日曜日, 5月 29, 2022
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森に舞う儚げな芸術

 花火、ガラス、桜、、、世の中は儚いコトやモノに溢れている。それに美を見出すのは根源的な人間の性なのだろう。

 そんな儚げな存在のうち、蝶はその筆頭ではなかろうか。

 今にもどこかにいってしまいそうな不規則な羽ばたき、触れれば壊れてしまいそうな華奢なフォルム。そしてなんといっても数々の人間を幻惑させたその羽の模様など、蝶はまさに儚げな芸術のよう。

 その美しさゆえに、日本でいえば花札の図柄に「牡丹に蝶」があったりと、画題や意匠としてもチョウは使用選ばれてきたわけだが、さて現代のアーティストはいかに蝶を描きだすのか。本記事では、キャンバスに舞う蝶を紹介したい。

Aira

butterfly
40 x 40 cm
butterfly
47 x 32 cm

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山田久美子/Kumiko Yamada

蝶Ⅱ
22.7 x 15.8 cm
蝶Ⅲ
22.7 x 15.8 cm
蝶ⅴ
22.7 x 15.8 cm

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Anna Koshal

Butterfly – 1
100 x 80 cm
Butterfly – 2
100 x 80 cm
Butterfly – 5
100 x 80 cm

作家の詳細はこちらから

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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Quick Insight Vol.10 人間と動物、マシンなどのイメージを通して、現代社会を俯瞰的に描いていくスペイン人アーティストHector Fernandez Lleida の見つめる世界の輪郭

 ボトルなどの日常的なモチーフや、動物や人間の営みを、油絵という伝統的な手法を軸としてデジタルレタッチ、VR技術などの科学的な手法と、ステンシルを用いたグラフィティ的な表現まで幅広く活用しながら、重ね合わせて描いていくHector Fernandez Lleida。複雑化したイメージが氾濫する現代において、そういた流れを取り入れながらも独自の眼差しで、世界のリアリティを表象しようと試みる彼がどのように世界を見つめているかに迫ります。 1.制作を始めたきっかけはなんでしょうか。 子供の頃から、父が持ち帰った漫画に掲載されているイラストを真似して、いつも絵を描いていました。学校では授業のノートの間にいくつも絵を描き、すべてのノートに装飾が施されていました。 父は80年代に活躍した著名な漫画家で、私にとっては家に家庭教師がいるようなものでした。 それから時が経ち、私はバルセロナ大学で美術を学ぶことにしました。 卒業後すぐに、市民センターや地元のアートギャラリーで自分の絵を展示するようになりました。 私は少しずつ成長し、技術やスタイルが豊かになり、新しい技術やテーマを取り入れていきました。 作品詳細はこちらから 2. 現在の制作のテーマについて教えてください。 現在は100x100cmのキャンバスに絵を描いています。 静物画です。 この作品は、私が長年かけて開発してきた「ボトルコンポジション」のシリーズに属するものです。 このシリーズでは、これまでに同じテーマで5つの作品を異なる時期に、異なるフォーマット、コンポジション、色で描いてきましたが、今回は天頂からの視点でボトルのグループを描いています。 この非常に力強いボトルケースの色合い、暑さや寒さを感じさせる色調のコントラスト、そしてボトルの配置によって生まれるリズムが、この作品を特別なものにしています。 また、絵の捉え方、インパスト*1、生成されるさまざまなテクスチャーも重要です。急峻な視点、ボトルの配置が生み出すリズム、色や質感は、この作品に欠かせない要素です。 ベースとテクスチャーにアクリル絵の具を使い、筆やスパチュラを使ってきましたが、現在は油絵の具を使って制作しています。 3. 影響を受けたもの、自身にとってターニングポイントになっていると思うものはなんでしょうか。 私が影響を受けたものは、ストリートアートやデジタルアートを含む現代のリアリズムから抽象的なものまで多岐にわたります。私の作品の多くは、ドローイングとペインティングの組み合わせでできていますが、以前は、私が撮影した写真のイメージから始めて、時にはデジタル処理で構図や色を変えたり、要素を単純に加えたり減らしたりしていました。 その作品をより小さなサイズでドローイングや水性の画材(水彩、アクリル、墨など)を用いて、試作し、検討・発展させた後、最終的なサイズの絵画を制作します。 この創造的なプロセスは、作品の複雑さに応じて数週間から数ヶ月かかることもあります。また、私はVRやデジタル・クリエイション、レタッチ*2から派生した要素やテーマを作品に取り入れることが、私のキャリアの転機になると考えており、現在はその過程にあります。 VR技術の活用については、自分のドローイングやペインティングを人工的な環境に導入する方法に興味を持っています。 今のところ、私はこの分野では初心者ですが、新しい世界が広がることを認識しています。実際、伝統的な要素とデジタルアートが混ざったイラストの制作を始めています。また、近い将来、自分のNFTやデジタルプリントを発表する予定です。 作品詳細はこちらから 4.動物のモチーフと人間や都市的なモチーフの共存についてはどのような意味が込められていますか。 私は自分を都会人だと思っており、自然、動物、人間像に対する私のビジョンは、しばしば都会的で現代的な文脈に浸されています。私は画家としてのキャリアを通じて、絵画における時間の経過や陳腐化などの深遠な問題を扱ってきましたが、時には、私の作品はコンセプチュアルなものではなく、美学が優先されることもあります。 私はバルセロナという街に住んでいます。 私が描くモチーフの大部分は、通行人が見逃してしまうような街の風景や一角を歩き回ったり、それらについて熟考することで得られたものです。 私たちはスピーディーに絶え間なく動き続ける世界を生きています。また、今日、私たちはかつてないほどたくさんのイメージに囲まれています。そして、私たちを取り囲むイメージの多くも動いています。 私たちの多くは、これらのイメージを熟考し、分析し、理解するための時間を取ることは滅多にないでしょう。 作品詳細はこちらから 5. 最後に、次に実現したいと思っている作品のアイデアがあれば教えてください。 私の頭の中にはいつもプロジェクトがあります。...

The Shape of Time – 齊藤拓未/さめほし/東麻奈美/林香苗武/野澤梓によるグループショー –

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アルテ・ポーヴェラの提唱者が逝去

美術館の閉鎖や展覧会の中止や延期など暗いニュースが続いているが、そこに畳み掛けるような時報が、つい先日入った。伝説的な批評家でキュレーター ジェルマーノ・チェラーノ/Germano Celant(1940-2020)の訃報だ。 Celantは1940年イタリア出身。ジェノバ大学で美術史を学んだ後に編集職としてキャリアをスタートさせ、その後1967年に「Im Spazio」を開催、同展によって「アルテ・ポーヴェラ」を提唱し、一躍アートワールドの要注目人物となった。 イタリア語で「貧しい芸術」を意味する「アルテ・ポーヴェラ」の運動は、新聞紙やロープなど日常的かつ粗末な素材を用いた作品を提示したが、チェラーノの功績は、これによってイタリアのミニマリズムほかその時代の若手作家の動向を世界に知らしめた点に一端がある。 この他グッゲンハイム美術館やヴェネチア・ビエンナーレでのキュレーションによって世界的なキュレーターの一人に数えられる彼の訃報は、通例ならば、その後に功績の顕彰が展示という形でなされただろうが、しかしそうもいかないところが、現況の辛い点だろう。心よりご冥福をお祈りする。

3分で学ぶ神之浦 由美の魅力

必見アーティストの魅力をギュッと3分でお届け 今回は、オリジナルパステルを極める作家「 神之浦 由美 」の魅力をクイックにお届け。 現在TRiCERA ARTでは、世界126カ国以上から、4,000人を超えるアーティストと約52,000点のアート作品を掲載中です。その中から、今見逃せないアーティストをキュレーターがご紹介いたします。 作家の特徴 無限の愛をテーマに絵画を描く作家 アートサロンを運営 海外での展示企画に積極的に参加 色鮮やかな水彩絵画が特徴   作品を見る 作品のユニークさ 色彩への徹底したこだわり 顔料からオリジナルパステルを制作 ポジティブなテーマに癒される作風 印象派絵画から可愛いクマまで幅広いモチーフを描く 作品を見る キュレーターコメント ポジティブなテーマに癒される作風 モチーフの感情や物語を描く 独自の色彩表現を素材レベルで追求 部屋に合わせやすい風景、花モチーフ 作品を見る アーティスト経歴 ・2008年/愛知県立時習館高等学校卒業・2012年/学習院大学文学部ドイツ語圏文化学科卒業、航空会社に就職。 ・2014年/画家・村田旭先生に師事。 ・オリジナルパステル、JESUS PASTEL(ジーザスパステル)の制作を始める。 ・輸入雑貨 JESUS YUMMY(ジーザスユミー)にてアートサロンを運営 神之浦 由美の作家ページはこちらから 現在、TRiCERA ARTでは、世界126カ国以上の絵画・写真・彫刻などのアート作品約52,000点掲載中。

それぞれ異なる距離からの異なる視線

“Gaze and Distance” at KOTARO NUKAGA The Installation View of “Gaze and Distance” (2019) ©KOTARO NUKAGA, Courtesy of KOTARO NUKAGA パブロ・ピカソやポール・セザンヌなどの歴史的なアーティストと現代のアーティストの展覧会を見たことがあるだろうか。東京のギャラリー「KOTARO NUKAGA」では今月、そのような展覧会を開催したばかりだ。同ギャラリーでは、20世紀初頭から現在までのヌード絵画を中心としたグループ展「Gaze and Distance」を開催した。テーマが面白かっただけに、参加作家のリストも面白かった。 ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、エゴン・シーレなどおなじみの作家をはじめ、トム・ヴェッセルマン、キース・ヘリング、マレーヌ・デュマなど20世紀を代表する作家が参加していた。また、日本のアーティストでは、藤田嗣治、斎藤誠、井田幸昌の3人がリストアップされていました。日本の新鋭作家の一人である井田幸正がまだ29歳であることを知れば、この展覧会のリストがいかに新鮮なものであったかがわかるだろう。今回の展覧会では、「裸体絵画」をテーマに、現代美術と歴史的な作品の両方を美術史の文脈で楽しむことができた。 ギャラリーによれば、ヌード絵画の歴史を辿ることは、美術の進化である美術史を振り返ることと同じだという。多様な身体描写は、20世紀のアカデミズムの終焉を経て、現代美術の始まりとして発展してきました。それはセザンヌから始まる。セザンヌのヌード画の作風は、当時の他の画家とは一線を画していた。彼は作品全体の構成のために、意図的に身体を絵画的要素の一つとして使用していた。三角形の構造を利用して構図を安定させ、人物と風景を調和させた「水浴客」シリーズは有名であり、現代美術の父と呼ばれるようになった。 身体描写の幅を広げた後、フォービズム、キュビスム、未来派、ダダなど様々な芸術運動が生まれました。例えば、パブロ・ピカソがセザンヌの浴場のシリーズに触発されて『アヴィニョンの若い女性たち』を制作したことは広く知られていますが、この作品では、セザンヌが描いた浴場のシリーズに触発されて『アヴィニョンの若い女性たち』を制作しました。 The...

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Quick Insight Vol5. 東洋絵画を現代的な美意識で再解釈。 韓国出身の注目作家 Jooha Sim ジュハ・シムは、"慰め "という花言葉を持つ「ポピー」という花を通して、 自分の内なる感情を現代人に伝えたいと考える作家です。 糊を混ぜた伝統的な東洋の粉絵具の偶発的な効果と鮮やかな色彩が、 背景の暗さよりも生き生きと咲くのが彼女の作品の特徴。 今回は、ジュハ・シムさんにお話を伺っていきます。 Q1.あなたの作品にとって重要なテーマはなんでしょう “A caress of florescence”(日訳:開花の抱擁)が私のデビュー当時から大事にしているテーマです。 (A caress of florescence,H 130.3cm x W 97cm x D 2cm,絵画, 2020) Q2.私たちのプラットフォームでもJoohaさんの熱狂的なファンの方をよく見かけます。 どんな方々がJoohaさんの作品を好む傾向にありますか? 日々インスタグラムで作品を投稿しているのですが、 ありがたい事にファンの方々が一人ずつ自然に増えていっています。 20代から40代の幅広い年齢層の方々に作品を見て頂いており、 子供連れのご家族の方々がとくに私の作品を好んでくれているように感じます。 (Still flowers bloom,H...

抑圧され、薄れゆく自己を見つめる。齊藤拓未インタビュー

公園の遊具、部屋の片隅、道端など日常のさりげない景色を虚心としたタッチで描いている齊藤拓未。「大人になるにつれ抑圧される自分がいる」と語る彼女は、自身の幼い頃の感性を呼び起こすような風景やオブジェクト、そしてそこに紐づく幼少期の自らの感情を少女の形姿に変換し、キャンバスに描き出す。今回はこれまでの経歴から自らの情緒性をベースにする齊藤の制作背景について話を聞いた。 齊藤さんは日常のスナップのような風景と少女を組み合わせたペインティングをメインに発表していますが、絵画の中ではそれぞれがどう関係しているのか、まずは作品の背景から伺ってもいいですか? 私の絵には女の子が登場するものとそうでないものがあるんですけど、女の子は私自身そのままというより、昔の自分につながる感情のような存在です。風景の方は幼少期のことを彷彿とさせるものが多いです。普段から景色とかものとか、どこか昔のことを連想させる何か見かけた時にはメモをしたり、カメラで撮影したりするのですが、それが作品のベースになっていますね。 WAITING ROOM, 2020, 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 齊藤拓未の作品はこちらから つまり少女はかつての齊藤さん自身のメタファーのように登場している。風景もかつてのことを連想させる役割をになっていますが、どちらも昔のことがキーポイントになっているんですね。  大人になるにつれて自分が抑圧されていると感じていて。それにつれて昔の自分なら持っていたような何かが流れていってしまうというか、どんどん自分がなくなっていく感覚がある。とても嫌な感覚なんですけど、それは。 でも風景とか、あとはモノですよね、そういう存在が昔の自分を思い出させてくれて。自転車を漕いでいる時に香ってきた落ち葉とか、雨が上がったあとの匂いとか、そういう日常的なものを通して昔のことを思い出せることがあるんです。「あ、これだ」というか、言葉ではうまく言えないんですけど、記憶が蘇ってくる感触がある。「あの時と同じだな」って。 その抑圧というのは人付き合いによって自分が押し止められるということですか。 ニュアンスは近い…かもしれないです。だんだんと集団でいることが嫌になっていくんですけど、でもそれに合わせてしまう自分がいる。「一緒に帰ろうね」とか「どこそこで待ち合わせね」とか、周りの友達がそう言ってくれることさえ少し窮屈だった。悪気があるとかはもちろん考えてないんですけど。 私にとって中高は空白期間で、思い出せる出来事がほとんどないんですよね。本当に、どうしてと思うくらい何もない。大人になるにつれて多くなると思うんですけど、そういう人付き合いとか、色んな制約とか、我慢しなくちゃならないこととか。でもそれに合わせているとだんだんと自分の中で何かが薄れていく感じがしていて、それにすごく危機感がある。「ああ、このまま自分が無くなっちゃうのかな」と。 friend, 2020, 45.5×38cm, oil on canvas そうすると作品はある意味で記録に近いようでもあるし、単純な風景や少女の描写ではない。 残しておきたいとしたら風景とか、目に見えてる何かというよりは感情の方ですね。女の子を描いていない景色も、あとはモノとかも、全て昔の自分につながる働きをしていて、だから人は描いていないけど、でも痕跡として残っているようには見せたいと思ってます。 だから「風景と女の子の絵ね」と思われがちな気がしますが、でも状況を描きたいわけではないんです。 経歴の話に少し移ると、齊藤さんは日本画を学ばれてますね。もともと日本画が志望だったんですか?  というより、最初はイラストの方でした。中高と漫画研究会に所属していたのですけれど、でも漫画というよりはずっとイラストを描いていました。その頃からなんとなく女の子の絵とかは描いていましたけど、当時は本当にイラストで。  でも周りの子みたいにものすごい詳しいとかでもなかったし、好きなイラストレーターの人の挿絵がある本は読んだりしてたけど、でもどっぷりという感じでもなくて。だから中途半端。  高校一年生の頃からぼんやりと美術系の大学に進みたいと考えていて、イラストを描いていたせいもあると思うんですけど、特に平面的な表現ができるなと思った日本画を選びました。どちらかというと画壇系の盛り盛りな感じよりはフラットな表現が好きだったし、受験の頃から立体的に描くのがすごく苦手で。デッサンとかも本当に苦手なんですよ。  現在ではアクリルや油彩を使っていますが、マテリアルの扱いに関しては文法が大きく異なると思うんですが、違和感はなく?  学部の頃は日本画の画材を使ってたんですけど、でも岩絵具を使っていると「なぜ使うのか?」のような意味づけを求められてしまう。あとは学部の頃から女の子を描いていたんですけど、日本画材でそれをすると美人画の文脈で受け取られてしまうんじゃないか、と。そちらに進みたいわけではなかったし、自分の描きたいものを考えるとアクリルでも問題なくできた。だから画材から描き方までけっこう変えましたね。 昔は髪とか顔とか、もっとディティールを描き込んでいたんですけど、もっと単純化させ、平面感を強める方向にシフトしました。普段描いていたドローイングがそれに近かくて、ノートにちょこちょこと描いていたものをタブローとして描いてみようと。結果的にそっちの方が自分にとって苦じゃなかったんですよね。 ただルールというか、自分で制限はもうけているとは思います。もうできないことはあまりしないようにしよう、と思っていて。色合いも薄くして、場所によっては色鉛筆を重ねてみたり、曖昧になってしまうので特定の方向に強めるような感じです。 忘れる, 2020, 31.8×41cm, oil on canvas  現在の風景と少女の組み合わせを画面に持ち込んだのはいつ頃から?  2年前くらいです。学部を出た頃かな。その頃は写真で切り取った風景とかを入れたり、少し画面がごちゃごちゃとしていたんですけど、それも幼少期という時間に設定しようと決めて。  よく分からない感じというか、より複雑にはしたいと思ってますね。ただでさえ平坦なタイプなのでペラペラになってしまいがちになる。もっと分かりにくく、もっと複雑に、とは気をつけているかな。その方が何回も見たくなると思うんです。でも最近はそのまま描きすぎているかな、とも。  作品と自分自身のつながりが強いことに抵抗はありますか?  個人的な作品になっているということがですか? それは前に少し悩んでいて、というか、今も時々は考えるんですが…。 あまりにも描いていることが個人的過ぎるのかな、と。ただマイクロポップの作家さんのように、あとはナビ派の人たちとか、いつの時代にも個人的なこととか、身の回りのことを描く人たちはいるのかなとも考えていて。自分の描きたい作品とか、描いていて無理がない作品について考えるとそっちなんじゃないか、と。あとは納得の問題だとは思うんですけど。 個人的なことを描いている作家は好きですか?  好きですね。個人的というか、さりげない、身の回りのものを使った作品と日常の断片を描いている方々は好きです。この間ワタリウムでやっていた青木さんとか、西村有さんとか、古いところでいうとドニ、ヴュイヤールとか…。  モランディも好きです。いつも画集は近くに置いてます。あとはナビ派の人たちはやっぱり好きですね。テーマとかモチーフの点ですごく参考になる。それから画家ではないんですけど、青山静男さん。子供を描き始めた時に一番影響を受けたし、今でも見失いそうになる時によく見ています。  イラストをずっと描いてきたということですが、イラストの遺伝子は自分の絵画に感じますか?  …どうだろう。でも、確かに言われる時はありますね。「イラストだね」とか、そこまで露骨なわけじゃないですけど、でも言われます。  ただ最近はどっちもかな、とは思います。イラストとも言われるし、絵画とも言われる。確かにイラストはずっと描いてたので、その感じがあっても不思議ではないと思う。好きなイラストレーターの人とかもいますし。だから最近は中間でいいかなって考えていて。 イラストと絵画の中間を。 どっちの要素もあっていいんじゃないかって。どっちの要素もあるんなら、それはそれで本当なんだろうし。 描いている少女には表情が描かれていませんね。  描いている時の自分は冷静なんです。だから描かれている人物には表情がない。そこには距離があるんですよね。前に絵を見てくれた人から「齊藤さん自身は諦めている感じだね」と言われて、それはそうかもなと思いました。女の子というか、子供が登場している理由はさっきも話したと思うんですけど、でも子供を描いている理由自体はコンプレックスというか…、どこか憧れに近いのかもしれないです。子供であることに対しての憧れ。 やはり幼少期の自分自身や現在の自分を取り巻く環境とか、あり方に対する強く関係している。  やっぱり今の自分と小学生の頃の自分が地続きでない感覚がどこかにあって。小学生の頃の写真とか、先生からのコメントとか見ているとずっと明るいんですよね。「ああ、そうだったんだ」って。環境も変わったし、自分が変わってきて、昔から大人しい人もいると思うんですけど、私は変わったんだなって。 午後の公園, 2020, 33.3×33.3cm,...

スカルにみる現代の「死」

 ”メメント・モリ”。ラテン語で「死を思え」「自分が死ぬということを忘れるな」を意味する警句である。  時勢によってあらゆる解釈がなされてきたものの、我々人間に多くの示唆を与えてきた。そのメッセージはテキストだけでなく、時にはペインティングといった芸術の世界で表現された。  その際、主役となったモチーフは直接的に死を想起させるスカルである。宗教画や歴史画に比べ、地位の低かった静物画はキリスト教的エッセンスを組みこむことで格を高めた。所謂、ヴァニタスである。それから、数百年経過した現在、現存のアーティストの単作品で最高額となるダミアン・ハーストによる立体《神の愛のために》も主題がメメント・モリである。当作品にもスカルは選ばれている。  さて、死を彷彿とさせるための最上のモチーフは、”メメント・モリ”を忘れさった現代人に新たな示唆を与えているのか。本記事ではスカルを扱う作家を数名紹介しよう。 八田大輔/Daisuke Yatsuda 作家の詳細はこちらから Yutaokuda 作家の詳細はこちらから 鈴木潤/Jun Suzuki 作家の詳細はこちらから

deitypartyを知るための6つのポイント

キャラクターのようなシンプルなデザインで、可愛らしい女の子の絵を描くdeityparty。しかしそんな絵柄とは真逆に、人間の仄暗い闇の部分をテーマとした作品が多い。水彩や色鉛筆などの淡い色彩で表現しているが、伝えているメッセージはどこか共感できるような部分が多く誰もが抱えがちなものだ。 1.deitypartyの背景 台北在住のアーティスト。2012年に台北国立芸術大学で絵画のBFA(美術学の学士号)を修了し、2016年に国立台湾大学で言語学のMA(学芸修士)を修了。2019年には絵画の研究に関して、学術出版社であるWalter de Gruyterの書籍シリーズに掲載された。現在日中はプロダクトデザイナーとして働き、夜はアーティストとして活動中。絵の制作以外にも執筆活動もしており、いくつかの文学賞を受賞している。2019年の台北イラストレーションフェアでは、Selected Awardを受賞した。Instagramでは名前と同じ「deityparty」というIDで日々の制作を世界に発信している。 2.文学的な感性 人間の感情的な部分への目の付け方や、キャプションに付けられた短い言葉など、文学的な感性が発揮されたアート作品が多い。「Dancing In The Dark」という作品の中では、悩みもがき苦しんでいる様子がまるで、暗闇の中でダンスを踊っているかのように見えるというdeitypartyの考え方が添えられていた。筆のタッチもダンスの動きの激しさを示すような荒い動きで、顔のパーツや体の輪郭をはっきりと描いていない。色も赤と青をメインに使われていて、暗闇の中で苦しんだり怒ったりという感情の起伏の激しい波も感じ取れる。 (Dancing In The Dark/17cm×23.2cm/ミックスドメディア) 作品詳細はこちらから 3.現代的な闇を持つ人間の描写 現代の私達が抱えがちな仄暗い部分を持った人間の様子を多く表現している。「In My Sleep」という作品では、不眠症について表現されている。夜に眠ることができず、架空の睡眠を繰り返す様子を「明るい闇の中に居るようだ」と考えていて、女性が眠っている部屋の背景はあえて白いままで残されている。直接的に不眠症に苦しんでいる表情や様子は描かれていないがその女性の手を「ナイフを握った手」という説明をしていることから一見、明るい部屋でただ横になっているだけのように思えても、実はかなり苦しんでいて追い詰められている状態なのだとわかる。 (In My Sleep/21cm×30cm/水彩画) 作品詳細はこちらから 悲しげな様子の頭部とティーカップがぽつんと描かれた、不思議な印象が漂う「Blue Still Life」という作品。休憩中に疲れた頭をデスクに置いて休んでいる様子が描かれており、現代の私達の多忙さがよく表現されている。日々色々なことに追われていて頭を取り外したくなるぐらい疲れるが、ただお茶を飲んで休憩しても満足に休むことができない。思考を取り外して静物として頭を無にする必要がある程、忙しい毎日を送っている。 (Blue Still Life/10cm×14.9cm/ミックスドメディア) 作品詳細はこちらから 4.共感性の高いメッセージ 人間の身近なところにある仄暗い部分を描いた作品からは、共感できる部分が皆何かしらあるかもしれない。現代に生きている私達にとっては不眠も、多忙による疲れも非常に身近な悩みで、ぱっと見ただけでは人から理解してもらえないことが多い苦しみだ。deitypartyの作品から共感することで、気持ちが楽になったり理解して貰えたという喜びを感じることができる。 5.物語性の高さ 執筆活動もしているdeitypartyらしく、小説の一節のようなキャプションを添えたシーンが描かれた作品が存在している。例えば「Swimmers」では、「二人は泳ぎに行った。その日に何かが起こり、2人を永遠に変えてしまった。」というキャプションがあり、友達のように見える2人の水着の女の子に何があったのかが気になる。視線がそれぞれ別の方向を向いている様子からただ喧嘩をしたのか、それとも全体的に不穏な暗い色調から察すると何か重大な事件が起きたのか…。深くは描かれていないからこそ、自由に物語を想像させる仕組みになっている。 (Swimmers/21cm×30cm/水彩画) 作品詳細はこちらから 頭部が飛んでいってしまっているような残酷な描写がされているが「The Kiss」という作品も、まるで映画のポスターのような物語性が付け加えられている。「死の前で、二人はキスをする。」というキャプションが付けられているが、キスをしている様子からして愛し合っている2人は何故このような状態になってしまったのか。何もわからないが、物語を色々と推測させる興味深い作品だ。 (The Kiss/10cm×14.9cm/ミックスドメディア) 作品詳細はこちらから 6.キャッチーな絵柄に仄暗さを混ぜ込む魅力 キャッチーで可愛い絵柄に、仄暗さというスパイスを効かせることでアンバランスな新しい魅力が生まれている。その強烈なギャップは私達の脳に色濃く刻まれていく。同じ作品からどんな物語を連想したか皆で話し合うのも面白そうだ。deitypartyにしか出せない作品に惹き付ける力を、これからも追っていきたい。 今回ご紹介の作品はTRiCERAで取り扱っております

Feature Post

人間にとっての動物、もしくは動物にとっての世界の話。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『小貂を抱く貴婦人』とは−言うまでもなく著名な作品ではあるけれど−上品そうな女性がオコジョを腕に抱いているにおける、54.8 cm × 40.3 cmのペインティングだ。オコジョは純潔性の象徴らしいが、一方で14-5世紀の貴族の間では著名なペットでもあったという。 人と動物の共生の歴史は長く古く、遡ればラスコーの時代から人々は動物を飼い慣らし、時に愛玩し、時に狩のパートナーとして生活を共にしてきた。 古代エジプトでは動物に名前を与えていたし、古代ギリシャでは亡くなった犬のために墓穴を掘り、墓石を建て、飼い主はその墓にメッセージを刻みつけて悲しみを形容する習慣があった。 作品の詳細はこちらから かくも長い歴史だが、とはいえ、動物が絵画の題材となり始めたのは、動向としては、主に17-8世紀頃のことだった。 博物学の一環として動植物がイラストレーションされることは多々あった。けれど「動物画」として、つまり絵画の一ジャンルとしてフラン・スナイダーズやジョージ・スタッブスのように動物をメインをモチーフとした画家たちの登場はその時期を待たなくていけない。 では、なぜ人は動物の絵を描くのだろうか。 第一に、ダ・ヴィンチ のような象徴的用法もあるだろう。実在する動物ではないが(少なくとも筆者は見たことがない)、例えばユニコーンは、少女の清らかさを指し示すモチーフとして15世紀の絵画界で使用された。 この象徴という見方は、絵画の中に動物がいることについて一種のストーリーを読み取ることを許すだろう。例えば少女と動物をモチーフにするSELUGI KIMの作品を見てみよう。 作品の詳細はこちらから 彼女の絵画の中の少女が一緒にいるのは友人でも家族でも、ましてや学校の先生でもミッキー・マウスでもなく、一匹のフラミンゴだ。 「文化と愛という名のもと、社会では偽装が多く行われている」と彼女は語るが、その言葉と共に鑑賞すると、フラミンゴと少女しかいない世界は社会の矛盾や清廉さとは反対の、ある種の理想郷的な世界を物語っている様を読み取りたくなる。 作品の詳細はこちらから 動物の「イメージ」という点ではどうだろう。 例えば狼は『赤ずきんちゃん』『三匹のこぶた』など物語の中では常に悪役だ。そして狼と聞けば、どうだろう、善良的なモラリストをイメージすることは少ないのではないか。この物語が作り出した狼の運命について、苅谷はそれとなく言及している。 人間によって紡がれ、語られて来た物語のおかげ嫌われ者になってしまった狼。ある種のイメージ操作の結果をを、そしてそのイメージを固定し続ける者たちの姿を、彼女は公平な視点から描き出している。 作品の詳細はこちらから ペットという視点ではどうだろうか? 人はペットを、自分たちの異種の家族を、どう描いてきただろう。そのストーリーはどうだろうか。 萩原のペインティングにおけるペットは、ある意味、現代の風俗が見て取れる。 〈we use botanical shampoo〉と名付けられた作品に描かれる犬たちは、思うに、普段からボタニカル・シャンプーで身を清めているに違いない。 作品の詳細はこちらから 反面、ペットの視点から描かれた作品も存在する。久保俊太郎の絵画がそれだ。...

未定義の真実を求めて; 家で愉しむ抽象画 – 前編

空想する存在として 望遠鏡で、宇宙の神秘を発見すべく空を見上げたことはあるだろうか。子供たちが、何でもかんでも「なぜ」と聞いて止まないように、我々人間は好奇心がやたら強く、想像力が異常に豊かである。ほとんどの文明では、神々もしくは、その不在を追い求め、又、空一杯の星空に描かれた絵を見上げ、宇宙人がいるか否かを議論する。かつて、地球は平らで、海水はあの世に流れ下ると信じていた我々を駆り立てるものとは。それは、「未知」の「説明がつかない」何かへのファンタジーである。 家庭での不思議探究 今やアートは、宇宙人の存在のように、私たちが必ずしも理解し得ない稀有なものに成長した。それこそが、多くの人にとって現代アートを価値あるもの、興味をそそられるものたらしめる理由の一つでもある。日々の生活に刺激を与えながらも、家族や来客者にもリラックスしてもらえる中立的な雰囲気を演出したいのなら、種々の芸術手法の中でも、抽象画の購入がお勧めである。抽象さに不確かな真実を探求するのに飽きは来ず、他者もその美しさに安らぐことができる(いや、一緒に探究参加なら尚嬉しい)。 今回は、Anja Stemmerの抽象アート作品を例に挙げ、抽象絵画と家との相性がいかに優れているかを紹介しよう。次回はもっと多くのアーティストを取り上げる予定だが、その間、「アートを自宅にコーディネートするコツ」を予習復習したい読者の方々はこちらをご一読あれ。自宅にアート 〜お洒落な飾り方 簡単ガイド〜 いかに上手く馴染んでいるか見て取れることだろう 最も簡単なテクニックは、ひとつの色をあなたの 部屋もしくは家具から選び、アートとマッチすること すると、あれま素敵! 作品詳細は画像をクリック! ため息の出るディテールも自宅で愉しみ放題 和室に抽象画は合わないなんて誰が言った? ペアだとより一層奥ゆかしい! もっと楽しい発見が欲しい貴方、是非ニュースレターのご購読をお忘れなく。

3分で学ぶまもるの魅力

必見アーティストの魅力をギュッと3分でお届け 今回は、SNSを舞台に活躍する作家「 まもる 」の魅力をクイックにお届け。 現在TRiCERA ARTでは、世界126カ国以上から、4,000人を超えるアーティストと約52,000点のアート作品を掲載中です。その中から、今見逃せないアーティストをキュレーターがご紹介いたします。 作家の特徴 SNSを主戦場とするソーシャル時代の作家 イラストレーターとして活動 デザインスキルを活かし作家活動を開始 SNSで1万人フォロワーを抱える人気作家 作品を見る 作品のユニークさ 若者世代をターゲットにした作品作り 想像を広げるため無表情な女の子を描く SNS文化に根付いた作品を制作 飾りやすいキャンバスプリントを制作 作品を見る キュレーターコメント アートの難しさや敷居を下げてくれる作家 今だから描けるものを実直に描く作家 無表情な女の子が想像を広げてくれる 既存のSNSでの流行りを取り入れる 作品を見る アーティスト経歴 武蔵野美術大学卒 まもるの作家ページはこちらから 現在、TRiCERA ARTでは、世界126カ国以上の絵画・写真・彫刻などのアート作品約52,000点掲載中。

意外な万能役者; 家で愉しむ抽象画 pt.2

抽象絵画によく聞かれる「美術館やギャラリーの壁には良いけど、自宅には向かなさそう」という偏見とは裏腹に、実は、あなたの部屋をテイスト良く飾るのにはうってつけのアートである。単体だとやや難易度高めに見えがちなアブストラクトだが、部屋との調和を図るのは具象的な作品よりもとても簡単だ。一度実例を見れば、お気に入りの作品を自宅の壁に掛ける日常を瞬時に想像できるであろう。 ほら、この通り。 まだ納得行かない方の為に、もちろん実例写真は更に用意してある。こちらからシリーズのpart.1をスクロールして頂きたい。 未定義の真実を求めて; 家で愉しむ抽象画 – 前編 パート1を読んだなら、知的な存在として人類が、万事に説明を求めることを理解されたであろう。だからこそ「未知のもの」や「説明のつかないもの」に史上疑問を抱き、空想してきた。そして今、その探求は現代美術へと変貌を遂げる。 抽象芸術の万能さ。 抽象芸術が理想的なホーム・デコレーションである理由はたくさんある。例えばひとつ、抽象画は具象絵画のように、それ自身や、その部屋を定義しないと言うこと。ホテルの部屋に飾られている絵や写真のイマイチな趣味を批判した経験は誰でも少なからずあろうかと察する。それは、その特定の何かがあなたの好みではなかったから。一方で、抽象的なものの理解と好みは抽象的である。なんやねんそれ、と突っ込みたくなるようなこの理由が大いに寄与して、どんなテイストのどんなスタイルの部屋にでも、意外と不自然なく飾ることができるのだ。 自分の好みに自信を持って! 幾何学模様や色柄のファン? ヨガ部屋でもっと禅体験?こちらはいかが? ヴィンテージ家具でエレガントな部屋とも合う?もしくは気さくで自然調なカントリースタイルの部屋だと?問題無し!抽象絵画はたやすく折衷可能。 ユニークさが全てと言う貴方には、普通ではない素材を使った抽象アートはいかが? シンプルな美しさ、ミニマルな美しさがお好み?この通り単純にゴージャス。 TRiCERAでは、他にもまだまだ抽象アート作品を検索可能。一日中眺めても飽きないような作品が見つかること間違い無し。もっと楽しい発見が欲しい貴方、是非ニュースレターのご購読をお忘れなく。

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