木曜日, 5月 6, 2021
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モノクロには色があるのか?-鉛筆画とドローイングを中心に-

 1560年代、イギリスの北カンパ-ランドのボロ-デール鉱山で良質の黒鉛が発見された。

 その黒くなめらかな性質が注目されて、細長く切り、にぎりの部分をヒモで巻いたり、木で挟むなどして筆記具として使われるようになったのが鉛筆である。

 その鉛筆によって描かれるのが、鉛筆画であるが、紙と鉛筆さえあれば作品として成立することからその裾野は広い。さらにその性質から必然、似た作品が多くなってしまうが、反面現代のアーティストは有象無象から突出するため独自の表現を模索している。

本記事では、モノクロから織り成される鉛筆アートの最前線をひた走るアーティストを紹介しよう。

土田圭介/Keisuke Tsuchida

ジュリアン
59.5 x 45.8 cm

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ファルク・アダン / Farrukh Adnan

The Beginning of the end – 1
66 x 81.3 cm
Vista – 1
20.3 x 20.3 cm

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クニカタ・サユミ / Sayumi Kunikata

カタチ
50 x 60.6 cm

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永田治子 / Haruko Nagata

無題
H 38.6cm x W 60.3cm x D 3cm

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柏倉風馬 / Fuma Kashiwagura

NOT BODY YET
H 18cm x W 14cm x D 0cm

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フジタタカシ / Takashi Fujita

裸婦 #1
H 52.5cm x W 41cm x D 2cm

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Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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それぞれ異なる距離からの異なる視線

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Lazaro Hurtado – ねじれよう! – 私たちの生活のなぞなぞ

人気が欲しいなら芸術と政治や宗教を一緒にするな」と言う人がいますが、それはナンセンスです。芸術は常に権力者、つまりパトロンのために、そしてパトロンによって利用され、育まれてきたものです。その支持や認知がなければ、芸術作品はそれだけで名声を確立することはできない。アーティストが自分のポリシーや好みを自由に表現することで、好意的に受けられる恩恵を受けることができるようになったのは、歴史的に見ても比較的最近のことです。 今日では、この非常に喚起的な品質のために、現代美術は表現の自由のアイデアで祝われています。実際、私は、アルゼンチンからこのようなアーティストを見つけ、支援するために、自由とインターネットのこの幸運な時代に感謝しています。ラザロ・フルタドの絵画は、理解者には心を開き、カタルシスを与えてくれる。作品とそのタイトル、それらは謎と答えのように連動している。彼のシュールレアリスティックな想像力と芸術的な実現のスキルで、アクリルと段ボールのシンプルなマチエールは、私たちに関係するのに十分以上のものです。 "観客は、作品の内的な性質を解読し、解釈することで、作品を外界に接触させ、創造的な行為に貢献します。" - Marcel Duchamp 皮肉とは、通常は言葉で表現しますが、芸術的な形でもあり、ドライなユーモアと現実をひねり出した表現方法です。皮肉の達人である南米の友人たちは、"私たちは堕落した社会のおかげで十分に練習してきたから、多少の笑いで一日を乗り切ることができるんだ "と言っていました。ラザロ・フルタドの人文主義的で哲学的な絵は濃密で、パンチがあり、まるで美味しいマティーニのようだ。ペンは剣よりも強し」と言われますが、私は付け加えなければなりません。Hurtadoは、人間性の混沌とした自己破壊的な性質を表現しているが、それを受け入れている。 "真の知恵は、人生や自分自身、そして周りの世界を理解していないことに気付いた時に、私たち一人一人に現れる。" - Socrates このアーティストが好きな方は、他にも好きなアーティストがいるかもしれません。... SEGUTOART ALL YOU NEED I$ LOVE by SEGUTOART55 x 45 cm Endika Basaguren The birth of Venus by Endika...

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星へ旅する時代のアートとは

星座の歴史は今から約5,000年前にまで遡るという。 メソポタミアの羊飼が星空を見上げながら、星々を結び作られたというそれは、古くから我々人類が宇宙に漠然と惹かれてきたことの良い証拠だろう。 アートにおいても星空や星座を題材としたものは散見されたが、今やアポロ11号の月面着陸から50年以上。サイエンスの力によって、宇宙の秘密が徐々に解き明かされつつある今、宇宙を題材にした作品もまた変化したのか? 内藤博信/Hironobu Naito 日本人に限らず、また人間の今昔に関わらず、ひとは月に心奪われてきた。内藤は月に憧憬する人間の心情を、岩絵具で叙情性たっぷりに描く。 彼は、ふと見上げた空に月が輝くのを見たときに、自分の生きてきた時を振り返り、心の「静寂」を感じるという。粗めの絵具を用いて描かれる青い月は鑑賞者に穏やかな静寂が訪れるだろう。 作家の詳細はこちらから 椛田ちひろ/Chihiro Kabata 黒色ボールペンでインクジェット紙などの上に不定形なかたちを描くことで知られる椛田。ボールペンの動きは繊細かつ力強く様々な対象を描く。 宇宙に点在する惑星は、観察されるものから人間のイマジネーションの加工を施すことによってアウトプットされてきた。しかし、椛田の「惑星」はとても存在し得ないと思われるような抽象的な形状をしている。しかしその観念的とも言える表現には「見知らぬ」こその未知の魔力潜んでいる。 作家の詳細はこちらから 前川奈緒美/Maegawa Naomi 前川は星の性質、自分の創作を同一化させる。 「星は自身の最期を迎える時に、自身で自分の中枢に向かって物質を破壊し、爆発し、元素を撒き散らし、その存在が消えるらしい。私自身、自分の中枢、わたしを知りたいと想い続け絵画を描いている。」「すべては繋がっている。」と語る前川の作品はエネルギーに満ち満ちているようだ。 オイルバー(油絵の具と蜜蝋で固めた物)や時に自身の手指も筆の代わりに使用し、身体とキャンバスの一体化を図る。 作家の詳細はこちらから 宇宙は言うまでもなく広い。広さが分からないくらいに。科学がいくら育とうと、少なくとも今現在、その全てなど知り得ないかもしれない。しかし、だからこそ、今後も人類最大の浪漫であり続ける宇宙に想いを馳せずにはいられない。

教授・学生・卒業生による絵画の多様な表面表現を探る WAITINGROOM グループ展「Island with ONI」

WAITINGROOMでの「Island with ONI」(2019年)のインスタレーション風景 アーティスト提供、WAITINGROOM  Daisuke Ohba, Kengo Kito, Shinya Imanishi, Saya Okubo, Kurumi Kotani,Naosuke Wadaの6名によるグループ展「Island with ONI」がギャラリーWAITINGROOM(東京)にて開催されました。この展覧会は、京都造形芸術大学教授の大場大輔氏と鬼頭健吾氏が主宰する展覧会で、学生たちのショーケースを目的としたもの。 Shinya Imanishi, Saya Okubo, Kurumi Kotani,Naosuke Wadaの4人は、それぞれ卒業した年が異なり、一緒に作品を発表するのは初めてのことでもあります。作家のDaisuke Ohbaによると、大学で教鞭をとり始めた7年前は学生の環境が非常に悪かったという。学生と教授とのつながりや関係性が希薄で、美術館や商業ギャラリーで作品を発表する学生や卒業生はあまりいなかったという。 WAITINGROOMでの「Island...

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肖像とは、特定の人間の外観を描写したものである。写真や彫刻など様々なアウトプットの仕方のうち絵画によるものを、特にポートレートと呼ぶ。 近世においては王侯貴族の姿を描いた「肖像画」という絵画ジャンルもあったが、けれどもカメラの台頭によって写実絵画は衰退し、今では美術館で見るような存在になった。 現代アートにも、例えばアンディー・ウォーホルによるマリリン・モンローの顔を描いた作品があるように、人(実際にいるいないは別として)の顔をモジュールにするケースは少なくない。モチーフとして、あるいはテーマとして、作家によって「顔」の使い方は様々だ。 坪山斉/Tsuboyama Hitoshi  坪山の肖像画シリーズ《Combine Portrait》には、一瞥で異質感や不安感を掻き立てられる。  1960〜70年代のミニマルアート等の後期モダニズムに強いインスピレーションを得ながらも、独自の空間概念を軸に色面による新たな表現を模索している坪山はその塗りの美しさに定評がある。  人が何かを識別・認識するということへの疑いや問いかけをテーマにしており、だからこその Conbine(組み合わせる)なのかもしれない。顔面を等高線のように区切り、美しい色面で塗りあげる様は、肖像の容姿とアイデンティティについて我々に何かを投げかけるようだ。 作品の紹介はこちらから チャニー・リー/Changhee Lee  リーの描く肖像もまた既視感のない作品である。モチーフとしては若い女性を一貫して選び、中世とファンタジックな世界が混合されたような画面を描く。  リーの作品はポートレートの名を冠しながらも、自身の内面的世界の表出を図った進歩的な作品であるといえるだろう。 作品の紹介はこちらから アントニオ・サラス・カブレラ/Antonio Salas Cabrera  既存のイメージを再構成する手法によって作品制作を行うアントニオ。既存のイメージをPCに取り込み、トリミングや色彩の変更などを経て出力されるイメージよく知る既存のモデルとはまた異なった表情を見せる。  アントニオの作品のモデルは、それもまた作品であり、その作品にはモデルとなった人物がいることから二重の透過を経た上で、我々は元の人物を見ているといえるだろう。しかし、二重の解釈は無意識下で中抜きされているのにもかかわらず、我々の意識は尚も直接的にモデルの姿を捉えていることを自覚する。シミュレーショニズムに通底する手法を以て、アントニオは認識について一つの解釈を与えているのだ。 作品の紹介はこちらから エージェントX/Agent X  アメリカンコミックなど既存のイメージに依拠しつつも、マルチメディアなコラージュを施すことによって独特の存在感を放つエージェントX。彼の実験的な作品の多くは、人物の多くは人間であるものの、そのアウトプットの多彩さには驚くばかりだ。  未来派の美学と哲学、ダダ運動の社会的批評、ポップアートからスーパーフラットまでの現代芸術運動の間のユニークな交差の中で描かれる <<Queen>>シリーズは16世紀のアーティスト、アルチンボルドのコラージュ的な人物描写を思わせる。しかし、そこに現代的な発想とデジタル世代ならではの技法が掛け合わさることで作品として調和がとれつつも、我々は混沌とした倒錯感を感じるだろう。 作品の詳細はこちら A.C.D.  直線を多用する画面からキュビズムを思わせるが、抽象の手法はA.C.D.独特であり、硬質的な印象を鑑賞者に与えつつも、彩度の高い彩りのある画面からは温かみが感じられる。  特に《Le Grand Prince》は顔の造形が単純な線分により的確に表現され、近代の顔面表現が為されている。 作品の詳細はこちら  画家とモデルの間のドラマが顕れやすいことなど他の分野とはまた異なった味があることから、肖像画はある種、玄人好みする分野である。しかし、誰しもが肖像を量産する時代に在って、あえて肖像画という手段で顔を描くのは人間の顔とアイデンティティは密接であると同時に、不安定な関係であるという証左であろう。