水曜日, 10月 20, 2021
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現代アメリカのアートの流れを覗く-アメリカン・アーティスト特集-

アメリカのアートもしくはアーティストと言えば、何、また誰が思い浮かぶだろうか?8月はアメリカン・アーティスト鑑賞月だそうで、新しくアメリカ出身/拠点のアーティストを発見するのには持ってこいのタイミングだ。

第二次世界大戦後、それまで地球規模での影響力を誇ったヨーロッパの国々は力を保持できず、代わりにアメリカが台頭した。これは政治や金融だけでなく、芸術においても同様であり、アメリカ文化が以前にも増して宣伝され、輸出されるようになった。特に、ポップやミニマリズムなどの芸術運動は、現代美術の行方に多大な影響を与えた。

ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ジャン・ミッシェル・バスキア、ドナルド・ジャッド、フランク・ステラ……と、その名前を連ねるのはいとも容易い。私たちが現在知る形のアートを楽しめるのも彼らのおかげである。アメリカの政治的なイメージは、アメリカ人でない私たちにとっては決して崇高なものではないかも知れないし、そして現大統領が懐かしむほどにグレートではないかも知れない。

しかし、幸いなことに、芸術の創造性を楽しむのに世情は関係ない。我々は、希望と夢の国から届けられる輝かしいアートと共に、幸せな現実逃避の航海へ漕ぎ出すとしよう。

Brian Schorn

A.C.D.

Young Serena 92 x 61 cm 

Seth King

Lawrence Lee

Double Thunder 30.48 x 30.48 cm

Edward Burden

Her Makeup Was Perfect 30.4 x 30.4 cm

Cash – Cooper

Sandra Mack-Valencia

Carl Goss

Clint Imboden

Isaac Ishimatsuhttps://www.tricera.net/
1988年東京生まれ田舎育ちフランス在住。勉学や仕事には秀でるも、型破りな個性派として、生真面目な教師や上司を当惑させる多彩な日本時代を過ごす。極貧の子供時代からの夢である海外生活実現のため、カナダへ渡り貿易会社等で活躍。現在は語学習得と教授、TRiCERA勤務に勤む。陶芸工房での勤務経験、カナダの大学での音楽学習に、写真や芸術等幅広い関心を持ち、時代観察と文化比較の観点から、アートと日常生活の接点を書き出す。

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本橋孝祐によるレンチキュラー限定エディションプリントを150部限定で発売。

THE KING OF SILENCE ¥ 15,000(税抜) エディション:150サイズ:H420 × W297mm技法:アクリルレンズにレンチキュラープリント額装:オリジナルアクリルフレーム(+ ¥10,000) ※写真のフレームは参考であり、現物ではありません。©︎KOSUKE MOTOHASI/TRiCERA, inc. All Rights Resaved この度TRiCERAは本橋孝祐による限定エディションプリント《THE KING OF SILENCE》 を150部限定で発売致します。本橋は1989年兵庫県出身。2013年頃からアートワークを開始し、これまで東京やNYで活動を行ってきました。一貫して「現代において生死の問題に取り組むとはどういうことか」と問いを立てる本橋は、制作を通して作品と鑑賞者の対峙によって起こるリレーショナルな化学反応とその意味について探求して来ました。今回はレンチキュラー仕様のプリンティングを行い、三方向から異なる見え方がする工夫を施し、あたかも移ろいやすい現象世界のように常に変化する作品に仕上げました。生と死を直向きに突き詰める本橋の作品に流れる鼓動の一端を、この機会にぜひお楽しみ下さい。 【販売に関する諸注意】 (1) 作品はサイン/エディションナンバー入り証明書が付属します。 (2) エディションナンバーは選択出来ません。 (3) 作品発送は購入より約2週間から1ヶ月のお時間を頂きます。 (4)お客様の受取拒否等による再配達に必要な料金はお客様のご負担となります。...

“window”Shimizu Jio(MISA SHIN GALLERYにて)

目に見えないものを感じさせる現象をもたらす作品 東京のミサシンギャラリーにて、日本のアーティストShimizu Jioの個展「window」が開催されています。本展は、1966年生まれ、広島・埼玉を拠点に活動している清水慈夫の3度目の個展となります。 Shimizuは、アートと自然科学の関係性を探る実験的な作品を制作しています。彼の作品は、音、動き、光、振動などの要素で構成された現象を生み出しています。 本展では、数点の作品の中からShimizuの作品"window"に焦点を当てて展示します。"window"は、ビッグデータの原理を利用した作品です。2台のモニターが更新され、リアルタイムでTwitterのフィードを表示しています。7ヶ国語で書かれた「光」と「闇」という言葉を含むツイートが出てくると、2つの発光パネルが点滅します。あなたはどちらのパネルがより多くの光のちらつきを期待しますか?どちらの言語の方がモニターによく映ると思いますか?そう思う理由は何でしょうか?作品を見る前に、自分に問いかけ、自分なりの仮説を立ててみると、展示をより気持ちよく感じることができるでしょう。 実用的な部分では、ビッグデータとTweeterをベースにしながらも、人間界の間にある天国と地獄を描いたヒエロニムス・ボスの「地上の喜びの庭」の影響も受けています。歓喜の庭』のように、"window"の左側が "光 "に、右側が地獄としての "闇 "を意味し、中央が監視された愚かな人間世界に対応する空虚さを暗示していることに気づくかもしれません。 また、"window"とともに、Iida Hiroyukiとのコラボレーション作品"decay music"も発表します。"decay music"は、室内に設置されたシンチレーターを用いてガンマ線の放射線を検知し、それに応じて放射線の音を再生するミクストメディア・インスタレーション作品です。「decay music」は、室内に設置されたシンチレーターでガンマ線を検出し、展覧会期間中に美佐新ギャラリー内で放出される放射線の音色を再生する。作家はまだ福島やチェルノブイリなどの放射能の高い場所で「崩壊音楽」を演奏したことはありませんが、もちろんそのような都市ではエネルギーの高さから高い音を奏でるでしょう。その点、本作品は放射線量に応じて様々な音を生み出す可能性を持っており、近々どこかで次の場所で"decay music"が見られることが期待されています。 それらの時間軸の作品では、現象が起こる。目に見えないものを目に見えるものに変換するのではない。作品がもたらす現象から、私たちは目に見えないものを感じることができるのです。清水慈夫の "windows "展は6月28日よりスタートし、2019年8月10日までミサシンギャラリーにて開催されています。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

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絵画になったペットたち

 かつて食料や道具程度のものでしかなかった動物。今や、毎日人間は癒しを与えられている。  アニマルセラピーという日本語英語が存在する。動物との触れあいを通じて、内在するストレスを軽減させるなどして、精神的な健康の回復を図ることをいう。学術的なエビデンスは少ないものの、現代日本のようなペット大国に生きる人間であれば、動物との触れ合いがもたらすポジティブな効果の有無について、疑いの余地はないだろう。  興味深いのが、他人の飼育するペットを動画サイトやSNSを通じて観る者の多さだ。SNSのタイムラインで画像を見かけない日の方がもはや珍しくなり、動画の企画ジャンルになるまでに確立し、TVでもキラーコンテンツ化したネコ。1匹のネコの起伏もない動画を何時間も画面にかじりついてに見ている人間がいるのはエンタメ性というより、むしろ癒しを求めてではないだろうか。状況だけ見れば、どうやら人間はバーチャルの動物であっても、アニマルセラピーが成立するようだ。  本記事ではアートの始まりといわれるラスコーやアルタミラ洞窟壁画にも描かれた動物とアートの関係を探る。 インガ・マカロヴァ/Inga Makarova  マカロヴァは典型的な愛玩動物であるイヌ、ネコから、ハチといった危険な虫、カメレオンのようなエキゾチックアニマルまで、様々な動物を手がけるアーティストである。それぞれの生物学的特徴を捉えた上で、人間のカルチャーとの共通項を抽出するのを得意とし、単なる動物の描写で終わらない現代アート的な側面が大いに感じられる。  モチーフとしている動物はマカロヴァが思い入れがあるからなのか、イヌがよく描かれている。色調はビビットで毒々しい画面ではあるが、彼女のイヌに対する愛情があらわれているのか、小さい身体がどことなく愛らしい。 作家の詳細はこちらから 九里藍人/Airi Kumori  九里もまた動物に対する深い洞察を身につけているアーティストである。  しかしマカロヴァの動物に対する愛玩的な視線に加え、彼の頭の中では動物のフォルムの解体が行われいるからか、抽象度はさらに上がる。  複雑な幾何的線描と単純化したモチーフ、静止と動的なイメージといった二項対立を巧みに駆使し、動物や動物を元にした神的な存在を描く。日本人の日常で出会うさまざまな動物は、時にキャッチーに時に恐怖を掻き立てるように変換され、それぞれの動物の特性を誇張して描かれる。  また特筆すべきは通常意識がないとされる動物を人間のように明確な意識を持った存在として扱うことによって、ある種のキャラクター化を図っているところである。西洋にも動物のキャラクター化は見られるが、そういった点でも日本人ならではの誇張された表情表現、のびのびとした闊達な筆遣いは鳥獣戯画を彷彿とさせる。 作家の詳細はこちらから 樋爪悠子/Yuko Hizume  上記の二人とはまた異なったアプローチで動物を描くアーティストもいる。樋爪はその一人だ。  樋爪は和洋の古典的なファッションに身を纏った知的で野性的な強い女性の美しさを描く。その脇に普段我々が直接的に見かけることの少ない動物達、トラ、ツル、ウーパールーパー等が共存している。この画風は、母と動物達への感謝の思いからであるという。  モチーフの女性はどちらも凛とした佇まいでその精神的強度が画面を隔てている我々にまで迫ってくる。そしてその精神性が我々に伝わる媒介として機能しているのが動物である。虎であればさらなる迫力を、トカゲであればフェミニンで奔放な印象を加速させる。  樋爪の作品を見れば、自然人間と動物のイメージの共有が図られ、改めてその二物の関係が鑑賞者の頭の中で再認識・再考されるだろう。 作家の詳細はこちらから  空前のペットブームによって、家庭などで飼育されているペットの数は2003年に1900万頭を超え、なんと15歳以下の子どもの数を上回った。食料や道具を超え、さらに有機的に人間の社会に組み込まれていく動物との付き合い方の答えは案外アートに潜んでいるのかもしれない。

人間にとっての動物、もしくは動物にとっての世界の話。

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スカルにみる現代の「死」

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この度TRiCERAでは12月19日(土)から2021年1月19日(土)の会期にて齊藤拓未/さめほし/東麻奈美/林香苗武/野澤梓の5名のアーティストによるマルチプル作品のグループショーを開催致します。 今回の展示について 美術史家 ジョージ・キューブラー(1912-96)による『The Shape of Time: Remarks of the History of Things』からタイトルを引用した本展では、美術作品という事物にまつわる時間にフォーカスしながら参加アーティストの作品とその活動を紐解き、また鑑賞体験の提案として平面メディウムの一つであるプリンティングを採用します。  絵画と版画は、美術の諸領域において、しばしばアイロニックな関係を結びます。画材などマテリアル、ストロークや筆触など作家の身体的痕跡によって複雑な情報と構造を持った物質である絵画に対し、版画はそのイメージを抽出し、紙面に固定する記録のような機能を持ちます。 絵画は、当然ながら時とともに傷つき、すり減り、まるで氷が溶けるようにゆっくりと摩耗していきます。その事実は絵画が平面という物体であることを気づかせ、同時に物質としての絵画という新しい鑑賞の見地をもたらしますが、一方の版画は作品の物質性や身体性を離れ、イメージの記録と伝達により忠実なメディアであり、それぞれは異なる時間の流れ方を持ちます。 美術作品にまつわる時間について言及すると同時に、今回は参加するアーティストの表現を時間というアングルから紐解くことでその表現性の現在について解釈を試みます。  大人になるにつれ薄れつつある感情を思い出させる風景に、幼少期の自分をそこに描き込んでいく齊藤拓未。現在と過去の二つの時制を一つの画面に描く彼女の作品には、不可逆である時間の順行とそこにまつわる感傷性が豊に、静かに物語られています。  さめほしはデフォルメされた少女の顔の上に崩壊と生成というベクトルの異なる現象を描いてきました。本展に登場する作品は、先述のアンビバレントな性格に加え、顔にケーキをぶつけることによって造形性の崩れを新しい局面から模索する作品です。  東は美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し、時間をキャンバスに閉じ込める実験的な作品を描いてきました。順行する時間、反復する時間、そして運動する物体にまつわる考察を視覚言語によって提示し続けます。  さらに林香苗武は、平面における速度をテーマにしながら制作を行ってきました。絵画とは言うまでもなく静止物であり、画面において現象としての運動は現れませんが、彼女はあたかも未来派の作家らが行ったように、停止する画面における速さの問題に取り組んできました。 野澤梓はステッカーボムという、ストリート文化から派生した、主に自動車やオートバイのカスタムにて行われるステッカーを支持体の表面が見えなくなるまで重ね貼りする手法を絵画に引用的に使用します。像が重ねて描かれた彼女の絵画は、多層的な構造を持ち、それが内包する時間は非常に複雑であり、それこそがイラストレーションと峻別され絵画として存在する意義を獲得しています。  キューブラーは作品それ自体にまつわるスタイルやシリーズの流れについて解析を試みましたが、本展ではそこから敷衍し、制作という行為の結果である絵画でなくその記録であるプリンティング作品を展示により、あくまでもアイロニックな方法によって美術作品にまつわる時間の流れ、その物質的な性格について考察する機会を目指します。紙面において静かに物語られるアーティストらの像を通し、その奥にある絵画そのものについて考える機会をお楽しみください。 参加アーティストについて   齊藤拓未     1996年東京出身。2020年武蔵野美術大学日本画専攻卒業。主なグループ展に「日々のあわ」(高円寺pocke / 2019/ 東京)、 「fog」(exhibition space CLOSET/2020/東京)、「obキュレーション展 neo wassyoi」(hidari zingaro / 2020 / 東京)、主な個展が「tender...

Feature Post

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TRiCERAのサービスには100名以上のアーティストが参加しており、ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜という日本のテレビ番組「ブレイク銭屋」でも紹介されたアーティストもいます。以下にアーティストのクリップの一部をご紹介します。 Keisuke Tsuchida https://youtu.be/dxff44DdumU <a href="https://www.tricera.net/en/id81000490018.html" Keisuke Tsuchidaの作品をもっと見る HERE より Go Ogawa https://youtu.be/NzIFKYC_qsw <a href="https://www.tricera.net/en/id81000200017.html" Go Ogawaの作品をもっと見るHEREより Yu Uchida https://youtu.be/SKzYm92XoBY <a href="https://www.tricera.net/en/id81000200012.html" Yu Uchidaの作品をもっと見る HERE より Aran Yasuoka https://youtu.be/E2N7nuM_-WY <a href="https://www.tricera.net/en/id81000200054.html" Aran Yasuokaの作品をもっと見る HERE より Yuna Okanishi https://youtu.be/hXQ2TwrjfYE <a href="https://www.tricera.net/en/id81000420006.html" Yuna Okanishiの作品をもっと見るには、HEREから。 Osamu Watanabe https://youtu.be/dRcfSvzVYZ0 <a...

「音楽のタイムラインを刻む」START ARTIST vol.3 ~ NAKAMITSUKI

TRiCERA発のオークションイベント「START」第一弾の出展作家の"なぜSTARTに出展したか"を主軸にしたインタビュー、ならびに新作の紹介を行います。 オークションイベント「START」とは 2021年2月に行われた「START」。アートに携わる様々な人たちを「セレクター」としてゲストに招き、それぞれの視点からアーティストを選び、そしてその魅力を伝える言葉と共に、その作品をオークション形式で販売いたしました。「アートをこれから始める」という方にも分かりやすい設計を行い、またオークションがはじめての方、オンラインではじめてアートを買う方など、様々なひとたちの「スタート」になるような企画となっております。 作家紹介 ナカミツキ (NAKAMITSUKI) 1997年兵庫県生まれ。2020年に京都教育大学美術科を卒業。 学生時代から三菱商事アート・ゲート・プログラム奨学生に選抜されるなど、Z世代と言われる年代に生まれ直感的で新しいセンスでキャリアを積んでいる。 既存のルールにとらわれない 多様な価値観を持ち、生活と共にデジタルネイティブとして育った日常的ツール「iPad」で制作を行う。エモい瞬間に五感を解放し、新しいセンスでiPad に直感的に描き切る。アートをデータ化することでどこにでも出現することができる。そして一度作品化された画像は、iPadのデータから削除される。この現代的なスピード感は、これまでにない新しいアートの形を生み出している。 1997年兵庫県生まれ。 2020年京都教育大学教育学部美術領域専攻卒業。 2020年個展開催「エモいは私たちを構成する。」(渋谷ヒカリエ / 東京)。 2021年「 スマホの方が現実。」(「Shibuya Fashion Week 2021 Spring」渋谷ヒカリエ / 東京)、 「FUGA Dining Exhibition」(FUGA Dining / 東京)、 「ブレイク前夜展」(大丸東京 / 東京) 2019年「三菱商事アート・ゲート・プログラム 奨学生展『アートのちから』」(丸ビルホール...

ペーパーアートに魅了されて – パート2

作品の詳細はこちらから アート素材としての紙のユニークさを説明したペーパーアートのシリーズ part 1を未読の方は、ぜひこちらからご一読あれ。 https://blog.tricera.net/post-tetsujiyamashita-lacybarry/ 紙と人類の蜜月関係 今回は少々の雑学から始めるとしよう。 考古学の研究によると、紙は紀元前100年頃の中国で発明され、以後は文明の片棒を担いながら発展してきた。「紙」という言葉の語源は、エジプト文明で使われた厚紙状の筆記媒体「パピルス」にあり、起源はなんと紀元前2560年~2550年までさかのぼる。 2020年現在、デジタル技術の隆盛により私たちの紙に対する愛着は薄れている。とは言え、それでも一夜にして紙文化が消滅することはありえない。例えば、メールやLINEにZoomで全てが済む時代でも、年賀状や結婚式、誕生日などの機会には未だに手紙を出すし、軽くて薄いタブレットひとつに何百冊もの本が入れども未だに、重くてかさばる紙の本を買う人も多い。時代遅れにも思えるこの素材と私たちを結びつけるのは、人類として記憶に刷り込まれたアナログさ、つまり紙への郷愁なのだ。 いくら世情が変わろうとも、4,000年以上にわたる人と紙との蜜月関係は、今もなお世界中で続く。筆者が滞在しているフランス、全国で年に数回開催される骨董市は大変な人気なのだが、特に人の興味をそそっている品は数十年前に書かれた手紙であったりもする。美しく手書きされたはがきや手紙は黄ばんでいるが、そこに記された心情は今も生々しい。インクのにじみや筆跡に、書き手の迷いや興奮が色あせる事なく見られる。 作品の詳細はこちらから 薄くても丈夫な和紙は、筆と墨に適合し発展してきた。その美しい風合いから、和明かりや障子など、家具にも使われるのはご存知の通り。古くには、神道のお供え物の包装材として使われた事に始まり、儀礼折として、折り方や折り目の知識が高位の武家教育の一環となっていく。江戸時代になり、今日私たちの知る「折り紙」遊びとして一般に広まった。若輩の私も日本で育った身、書道を嗜み、折り紙を作り、紙飛行機を飛ばし友人と遊ぶ中で、常に日本の上質な紙に慣れ親しんできた。 作品の詳細はこちらから さて、アートにおいて、「アナログ」媒体である「紙」はいかに重要なのだろうか?インドを拠点に活動するビジュアル・アーティスト、Janaki Leleは、ハンドカットによる切り絵を通して物語を紡ぐ。「Telepathy」と言う作品には詩が添えられ、彼女は「エネルギー網は目に見えない線を通り...、二つの心をつなぐ...、私のこと想ってくれていたの?実は私もあなたの事を考えていた所なの。」とささやく。なるほど、私たちの脳をつなぐのは、目に見える電力ケーブルという現代的なエネルギーだけでないのだと、改めて他人とのつながり方を考え直させられる。私たちが思考を表現する営みは、凧や鳥を空の流れに解き放つ様。この流れが、私たちの頭の中にある風車や水車のタービンを回し、相互作用のなかでエネルギーを生み出す。どうやら、テレパシーのような繫がりは、このアナログなメカニズムで同調している時に起こるであろう。 作品の詳細はこちらから もう一つの作品「Star Catchers」には優しくも朧げな夢物語が描かれる。友人の子と、窓を通りすぎる夕日をつまんで遊んだ時間から着想を得たと言う。これらの物語は全て、シルエットとわずかな奥行きを利用し、たった一枚あるいは数枚の紙の上で繰り広げられる。わずか数マイクロミリメートルの厚さの紙に、すべてのドラマを受け止め伝達するキャパシティと可能性が秘められているとは驚嘆だ。なぜそんな事が可能なのか。それは、紙が有機的な存在であることに秘密があろう。思考とコミュニケーションが有機的に形成される様を見たように、生物学的エネルギーが人間と紙のアートの間で相互作用しているのだ。紙が触媒として芸術家と芸術を、また芸術と私たちを結びつける。 作品の詳細はこちらから 日本を拠点に活躍する百鬼丸は、これまでに1万点以上の作品を手がける多作の切り絵作家として、侍たちを21世紀の世界に紙で躍動させてきた。彼の描く線にはまるで日本刀のような切れ味の良さが際立つ。日本の歴史小説の表紙デザインを多く手がける彼のモチーフは、武士や忍者が活躍していた時代のものが多く、その大胆な構図は、浮世絵の躍動感とマンガのキャッチーさを併せ持つ。これらの要素と、生き生きとした人物描写が相まった彼の作品には生命力が溢れている。有機的な紙にその生命を宿す包容力があることは言わずもがなである。 作品の詳細はこちらから 彼の作家活動は、作品と同様にパワフルだ。平面・立体の切り絵アートを制作するだけでなく、テレビ出演、日米仏での展示会、そして興味深いことにライブで切り絵パフォーマンスも行うと言う。彼の武者デザインが施されたマスクも販売されているそうで、ウィズコロナ時代には頼もしい限りだ。百鬼丸は大学で建築を学び、その後陶芸の修行をしたりと、まるで浪人侍のようなキャリアを歩んできたやも知れぬ。しかし今、日本切り絵界の先鋒として自らのキャリアを切り拓き、後進に道を描き示す。  https://www.youtube.com/watch?v=yDVpG4p948E&feature=youtu.be TRiCERAでは今後もアーティストの情報をお届けしていきます。切れ味鋭い知見や味わい深いコラムをもっと読みたい方々については、ArtClipニュースレターの登録をお忘れなく。

ヌードの現在系-「裸」に向き合う現代絵画-

 人間のありのままの姿を表現するヌード。遥か昔、紀元前のギリシャ美術の時代からヌード作品は制作されているばかりか、体系化されていない原始美術などでも全世界的に盛んに制作されてきた。  ミラノ勅令後、ヨーロッパはキリスト教の名の下に社会の統治が行われてきたわけだが、公序良俗を掲げる時代にあっても芸術の世界では「裸」は不可侵の領域であった。ヌードを扱うには「寓意性や神話性を持っている」というエクスキューズが必要だったとはいえ。  しかし「聖書や神話、物語のワンシーンを描いた神話画・歴史画」以外の領域で、ゴヤによって描かれた西洋美術史において最初の卑俗的で具象的な女性ヌード絵画《裸のマハ》によって新たな地平が開ける。  その後も、人々がその魅力に囚われ続けるヌードはアートの世界を超え、様々な登場人物によってドラマチックな変遷を辿った。だがしかし、このインターネット時代、いつでもどこでもスマートフォン一つで「裸」に接続できてしまう。その点、官能性で他のメディアに勝てるのかといえば疑問が残るが、それでも今日のアーティストが「裸」を扱う意義とはなにか?本記事で紹介する作品を通して、共に考えていきたい。 Fiona Maclean 作家の詳細はこちらから Andrea Vandoni 作家の詳細はこちらから Isabel Mahe 作家の詳細はこちらから Zakhar Shevchuk 作家の詳細はこちらから Badri Vaklian 作家の詳細はこちらから

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