人の心の根底に祈りがあることの一つの証だと思います。また、日本の結婚式では、その精神性とのつながりを大切にしていくことが大切だと感じています。 婚礼着物のデザイナーとして、日本の伝統を大切にしていることは何ですか? 私の信条は、日本の花嫁にとって、日本の空の下で、日本の国で、日本の神々の前で誓いの言葉を交わすことが大切だということです。それが私の日本の結婚式に対する哲学の中心にあります。現在、地球上には女性40億人、男性40億人、合計80億人近くの人がいます。幸せなカップルは、無限の可能性を秘めた新郎新婦という運命に感謝しなければなりません。この運命への感謝の気持ちは、結婚式の中心にあるべきです。人は天上の神々がもたらしてくれた運命を理解し、感謝しなければなりません。 <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130003" 運命とは単なる偶然の結果ではなく、運命なのです。それは二人の人を結びつける人生の貴重な神秘であり、その事実を理解しなければなりません。育った環境も歴史も違う人と一緒に暮らすのは大変なことです。困難な時には、祈りが私たちの心を繋いでくれます。だからこそ、祈りを込めた本当に伝統的な結婚式を挙げるべきなのです。 日本の結婚式はここ数十年で変わってきています。皆さんはどのようにお考えですか? 私にとって一番の変化と課題は、式がないことです。伝統的な神道の結婚式には、祈り、御神酒を飲む、両家の結束、披露宴という四つの重要な段階があります。この四つの段階がない式は、神道の精神性を欠き、ただのイベントになってしまう。私の考えでは、このような結婚式は本来、新郎新婦が注目の的になりたい人たちのためのパーティーなのではないかと思います。 日本の伝統的な結婚式には、仲人と呼ばれる婚礼の手配人と、新郎新婦それぞれの主賓がいて、それぞれが重要な役割を果たします。nakodo は、両方の家族のメンバーをお互いに紹介し、新郎新婦、ゲストに。これに続いて、二人の主賓からの紹介スピーチが行われます。これが日本式の披露宴の伝統的な流れです。 友禅着物のデザイナーとして、これらの伝統は私にとってとても大切なものです。だからこそ、日本式の結婚式を希望されるお客様には、神道の伝統的な式がどのように展開されていくのかを常に説明しています。和婚を希望されるお客様には、このような伝統の由来や、神前式の本当の意味を知っていただくことに喜びを感じていただいています。 着物デザインの芸術を完成させる 一着の着物をこんなに長い時間をかけて完成させるなんて、この業界では私だけが狂っていると思います。 <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130013" 手作りの友禅着物はなぜ3年もかかるのですか? 単に商業服のデザインをしているだけなら、一着にこれほどの時間はかかりません。1着の着物を2~3年かけてデザインしても採算が合わないし、意味がない。でも、一日三食で済むシンプルな生活を考えれば、贅沢ではなく平穏な生活を求めています。利益を求めるのではなく、質素な生活を維持したいと考え、芸術的な完成度を追求することに専念することにしました。 こんなに長い時間をかけて一着の着物を完成させて利益を無視するなんて、この業界で頭がおかしいのは私だけだと思います。 <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130007" あなたのプロセスはほぼ純粋に芸術的なものでありながら、伝統的な形という制約があります。デザインにはどのようにアプローチしていますか?? この業界に入って67年になりますが、これまで数え切れないほどの着物をデザインしてきましたが、着物の形や寸法は変わっていません。自分の中にある美しさを表現するためには、着物の伝統的な形の中でデザインしなければなりません。着物の形の制約の中で、新しいアイデアやデザインに挑戦していかなければなりません。優雅さ、気品、高級感、高級感を兼ね備えた作品をデザインできるように頑張ります。 この業界に入って67年になりますが、これまでに数え切れないほどの着物をデザインしてきました。 注文やカスタムの依頼を受けてみませんか? なぜなら、一枚の着物を作るのに3年もかかるからです。だからこそ、流行りの着物や特別な日のための着物、何かの目的のための着物は作りません。たまたまその時の状況やご要望と私が作っているものが一致することもありますが、ご要望で着物を作ることはありません。 インスピレーションの源はどこから来るのですか? 私のデザインのアイデアは、まるで天使が私のスタジオを訪れたかのように私の中に入ってくるのですが、私の作品の中に天からのアイデアを表現するのはとても難しいことです。何週間も何のアイデアもひらめきもない状態が続くのは苦しいものです。毎日、朝から晩まで何も考えずにスタジオに座っていたことが何度あったか覚えていません。しかし、頭の中がアイデアやインスピレーションでいっぱいになることもあります。 着物を作る最終段階とは? 私は、お客様の結婚式をより完璧なものにするために、着物を一着一着神社でお祓いをしてから花嫁さんにお渡ししています。お参りの際には、神社の御朱印と着物に名前をつけてもらいます。これは、着物を通して着物を着た人の幸せを願うためです。それぞれの着物の中には、人や財産、生活に幸運をもたらす祈りが込められています。 <a href="https://www.tricera.net/en/id81000130019" Akira Akiyamaの友禅着物の購入先 Akira Akiyamaの友禅着物を世界のどこでもお買取りさせていただきます。Akira Akiyamaの作品をはじめ、日本の現代ファッションデザイナーの作品をTRiCERAでご覧ください。

日本のアートを買うべき理由」を他のアジアのアートマーケットの統計と比較してみる

世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

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コラージュをめぐる錬金術

 アートの世界では「錬金術」ともいわれる手法、コラージュ。  その方法論的な歴史は深く(本や新聞の切り抜き、身の周りの雑多な物体などを組み合わせる方法)、紀元前200年ごろの中国まで遡ることができるという。  ファインアートの一ジャンルとして確立することとなったのは、20世紀にシュールレアリストを中心に劇的なムーブメントを起こし、同時期に”コラージュ"という言葉がジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソによって作られたことによるだろう。  その後、現在まで途切れることなくアッサンブラージュ、フォト・モンタージュとコラージュ的手法は様々に展開されてきたわけだが、近年ではテクノロジーの発達により新たな分野も産まれた。それがデジタルコラージュだ。本記事では、デジタルコラージュを制作する作家を紹介していく。 上田タカヨシ/Takayoshi Ueda 作家の詳細はこちらから WELCOME BOY 2ND 作家の詳細はこちらから IL VENTO Nakajima 作家の詳細はこちらから 平田尚也/Naoya Hirata 作家の詳細はこちらから soryo 作家の詳細はこちらから

ローカルでありグローバルであること-ミャンマー現代アートシーン-

ミャンマーにおける現代アートの流れ 近年ではArt Basel Hong Kongが「インサイト部門」を設け、アジアやアジア太平洋地域のアートシーンの紹介に努めているように、西欧のそれとは異なったアジア独特の土着的とも言うべきシーンの解明とプレゼンスに注目が集まっています。 ミャンマーのアート、特にローカルな民族絵画や民芸のそれとは一線を画したコンテンポラリーのアートシーンを見るためには、逆説的もしくは皮肉的にも、ミャンマーの土着的な文化とその社会的なヒストリーを無視することは出来ません。 1948年にイギリスの植民地支配から独立したミャンマーでは不安定ながらも民主主義と文化教育のスキームが構築されましたが、一方では少数民族問題や政治的な内部対立による政治基盤の不安定性から1962年にクーデターが勃発し、それに伴う軍政は1988年の民主化運動まで長期に渡って継続しました。 軍政下における美術活動の制約はアートの国内における認知と市民権の獲得に逆風として影響をもたらしましたが、民主化運動に伴い、1979年に現代アートの運動が誕生することになります。 現在のヤンゴン大学にて自主的な美術研究に勤しんでいた約20名の学生らによって結成された「ガンゴー・ヴィレッジ」は、ミャンマーにおいて展開された最初の現代美術運動であり、当時は西欧の抽象表現主義を独自解釈した作品をメインに生育された、つまり西欧のアートシーンとの接続を最初に築いた運動でもあります。 とはいえ軍政の影響が消え去らないミャンマーにおいてアートコミュニティは厚遇されることはなく、その後もままならない成長をしながらも、90年代に入ると学生らを中心とした流れは大学の外部に発表と活動を求め、90年には「モダン・アート90」に、2000年に「ニュー・ゼロ・アートグループ」の結成に結びつき、グローバルをその舞台とするアーティストの輩出を支えました。 ミャンマーのアートシーンをグローバルに-River galleryの試み- ギャラリーの詳細はこちらから River Galleryは今年で14年目を迎える、これまで国際舞台をメインのフィールドとして活動を広げてきた現代アートのギャラリー。 40名以上のアーティストが参加するRiverは、検閲体制の残る時代から、如何にしてアーティストを国外のコレクターをはじめグローバルなシーンへ受容させるかを試行錯誤してきました。 アーティストは西欧のコンテキストに耐え得る要素を保持しつつ、一方ではミャンマーのアートであることを証明する土着性や時代性、そしてミャンマーという国の歴史性を背景にした作品をプレゼンスすることが出来、その意味ではブラックボックスと化しているアジアのアートシーンとヒストリーの多くを明らかにする力を持っていると言えるでしょう。 TRiCERAでは今回、River Galleryに所属するアーティストから10名を紹介しますが、例えば〈僧侶の記憶シリーズ〉を手がけるペインターであるダウェイ・トゥートゥー(Dawei Tu Tu, 1972〜)は、「ミャンマーの生活背景としての仏教、そして僧侶の存在をほのめかしたかった」と語るようにミャンマーにおいて広く支持を集める仏教的な物事の捉え方や存在のあり方を俯瞰し、色彩的な重層化のテクニックによって絵画化し、ミャンマーの文化のいったんを展望させます。 作品の詳細はこちらから 一方でミャンマーの絵画史に流れる抽象性を汲み取り、新しいアングルをもたらすター・ジー(Thar Gyi, 1966〜)は、自らの作品を「非絵画」と形容します。ミャンマーの寺院街を訪れた時に見た田園風景に着想を得た彼は、国内の絵画において徴用されてきた内的なリズムの表現に「畝」のような造形性を加えることによって直接性を持たない、しかしミャンマーの美術そして抽象絵画の歴史における特殊なポジショニングを獲得しています。 作品の詳細はこちらから 今回TRiCERAでは、このようなミャンマー国内のアートの流れと西欧のアートシーンとの特異点であるかのような作品をもたらすアーティストを支えるRiver Galleryから絵画を中心に49点を紹介します。エスニックでありながら普遍性を備えるミャンマーアートの試みと歴史の歩みを、是非ともお楽しみ下さい。 ダウェイ・トゥートゥー(Dawei Tu Tu, 1972〜)ミャンマー出身のトゥートゥーは、これまで97年からミャンマー国内の展示に参加し、イギリスやシンガポールなど国外を舞台に活動してきました。ミャンマー・アジアン・アート・アワードでは2007年から3年間連続でベスト・ペインティング・オブ・ザ・イヤーを受賞した彼の作品は、近年では〈僧侶の記憶〉と題したごく限定された色彩を使用した明暗のコントラストをはっきりさせた絵画によって「ミャンマーにおける精神生活のバックグラウンド」を示唆しています。 作品の詳細はこちらから キョウ・リン(Kyaw Lin, 1975〜)オーストラリアやパリ、香港など幅広い地域で活動するリンは、フラットで抑揚のきいた色彩によるブロックを、ミャンマーの風景をベースに構造化する作品で知られています。とはいえそれは風景画のように物質的な対象への明示をさけ、あくまでも日常的な生活における感情や自然の機微を表現し、鑑賞する人へその発見を促します。 作品の詳細はこちらから ター・ジー(Thar Gyi, 1966〜)「非絵画」をキーワードにするジーは、ミャンマーの田園風景に見出される畝の造形性を絵画に盛り込み、ドメスティックな抽象絵画の歴史に新しいアングルをもたらします。ミャンマーにおいて絵画はいかなる展開をしていたかについて、彼はジェスチャーのようにそれとなく言及し、ビジュアルアーツの精髄と絵画的なアカデミズムを一度に実現します。 作品の詳細はこちらから

肖像画に写る社会の歪み

個人的かつ感情的に捉えるすゝめ 美術館でコレクションを散策しているとしよう。あなたは良くある肖像画コーナーをじっくり見るタイプ、それとも筆者のように早足に通過するタイプだろうか。このエリアは、私にはどうも居心地が悪くて仕方ない。なぜなら壁一面のポートレートは、無邪気な悪さの故に何時間も叱られていた校長室の壁を思い出させるのだ。それでも中には、苦い思い出に負けずに私を魅了してやまない作品らも決まってあり、それらのモデルや作家の時代を超えた語り口、無視できぬ存在感についつい足を止めてしまう。 庶民の肖像にことさら興味深いドラマを感じるのは私だけでは無いようだ。例えば、オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールの傑作「真珠の耳飾りの少女」は、トレイシー・シュヴァリエに500万部以上売り上げ、映画化までされた同名小説を書かせるきっかけとなった。マウント・ラシュモアに彫られたアメリカ大統領の顔は精悍だが近付き難いように、どんなに美しく描かれていても、典型的な特権階級の面々に魅了されることはやや稀でなかろうか。 良いポートレートはそのモデルと画家そして鑑賞者との不思議な三角関係に誘い込む力があって然るべき。我々もそこに愛着を感じることを恐れる必要はない。シュヴァリエの執筆も長年越しの関係があってこそだ。TRiCERAに掲載されている今日の肖像画の中には、庶民、特に歪んだ社会的次元の住民が描かれているものがある。その歪んだ次元に飛び込む準備は良いだろうか。 「シートベルトをお締めください。大変プライベートで感情的なフライトとなるでしょう。」 「作品が叫び声となる事を願う」- James Earley イギリス出身のジェームズ・アーリーは、今最も期待されているハイパーリアリズムの画家であり、ロンドン・ビエンナーレ2019では一等賞を受賞している。 彼は 「ホームレスやメンタルヘルス、戦争などの問題への意識を高めるため」に、問題を抱えた人物を表現することが多いと言う。意外にも、彼の型破りなモデル達は悲哀や疲弊というネガティブさよりも遥かに、人情味や平穏と言ったポジティブな印象を湛える。 いわゆる 「一般人 」に届く叫びは、この 「不幸な彼ら」と我々の間に何ら違いがないということだ。隠したい人生の悩みは誰にでもある。 だが、彼らの場合はそれを覆う社会的な衣装を持たないせいで露呈しているだけだ。 視線を集めるこの男性の足裏は、まさに我々が必死に覆い隠している人生の苦労や汚れを象徴する様で、それを露わにされた気まずさを鑑賞者に呼び起こす。 アーリーの絵に感じるこの気まずい感覚は私も身に覚えがあり、それが強い愛着を抱く理由でもある。2015年に、世界で最も住みよい街として知られるカナダのバンクーバーに越して来た時、通りに飽和状態のホームレスの姿は私には衝撃的だった。なんせ、観光客で日夜賑わう通りのわずか1ブロック先は最大のホームレス街なのだから。彼らに囲まれて暮らし、直接的な害を被ることはなかったが、間接的ダメージは大きかった。彼らの中には同年代の若い男女も多く、その横を通り過ぎる度に胸が痛んで止まないのである。 ささやかな貯金とアルバイトの給料から家賃、食費、高額な授業料を支払い、私のダウンタウンでの生活は日に日に苦しくなっていく。かろうじて家計をやりくりしていたそんな時、同い年のカナディアンの友人が秘密の過去を教えてくれた。彼女は、私と同じ境遇にいたのだが転落し、数ヶ月間ホームレスとなりその後シェルターに滞在した経験があると言うのだ。傍目にはキレイで陽気な彼女も、それを偽装の下に見事に隠していたのである。その日を境にホームレスは他人の問題ではなくなった。下手すれば自分も…この悟りと恐怖は原動力ともなったが、最終的にはダウンタウンを出るきっかけとなった。 悲惨な現実から逃避して何年か経ったある日、モントリオールから来たジャン・マークというホームレスの男性から、あの店でこれを買ってきてくれと頼まれた。いつもは小銭をせびられるだけなのだが、彼は人当たりがよく年齢も同じくらいだったので、つい彼の頼みを引き受けた。その後一緒に数ブロック歩く間、彼は自分の身の上話を嬉しそうに教えてくれた。数日後の夜、通りで彼に再会し少しおしゃべりしたりもした。彼のために大した援助はできなかったが、今でもたまに元気にしているか気にかける日がある。 そんな私は、アーリーの親密なポートレートの中に、ジャン・マークの照れ笑いを見かけた気がして涙を流してしまったのだ。この作家には、共感と思いやりに満ちた心だけでなく、彼らの悲しみを共有し、それを耐えうる強さがあるに違いないと察する。この絵に見られるような本物の笑顔を引き出せるのは慈善事業ではなく、彼の偽りのない人となりなのだ。アーリーは、現実には瞬間的な喜びを芸術として永久化し、見過ごされている人生に光を灯す。 社会の歪みを反映したポートレートはこれだけでない。 若い世代では、「(他人と同じく)ユニークであれ」というプレッシャーがますます高まる。生来内在する個性の尊さと、社会的に支持された人気ある個性との狭間で、彼らは自己を見つけるのに格闘しているのだ。ラファ・マタは、この矛盾を芸術と言葉で的確に指摘している。 曾超は、現代中国社会におけるイデオロギーの対立を人物肖像として描く。一方のグループは中国社会主義の影響を受け、もう一方は中国の古代哲学である道教の影響があると言う。彼はこの人物に社会主義の象徴的な服装を纏わせ、頭を彼の道教由来のモチーフ「仮山石」で置き換える。油絵の具を使ったダイナミックな筆致のコントラストには驚嘆だ。 鏡に映る像は自分自身なのか、それとも他人から見た像なのか。見えるものの不確かさを問うことが、清水伶のテーマである。彼は、「私たちは他者が示すイメージによって自分自身を理解し、定義している。よっ