木曜日, 5月 6, 2021
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コラージュをめぐる錬金術

 アートの世界では「錬金術」ともいわれる手法、コラージュ。

 その方法論的な歴史は深く(本や新聞の切り抜き、身の周りの雑多な物体などを組み合わせる方法)、紀元前200年ごろの中国まで遡ることができるという。

 ファインアートの一ジャンルとして確立することとなったのは、20世紀にシュールレアリストを中心に劇的なムーブメントを起こし、同時期に”コラージュ”という言葉がジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソによって作られたことによるだろう。

 その後、現在まで途切れることなくアッサンブラージュ、フォト・モンタージュとコラージュ的手法は様々に展開されてきたわけだが、近年ではテクノロジーの発達により新たな分野も産まれた。それがデジタルコラージュだ。

本記事では、デジタルコラージュを制作する作家を紹介していく。

上田タカヨシ/Takayoshi Ueda

Fertile Island 2(L)
89.4 x 89.4 cm
Fertile Island 1(L/C/R)
83 x 249 cm

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WELCOME BOY 2ND

GROW UP
84 x 59 cm
HOLE IN ONE
84  x 59 cm

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IL VENTO Nakajima

LIFE BOUND
103 x 72.8 cm
MABOROSHI Vol.1
59.4 x 42 cm

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平田尚也/Naoya Hirata

Big Dipper chicken
43 x 28.7 cm
Ouija #4 (Lion)
118.9 84.1 cm

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soryo

#16
84.1 x 59.4 cm
#28
84.1 x 59.4 cm

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Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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