日曜日, 6月 20, 2021
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絵画になったペットたち

 かつて食料や道具程度のものでしかなかった動物。今や、毎日人間は癒しを与えられている。

 アニマルセラピーという日本語英語が存在する。動物との触れあいを通じて、内在するストレスを軽減させるなどして、精神的な健康の回復を図ることをいう。学術的なエビデンスは少ないものの、現代日本のようなペット大国に生きる人間であれば、動物との触れ合いがもたらすポジティブな効果の有無について、疑いの余地はないだろう。

 興味深いのが、他人の飼育するペットを動画サイトやSNSを通じて観る者の多さだ。SNSのタイムラインで画像を見かけない日の方がもはや珍しくなり、動画の企画ジャンルになるまでに確立し、TVでもキラーコンテンツ化したネコ。1匹のネコの起伏もない動画を何時間も画面にかじりついてに見ている人間がいるのはエンタメ性というより、むしろ癒しを求めてではないだろうか。状況だけ見れば、どうやら人間はバーチャルの動物であっても、アニマルセラピーが成立するようだ。

 本記事ではアートの始まりといわれるラスコーやアルタミラ洞窟壁画にも描かれた動物とアートの関係を探る。

インガ・マカロヴァ/Inga Makarova

 マカロヴァは典型的な愛玩動物であるイヌ、ネコから、ハチといった危険な虫、カメレオンのようなエキゾチックアニマルまで、様々な動物を手がけるアーティストである。それぞれの生物学的特徴を捉えた上で、人間のカルチャーとの共通項を抽出するのを得意とし、単なる動物の描写で終わらない現代アート的な側面が大いに感じられる。

Dog
80 x 60 cm

 モチーフとしている動物はマカロヴァが思い入れがあるからなのか、イヌがよく描かれている。色調はビビットで毒々しい画面ではあるが、彼女のイヌに対する愛情があらわれているのか、小さい身体がどことなく愛らしい。

80 x 60 cm

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九里藍人/Airi Kumori

 九里もまた動物に対する深い洞察を身につけているアーティストである。

 しかしマカロヴァの動物に対する愛玩的な視線に加え、彼の頭の中では動物のフォルムの解体が行われいるからか、抽象度はさらに上がる。

 複雑な幾何的線描と単純化したモチーフ、静止と動的なイメージといった二項対立を巧みに駆使し、動物や動物を元にした神的な存在を描く。日本人の日常で出会うさまざまな動物は、時にキャッチーに時に恐怖を掻き立てるように変換され、それぞれの動物の特性を誇張して描かれる。

じっ(stay still)
116.7 x 116.7 cm

 また特筆すべきは通常意識がないとされる動物を人間のように明確な意識を持った存在として扱うことによって、ある種のキャラクター化を図っているところである。西洋にも動物のキャラクター化は見られるが、そういった点でも日本人ならではの誇張された表情表現、のびのびとした闊達な筆遣いは鳥獣戯画を彷彿とさせる。

トリ10262019(bird 10262019)
27.3 x 22 cm

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樋爪悠子/Yuko Hizume

 上記の二人とはまた異なったアプローチで動物を描くアーティストもいる。樋爪はその一人だ。

 樋爪は和洋の古典的なファッションに身を纏った知的で野性的な強い女性の美しさを描く。その脇に普段我々が直接的に見かけることの少ない動物達、トラ、ツル、ウーパールーパー等が共存している。この画風は、母と動物達への感謝の思いからであるという。

午後の苛立ち
72.7 x 91 cm

 モチーフの女性はどちらも凛とした佇まいでその精神的強度が画面を隔てている我々にまで迫ってくる。そしてその精神性が我々に伝わる媒介として機能しているのが動物である。虎であればさらなる迫力を、トカゲであればフェミニンで奔放な印象を加速させる。

 樋爪の作品を見れば、自然人間と動物のイメージの共有が図られ、改めてその二物の関係が鑑賞者の頭の中で再認識・再考されるだろう。

真朱
31.8 x 41 cm

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 空前のペットブームによって、家庭などで飼育されているペットの数は2003年に1900万頭を超え、なんと15歳以下の子どもの数を上回った。食料や道具を超え、さらに有機的に人間の社会に組み込まれていく動物との付き合い方の答えは案外アートに潜んでいるのかもしれない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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「食べる」を見る。アートにおける食事の話。

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更新される雨~もっとも身近な非日常のあり方~

 雨は人間にとって、もっとも身近な非日常ではなかろうか。  そして、その非日常は数々のドラマを生み、小説や絵画など様々な形となって人の心に波紋を生んできた。  日本人にとっては教科書などで馴染みの深い歌川広重作《大はしあたけの夕立》。かのゴッホが模写したことでも知られるこの作品は世界で初めて雨を線で描写したということを知っているだろうか。(諸説あり)それまで絵画の中で、雨は傘や濡れた地面の光の反射によって表せれてきた。しかし《大はしあたけの夕立》が海を越えたことによって、世界の雨の形がアップデートされたのだ。  本記事では150年以上前に描かれた名画、《大はしあたけの夕立》に変わる新たな雨の表現を追求するアーティスト数名をご紹介しよう。 marthac-art 作家の詳細はこちらから 菊地爽秀/Sousyu Kikuchi 作家の詳細はこちらから 氏江樹穂/Kiho Ujie 作家の詳細はこちらから 伴野加代子/Kayoko Tamino 作家の詳細はこちらから Sai Seinan 作家の詳細はこちらから LOCO 作家の詳細はこちらから

国立新美術館での展覧会「イメージ・ナラティブ」国立新美術館で開催される「日本の現代美術における文学」展について

Keizo Kitajima, TSILCARL VILLAGE ARMENIA (From the series USSR 1991), 1991/2019, Pigment print 66.0×93.0cm Collection of the artist ©KITAJIMA KEIZO 2019年8月28日から11月11日まで、国立新美術館東京では、日本の現代美術作家6名によるグループ展を開催します。展覧会のタイトルは「イメージの物語」。日本の現代美術における文学」。タイトルの通り、日本の現代アートシーンにおける文学的表現に焦点を当てた展覧会です。出展作品には文学的な要素が共通しており、詩のような比喩的な表現がなされています。直接的なメッセージを表現するのではなく、作品の中の時代や場所、人物を想像することを示唆している。 国立新美術館の展覧会公式発表によると、古代ローマの詩人ホラーチェの『アルス・ポエティカ』に由来する、「絵画も詩であるように、詩も詩である」という意味の「Ut pictura poesis」という言葉があります。この言葉は、絵画(視覚芸術)と詩がいかに密接に結びついているかを説明する際によく引用されます。 今回紹介する6人の日本人現代美術家は、1950年代生まれの北島敬三から1980年代生まれのミヤギフトシまで、年齢も様々だ。美術館に入ると、まず第1室を占めるのは、国内外で活躍する田村友一郎氏。部屋全体が「幻覚」をコンセプトにした彼の新作「スカイアイズ」となる。作家は、日本でいう "幻覚...

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渡辺おさむ: 日本の菓子作家インタビュー

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ミッドセンチュリーな部屋をつくる、6つのアート作品

1.ミッドセンチュリーとは何か 直接的に訳すと「世紀の半ば」という意味があります。ミッドセンチュリーな部屋とは、1950~1960年代の欧米をイメージしたインテリアのことです。昔から愛されているテーマであり、レトロやノスタルジックのような印象を与えます。モダンさも兼ね備えており、ヴィンテージなインテリアや、当時はそれまでに無かった「新しい素材」として人気だったプラスチックなどの椅子を部屋に取り入れることが多いです。 2.ミッドセンチュリーはアートが不可欠 ミッドセンチュリーな部屋では、壁を飾ることが必要不可欠です。シンプルなデザインや幾何学模様、パブリックパネル、ノスタルジックな印象を与えてくれるアート作品との相性がとても良いという特徴があります。アート作品を飾るうえでレトロな雰囲気を演出するために「木製の額に入れる」という裏技もあります。複数個購入して並べて飾りたいという場合は、同じテイストの作品で統一感を出すのがオススメです。 3.ミッドセンチュリーな部屋をつくる6つのアート作品 3-1.「Space Cloud - 8th Planet」 夕焼けの空でしょうか、もうすぐ夜になってしまう空の移り変わりの色彩が美しく、非常にノスタルジックな雰囲気にさせてくれるアート作品です。自然というモチーフなこともあり、空を覆っている雲のオレンジ色はビンテージさ溢れる木のインテリアによく馴染みます。デジタルプリントによる作品のため、雲などのディテールが細かく映されており、シンプルな部屋の中でも埋もれず目を惹く存在感になります。 3-2.「Lover」 全体的にはベタ塗りでシンプルな構成ですが、顔料を用いており、女性が着ているスカートや隣の植物のような模様の部分が、複雑なモザイク模様になっている面白い作品です。背景にグランジテクスチャのようなかすれた表現があるため、真新しさを感じさせず、レトロな雰囲気にピッタリです。ミッドセンチュリーな空間では、ポスターのようなシンプルなデザインとの親和性が高いため、部屋に導入しても違和感を感じさせません。女性が両目を閉じて凛と立っている様子や落ち着いた配色からは、大人っぽいモダンなテイストも感じ取れます。 3-3.A.I. 美しい幾何学模様が画面いっぱいに描かれているのが特徴的なアート作品です。幾何学模様はシンプルですが、簡単にモダンな空間を演出してくれます。全体的に緑色で描かれており、木のインテリアや、濃いブラウンが多くなりがちなミッドセンチュリーな部屋とも相性が良いです。緑色を微妙に変化させており、その効果でキラキラしているように見えるアクリルの表現もミッドセンチュリーの1つの要素である「新しい素材」の印象を与えます。部屋に存在している質感を偏らせないことで、部屋のインテリアのクオリティも上がります。 3-4.「肖像画3号」 肖像画ですが民族的な独特のタッチで描かれており、マチエールと呼ばれる絵の具の盛り上げを利用した技法が用いられています。民族的な要素は温かく、ヴィンテージな印象を与えやすいため、ミッドセンチュリーの空間をつくるのによく用いられています。顔が大きく描かれたアート作品は部屋に導入するのが難しい一面がありますが、この作品では遠くを見つめた柔らかい表情で描かれているので、威圧感を与えません。それでも気になるという場合は、周りに小さい作品を飾ることで顔の印象を下げることができます。 3-5.「New York City」 ニューヨークのビルを直線を上手く用いながらデザイン的に描いており、ビルをグレーなどの決まりきった色で表すのではなく、カラフルな色を使って表現しているところが珍しい作品です。線だけで見ると幾何学模様のように見えますが、ビルには月や空、向かいにある建物などが反射して写っている様子がユニークに描かれています。欧米であるニューヨークの街並みと、シンプルなデザインのアート作品はミッドセンチュリーとの相性が非常に良いです。 3-6.「Festival 3」 画面いっぱいの鮮やかな赤と黄色がインパクトを与えているアート作品です。「様々な生命のかけらが世界を構成している様子」を描いたという、作者であるHANHYONIのパワフルな感性が発揮されています。部屋を落ち着いたダークトーンで統一することが多いミッドセンチュリー。そこに差し色としてパワフルで鮮やかな印象を与えるアート作品を飾ることで視点を集め、部屋の印象を明るく変えてくれます。2つで1セットの作品になっているため、並べてみたりあえてアシンメトリーにしてみるなど、飾り方も楽しめるでしょう。 おわりに ミッドセンチュリーな部屋は一見難しそうに思えるかもしれませんが、アート作品を壁に飾ることで簡単につくることができます。モダンさも兼ね備えており、性別を問わず長く愛されているテーマです。是非、ヴィンテージ感溢れる温かい空間にアート作品を取り入れてみてください。

アートと食の甘いマリアージュ − 渡辺おさむの作品に見る

食への愛とは世界に不変の物であろう。 どうやらアメリカでは7月は料理月間であるらしい。様式は違えども料理は芸術であるし、両者とも私たちの生活を豊かにするという点は世界共通の認識だ。 海外では寿司やラーメンしか知られていないが、日本は食の伝統や文化が比類無いほど豊かな国である。また、レストランで見る「食品サンプル」のディスプレイは、よだれが垂れる程のリアルさとその珍発想で人気を博す。今回は、アートに食べ物(スイーツ)を取り入れた個性的な日本人作家の作品をお届けする。 人前で愛を表現することが敬遠されている日本だが、食への愛については過剰な程に公にされていると見える。海外在住の筆者は、日本の友人らがインスタグラムで食べ物の写真をお披露目しているのを頻繁に見かける。自宅であろうがレストランであろうが関係ない。私としては彼らの胃袋事情には興味がなく、近況を知りたいだけなのだ。残念ながら、今さらフォロー解除はできないし、どうしたものか。 海外で大人気のデート相手を探すTinder系のアプリでも、日本では顔写真の代わりに食べ物の写真が溢れていて、もはやUberEatsのメニューよりも充実している。今日のデートはオムライスさん、明日は焼肉さん、と選ぶのが楽しみなのだろうか。そんな私の戸惑いはさておき、スイーツデコレーションアートのパイオニア、渡辺おさむの紹介に戻るとしよう。 作品の詳細はこちらから 渡辺は自身の作品を「フェイク・クリーム・アート」と呼ぶのだが、確かに例のお菓子づくりで使う、袋から絞られたクリームで出来ているのだから納得だ。ただ、ケーキの上にクリーム製の聖母マリア像を優雅に建立するなんて、誰が想像したろうか。お釈迦様なんて、甘い誘惑を纏いつつも、世俗的な考えに邪魔されることなく涼しげに禅に浸っている。クリームは実際は樹脂で出来ているが、レストランの食品サンプルのように、彼の再現力(美味しそうな偽のキャンディー、果物、カップケーキ)には、抗いがたい魅力がある。筆者もこの記事を書くだけで口がヨダレで溢れそうだ。 作品の詳細はこちらから 芸術とパティシエの才能を用いたスイーツアートを通して人々に幸せをもたらすことを使命とする彼曰く、「インスピレーションの源は、パティシエであり製菓学校の教師である母」であるという。印象派の大家であり、仕立て屋の息子でもあったピエール・オーギュスト・ルノワールが服を描くことに長けていた事実を鑑みても、親からの影響には合点がいく。そのルノワールの著名な肖像画「レースの帽子をかぶった少女」を、渡辺が味わい深いオマージュ作品としたのも偶然ではないと思えてくる。味覚では理解できないとしても、視覚で楽しませる料理の達人による逸品であることは疑いの余地がない。 作品の詳細はこちらから アジアと西洋文化が融合する土地、日本。歴史的にも日本人は、火縄銃やカメラ、自動車など高品質に改善された製品を産出している。文化や芸術も例外なく融合し変質し輸出してきている。渡辺おさむのユニークなキッチンで、西洋のアートと製菓術が日本の独創性とカワイイムーブメントとの幸せな出会いを果たしたのだ。 作品の詳細はこちらから もっと芸術と食の至福のマリージュ、渡辺おさむの作品を見たい読者の方々についてはTRiCERA.NETでメニューをお手に取られてみてはいかがだろうか。また、この記事が舌に合う様であれば是非、ニュースレターへの登録をお薦めする。 渡辺おさむの詳細はこちら

Feature Post

ドイツのアートメディアがコンテンツを無償で提供

Gruner + Jahrが運営するドイツの老舗美術雑誌 Art - Das Kunstmagazin は、自らのウェブサイトにて自社発行の雑誌約40冊あまりをオンライン上で無料提供すると発表した。Das Kunstmagazinは1971年創刊、主に現代アートのジャンルを撮り扱う。メディア活動のほか、有力なキュレーターを顕彰するコンテストの開催など業界へのコミットメントは高い(同賞からはフランクフルト・アム・マインの近代美術館の館長 スザンヌ・プフェッファーが出ている)。 同誌の編集長であるティム・ゾンマーは「素晴らしい写真と巧緻かつ平易なテキストによって読者の家庭にアートを届けることは、常に私たちが強みとしてきたこと」とコメント。このプロポーザルと自分たちの本分が合致している旨を語った。今回の取り組みは現況の新型コロナウイルスによる美術館、ギャラリーの閉鎖などアートへのディスアクセスな状態が続いていることへの対抗策の一つだ。ドイツのアート業界も日本そしてその他の国々同様にウイルスの二次的被害を受けている。ドイツといえば最近では約500億ユーロのアーティストやフリーランサーへの経済支援を発表して注目を集めた。のみならずグリュッタース外相による「アーティストは(民主主義社会にとって)必要不可欠名ばかりではなく、生命維持に不可欠」という言葉も喝采を受けた。 さて、もちろん日本でもオンライン・ビューイングの配備をはじめとしたwithコロナへの対応策が進んでいる。「新しい状況には、新しい道具」をということだろうか。それも大事だが、今回のArt - Das kunstmagazinのように持ちうるリソースの活用を工夫する方向も考えてもいいだろう。こんな時だからこそ、20年前の展覧会、あるいは雑誌などをプレイバックしても面白いかもしれない。 参考:https://www.art-magazin.de/

ART & MOVIE ーシーンとイメージが導く映画と絵画の共振

今回は、映画とアートという2つをペアリングしていこうと思います。 映画には画、音楽、物語など多くの要素があり、 人によって映画の着眼点や感じ方はさまざまでしょう。 そのため、一口にペアリングをすると言ってもどのようにペアリングをしていくのか、 最初に決める必要があります。まずは映画を構成する要素を考え、 それらを様々な芸術へと当てはめてみることにします。 カット、シーン→絵画、写真 シーン、シークエンス→ビデオアート サウンド(BGM)→サウンドアート 演技、役者の身体→パフォーマンス 脚本、プロット→小説、文学、詩など セット、役者の身体→彫刻 こうしてみてみると映画というのは、舞台などと同様に総合芸術であると言えます。 総合芸術であるところの映画を一つの芸術作品をもって表現することは、 不可能ではありませんが、少し難しいため今回は映画全体と作品をペアリングするのではなく、 映画の中で印象に残ったシーンと作品をペアリングしていくことにします。 それでは、今回は3作の映画についてペアリングをしていきたいと思います。 映画のネタバレを含むことがありますので、ご注意ください。 1: バッファロー’66(1998)x 《E=MC2》(Jan Smeltekop) and 《A Moment》(Ken Sakamoto)   ヴィンセント・ギャロが監督と主演を務めたバッファロー’66は、刑期を終えた主人公が「フィアンセを連れて帰る」と実家に嘘をつき、 フィアンセ役を立てるため途中で出会った少女レイラを拉致し、 彼女と過ごす中で少しずつ変化していくという物語です。この映画の中で印象的なシーンの1つは、 ボーリング場でキング・キリムゾンの“Moonchild”をBGMにレイラがダンスをする場面です。 このシーンには、Jan Smeltekopの《E=MC2》をペアリングしてみました。 この作品は暗闇の中に佇む女性を描いています。女性の妖艶な姿と暗い画面が、キング・クリムゾンの曲の中で踊るレイラを想起させます。 また、画面に描かれた「E=MC2」はエネルギーの計算式を表しており、作品と映画シーンの両者がもつ独特な吸引力を感じることができます。 《E=MC2》(Jan Smeltekop) また、この映画でもう一つ印象的なのは、実家に戻った主人公と家族が食卓を囲んでいるのですが、 両親はあまり彼に興味がなく、ほとんど相手にされていないというシーンです。主人公のやるせなさや苛立ちとともに、 家族というものの歪なバランスが表れているように思います。 このシーンには、Ken Sakamotoの《A Moment》をペアリングしてみました。この作品は人の痕跡が残った食卓を描いており、 その粗雑な雰囲気とモチーフの荒削りな描き方からは、そこに集う人々の関係の危うさを感じます。 それは、彼らがいなくともそこに横たわり続ける「家族や家庭という形式的な現実の空虚さ」と、 映画の中で食卓を去った主人公が最後に道中を共に過ごしたレイラを抱きしめたように、「互いに向き合うこと、 その事実の重み」を想起させます。 《A Moment》(Ken Sakamoto) 2: 花とアリス(2004)x 《7,PM1913.》(MIZUKI)   岩井俊二監督によるこの作品は2015年に前日譚となるアニメーション「花とアリス殺人事件」が公開されたことでも話題となりました。2人の高校生の少女の恋と成長を描いた本作品は、岩井俊二作品特有の淡い光と、どこか不器用な人物たちの日常が印象的です。 朝靄の中の街を描いたMIZUKIの《7,PM1913.》には、映画と近い匂いを感じることができます。また、画面に並んでいるスッと伸びた角度の異なる電柱たちは、映画の最後に蒼井優演じる有栖川徹子がバレエを踊りながら、部屋の中を自由に動いてゆくシーンを連想させます。 《7,PM1913.》(MIZUKI) 3: インターステラー(2014)x 《Cornfield》(Alexander Levich) クリストファー・ノーランによるこの映画は、環境問題が深刻化し、人間が住むことすら困難になってきた地球において、現状を打開するために元空軍パイロットのジョセフ・クーパーが移住可能な惑星を求めて宇宙へと旅立つ話です。この作品には、別の惑星やブラックホール、四次元空間の描写など印象的なシーンが多々ありますが、個人的にはクーパーが出発前に子供たちと過ごした家と、その周りを囲むとうもろこし畑のシーンが印象的です。それは、今の地球上にもある風景であるとともに、近い未来その風景が変わってしまうのかもしれないということを考えさせられます。 Alexander Levichの《Cornfield》はまさにこのシーンと同じようなとうもろこし畑を描いています。そこに人影はなく、映画の中のディストピア的シチュエーションを感じさせますが、人との営みとは関係なく、畑は黄金色に輝いており、地球上の自然界にもお独自の時間、環境があり、彼らはその世界線で生きているのだということを再認識させてくれます。クーパーと彼の娘マーフィーはトウモロコシ畑の前でマーフィーの法則について話します。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こるのだ」と。 《Cornfield》(Alexander Levich) 以上、今回はバッファロー’66(1998)、花とアリス(2004)、インターステラー(2014)の3本の映画について ペアリングをしてみました。このペアリングは、自分が映画やアートを普段どんな視点で観て、どのような要素に反応しているのか明らかにしてくれます。 また、実際にペアリングをしていくと1つの画面の中に映画のもつ多様な要素に意識がはたらき、 作品や映画の新しい一面を発見することができます。他者のペアリングも、映画と芸術作品の新しい見方を知る機会になるのではないでしょうか。           本日紹介した作品はTRiCERA ARTで購入できます

加藤公佑 個展「Re-scope」を開催致します。

この度TRiCERAでは2/20 - 2/27 の会期にて加藤公佑の個展「Re-scope」を開催致します。これまで風景の分解と再構築というキーワードからランドスケープの構造や視覚そのものの曖昧さに言及するような作品を制作してきた加藤。今回は「誰かの視点」をコンセプトに、SNSから引用した画像をベースにしながら制作したペインティング約12点を展示します。SNS上にアップロードされ流れていく写真の多くは「他人の視点」であり、実体験として私たち自身が獲得したものではありませんが、しかし今日デジタルシフトによって日々絶え間なく、私たちはその「他人の視点」を大量に受容しています。もはや、ひょっとすると自らの肉眼で風景を眺めているよりもずっと第三者の視覚を通している方が多いかもしれません。加藤のペインティングは風景が分解され、色彩や形態が崩され、言うなれば情報が変換される瀬戸際を描いていると言えるかもしれません。今回の作品と展示で彼はデジタル化した視覚世界に生きる私たちにとって見ることとは何か、かつてと今とで「見る」にどのような違いが生まれたかという、ものの見方に関する問い直しの機会を目指しています。加藤公佑がキャンバスにおいて展開する、風景や視覚をめぐる実験と冒険を、是非ともお楽しみ下さい。 展示情報会期:2021/02/20 - 2021/02/27会場:TRiCERA Museum東京都港区高輪3-22-5 SDS高輪ビル※本展示は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から完全予約制とさせて頂きます。来場の場合は下記のフォームよりご予約下さい。みなさまにはご不便おかけしますが、何卒ご了承下さい。 予約はこちらから    

毒と浄化の物語 – 城蛍インタビュー –

城蛍は1996年愛知県出身。2019年に上京して作家活動を開始。今年3月には山下舞子キュレーションによって銀座のGallery Camelliaで初個展を開催した。曰く「瞬間的な物語を切り取る」というスタンスにおいてペインティングされたキャンバス、それから本人曰く「彫刻」と呼称する自作した額縁によって構成される作品を制作する彼女に、今回は作品と制作を中心に、その活動について話を聞いた。 作品の外形的なところから伺いたいのですが、城さんの作品は絵画と額縁に分かれているものとそうでないものがあります。ご自身では額縁の部分を「彫刻」と呼び、装飾物としての額縁と分けておられます。尋ねたいのは、城さんの作品において、この木枠の部分がどういうポジションにあるのかという点です。 一般的に額縁は装飾物の意味合いが強い。絵の飾りという立ち位置。私としては絵画と枠と、別個の存在をつくっている意識はないんですよね。絵を描いて、お手製の額をつけているわけではない。額縁として設定してしまうと、どうしても絵の飾りという聞こえ方になってしまうけれど、でも絵のためにあるわけではない。どちらかが主役で、どちらかが脇役ということはない。 いわゆる平面と立体という区分がし難い作品だと思いますが、その自覚はありますか? 平面かどうかについて言えば、限定してはいないと思う。このかたちの最初期の作品に〈老人と海Ⅲ〉というのがあるのですけど、それはストーリーの瞬間を切り取るというつくり方をして、その瞬間の保存という意味を込めて枠を使いました。そもそも、額縁は大切な写真とか記憶の保存に使うものだから。でも木枠の部分は絵の飾りではないから、平面というか、絵の部分がメインという考え方はしていない。かと言って立体でもないですけれど。だからどっちでもないし、分けるのは難しい。その必要もないと思う。 例えばリチャード・タトルや、あるいは最近の日本では安井鷹之助さんなど、平面と立体のボーダーラインに立とうとする作家さんがいます。城さんにもその意識はありますか? いえ、特に意識はしていなかったです。最初の最初で言えば、キャンバスの四角さが嫌だった。決まった形であることに嫌気が差したんですよ。そもそも絵だけだと角があったり、横があったり、紙だったら紙の厚みがあったりするけど、そういうのが気になるんです。すごく気になる。キャンバスの横に釘を打つなら、絶対にそれは隠したい。邪魔に見えて仕様が無い。そういう考えの人なんですけど、まだ東京に来ていない時、制作をしていてキャンバスの形がすごく気になった。居心地が悪かったんだと思います。それで外側にはみ出そうと思って、キャンバスの四角形から。最初は勢いというか、何か「やっちゃえ」みたいな。 「はみ出す」ための手段として額にたどり着いた。偶発的なことでしたか? いや、論理はあった。だから...偶然とは少し違うと思います。そうすればもっと広がりがあると思っていたから。 キャンバスを形態に手を加える表現方法としてはキャンバスを破いたり切ったり、燃やしたりと色々な先行例があります。中でも絵の外周に進んだ点が興味深いです。 絵の表面に暴力的なことはしたくなかったんですよ。傷をつけるのは嫌だった。 「キャンバスの外」を意識して制作された最初の作品は何でしょうか。 意識の話で言えば〈老人と海Ⅲ〉かな。あれは色々なことがはっきりした作品。でもそこで方向性が生まれたわけではなくて、それ以前にも(木枠を使う作品は)あるにはあったんです。だから...発見に近いのかな。それまでは自分でも気付いていなかった、無意識に続けていたことが自分の中で「そういうことだったのか」と思えた。今はそのやり方を整えている感じです。 例えば〈鯨と波〉は額縁がない円形の作品です。先ほど「ストーリーを切り取るつくり方」と仰っていましたが、つまり最初に作品化したいストーリーの瞬間やモチーフがあって、その実践プロセスで絵画と額縁への分化が必要な場合、そうでない場合があるということですか? そうです、その通りです。だから(額縁を使うかどうかは)場合によりけり。使っている場合にはやはり必然だと思う。だけど、そうじゃない作品もある。無いと成立しないという話ではなくて、必要な場合に採用するやり方。〈鯨と波〉では登場する必然がなかったし、逆にというか、支持体が丸くなる方に進んだ。それが作品にとっては一番自然だったから。無くても完結はするんですよ。枠があるのは、それが作品にとって自然な形だからに過ぎない。 つまり額縁は、あくまで表現の延長線上にあるんですね。ストーリーがあって、絵があって、場合によっては額縁があり変形な支持体がある。 そう、だからとにかく、私としては別々に捉える理由がない。どちらも一つの表現でつながっているから。それに枠があっても無くてもやっていることは同じ。〈鯨と波〉もそうですけど、例えば人の手によって違う姿になった生き物とか、それが生きていた風景とか場所とかを描いている作品もある。そういう作品には枠という形であるべきなのかなって。だから、それぞれですね。 形態から中身に話を移しますが、先ほどのストーリーというのは、映画や小説のように時間軸があるのですか。時間の流れが先か、映像が先かの話ですが。 モチーフが先ですね。描きたい対象があって、その周りにはどういう人がいるのか、それに関わる人物や場所が出てくる。その対象を軸に、それを見た人が目にした景色とか思い出している光景とか、その人たちの脳みその中を考える。結果的にはストーリーとか時間を切り取ってることになりますけど、でもモチーフが先。瞬間的な物語性というか。出てくる人たちの10秒とか10分とか、そういう瞬間的なストーリーです。一生分は考えていない。 登場人物の記憶にフォーカスしているように聞こえますね。 人には限りませんけど、記憶というのはそうかもしれない。だから登場する生き物の見た景色とか出会った人、昔した会話の内容、過去に存在していた場所について考えるのかもしれない。そもそもの最初に額縁を使った時も思い出や記憶に纏わっている。 記憶に焦点を置いているとして、モチーフの出所はどうですか。全くの空想か、それとも身の回りから取材しますか? モチーフが向こうから出て来る感覚に近いのですけど、どうだろう、でもメモはしています。生活する中で目に入ったもの、気になったものを書き留めておく。「あ、これ描きたいな」と思ったものをメモする。断片を集めたりしていて、その中で特に癖のある事柄があるんですけれど、例えば車のヘッドライトとか土偶とか、基本的にそれが作品のメインのモチーフとして出てきたりします。 物語の形式でも、例えば小説には一人称・二人称・三人称とありますが、城さんが制作する際の視点はどうでしょうか。 モチーフの視点かもしれない。だから三人称が近いと思います。自分の思ったことも入るけれど、でも一番近いのはモチーフ。モチーフや第三者が思ったこと、天候とか湿度も割と考えたりします。モチーフとなる存在がどういう場所にいるのか、いたのか、その周りの環境はどうなのかって。例えば土偶をモチーフにした作品なら、そもそも土偶を作った昔の人とか、長い時間をそれと一緒に過ごした持ち主のこととか。その場にいる存在の全てを考える。 メモの話で「描きたいと思うもの」を書き留めると話していましたが、そこに共通点はありますか。というのは、作品には暗色の画材が登場しません。選ばれるモチーフや画材は、目指している世界観と関わりがありますか。 基本的には描きたいものを描いていますけど、確かに共通点はある。暗いとか少し怖いとか、謎っぽいとか、毒があるとか気持ちが悪いとか。明るい部分もありますけど。でも作品にすることでそれを浄化している感覚が近いかもしれない。今は黒を使わないんですけど、それは多分バランスが悪いから。使うと、暗く描かれてしまう。それは少し違うと思うんですよ。暗さが根っこにあっても明るさはあっていい。きれいにしたい気持ちが強いのかもしれない。 負の浄化。 そうですね、それは近い。根本的には自分のだし、表層的には他人にとっての。作品を制作することそのものというか、その瞬間を残しておくことが浄化なのかな。自分であれ他人であれ、作品として、自分のフィルター越しに投影することで浄化になるのかなと。だから白い色を使うんですよ。その方が落ち着けるじゃないですか。 少しバッググラウンドに話を伸ばしたいのですが、例えば城さんが記憶に留めている作家もそういった世界観が多いですか。 どうだろう。シーレ、ボナール、デュマス、ペイトン、ワイエス、あとは村瀬恭子さんとクリス・ヒュン・シンカン、ハマスホイとか無限にいますけど、近さはどうだろう。好きだけど、でも違うと思う。私が描くべき作品でないことが多いと思います。でもハマスホイは、そうですね、違和感があるから......。予備校の先生が「ハマスホイの魅力は違和感」と仰っていて、制作でも、何か足りないと思った時にはその言葉を思い出しています。 コンテンポラリーのペインターが多いですが、元から現代アートに関心が高かった? というわけでも無くて、高校の時に油絵を専攻していたんですけど、そこで学んでいたのはいわゆる伝統的な油彩画だった。いかに描くか的な、技術的な話が多い学校だった。むしろ浪人している時ですね。今の作品がどういう風に成立しているか勉強していたら好きになりました。 少し話がそれますが、城さんは愛知から東京に出てこられて活動をスタートさせましたね。今年で2年目だと思いますが、そもそも上京したきっかけは? 単純にモチベーションの話ですね。私は美大に通っていないのですけど、2年浪人をして、でも細々と制作は続けようと。予備校を辞めてアルバイトしながら暮らしてたんですけど、その間、正直絵はほとんど描いていなかった。......年に2、3枚くらいだったかな。働いて、帰って、疲れたって、本当にその繰り返しだったんですよ。そういう時期にたまたま画家のやましたあつこさんから声をかけて頂いたんです。「続けるなら東京の方がいい。東京においで」って。それは正解だったと思う。環境が全然違うし、入ってくる情報がまるで違うから。 ある部分において、現代アートは戦略的な世界です。城さんは東京に出て来られて、その2年目に最初の個展を開催された。そしてキュレーションは山内舞子さん。非常に好調なスタートですが、自分のポジショニングは考えますか。 ポジションとかは、どうだろう、あまり考えてないです。まだはっきりとはしてないだけかもしれないですけど。でも私の好きな作品があって、それは見る場合もそうですけど、作家が心の底から楽しんでいる作品が良いと思う。そういう作品をつくっていきたい。あとは作品のことだけですね、考えるのは。でも制作は気持ちの面が大きく影響するから、この先どうなるかは分からないですよね。 作品はより変化をしていきますか。例えば、全く額縁を使わなくなるとか。あるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも私自身ペインターという自覚もないんですよ。だから作品を絵画に限定するつもりもない。でも、だからと言って彫刻家でもない。今後は(キャンバスと額縁を分けずに)同じ支持体とか、キャンバスの厚みを増していくとか、制作の方向も色々と考えていますけれど、でも絵を描いている部分があることとか、絵を描くこと自体を止めるつもりはないです。......絵は描いていると思う。でもどういうやり方でやっているのか、それは自分でも分からないです。今のところは。 TRiCERAのページはこちらから