日曜日, 5月 29, 2022
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現代アメリカのアートの流れを覗く-アメリカン・アーティスト特集-

アメリカのアートもしくはアーティストと言えば、何、また誰が思い浮かぶだろうか?8月はアメリカン・アーティスト鑑賞月だそうで、新しくアメリカ出身/拠点のアーティストを発見するのには持ってこいのタイミングだ。

第二次世界大戦後、それまで地球規模での影響力を誇ったヨーロッパの国々は力を保持できず、代わりにアメリカが台頭した。これは政治や金融だけでなく、芸術においても同様であり、アメリカ文化が以前にも増して宣伝され、輸出されるようになった。特に、ポップやミニマリズムなどの芸術運動は、現代美術の行方に多大な影響を与えた。

ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ジャン・ミッシェル・バスキア、ドナルド・ジャッド、フランク・ステラ……と、その名前を連ねるのはいとも容易い。私たちが現在知る形のアートを楽しめるのも彼らのおかげである。アメリカの政治的なイメージは、アメリカ人でない私たちにとっては決して崇高なものではないかも知れないし、そして現大統領が懐かしむほどにグレートではないかも知れない。

しかし、幸いなことに、芸術の創造性を楽しむのに世情は関係ない。我々は、希望と夢の国から届けられる輝かしいアートと共に、幸せな現実逃避の航海へ漕ぎ出すとしよう。

Brian Schorn

A.C.D.

Young Serena 92 x 61 cm 

Seth King

Lawrence Lee

Double Thunder 30.48 x 30.48 cm

Edward Burden

Her Makeup Was Perfect 30.4 x 30.4 cm

Cash – Cooper

Sandra Mack-Valencia

Dream House 30.5 x 22.9 cm

詳細はこちらから


Carl Goss

Clint Imboden

Isaac Ishimatsuhttps://www.tricera.net/
1988年東京生まれ田舎育ちフランス在住。勉学や仕事には秀でるも、型破りな個性派として、生真面目な教師や上司を当惑させる多彩な日本時代を過ごす。極貧の子供時代からの夢である海外生活実現のため、カナダへ渡り貿易会社等で活躍。現在は語学習得と教授、TRiCERA勤務に勤む。陶芸工房での勤務経験、カナダの大学での音楽学習に、写真や芸術等幅広い関心を持ち、時代観察と文化比較の観点から、アートと日常生活の接点を書き出す。

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キュレーターの視点 一枚絵に描かれたキャラクターは、その余白に魅力があります。この子は、どんな性格でどんな動きをするんだろう。どんな場所で生活しているんだろう。想像を膨らませることで、気がつくとあなたのパートナーになっているのです。     TRUSTWORTHY / トラストワージー by Kiuw W 40.00cm x H 30.00cm x D 1.50cm 絵画 (アクリル画) JPY ¥92,000 +税 Belgium ユニークな生き物では随一の作家Kiuwは、ベルギーで活躍する作家です。この作品のタイトル「TRUSTWORTHY」は、「信頼に値する」という意味。信頼できる人の上には、家だって建てられるんです。         Child of the sea by nami W 46.00cm x H 53.00cm x D 2.00cm 絵画...

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「幾重にも積み重ねた時間の層と人の軌跡」START ARTIST vol.2 ~ Mariko Ohashi

TRiCERA発のオークションイベント「START」第一弾の出展作家の"なぜSTARTに出展したか"を主軸にしたインタビュー、ならびに新作の紹介を行います。 オークションイベント「START」とは 2021年2月に行われた「START」。アートに携わる様々な人たちを「セレクター」としてゲストに招き、それぞれの視点からアーティストを選び、そしてその魅力を伝える言葉と共に、その作品をオークション形式で販売いたしました。「アートをこれから始める」という方にも分かりやすい設計を行い、またオークションがはじめての方、オンラインではじめてアートを買う方など、様々なひとたちの「スタート」になるような企画となっております。 作家紹介 大橋麻里子 (Mariko Ohashi) 1991年兵庫県神戸市出身。2016年多摩美術大学大学院博士前期課程美術研究科油画専攻を修了。また2014-2016年に神山財団奨学生として採択される。 個展 「non-Fiction///」(GALLERY301,神戸,2021) 「浮遊する現在」(GALLERY301, 神戸, 2020) 「Born」(GALLERY301, 神戸, 2019) 「白昼夢」(GALLERY301, 神戸, 2018) グループ展 「time in a bottle 大橋麻里子 | 齊藤拓未」(MASATAKA CONTEMPORARY, 東京, 2020) 「komposition」(Sansiao gallery HK, 香港, 2019) 「RETUNE」(MASATAKA CONTEMPORARY, 東京,...

ペーパーアートに魅了されて – パート2

作品の詳細はこちらから アート素材としての紙のユニークさを説明したペーパーアートのシリーズ part 1を未読の方は、ぜひこちらからご一読あれ。 https://blog.tricera.net/post-tetsujiyamashita-lacybarry/ 紙と人類の蜜月関係 今回は少々の雑学から始めるとしよう。 考古学の研究によると、紙は紀元前100年頃の中国で発明され、以後は文明の片棒を担いながら発展してきた。「紙」という言葉の語源は、エジプト文明で使われた厚紙状の筆記媒体「パピルス」にあり、起源はなんと紀元前2560年~2550年までさかのぼる。 2020年現在、デジタル技術の隆盛により私たちの紙に対する愛着は薄れている。とは言え、それでも一夜にして紙文化が消滅することはありえない。例えば、メールやLINEにZoomで全てが済む時代でも、年賀状や結婚式、誕生日などの機会には未だに手紙を出すし、軽くて薄いタブレットひとつに何百冊もの本が入れども未だに、重くてかさばる紙の本を買う人も多い。時代遅れにも思えるこの素材と私たちを結びつけるのは、人類として記憶に刷り込まれたアナログさ、つまり紙への郷愁なのだ。 いくら世情が変わろうとも、4,000年以上にわたる人と紙との蜜月関係は、今もなお世界中で続く。筆者が滞在しているフランス、全国で年に数回開催される骨董市は大変な人気なのだが、特に人の興味をそそっている品は数十年前に書かれた手紙であったりもする。美しく手書きされたはがきや手紙は黄ばんでいるが、そこに記された心情は今も生々しい。インクのにじみや筆跡に、書き手の迷いや興奮が色あせる事なく見られる。 作品の詳細はこちらから 薄くても丈夫な和紙は、筆と墨に適合し発展してきた。その美しい風合いから、和明かりや障子など、家具にも使われるのはご存知の通り。古くには、神道のお供え物の包装材として使われた事に始まり、儀礼折として、折り方や折り目の知識が高位の武家教育の一環となっていく。江戸時代になり、今日私たちの知る「折り紙」遊びとして一般に広まった。若輩の私も日本で育った身、書道を嗜み、折り紙を作り、紙飛行機を飛ばし友人と遊ぶ中で、常に日本の上質な紙に慣れ親しんできた。 作品の詳細はこちらから さて、アートにおいて、「アナログ」媒体である「紙」はいかに重要なのだろうか?インドを拠点に活動するビジュアル・アーティスト、Janaki Leleは、ハンドカットによる切り絵を通して物語を紡ぐ。「Telepathy」と言う作品には詩が添えられ、彼女は「エネルギー網は目に見えない線を通り...、二つの心をつなぐ...、私のこと想ってくれていたの?実は私もあなたの事を考えていた所なの。」とささやく。なるほど、私たちの脳をつなぐのは、目に見える電力ケーブルという現代的なエネルギーだけでないのだと、改めて他人とのつながり方を考え直させられる。私たちが思考を表現する営みは、凧や鳥を空の流れに解き放つ様。この流れが、私たちの頭の中にある風車や水車のタービンを回し、相互作用のなかでエネルギーを生み出す。どうやら、テレパシーのような繫がりは、このアナログなメカニズムで同調している時に起こるであろう。 作品の詳細はこちらから もう一つの作品「Star Catchers」には優しくも朧げな夢物語が描かれる。友人の子と、窓を通りすぎる夕日をつまんで遊んだ時間から着想を得たと言う。これらの物語は全て、シルエットとわずかな奥行きを利用し、たった一枚あるいは数枚の紙の上で繰り広げられる。わずか数マイクロミリメートルの厚さの紙に、すべてのドラマを受け止め伝達するキャパシティと可能性が秘められているとは驚嘆だ。なぜそんな事が可能なのか。それは、紙が有機的な存在であることに秘密があろう。思考とコミュニケーションが有機的に形成される様を見たように、生物学的エネルギーが人間と紙のアートの間で相互作用しているのだ。紙が触媒として芸術家と芸術を、また芸術と私たちを結びつける。 作品の詳細はこちらから 日本を拠点に活躍する百鬼丸は、これまでに1万点以上の作品を手がける多作の切り絵作家として、侍たちを21世紀の世界に紙で躍動させてきた。彼の描く線にはまるで日本刀のような切れ味の良さが際立つ。日本の歴史小説の表紙デザインを多く手がける彼のモチーフは、武士や忍者が活躍していた時代のものが多く、その大胆な構図は、浮世絵の躍動感とマンガのキャッチーさを併せ持つ。これらの要素と、生き生きとした人物描写が相まった彼の作品には生命力が溢れている。有機的な紙にその生命を宿す包容力があることは言わずもがなである。 作品の詳細はこちらから 彼の作家活動は、作品と同様にパワフルだ。平面・立体の切り絵アートを制作するだけでなく、テレビ出演、日米仏での展示会、そして興味深いことにライブで切り絵パフォーマンスも行うと言う。彼の武者デザインが施されたマスクも販売されているそうで、ウィズコロナ時代には頼もしい限りだ。百鬼丸は大学で建築を学び、その後陶芸の修行をしたりと、まるで浪人侍のようなキャリアを歩んできたやも知れぬ。しかし今、日本切り絵界の先鋒として自らのキャリアを切り拓き、後進に道を描き示す。  https://www.youtube.com/watch?v=yDVpG4p948E&feature=youtu.be TRiCERAでは今後もアーティストの情報をお届けしていきます。切れ味鋭い知見や味わい深いコラムをもっと読みたい方々については、ArtClipニュースレターの登録をお忘れなく。

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IKU→ 個展|「エゴサーチの定理 = ?」バーチャルギャラリーの公開

現在TRiCERA MUSEUMにて開催中(2021年8月28日(土)〜9月11日(土))の、アーティストIKU→の個展「エゴサーチの定理 = ?」 バーチャルギャラリーを公開 今回の個展ではIKU→による40点以上の新規作品を新たに公開、 3D空間での新たな鑑賞体験をお楽しみください。 下記画面の再生ボタンを押し、作品横のボタンを押す事で、各作品ページに行き購入する事が可能。 実際に会場で作品を体験されたい方は、 IKU→ 個展|「エゴサーチの定理 = ?」にぜひご来館ください。 イベント詳細ページはこちらから バーチャルギャラリーの作品はTRiCERAで扱っています

Quick Insight vol.3 – 鈴木潤 | Jun Suzuki –

20代に上京し独学でアーティストとなった鈴木潤は、自分の中にあるあオリジナルなキャラクターをストレートに描き出し、「描き手と見る人」の間で鑑賞を通して生まれるコミュニケーションを重視する。「自分の頭の中を覗いて欲しい」という鈴木の独特な世界観やアーティストになった経緯について話を聞いた。 鈴木さんはボールペンをメインに、すごく細かく描き込んだスタイルでやられてますよね。まずは作品について簡単に伺えますか?作品は自分のなかにいるキャラクターを外に出してあげるような気持ちで描いています。描いても描いても湧いてくるんですよ、たくさんのキャラクターたちが。 ともだち紙・ボールペン, 51.5 × 36.4cm Buy Now アーティストとしてキャリアを始めたのは20代の前半でしたね。どういったきっかけが?  実は2014年に仙台から東京へ来たんですけど、別に何かあてがあるわけでもなく。それまでずっと飲食店で働いていて、ただ漠然と日々を過ごしてる感じだったんですけど、だんだんと好きなことを仕事にしたいっていう気持ちははっきりしてきて。「じゃあ好きなことってなんだ?」と考えたら描くことで、「じゃあ描くことを本気で頑張ってみよう」と。 東京に来てすぐに活動をスタートさせたんですか?  いえ、最初はデザインの研究所に入ったんです。夜間で、週に3回ほどのコースに通ってました。でも「なぜそこにしたか」みたいな突き詰めたものはなかった。漠然とした気持ちだったんですよね。  結局、つまらなくて半年でやめてしまった。その時に幻冬舎さんの雑誌でアートコンペがあって応募しました。ボールペンの作品だったんですけど、それが入賞して、僕としては「ああ、これでもいいんだ」って。ボールペンで描いたやつでも認めてもらえるんだって自信になりました。活動はそこからですね。 Jungle紙・ボールペン, 29.7 × 21cm Buy Now   ボールペンを使用した理由はなんだったんでしょう?好きな文房具なんです、単純に。ペンと紙だけあればどこでも描ける気軽さも、細かく描き込めるところも好きですね。 キャラクターは小さい頃から描いていましたか?そうですね、小学生くらいからオリジナルのキャラクターを描いていました。自分の妄想世界というか、そういうところにいるキャラクターたちを。大友克洋さんとか好きな漫画、あとはテレビとか雑誌に出てくるひととかモノとか、モデルはあるんですけど、多分そういうものを妄想に還元していると思います。 大友さんが好きなんですね。他にも影響を受けたカルチャーはありますか?フランスのメビウスさんとか、ペンだけですごいカッコいいものを描いていて尊敬しますね。他にもバンド・デシネの作家さんたちは好きです。 Memories紙・ボールペン, 42 × 29.7cm   画家だとどうでしょう?一番は佐藤允さん、あとは藤田嗣治。あの人の伝記を読んで衝撃を受けて。生き方とか、考え方とか、その全部がすごいなと思ってます。 話が少し戻りますが、やってみたいことが「描くこと」だったと。どうして「描く」だったんでしょう?明確な理由はないと思います、もうずっと描いていたので。小さい頃から描くことが当たり前で、普通で、日常って感じでした。カレンダーの裏とか、テスト用紙の裏とか、とにかくずっと描いてたんです。今もそれが続いているような心地です ドクロくんの顔アクリル・キャンバス, 53 × 45.5cm Buy Now アーティストとして活動を続ける原動力も同じですか?変わりはないと思います。好きなものを描いて、描いたものを友達に見せると喜んでもらえたりしたのが嬉しくてっていうのを続けている感じです。 たぶん、自分が好きなものをみんなに見てほしいんだと思います。僕が僕の好きなものを描いて、それを周りに見てもらう。自分の頭の中を覗いてほしい 褒めてもらいたいとか、見てる人が自分と同じように楽しんでほしいとか、そういう本当にシンプルな気持ちでやってます。 活動続けてきて変わったところはありますか?作品だと、最近は色を使ってます。ずっとモノトーンだったんですけど、周りから色を使ってみたらとは言われていて。最近になってアクリルを使い始めました。 GOEMONアクリル・キャンバス, 41 × 38cm Buy Now  最後の質問ですが、これから変わっていくかもしれないところ、あるいは変わりたくないところはありますか?描くことが楽しいことは変わらないでほしいですね。逆に、それくらいかな。僕、自分の絵についての考えなんて本当に中学生レベルなことしか言えなくて申し訳ないですけど(笑)。でもずっと描いてきて、今も描くことを続けていて、その根っこにあるものは変わりないと思ってます。好きなものを描いて、みんなに見てもらってって。楽しいし、楽しんでもらえるならそれでいいと思ってるんです。美しく、楽しくありたい。それだけですね。 鈴木潤 | Jun Suzuki1991年宮城県出身。23歳の時に上京し、桑沢デザイン研究所に入学。学校を中途退学した後、「PONTOON“装画”コンペティション vol.13」に応募し準入選、趣味だったボールペンによるペインティングを本格的にスタートさせる。現在は東京を拠点に活動。主な展示に「How...

工芸は現代絵画にどのような影響を与えているのか?

私の目標は時代を超越することと語るのは、絵画に装飾や職人技を施すKohei Kyomoriさん。今回は、彼の考えや制作についてお話を伺いました。 Kyomoriさんは、装飾という文脈で絵画を制作されていますよね。その前に聞いてもいいですか? -私は現代装飾家という肩書きで仕事をしていますが、歴史上の数々の装飾文化を自分なりに解釈し、更新していくことを念頭に置いています。そう考えると、国や地域を問わず、装飾文化を新しい形で紹介する絵画という形での仕事になるのかもしれません。現代美術、特にコンセプチュアルな作品は、ある意味で言語が重要です。でも、少なくとも自分の作品に関しては、言葉に頼らずに、目で見て感動するような作品でありたいと思っています。 グラフィックデザインや洋服の仕事をされていましたよね。その影響はありますか? -影響を受けていて、重要な要素です。色の組み合わせについては、ヨーロッパでファッションを学んだ経験が活かされていると思います。また、デジタルでも仕事をしているので、平面画の枠を超えて、素材の選択やデジタルとアナログの融合など、複数の技法や素材を組み合わせて作品の力強さを高めようとしています。 制作過程を教えていただけますか?-最初にスケッチ、次にデジタルシミュレーション、そして作品のCGデッサン。そして、素材に合った印刷技術で作品をプリントアウトし、鉱物顔料やUV樹脂を使って染色や立体的な加工をしていきます。 手の込んだ作業です。-そうですが、この方法の良いところは、チャンスを生み出すことです。デジタルシミュレーションのプロセスを経ることで、意外な要素が生まれます。自分のアイデアに縛られることなく、そこから解放されたアイデアを制作に取り入れることができます。 作品にはいくつかのシリーズがありますが、それぞれの焦点は何ですか? -今は大体5シリーズあります。例えば、「A-UN」シリーズには、民族間の差別や偏見を克服するための希望のメッセージが込められています。もう一つの重要なシリーズが「JAPAN BLUE」シリーズです。このシリーズは藍染めを使用しています。このシリーズのテーマは「不完全性の肯定」。社会的に相容れないとされているものはすべて個性だと思います。多様性のある社会とは、確立された枠組みに収まらない特性を取り入れた社会のことです。だからこそ、私にとってはとても日本的だと思います。 作品を通して伝えたいメッセージや目標はありますか?-メッセージは「不完全さを認め、受け入れること」。目標は「時代を超越すること」です。この目標をずっと考えていました。本番で一番大事なことかもしれません。最近、普遍性について考えることが多いのですが、装飾的な意味では、見たときの感覚でしょうか。一つのデザインには、それに関わる人たちの技量と密度、時間とエネルギーがたくさん詰まっています。それを見た誰もが「素晴らしい!」と思うでしょう。と思えるのではないでしょうか。説明しなくても感動できるものが好きで、素敵だと思います。 今後の予定を教えてください。 -日本の伝統工芸の文脈を、装飾という観点からアートに活かしていきたいと思います。 具体的には、有田焼や徳島の藍染めなど、歴史と伝統の中で育まれてきた技術を、私が制作する装飾画と組み合わせていきたいと考えています。そうすることで、作品/オブジェの価値、力強さ、エネルギーを高めることができると考えています。 また、それぞれの地域と連携することで、日本の未来に残せる技術や伝統を守り、進化してきた伝統を継承することで、時代を超えて未来につなげていきたいと考えています。

ポケモンと似ている?−ペーパーアート・ストーリー Part3 完 –

解は、どちらも進化する、と。この記事は、ペーパーアートのシリーズの最終章(現時点で)であり、まずパート1&2をおさらいしてから、その進化について見るとしよう。あるいは、リンク先に飛んでみると更に面白いであろう。 パート1 - 我々が子供の頃には知っていて遊んでいたはずの紙が持つ魅力も、「大人になる」過程で忘れ、つまらない物体と変わってしまう。しかし、「紙はアートを内包するメディアムであるだけでなく、創造性の魔法を唱える素材そのものとなりうる」ことを教えてくれる紙作家らによってその魅力を再発見できる。 パート2- 4000年以上に及ぶ人間と紙との関係への追憶は、ペーパーレス時代になっても一夜にして消えるものではない。厚さ1ミリにも満たない紙は、その発展とともに信じられないほどの芸術性を宿してきた。紙は植物に由来し、生物学的なエネルギーを持つ。この有機的エネルギーこそが「芸術家と芸術を、芸術と私たちを結ぶ触媒として繋いでいる 」のだ。 今回は、ペーパーアートのまた違った一面が見るとしよう。その進化は、想像力を超えて成長するポケモンのように、我々を驚かせるやもしれぬ。しかし、アートを愛する私たちとしては「目指せ〇〇マスター!」と、つい興奮に背を押される。 進化タイプ1「ニョロボン」原点を忘れない おたまじゃくしのようなポケモン、ニョロモを捕まえたときは、緑色のカエルのような姿に進化すると確信していたものだ。しかし、最終形態であるニョロボンは青くて渦巻きを腹につけたままで、要するにオタマジャクシのままだった。同様にペーパーアートの中にも、その起源に強く忠実で、紙の原始的な存在感を声高にするものがある。オランダのグラフィックデザイナーであり、庭の設計士でもあるStuidoMieは、「PaperWork」と呼ばれるシリーズを制作している。その名の通りに、実質的に紙片と紙のみで作られる単純さにも関わらず、その見事な芸術性の進化は見る者を打ちのめす力がある。 抽象とミニマリズムのDNAから進化したと見える彼女の作品は、変貌の小さいニョロモ–ニョロボンの系譜に感じた「要素を徹底的に削ぎ落とした中にこそインパクトがあるのではないか」という問いかけを鑑賞者に残す。彼女の作品はアートの既成概念的な構造や美学にジャブを入れるようである。ミニマリスティック・アートの巨匠フランク・ステラは「目に見たものを見たままに(理解せよ)」と言うが、私は彼女の作品を庭の設計士的、自然環境的な側面から解釈せずにはいられない。(そして彼女の作品を見ているとなぜか、アメリカの前衛作曲家ジョン・ケージの音楽が耳に聞こえてくる。) もし一度でも迷路庭園に足を踏み入れたことがあれば、パターンを認識しようとしている間に、形や影に目が錯乱される事に気付いたであろう。また、植物を育てていると、その成長や天候の変化をいくら分析しても、予測できない事態に遭遇する。StudioMieの作品では、構造的に配置された紙片が生み出す不確かな影と、人工的迷路から自然森の中に迷い込む様な予測困難さを体験できる。彼女は、コロナウイルスのロックダウン中に「パターンやシステムが予期せず不安定になるとどうなるのだろうか?システムは回復するのか、変身するのか、それとも衰退するのか?」と自問し、それをPW024 / faltering patternのシンプルながら力強い作品に昇華させることに成功している。 進化タイプ2 「ギャラドス」 バリバリの肉体改造 2種類目は、無力に跳ね回るコイキングから空飛ぶ水竜、ギャラドスへの劇的なジャンプをみる様に、大村洋二朗の作品も、同じDNA(この場合は紙)からどうやって進化したのか頭をひねらされる。生命力に溢れる彼の作品だが、信じられないことに、彼の彫刻の才無くしてはただの紙切れなのだ。サイケデリックな色のトカゲは今にも獲物を捕らえんばかりの勢いで、六枚羽根のトンボは星散りばむ銀河へと舞い立つ。数々の賞を受賞した彼の想像力と技術によって、それらは驚異のペーパーアート変種へと成長を遂げた。 もちろん、古典的なキャタピーからバタフリーのような進化タイプもあるが、この広大で多種多様なアート界であなたのお気に入りを見つけて集める楽しさを、あえて奪いたくはない。自分なりの図鑑完成、〇〇マスターを是非目指して頂きたい所だ。 更なる楽しい発見のためにも、ArtClipニュースレターの購読をお忘れなく!

Feature Post

「食べる」を見る。アートにおける食事の話。

「パンさえあれば、ほとんど悲しみは耐えられる」スペインの小説家で『ドン・キホーテ』の著者であるセルバンデスはこう語ったが、パンや白米にそれほどまでに万能薬と言えるかどうかは別にして、確かに食事は、言うまでもなく人間にとってなくてはならない存在だろう。 作品の詳細はこちらから 一食欠けばイライラが募り、一週間も飲まず食わずを続ければ死に至る。一方で「食事」という行為は、人間社会における重要な役割も果たしてきた。 例えば古代ギリシャ最強の軍事国家と目されたスパルタは「共同で食事すること」に重きを置いていた。食事を共にすることが団結力を高めると信じていたからだ。 他にも「食のルール」もある。もちろん個人の好み(例えば「夜は炭水化物を食べない」など)に限らず、例えばイスラーム教では豚肉が、ヒンドゥー教では牛肉を食べることが禁じられているし、あるいは仏教では午前中の食事だけが許された派閥もあるし、宗教によっては食事に厳密なルールを課すこともある。 果たして人間にとって重要であるように見える食物や食事だが、アートの世界ではどうだろうか?人間は、自分たちにとってウェイトの重いこの事柄を、いったいどのように造形化して来ただろうか? 例として絵画で見てみよう。絵画には具象画と抽象画、そしてその中間という、ざっくりしたタイプがある。Airaの場合はその最後の分類になるだろうが、ポップアート的な画面世界のこの作品は、多様な色彩を用いて葡萄をイメージ化し、その果物が元々備えていたフォルムから自由な形状になっている。 作品の詳細はこちらから 「美味しそうな作品」という意味ではどうだろうか。中島健太の描いている寿司は、エロティックに食欲を刺激するリアリズムの手法が使われている。18世紀の文筆家レッシングは『ラオコーン』で「絵画は、適切な瞬間を捉えるべき」と言った。中島の寿司は、まさに職人が握り、客に差し出された瞬間の、つまり、もっとも美味な瞬間を捉えているというべきだろうか。 作品の詳細はこちらから 弁当という食事の形態も興味深い。一般的に、食事とは自宅もしくはレストランで腰を下ろして実地される行為を指す。だが出先で食料調達が困難な場合などは弁当という、ポータブル式の料理形態を用いることが日本や台湾では古くからあった。733カロリーと20gのタンパク質が含有が示されている、Shintakuのペインティングがまさにそうだ。戯れにこれを「誰かが、誰かのために作った弁当」と解釈してみようするとストーリーが見えて来るだろう。こんな風に、喧嘩の翌朝は米だけが箱に詰められているかもしれないし、その反対であればこの作品のように時間と具材がふんだんに使われた弁当に巡り合えるかもしれない。ある意味で弁当は、無言の、食物を介したコミニケーションとも言える。 作品の詳細はこちらから そもそも「食事をする」とはどういうことか。極端なミニマリストと動物は別にして、人間にとっては「食事」と「栄養摂取」は別だ。好きなものを、好きな時に、好きな場所で、好きな方法で食べる。人間固有の快楽。もしくは、人間固有の遊戯かもしれない。 作品の詳細はこちらから 極端に個人の好みやこだわりが反映される「食事」という行為は、ある意味、その人となりを表現する方法だ。一方、アートを買うことは、アーティストの才能やアイディアの買うことでもある。食物や食事を描いている作品を買うことは、それに加えて、そのアーティストの生活を覗き見ることでもあるかもしれない。

永遠の創造のエネルギー、アーティストであることの鍵となる力

アートを通して光と時間を求める大平奨が個展を開催します。 TRiCERAの注目作家の一人である大平奨は、東京・京橋のギャラリーひのきにて個展を開催しています。今年で70歳になったが、彼は決して負けずに 芸術家であることのキーパワーである創造への情熱と永遠のエネルギー。 本展、大平奨の個展は、大平奨の創作意欲の状況証拠となる。大平奨は1949年山口県に生まれ、現在は日本とフランスを拠点に活動しています。 作品の印象は、若い作家が作ったかのようなどこかオシャレな感じ。日常の風景を淡々と描いているので、抽象画と具象画の中間のような作品になっています。 また、彼の作品の特徴の一つは、円の浮遊感です。彼の作品では、風景を描きながらたくさんの円を描いています。円を通して抽象的な概念である「時間」を視覚化し、それを大きさや色の異なる円を描くことで表現しています。晋にとって、自分の作品は光と時間を求める作品であると考えています。 今回の展覧会では、彼の絵画だけでなく、新作も展示します。長らくアクリル画を描いてきた作家ですが、現在はアクリル画から写真を使ったミクストメディア作品へとフィールドを広げています。写真のひび割れはすべて金色の線で覆われ、透明な円が浮かび上がっています。 同じ風景をベースにしながらも、素材によって表現が異なるものもあれば、絵画として表現されたもの、写真作品として表現されたものもあります。これらの作品では、素材の違いによる感覚の変化を楽しむことができます。 国内だけでなく、海外でも年に2、3回は展覧会に参加し続けている大平。これだけ精力的に活動していても、決して満足することはなく、今の頻度以上に海外での展覧会を開催したいと考えているそうです。アーティストとしての長いキャリアを経て70歳を迎えた大平氏だが、その創作へのエネルギーは今もなお強力だ。彼の仕事への感覚が年を取らないのは、作品作りへの飽くなき情熱と努力があるからなのかもしれません。 大平奨個展(ギャラリーひのき) 開催日:2019年10月7日(月)~10月12日(土) 2019年10月7日(月)~10月12日(土)時間。11:30~19:00 土(最終日):11:30~17:00 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。 

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新生活にアートのある暮らしのお手伝いをします。   キュレーターが厳選したアーティスト作品を取扱い、お客様のお部屋のテイストに合わせるアート・コーディネートでアドバイザリーをいたします。 期間中はお買い求めの絵画に合わせた設置用金具をプレゼントいたします。賃貸でも、持ち家でも、自由に絵画を飾ることができます。幸せに溢れる新しい空間をお楽しみください。     お部屋のテイストから見るコーディネート実例集   ナチュラルなお部屋   鮮やかな絵画が設置されることにより、お部屋がより明るい空気に。       Clearly by Mizuki Kanda W 30.00cm x H 30.00cm x D 1.00cm 水彩画 JPY ¥15,000 +税 Japan         モダンなお部屋   スタイリッシュな絵画で、より洗練された雰囲気に。         Snowy Wander by Soo Beng Lim W 29.00cm x H 41.00cm x D 0.10cm 絵画 (水彩画) JPY...

毒と浄化の物語 – 城蛍インタビュー –

城蛍は1996年愛知県出身。2019年に上京して作家活動を開始。今年3月には山下舞子キュレーションによって銀座のGallery Camelliaで初個展を開催した。曰く「瞬間的な物語を切り取る」というスタンスにおいてペインティングされたキャンバス、それから本人曰く「彫刻」と呼称する自作した額縁によって構成される作品を制作する彼女に、今回は作品と制作を中心に、その活動について話を聞いた。 作品の外形的なところから伺いたいのですが、城さんの作品は絵画と額縁に分かれているものとそうでないものがあります。ご自身では額縁の部分を「彫刻」と呼び、装飾物としての額縁と分けておられます。尋ねたいのは、城さんの作品において、この木枠の部分がどういうポジションにあるのかという点です。 一般的に額縁は装飾物の意味合いが強い。絵の飾りという立ち位置。私としては絵画と枠と、別個の存在をつくっている意識はないんですよね。絵を描いて、お手製の額をつけているわけではない。額縁として設定してしまうと、どうしても絵の飾りという聞こえ方になってしまうけれど、でも絵のためにあるわけではない。どちらかが主役で、どちらかが脇役ということはない。 いわゆる平面と立体という区分がし難い作品だと思いますが、その自覚はありますか? 平面かどうかについて言えば、限定してはいないと思う。このかたちの最初期の作品に〈老人と海Ⅲ〉というのがあるのですけど、それはストーリーの瞬間を切り取るというつくり方をして、その瞬間の保存という意味を込めて枠を使いました。そもそも、額縁は大切な写真とか記憶の保存に使うものだから。でも木枠の部分は絵の飾りではないから、平面というか、絵の部分がメインという考え方はしていない。かと言って立体でもないですけれど。だからどっちでもないし、分けるのは難しい。その必要もないと思う。 例えばリチャード・タトルや、あるいは最近の日本では安井鷹之助さんなど、平面と立体のボーダーラインに立とうとする作家さんがいます。城さんにもその意識はありますか? いえ、特に意識はしていなかったです。最初の最初で言えば、キャンバスの四角さが嫌だった。決まった形であることに嫌気が差したんですよ。そもそも絵だけだと角があったり、横があったり、紙だったら紙の厚みがあったりするけど、そういうのが気になるんです。すごく気になる。キャンバスの横に釘を打つなら、絶対にそれは隠したい。邪魔に見えて仕様が無い。そういう考えの人なんですけど、まだ東京に来ていない時、制作をしていてキャンバスの形がすごく気になった。居心地が悪かったんだと思います。それで外側にはみ出そうと思って、キャンバスの四角形から。最初は勢いというか、何か「やっちゃえ」みたいな。 「はみ出す」ための手段として額にたどり着いた。偶発的なことでしたか? いや、論理はあった。だから...偶然とは少し違うと思います。そうすればもっと広がりがあると思っていたから。 キャンバスを形態に手を加える表現方法としてはキャンバスを破いたり切ったり、燃やしたりと色々な先行例があります。中でも絵の外周に進んだ点が興味深いです。 絵の表面に暴力的なことはしたくなかったんですよ。傷をつけるのは嫌だった。 「キャンバスの外」を意識して制作された最初の作品は何でしょうか。 意識の話で言えば〈老人と海Ⅲ〉かな。あれは色々なことがはっきりした作品。でもそこで方向性が生まれたわけではなくて、それ以前にも(木枠を使う作品は)あるにはあったんです。だから...発見に近いのかな。それまでは自分でも気付いていなかった、無意識に続けていたことが自分の中で「そういうことだったのか」と思えた。今はそのやり方を整えている感じです。 例えば〈鯨と波〉は額縁がない円形の作品です。先ほど「ストーリーを切り取るつくり方」と仰っていましたが、つまり最初に作品化したいストーリーの瞬間やモチーフがあって、その実践プロセスで絵画と額縁への分化が必要な場合、そうでない場合があるということですか? そうです、その通りです。だから(額縁を使うかどうかは)場合によりけり。使っている場合にはやはり必然だと思う。だけど、そうじゃない作品もある。無いと成立しないという話ではなくて、必要な場合に採用するやり方。〈鯨と波〉では登場する必然がなかったし、逆にというか、支持体が丸くなる方に進んだ。それが作品にとっては一番自然だったから。無くても完結はするんですよ。枠があるのは、それが作品にとって自然な形だからに過ぎない。 つまり額縁は、あくまで表現の延長線上にあるんですね。ストーリーがあって、絵があって、場合によっては額縁があり変形な支持体がある。 そう、だからとにかく、私としては別々に捉える理由がない。どちらも一つの表現でつながっているから。それに枠があっても無くてもやっていることは同じ。〈鯨と波〉もそうですけど、例えば人の手によって違う姿になった生き物とか、それが生きていた風景とか場所とかを描いている作品もある。そういう作品には枠という形であるべきなのかなって。だから、それぞれですね。 形態から中身に話を移しますが、先ほどのストーリーというのは、映画や小説のように時間軸があるのですか。時間の流れが先か、映像が先かの話ですが。 モチーフが先ですね。描きたい対象があって、その周りにはどういう人がいるのか、それに関わる人物や場所が出てくる。その対象を軸に、それを見た人が目にした景色とか思い出している光景とか、その人たちの脳みその中を考える。結果的にはストーリーとか時間を切り取ってることになりますけど、でもモチーフが先。瞬間的な物語性というか。出てくる人たちの10秒とか10分とか、そういう瞬間的なストーリーです。一生分は考えていない。 登場人物の記憶にフォーカスしているように聞こえますね。 人には限りませんけど、記憶というのはそうかもしれない。だから登場する生き物の見た景色とか出会った人、昔した会話の内容、過去に存在していた場所について考えるのかもしれない。そもそもの最初に額縁を使った時も思い出や記憶に纏わっている。 記憶に焦点を置いているとして、モチーフの出所はどうですか。全くの空想か、それとも身の回りから取材しますか? モチーフが向こうから出て来る感覚に近いのですけど、どうだろう、でもメモはしています。生活する中で目に入ったもの、気になったものを書き留めておく。「あ、これ描きたいな」と思ったものをメモする。断片を集めたりしていて、その中で特に癖のある事柄があるんですけれど、例えば車のヘッドライトとか土偶とか、基本的にそれが作品のメインのモチーフとして出てきたりします。 物語の形式でも、例えば小説には一人称・二人称・三人称とありますが、城さんが制作する際の視点はどうでしょうか。 モチーフの視点かもしれない。だから三人称が近いと思います。自分の思ったことも入るけれど、でも一番近いのはモチーフ。モチーフや第三者が思ったこと、天候とか湿度も割と考えたりします。モチーフとなる存在がどういう場所にいるのか、いたのか、その周りの環境はどうなのかって。例えば土偶をモチーフにした作品なら、そもそも土偶を作った昔の人とか、長い時間をそれと一緒に過ごした持ち主のこととか。その場にいる存在の全てを考える。 メモの話で「描きたいと思うもの」を書き留めると話していましたが、そこに共通点はありますか。というのは、作品には暗色の画材が登場しません。選ばれるモチーフや画材は、目指している世界観と関わりがありますか。 基本的には描きたいものを描いていますけど、確かに共通点はある。暗いとか少し怖いとか、謎っぽいとか、毒があるとか気持ちが悪いとか。明るい部分もありますけど。でも作品にすることでそれを浄化している感覚が近いかもしれない。今は黒を使わないんですけど、それは多分バランスが悪いから。使うと、暗く描かれてしまう。それは少し違うと思うんですよ。暗さが根っこにあっても明るさはあっていい。きれいにしたい気持ちが強いのかもしれない。 負の浄化。 そうですね、それは近い。根本的には自分のだし、表層的には他人にとっての。作品を制作することそのものというか、その瞬間を残しておくことが浄化なのかな。自分であれ他人であれ、作品として、自分のフィルター越しに投影することで浄化になるのかなと。だから白い色を使うんですよ。その方が落ち着けるじゃないですか。 少しバッググラウンドに話を伸ばしたいのですが、例えば城さんが記憶に留めている作家もそういった世界観が多いですか。 どうだろう。シーレ、ボナール、デュマス、ペイトン、ワイエス、あとは村瀬恭子さんとクリス・ヒュン・シンカン、ハマスホイとか無限にいますけど、近さはどうだろう。好きだけど、でも違うと思う。私が描くべき作品でないことが多いと思います。でもハマスホイは、そうですね、違和感があるから......。予備校の先生が「ハマスホイの魅力は違和感」と仰っていて、制作でも、何か足りないと思った時にはその言葉を思い出しています。 コンテンポラリーのペインターが多いですが、元から現代アートに関心が高かった? というわけでも無くて、高校の時に油絵を専攻していたんですけど、そこで学んでいたのはいわゆる伝統的な油彩画だった。いかに描くか的な、技術的な話が多い学校だった。むしろ浪人している時ですね。今の作品がどういう風に成立しているか勉強していたら好きになりました。 少し話がそれますが、城さんは愛知から東京に出てこられて活動をスタートさせましたね。今年で2年目だと思いますが、そもそも上京したきっかけは? 単純にモチベーションの話ですね。私は美大に通っていないのですけど、2年浪人をして、でも細々と制作は続けようと。予備校を辞めてアルバイトしながら暮らしてたんですけど、その間、正直絵はほとんど描いていなかった。......年に2、3枚くらいだったかな。働いて、帰って、疲れたって、本当にその繰り返しだったんですよ。そういう時期にたまたま画家のやましたあつこさんから声をかけて頂いたんです。「続けるなら東京の方がいい。東京においで」って。それは正解だったと思う。環境が全然違うし、入ってくる情報がまるで違うから。 ある部分において、現代アートは戦略的な世界です。城さんは東京に出て来られて、その2年目に最初の個展を開催された。そしてキュレーションは山内舞子さん。非常に好調なスタートですが、自分のポジショニングは考えますか。 ポジションとかは、どうだろう、あまり考えてないです。まだはっきりとはしてないだけかもしれないですけど。でも私の好きな作品があって、それは見る場合もそうですけど、作家が心の底から楽しんでいる作品が良いと思う。そういう作品をつくっていきたい。あとは作品のことだけですね、考えるのは。でも制作は気持ちの面が大きく影響するから、この先どうなるかは分からないですよね。 作品はより変化をしていきますか。例えば、全く額縁を使わなくなるとか。あるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも私自身ペインターという自覚もないんですよ。だから作品を絵画に限定するつもりもない。でも、だからと言って彫刻家でもない。今後は(キャンバスと額縁を分けずに)同じ支持体とか、キャンバスの厚みを増していくとか、制作の方向も色々と考えていますけれど、でも絵を描いている部分があることとか、絵を描くこと自体を止めるつもりはないです。......絵は描いていると思う。でもどういうやり方でやっているのか、それは自分でも分からないです。今のところは。 TRiCERAのページはこちらから

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