日曜日, 5月 29, 2022
Home News アーティスト応援キャンペーンのお知らせ

アーティスト応援キャンペーンのお知らせ

アーティスト応援キャンペーン開始のお知らせ

この度、TRiCERAでは8/21(土)〜8/29(日)の期間において、
作家をTRiCERA内で新たにフォローした方に購入費用の10%をTRiCERAが還元する、
アーティストフォローキャンペーンを実施いたします。

キャンペーン参加のための3つのステップ

多くの方のご参加をお待ちしております。

お気に入りの作家をフォローしに行く


キャンペーンに関するお問い合わせ先:
customer_support@tricera.co.jp

Soyhttps://www.tricera.net/
Exhibition Planning Manager/ Artist

Most Popular

You Might Like

崩れていく造形の先にある美しさを描く – さめほしインタビュー –

さめほしは1997年東京都出身、2020年に武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒のペインター。2016年頃からアクリルとペンを使い、デフォルメされた少女の顔や体を破裂・溶解させ、その崩壊と形成を繰り返す姿を描いてきた。「可愛いものは崩されても可愛さを保ち続ける」というさめほしに、今回は作品の背景やこれまでの歩みについて話を聞いた。 さめほしさんは生成と崩壊をテーマにした女の子の顔をメインに描かれていますね。顔や目の大きさをデフォルメした顔もそうですが、加えてそれを意図的に崩している。その点にからお話を伺えますか?  感覚的な話になってしまい恐縮なのですが、モチーフについて言えば、一番の理由としては可愛さ。小さい頃からプリンセスのような女の子を描いていることが好きだったんですけれど、両親の影響から90年代頃のアニメを見たりゲームをすることが多くて、その中でデフォルメされたキャラクターを好きになっていったんです。作品の傾向のせいか、よく「アニメが好きなの?」と言われるのですけれど、実際にはそこまでアニメや漫画というジャンル自体に強い思い入れはなくて、むしろ頭身の低い、デフォルメされた女の子の可愛らしさ自体が好きなんです。一方では可愛いさだけじゃなく、その可愛らしさが崩れている状態にも関心が強くて。可愛いのに、その可愛らしさが溶けるように崩れていっている状態。その「もう元には戻らない」ということが余計にその美徳を強めるというか、これは感覚的なことなのですけれど、その様子にすごく惹かれるんです。加虐的な趣味というわけではなく、バラバラになったり破裂していたり、崩壊した可愛らしさにも別の可愛らしさがあると思っていて、むしろ「可愛い」というものを単純化されないカタチで表現できるのではないかな、とは考えています。 クリスマスケーキ 2020年 29.7 × 42cm Giclee Printing on paper edition:50 さめほしによる限定エディションプリントはこちら 顔だけでなく、身体そのものの形状も崩れている絵画もありますね。「可愛いらしさの崩壊」以外にも変形する身体にも関心がありますか?  おっしゃる通り、キャラクター化された女の子以外やその崩壊以外に、そもそも顔がぐちゃぐちゃしていたり体がバラバラになっていたり、あとは硬いものが柔らかいものに衝突して弾け飛んでいる様子とか、グロテスクなものが好きというわけではないのですけれど、そういう様相が綺麗だなとは思っていて。AKIRAという作品に登場人物の1人の体が変形していくシーンがあるのですけれど、特にそこが好きで。むしろそこしか見てないくらい(笑)。きっと途中経過というか、例えば魔法少女の変身シーンのように動いている状態が好きなのかもしれません。そういうわけで形が変わっていく身体については昔から「いつか描いてみたい」程度には思っていたんですが、実際のきっかけとしては愛☆まどんなさんの作品に出会ってからですね。  愛☆まどんなも融解的な色使いをされますけど、崩壊性はそこから。 ええ、そうですね。「ああ、これだ」と氷塊することが多くて、これも発見というか、何かが揃った感覚が自分の中にあったのですけれど、そこからは女の子の顔とか体を崩壊させた絵に取り組むようになりました。 United 2015年 116.7×91cm キャンバスにトレーシングペーパー・油絵具・ペン 現在の絵画を形成するうえで参照した作家さんは他にもいますか? あとは大槻香奈さんですね。最近の作家さんから影響を受けることが多いのですが、大槻さんはデフォルメされた女の子の顔のパーツの配置がすごく卓越していると思うし、縦長の目の描き方はとても参考になります。 どちらも影響力が強い作家さんですけど、その影響下から自由であることは大変ではなかったですか?いや、それが本当にそうで。ただでさえ影響されやすいというか、流されやすいというか、自分自身の性格的にも模倣に走って行きがちなところがあるので悩みました。でもお二人とも特徴的ではあるので、例えば愛☆まどんなさんの異色肌の女の子、影の色に蛍光色を使うこと、あとは目の中に文字を入れるなど視覚的に独特な部分について自分の中で使用を禁じたり、「これはしない」などルールを設けることで追従をしないように心がけましたね。 デフォルメされた女の子、身体や顔の崩壊性以外にも、さめほしさんの作品は線描や絵具の質感も特徴の一つだと思うんですが、こちらも他にルーツがありますか?  その二点については自分の好みかもしれません。もともと線をひくという行為自体がすごく好きで、細い線を描いていたくて今の絵を描き始めたようなものかもしれないです。何も考えずとも引いていると自然と作品が出来上がってくる線の不思議さも好きだし、無意識で線を引いている時間なんかすごく好き。絵具についても、やはり物質としての安心感は好みです。昔は絵具をもりもりにして画面をボコボコさせていたんですけど、でも私の作品は近くで見ると荒っぽさが目立っていて、そこは少し気にしていて。よく「デジタルの方がいいよ」とか「写真の方がいい」とは言われるし、今は表面の仕上げにやすりを使ったりしています。 でも物質感は大事? 大事…ですね。今はデジタルも使ってみてはいますけど、あくまで二次創作というか、どこかで頭のチャンネルを切り替えているように思います。やっぱりモノとして手元にある方が安心するんですよね。作品を横から見たり、斜めから見たり、手に持った時の絵具が乗っかったキャンバスの重さが好きなんです。  絵画に対する愛着はどうやって育ったのでしょう? 昔から絵は好きでしたか?  実はデザイン系の高校に通っていて、だから「絵を描くこと」自体には馴染みがあったんです。3年間デザインを学んでいたんですが、でもデザインはあくまでも人に伝えるためのものですし、できるかぎり綺麗に描かないといけない。そこが少し苦手でした。出される課題も「とにかく綺麗にね」みたいな要望が多くて。絵具ははみ出してはいけないし、筆跡も残しちゃダメ。線なんかガタガタさせるとすごい怒られるんです。課題を提出しても「君のは油絵みたいだね」と言われていたし、そのきっちり描くという状況が嫌…、というよりは苦痛で。 United 2016年 41×41cm キャンバスに油絵具・ペン さめほしによる限定エディションプリントはこちら そこからファインアートに転身しようと? いえ、その時点ではまだ想像もしてなかったです。そもそも中学生の頃は絵本作家になりたくて、酒井駒子さんという作家さんがすごく好きだったんですけれど、それもあってデザインの学校に進学しました。「普通の高校よりはためになるだろう」と。でも進路を選ぶ段階になってファインアートに。美術予備校の体験に友人と一緒に行ったんですけれど、そこで油絵コースのブースがあって「何これ!? すごい綺麗!」と思って高校三年になって油絵に進もうと決めました。 学生時代から活動されてますよね。具体的なスタートはいつ頃から?  活動で言えば、現在の「さめほし」という名前で作品を発表したのが2016年の大学一年生の時。グループ展にお誘い頂いて、そこで初めて「さめほし」という名前、それからアクリル絵画の上から線を引いた作品を発表しました。その前までの作品は女の子でもなかったし、もっと抽象というか、「これ」という像を定めていなかったですね。線は描いていたんですけど、使っていたのも今のようにアクリルではなく油絵具だったし、単純に絵具の質感や線を引くという行為を楽しんでいた時期でした。 油彩をやっていたということですが、現在ではアクリルを使っていますね。 まったく油彩を描かなくなったわけではないのですけれど、ただ私には扱い切れないところが多くて。油絵具の生々しさ、表現の深さや重さはすごく好きなんですけれど、でも私とは速度が合わなかった。女の子を描き始めた当初も油彩だったんですが、どうしても油彩だと乾くのが遅いし、待っているうちに何が描きたかったのか忘れてしまう。信じられないくらい忘れっぽい性格なんですよ。反面、アクリルだと乾くのが速いから鮮度を失うことがない。描きたいものをリアルタイムでアウトプットできる点は大きいですね。 描き手であるさめほしさんと作品が強く呼応しているように聞こえますが、作品は自己言及的ですか? どうだろう…。昔は「絵画は自分自身の鏡だ!」みたいに考えていた時期もあったんですけれど、今はもう意識していないですね。あまり肩に力を入れない、と言うか。意図的に作品と自分を近づけようとはしないんですけれど、でもそもそも絵を描き始めた理由を思い出すと、そこにはある種の保存的な意味合いもあって。写真なら風景を切り取って保存できるし、筆まめな人は文章で残しておくのでしょうけれど、私はその時々の気持ちを残しておく手段が絵しかなかった。絵を見ればその時に考えていたこと、思っていたことを思い出せる。それは安心感があるなとは思います。最初の頃は線で記録するつもりで描いていたふしはあるので。 過剰 2018年 36.4×51.5cm パネルにケント紙・アクリル絵の具・ペン さめほしによる限定エディションプリントはこちら 活動をスタートさせてもう4年になっています。先ほど「最近はデジタルも」とおっしゃっていましたが、作品に変化は生まれていますか? 作品について言えば悩むところもありますし、感覚的な変化もあります。前者で言えば支持体からペンの表現までやり直した方がいいのではとか、線を続けるかどうか、画面ももっと今の作家さんみたいにツルツルさせたり、もっとピッチリ描いた方がいいのかなど、少し模索している最中…ですね。周りに流されやすい人間でして、「線はない方がいいよ」とよく言われるんですが、それもあって「このままでいいのか?」と。あとは線に対する感覚が変わりましたね。昔は下書きもしなかったし、そもそも真っ白なキャンバスに向き合うのが苦手だった。失敗した絵の上から描いてたりしたんですけど、でも今はその辺りもコントロールが効いてきた。だから昔よりは技術がついてきて表現の幅が広がった反面、昔だからこそある思い切りというか、無軌道さが無くなったとは実感してます。昔の方がやたらと線が多かったし、密度も高い。今は「ここは色の境目がないから線は引いちゃダメだ」とか、自分なりの制作ルールが培われていて、昔の絵を見ると「もう描けないな」と思いますね。 感覚的な部分が大きいということはさめほしさんの変化とともに絵も変わっていく。活動をスタートさせてもう4年になりますが、以降に取り組みたいことは考えていますか? 色々と悩む部分はあるんですが、今は画法を変えずに、どれだけ引き出しを増やせるかを考える時期なのかなと。あと最近は崩壊とか破裂、溶けたり崩れたりだけじゃなくて、モノとモノのぶつかり合っている様子とか一体化している様も魅力的に思えてきて。可愛いものは壊れようが崩れようがバラバラになろうが可愛い。それをなんとかして描いていきたいなと思っています。   Profile 1997年東京都出身。2020年武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒。2016年頃よりアクリル絵の具とペンで崩壊と形成を繰り返す少女を描く。主なグループ展に「FROM KAWAII ART...

Keisuke Tsuchida: 鉛筆画による精神表現

私はいつまでも自分の心の中にある真実を表現するアーティストでありたいと思います。 A challenge by Keisuke Tsuchida     新進気鋭の作家、Keisuke Tsuchidaが同世代の作家たちと異なるのは、繊細で縦長の線と22種類のグラファイトのパレットを駆使した作品へのアプローチである。鉛筆画といえばリアリズムが流行っていますが、Tsuchidaは決して空想的な魅力を捨ててはいません。彼の作品は、喜びや幸せから同情、そして悲しみまで、純粋な感情の個人的な旅を呼び起こすことを目的としています。 今回のインタビューでは、Tsuchidaの想像力の源流、主流のリアリズムからの分岐点、作風の根底にある強さの精神についてお話を伺いました。このインタビューは、長さとわかりやすさのために翻訳し、軽く編集しています。 無から有を生み出す モノクロームで幻想的な世界を探る 無形の精神を物理的な形で表現する Keisuke Tsuchidaの鉛筆画はどこで買う? 無から有を生み出す それが幼い頃の憧れだったので、彼のようなアーティストになりたいと思った瞬間でした。 アーティストとしての自分をどのように発見したのですか? 私は昔から無から有を生み出すことに興味があり、それを実現するためには絵を描くことが自然な流れでした。 子供の頃はテレビゲームが流行っていて、特にロールプレイングゲームとそのストーリーに惹かれていました。また、ゲームに影響を受けたファンタジー小説「Tales from Earthsea」や、人気ゲームを原作とした小説「Ys」なども読んでいました。 私の記憶に鮮明に残っているのは、学校の図書館で見つけた日本のグラフィックノベルAkiraです。Tales from Earthseaもそうでしたが、その複雑さは理解できませんでしたが、だからこそ不思議な面白さがあり、大好きでした。この感覚、物語の中の謎と複雑さの興奮が、私の作品の根幹にあると思っています。 Walk of a pegasus by Keisuke Tsuchida     高校卒業後、普通の会社に就職しましたが、自分の中で何かがおかしいと感じ、自分の人生に疑問を感じることが多くありました。ある日、アルフォンス・ミュシャの作品展を見て、アルフォンス・ミュシャの作品を見て、彼の美意識や技術、考え方の伝え方に驚愕しました。彼のようなアーティストになりたいと思ったのは、子供の頃からの夢だったんです。結局、会社を辞めて一人前のアーティストになることを決意しました。 なぜ鉛筆画をメディアに選んだのですか? 会社を辞めた後、美術学校で学びました。その間、自分のスタイルを模索し続け、様々なアプローチを試みました。様々なアートの形や技法を試しているうちに、「アート」という概念や自分の考えにとらわれすぎていることに気がつきました。そこで、自分の心の中にあるものを描くことを大切にしながら、一番シンプルな鉛筆と紙の形に戻ることを決意しました。 あなたの人生で最も影響を受けたアーティストや作品を教えてください。 それがアルフォンス・ミュシャとノーマン・ロックウェルだろう。どちらのアーティストもシンプルな作風で、根底に強いメッセージ性を持っています。私もいつか彼らのようなアーティストになることを目指しています。 モノクロームで幻想的な世界を探る ...私は感情の深さを表現することを心がけています。哀愁に満ちた表情の中に、優しさと喜びを感じることができるかもしれません。... In the end of a...

光をカタチに落とし込む-藤野真司 インタビュー-

 国内での数々の展覧会を行い、2019年にはスロベニアにて行われたアーティスト・イン・レジデンスに参加。ヨーロッパ圏のアーティストと共に制作と展示を行うなど、精力的な活動を行う藤野真司。アーティストになるに至った経緯、光を扱う作品をめぐる思索までインタビューを行った。  ガラスやアクリルに透明な筆跡を施し、作品が置かれた場所の光によって視覚化される《光の標本》シリーズ。藤野の代表的シリーズである当シリーズは「光が我々に何を見せてくれるか」をテーマに制作が行われている。光に対し特別の関心を抱く藤野であるが、はたして彼にとって光とはどのような存在なのだろうか。次のように語った。 「光は場所に関係なくどこにも存在し、鑑賞者の内面的な在り様によって様々なとらえ方ができます。」  人間にとって、切っても切り離せない普遍的な存在でありながら、捉えどころない光。藤野はジェームス・タレルのように光をマテリアルの一つとして取り扱うアーティストに影響を受けたという。そもそも藤野がプロとして創作の世界に足を踏み出したキッカケも光に関連するものだった。  「美術系高校と美大でアートを学び、卒業後はキュレーターとして活動していましたが自分自身が『理屈で考えること』に囚われてしまい、とても窮屈な状態を過ごしていました。そんな中、旅行をした先で室内に射し込む美しい自然光を見てぼんやりと眺めているうちに『理屈で考えること』から離れ開放的な気持ちになることができました。」  藤野によってターニングポイントとなったこの原体験。ある種の天啓を受け取った存在が光であったのだ。また作品性に反映されている藤野のバックグラウンドとして、もう一つ興味深いエピソードを語った。  「私の実家は小さな宿屋を営んでいました。幼少期から絶えず外から人が訪れ、また送り出すという循環の中に身を置いたことで『人は多様だ』という事を感じ取りました。」  作品単体だけでなく、設置された環境と鑑賞者の目線によって作品体験が成立する《光の標本》シリーズ。藤野が掲げるテーマにも通底する。 「心を忙しくしている方に、作品を手に取って頂きたいです。自分が身を置く場所の光が、充分に美しいと感じて頂くきっかけになれば、とても嬉しいです。」  人の多様性を前提とした《光の標本》シリーズ。その包み込むような優しさはまさしく陽光のようである。 アーティストの詳細はこちらから 作品の詳細はこちらから 作品の詳細はこちらから 藤野真司の作品はこちらから

絵画が引き起こす化学反応が見たい – 林香苗武 インタビュー –

2011年から平面表現における速度を主題とし、制作・発表してきた林香苗武。2015年には未来派のように「速度主義宣言」を出すなど美術史をオマージュするような活動を展開してきた彼女に、今回はこれまでの経歴や作品、制作について話を聞いた。 ダンス 42 × 29.7cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 林さんは速度をテーマに制作を続けてきました。平面における速さを造形的に追求する姿勢は未来派を思わせますが、一方ではそこから独立している様子も感じられます。まずは現在の作品の成り立ちから伺えますか。  速度についてはこれまでもずっと考えてきたことではあるんですが、ただ未来派との関係について言えば意識し始めたのは2015年くらいです。2015年というと、自分の中では作品が変わってきた時期なんですけど、それまでの作品は構図的には人物を中心にそえていたんですが、ただ人物が中心にいる構図はたくさん描いてくるうちにどうしても打ち止めになっていった。人物は顔と手と足、あとは胴体の5つのパートに分解できるんですけど、それを線に置き換えて考えると、極端な話をすれば要するに5本の線をどう動かすかという話になる。シンプルですけど、だからこそその作風を続けていくことに限界を感じていたんです。変わっていかなきゃいけないなとは考え始めたのが2013年頃でした。もっと実験的なことを作品でしなくては、と。そしたら2015年頃から周りから「未来派っぽい」と言われることが多くなってきて、あとはロシア・アヴァンギャルドとか、その辺りの美術史の流れと比べてみられることが多くなった。当時はあまり興味がなかったし、「何か言われてるな」程度で、詳しくは知らなかったんですね。だけど「よく言われるけど自分はそれを知らない」という状況が段々と嫌になってきた。じゃあひとつ調べてみようと。日本には文献が乏しかったのですけど、でも調べる中で「どうやら速度をテーマにしている人たちらしい」と知り、彼らの世界観も好きになっていったんです。  そして2015年に『速度主義宣言』を出すに至るわけですね。『未来派宣言』にも通じるアクションですが、当時はどういう意図があったんですか。  宣言そのままというか、「しばらくこういう運動をやっていきます」という意思表示をするためでした。あれはマニュフェストなので、未来派の人たち同様、宣言をチラシにして配ったりして。それを当時、周囲がけっこう面白がってくれたかたちになったんですね。「今後どうやっていくのか」みたいな。私としては戦闘態勢に入った心持ちでした。「こういうことをやっていくぞ」と。当時はずっと絵を描いていたんですけど、でも私としては絵なんて描いている場合じゃないんだという精神状態になっていて。まっすぐにコンセプチュアル・アートをやらないといけないと。空間でアプローチすることをしないと勝てないんじゃないかと。 未来派の流れを引用しながらインスタレーションにシフトしていった。林さんは比較的早期にキャリアをスタートさせましたと思いますが、当初からペインティングがメインでしたよね。  2010年に大学へ入って、翌年から少しずつ動き出したので、確かに早い方だったかもしれません。公募展で賞を頂いて、それをきっかけにして。ただインスタレーションをしていた時期は自分の絵に対してすごい嫌悪感があったんですね。周りからは「格好良い」と言って頂くことが多かったんですけど、でも自分の中では「どうしてこんなに考えて描いてるのにイラストみたいに扱うんだ!」という気持ちがあって。格好良いとかなんとか言われても、結局のところそれは消費されているだけじゃなんじゃないかって。もっと消費されない方法でアートをしなくちゃならないと考えていた時期でした。  ある意味では周囲の評価や認識に対するアンチテーゼとしてのアプローチが空間芸術だったし、その理論的な裏付けが未来派でもあった。でもそういう気持ちは時間が経つにつれて大人しくなっていくんですよね。天邪鬼なことかもしれませんけれど、でも段々と絵がやりたいと思うになってきた。というより、そう思えるようになれた。時間のおかげもありますね。絵画でやっていないことは何かについて考えてみたくなったし、今も続いていますけど、絵をやってみたいという気持ちが強くなっていったんですね。それに、そもそも私は絵に対して真摯な姿勢ってものがなかったんじゃないかと。キャンバスの中で一つの作品をつくろうっていう姿勢自体が私の中で根付いていなかったんですよ。油絵具を手に取って何かを描くとか、初歩的なところからもう一度学び直した方がいいのではと考えて。そう考えた時に未来派という流れは私にとって後付けに近かったし、当時の感覚としてはやっぱり「これはもうやられていることだよな」という疑問が頭のどこかにはあった。それに私一人が速度云々と言っていても果たして先があるのか、とか。それで去年の4月にイタリアに行ったんですけど、そこでお別れをして来たんですね。未来派の人たちが活動していた場所で、未来派に対して。「今までありがとうございました」と。「私はこれからやりたいことをやります」という意味を込めて。  絵画に戻って来た。絵画の領域で何がやりたいのかは今もまだはっきりしていないんですけど、でも絵画とイラストについてはずっと考えていて。一方ではそれが障害でもあるんですよ。絵画とイラストの断絶みたいなものが永遠に埋まらないんですね。イラストとして見られていた頃は反発心とか苛立ちを感じていて、速度主義と言ってた頃は美術史や絵画の歴史に組み込まれた錯覚をしていた。絵画とイラストを融合させようという試みは美術史の中で行われて来たことですけど、でも今や断絶っていう言葉さえ薄れて来ている気がする。それにその感覚って本当に重要か?と。「いやどうでもいいでしょう」と。もっとやりたいことやればいいでしょうという感覚になって来た。 そもそも私が描いていること、描くことにおいて重要なのは線なんですけど、それはすごくイラストとの境を曖昧にしている理由でもある。最近はデジタルのドローイングもしていて、そうすると、つまりデジタルだとテクスチャーがほとんど関係なくなるわけなんですけど、それによってますます線描の特性が明確になってくる。色だとか絵具の重なりだとかがあまり重要視されない世界で、それよりは何か強い形を生み出すことにどんどん執着をしていくんですね。やり方を変えても行き着くところは線で、その線をどうするか。ある意味で形を叩き込むことに似ているんですよ。  そもそも林さんにとって描くという行為がどういう位置にあるか伺いたいんですが、絵を描き始めたきっかけは何でしたか。  ごくごく普通というか、よくある話で絵を描くと人が喜でくれて、それを面白がっていた感じです。実家がワイン農家で、売店の2階に住んでいたんですけど、親がよく売店につれていってくれて。お客さんに似顔絵を描くと喜んでくれて。それが楽しかったし、今もそれを面白がっているところはありますね。  林さんにとって絵画あるいは絵を描くことは装置に似た意味合いがありますか? あると思いますね。何かを描きたい…というよりは私の描いた何かによって何かが起こることが一番良いとは思っていて。だからこそインスタレーションのアプローチも出来たのかもしれませんけど。  背景について話を伸ばしたいのですが、触れていたカルチャーも絵が多かったですか。  その点で言うと漫画ですね。漫画は大切だし、私の人生にとって絶対になくてはならないものかもしれない。漫画とか、あとアニメーション。線が動いていることが重要なのかなと思いますけど。 あとは音楽…というより音ですね。生活の中では基本的に音が流れてる。好きな歌手とかよりも曲というか、音ですね。音そのもの。音楽って私の中では一番速いメディアなんです。もはや音楽とか音は私にとって「速いモノ」だと思っていて。  速度の話が出て来ましたが、林さんの作品でも速度は重要な要素でもあります。  やっぱり私は速度っていうものがすごく好きなんですね。motoGPというバイクレースがあるんですけど、そのレースに出ているバイクってものすごい速度が出るんですよ。300キロ以上かな。もうレースを見るっていう感覚ではない。ものすごい速度の物体が目の前を通り過ぎていく感覚で、はっきり感じられるのはエンジンの音だけ。「あ、これが速さなんだ」っていうことが体感的に理解できるんですね。私の絵では速さのフォルムを追求しているふしがあると思うんですけど、一方では「速さとは何か」って命題もあって。例えば光の速度と言われたりしますけど、でもその速度を見た人は誰もいない。速度が速くなったり、反対に遅くなったりすることは知っているし、日々感じることではある。でもそもそも速度とは何か。誰も速度を見ている人はいないんじゃないかって。それってすごく神秘的だし、ドラマチックだと思うんですよ。  速度という概念は物理以外にも応用されますよね。例えば都市部とそれ以外では流れている時間が違っていると言われたり。現代と100年前では都市生活者の時速は違うと思いますが、そのことについて考えることはありますか? 私の感覚として「ひとが密集していると速度は速いし、逆にスカスカだと速度は遅い」というのがあって。私が東京に出て来た10年前はそれこそ神秘的な感じでした。東京の速さが凄まじかった。速度的な神話の世界にきて、それを享受している、みたいな。でも10年も経つとその速さが鬱陶しくなってきて、それを楽しむ余裕がなくなってくる。単純に疲れてきているのかな、と。人間というハード自体が速度に追いついてないのかもしれない。ゲームなんかしていても今はロードタイムってほとんどない。すごく安価にテクノロジーが楽しめて、すごく色々なことが簡略化されている。家にいても外にいても、もうあらゆるところで、あらゆることがシームレスになっている。でも脳味噌がそれに疲れてるんじゃないかなって。でも、ある程度の速度がないと人間はもうイライラしてしまいますよね。そこが面白いところでもあるんですけど。 自然の現象としても、社会や生活のシステムとしても、速度はあらゆる場面で私達にか関わっている。 しかもそれとは分からない姿で。誰にも見えないわけですよね。だから速度はいつまでも神秘でいてくれるんだと思いますね。 プロフィール長野県生まれ。2011年より平面表現における速度を主題とし、制作活動を続けている。 2015年に速度主義宣言を発表。 主な個展に「大木と巨大キツツキ」(Clear Edition & Gallery/2015)、「速度の神」(WISH LESS gallery /2019)など。 林香苗武によるエディション作品はこちらから

鈴木潤~芸術が脈打つ~生命を宿すボールペン画。

緻密かつ独創性に溢れるアートを生み出し「ボールペン一本で勝負したい」と語る鈴木潤の姿勢は、刀に懸けた侍のそれの様に頼もしく、又、清々しい。20代前半で本格的に活動を開始して以来、コンペティションの受賞や「細密画展」参加、2020年には個展の開催等、精力的な活動を見せる。 父は陶芸家で母は絵付け師。幼少期より芸術に親しむ中で自然と絵を描き始めた鈴木に衝撃的な出会いが訪れるのは中学生時代。大友克洋の漫画「AKIRA」、細かく描かれたペンの線に魅せられ、模写、研究を重ねる。また、60・70年代の洋楽アルバムジャケットやアートポスターにも影響されたと語る通り、緻密に描き込まれた種々多様なデザインだけでなく、優れた画面の構図やバランス感覚に鍛錬の日々が結実されている。 主にケント紙とボールペンを使用した表現にこだわる彼は、気も遠くなる様な細かな線・点描だけでなく、幅を広げる為、別紙に描いて切り貼りする手法を試す等日々の探究を止むことはない。愛や生命のエネルギー、異世界や生死などの大きなテーマを、親しみやすくも意外性に富んだ芸術で表す。自らの人生を画面に凝縮し、鑑賞者と心で繋がる生命の宿るボールペン画を極める旅は続く。 アーティスト詳細はこちらから

Don't Miss

恋の形と色を巡って

 アーティストが取りあげるテーマが壮大であったとして、しかしその創作の源泉となるのは意外にも身近なものであったりする。特に恋と愛などはその際たるものだ。  世界的に名の知れたピカソの《泣く女》もモデルとなった愛人、ドラ・マールや、モネの「散歩、日傘をさす女性」も嫁のカミーユの存在無くして生まれなかった名画であろう。そもそも「恋人たち」という主題は、西洋美術史では伝統的なものであった。  本記事では「恋愛」「恋人たち」という普遍的テーマにアーティストたちがどんな現代的エッセンスを加えているのか。是非ともご覧いただきたい。 Imai Atsushi 作家の詳細はこちらから Tea Ercoles 作家の詳細はこちらから 中村成二/Seiji Nakamura 作家の詳細はこちらから Jose Cacho 作家の詳細はこちらから Delta N.A 作家の詳細はこちらから 奈倉珠生/Tamao Nagura 作家の詳細はこちらから

日本のアートを買うべき理由」を他のアジアのアートマーケットの統計と比較してみる

世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

小山登美夫ギャラリーからMAHO KUBOTAまで7月に行きたい展覧会

 新型コロナウイルス流行以前には考えられない生活を送る中、全世界の各業界で「ニューノーマル」に対応する動きが見られる。アートにおいても例外ではなく、業界で働く者から鑑賞者・コレクターも展覧会やアートフェアの中止、延期、行動制限など、コロナによる動乱によってアートとの関わり方に影響が様々に及ぼされたことであろう。  そんな昨今、来場者に対して細心の注意を払いつつ、国内屈指の有名ギャラリーらは先頭を切って新たな展覧会の開催を決めた。今回は、小山登美夫ギャラリー、MAHO KUBOTA GALLERY、ミヅマアートギャラリーの3ギャラリーをご紹介する。  小山登美夫ギャラリーでは7月10日(金〜8月8日(土)の期間、桑原正彦展「heavenly peach」が開催される。本展は作家にとって当ギャラリーにおける12回目の個展となり、新作も発表される。  桑原は1990年代の後半から一貫して、「いま住んでいる環境に対する人間の欲望による変化」に着目して、作品制作をしてきた。  進化、効率、大量生産、加工、洗浄、商品価値を求めるのに伴う破壊、汚染。60、70年代日本高度成長下の幼少期の思い出とともにある様々な変化を、奇妙な生物、ペットとしての動物、おもちゃ、風景、折込チラシの無名の女の子たちや建売住宅のイメージを通して作品にしている。  本展のタイトル「heavenly peach」は芳香剤のような、何かが終わった後に残っている微かな香りのイメージだと桑原は言う。現代への皮肉や空虚感はありつつも、決してつき放すわけではない。「いま住んでいる環境に対する人間の欲望による変化」に着目してきた彼の作品世界に触れることで、今後の「ニューノーマル」な世界に対する自己のあり方を再考してはどうだろうか。 開催概要展示名:「heavenly peach」会期:7月10日(金)〜8月8日(土)参加作家:桑原正彦会場: 小山登美夫ギャラリー六本木(​東京都港区六本木6丁目5−24 complex665)営業時間:11:00~19:00定休:火曜日 お問い合わせWeb:http://tomiokoyamagallery.com/メール:info@tomiokoyamagallery.comSNS:https://twitter.com/tomiokoyama MAHO KUBOTA GALLERYでは 7 月 1 日より村井祐希の個展「ゆらいむうき」を開催する。 これまで自身が発明した「オムライス絵具」の使用や「着る絵画」「動く絵画」などペインティングの身体性を独自解釈的に追求してきた村井祐希。本展では村井の鋼の実践のもとに安易な絵画論を超えた圧倒的な熱量の作品群が出現する。 絵画における「身体性」についてのステレオタイプな言説を超えた大作の「動く絵画」、そして「運動体をともなった絵画」など、規格外の作品によるインスタレーションが発表される今回の企画だが、既存の体制・構造について常にアナーキーに向きあい続けた村井の内面の一端が垣間見える展示となっている。 アートは型に押し込めることのできない境界線が曖昧なモノではありつつも、往々にしてアーティストは自己と世界との対話を繰り返しながら新たな表現を生み出してきた。鑑賞者は想像の主導権に揺らぎをもたらされながら、村井作品との深度のある遭遇を果たすことによって、新たな時代を生き切り開くアーティストの内面を理解するだろう。どうやら「ニューノーマル」な時代を生きるのにアートやアーティストから学ぶことは多そうだ。 開催概要展示名:「むらいゆうき」展会期:7月1日〜8月1日参加作家:村井裕希会場: MAHO KUBOTA GALLERY(​東京都渋谷区神宮前 2-4-7 1F)営業時間:12:00~19:00定休:月曜日、日曜日、祝日 お問い合わせWeb:http://www.mahokubota.com メール:info@mahokubota.com  アーティスト・加藤愛(愛☆まどんな)の個展が、6月24日から7月18日まで、東京・市ヶ谷のミヅマアートギャラリーで開催される。  本展は、6年前より制作が開始された「彼女の顔が思い出せない」シリーズを中心に構成されている。「目を閉じると自分がどんな顔をしていたか思い出せない」という、アイデンティティと密接な関係である顔との乖離をきっかけに、現在の顔をある種記録的に描写する。現在の「今顏」を残し、自分と対峙するために製作された同シリーズは代表作となった現在も、「彼女の顔が思い出せない」シリーズを加藤は変わらぬ姿勢で製作している。  本展のタイトルは、コロナ禍によって中止されたアートフェア東京に展示予定だった作品が行き場をなくして部屋の片隅に置かれている姿が、いまの情勢を表しているように感じ名付けられたという。作品と現在の生活状況とを見比べることによって、鑑賞者は感じ入るものがあるだろう。 開催概要展示名:「ひあたりのわるいへや」展会期:6月24日〜7月18日参加作家:加藤愛会場: ミヅマアートギャラリー(​東京都渋谷区神宮前 2-4-7 1F)営業時間:11:00~19:00定休:月曜日、日曜日、祝日 お問い合わせWeb:https://mizuma-art.co.jp/メール:gallery@mizuma-art.co.jp

Michael Toenges, “Paintings on Paper 1995-2019”

8月24日から10月12日までタグチファインアート主催。 タグチファインアートでは、この夏から秋にかけて、ドイツ人画家ミヒャエル・テンゲスの個展を開催いたします。テンゲスはレヴァークーゼンを拠点に活動する1952年ドイツ生まれの画家です。作品の一部はケルンのコロンバ美術館やスイスのアーラウ美術館に収蔵されています。ヨーロッパを中心に活動している彼の作品をアジアで見ることができるのは、今回の個展「紙に描かれた絵画 1995-2019」がきっかけです。本展の特徴は、展示されている作品がすべてダンボールに描かれた小品であること。ギャラリーによれば、これらの小さな作品は、他の大きなスケールの作品やキャンバスに描かれた絵画に比べて、あまり注目されていないとのことです。段ボールに描かれた小品は、これまで準備的で断片的な作品とされてきましたが、その小品は、彼の色との実験と葛藤の証拠ともいえるものであり、注目に値するものです。今回の展示では、1995年に制作された旧作から今回の展覧会のために準備された最新作までを紹介します。 テンゲスは、木の板やキャンバスに油絵の具を重ねることで、色の多様性を追求しています。テンゲスは、イメージや形にとらわれることなく、色の配置、コントラスト、構築に主眼を置いていると言います。絵画の基本的な要素とされる色彩や絵の具の物質性の探求に力を注いでいます。 テンゲスは通常、事前にスケッチを用意することはなく、参考となるイメージや計画を持たずに絵を描いています。テンゲスは、ある特定のイメージを持たずに自発的に絵を描きますが、同時にジョット、フラ・アンジェリコ、ボッティチェリ、ゴヤなど、歴史上の他の画家たちが使った色の構成を研究しています。絶え間ない研究から得た知識の蓄積が、躊躇することなく絵を描くことを可能にしているようです。 実際、彼の作品は無計画に作られているというだけで、一気に作られているように見えますが、技術的には、板に色をつけて、乾燥させて、それを何度も繰り返すというプロセスを経ています。このように、彼の絵は美術史における色の使い方の研究としても長い時間をかけて描かれていると考えられます。 彼の作品は高速と低速の両方の特徴を持っているので、私たちはまた、2種類の魅力を感じることができます。第一に、テンゲが躊躇なく絵を描く瞬間のように、私たちの注意を一気に惹きつける。二つ目は、その努力の過程と同じように、私たちを作品の前に長く滞在させてくれること。10月12日までタグチファインアートにて、ゆっくりと作品を楽しむことができます。 Michael Toenges, “Paintings on Paper 1995-2019” 開催日:2019年8月24日(土)~10月12日(土) 2019年8月24日(土)~10月12日(土)営業時間。午後1時~7時日曜・月曜・祝日は休館> 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。 

Feature Post

Quick Insight Vol.11無気力な少女たちを通して、現実における既存の意味をリセットしていく日本人アーティストmamoruが描く、物憂げな並行世界。

mamoruは無気力な少女たちを中心に、日常的でありながらどこかズレたシチュエーションをキッチュに描く。イメージを補足するように登場する言葉たちは、それ自体にメッセージ性はなく、無意義なフレーズもしくは画面を構成するための記号である。彼の作品に登場する無気力さや、無意義さなどは既存の価値を無視あるいは、リセットしようとしているようだ。 今回は、意味、価値、結果、理論などが求められる現代において、そうした社会的な有意義性からエスケープする彼の自由な視点とそのさきに広がるもう一つの世界に迫る。 制作を始めたきっかけはなんでしょうか。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、緊急事態宣言やロックダウンがあり、家にいる時間が多くなりました。その時に家にいてやる事がなくて、いっちょ久しぶりに絵でも描いてみるかという事で始めました。 もともと美大に通っていたので絵は描いていました。 そもそも、美大に入ったきっかけも、絵を描くのが好きだったからです。でも、もとは大学に行こうとはおもってなかったんですよ。高校受験も推薦で入ったし、初めは大学に行こうなんて考えもしなかった。でも、美大は国語、英語と実技だけでいけるって知って、その時社会にまだ出たくないという思もあって、美大を受験したんです。 美大を卒業してからはCM制作会社に入社しました。私が就活をしたのは3/11があった年だったので、就職には苦労しました。結局、夏頃動き始めて3年間働き、その後、芸能事務所のマネージャーに転職して、今は、大阪で結婚指輪を作っています。 イラストを描き始めてからは、いくつかイラスト制作の依頼もあり、それらを断らずに制作してきた結果、法人の依頼を受けて、仕事が広がるきっかけにもなりました。そういった中で、海外からのお問い合わせもあって、TRiCERAに参加しました。 物作りをしたり、絵を描いたり、何かを生み出すというのが好きだからというのもあるけど、 承認欲求が高いように感じていて、インスタをやってるのですが、そこにイラストを投稿すると、いいねとかをもらえるんですね。それはわかりやすく、他人からいい評価をもらえてるという実感につながるんです。 現在の制作のテーマについて教えてください。 女の子を描いていくという事がテーマになっています。ぼーっとしていて、なんとなくクスっとしてしまうような女の子。ただ、表情を描く事が苦手だし、伝えたい事や強いメッセージが自分の中にあるわけでもないんですよね。だから、感情を強く表現するといういうよりはあえて無表情にしてる。見た人の想像をかきたてるように。 《dechi, H 30cm x W 30cm x D 3.7cm, Canvas Print, 2021》 作品詳細はこちら かわいい女性というアイコニックなモチーフについて、なぜ「無気力」な女性を描くのでしょうか。 さっきも少し話しましたが、大元は描けないからですね。笑顔を描くのは難しく感じます。本当は笑顔はしわがよったりするけれども、イラストでリアルに表現をしようとすると、うまく描けない。ちょっと気持ちわるくなったりするんです。だから、表情やそういったものがないということを一つの方向性としてやっていくことにしました。 《Floating, H 30cm x W 30cm x D 3.7cm, Canvas Print, 2021》 作品詳細はこちら 日常的な設定ながら、少し視点をずらしたような設定を描いているものが多いように思いますが、シーンの設定についてこだわりや意図があるでしょうか。 やっぱり、見てる人が面白いなと思うことが大事だと考えています。そのために、色々な資料を集めながらやっています。ポーズとか服装とか、髪型とか。そういったものを見ている中で、このイメージにマヨネーズを足したらおもしろいかもとか、いろんなアイデアを出していくんです。 あとは、インスタグラムでハッシュタグを調べたりもしますし、それを利用したりもします。誰も使ってないハッシュタグを使ったり、フォロワーさんが違うハッシュタグをコメントしてくれたりすることもあります。 例えば、《mayonnaise forever》(2021)という作品は、「ずっと真夜中でいいのに。」というアーティストがいるのですが、それを略して「ずとまよ」というらしいんです。 こうしたパロディー的なところが僕の作品にはあって、インスタに投稿した《The...

QUICK INSIGHT Vol.13 Norris Yimの描く人間社会の苦痛と美しさの共存

現在に生きる人間の複雑な内面を表象するような抽象的なポートレートを描くNorris Yim。現代社会のディストピア的な側面に寄り添いながら制作を続ける作家が見つめる現代を生きる人々の苦悩と美しさとは。  制作を始めたきっかけはなんでしょうか。 自己忍耐のための修練の一つとして、大学の環境・インテリアデザインコースの1年に在籍していた時に絵を描き始めました。在学中に学習と研究を通して、視野が広がっていくことで、いろんな絵画を描き、自身のスタイルを研究しました。そして、何かが人生よりも長く残るようにと、残りの人生でも絵を描き続けることを決意しました。 現在の制作のテーマについて教えてください。 資本主義と偽善的な生活に迎合する上で、人々は生きていくための本来の外見を捨て、新しい顔が古い顔に取って代わるようになったような状態だと思います。たとえ厚化粧をしても、偽善と生への恐れから、そうした新しい自分でさえも、さらに新しい自分になるために忘れてしまうのです、こうした感覚をもとに、社会の哀れさや悲しさを表現する抽象的なポートレートのシリーズを生み出しました。 それらの抽象的な顔料は、作品の基礎を形成する私のダークサイドな部分と気分を表しています。 《Destruction of Dark Chaotic》2021 W 60 x H 60 x D 1.6 cm 作品販売ページはこちら 3. 影響を受けたもの、自身にとってターニングポイントになっていると思うものはなんでしょうか。 私のターニングポイントはウィレム・デ・クーニングの作品や技法に出会ったことです。 巨匠のドキュメンタリーを研究しているうちに、ウィレム・デ・クーニングの作品に出会いました。彼の絵画技術から「力強さ」「軽率さ」「自由」を学びました。 私は、それらを意図的にやるのではなく、自由な方法で抽象的なことをしてみたいと思っています。その結果として、絵を描く過程で私は下書きなしで絵を描くようにしていますし、描くことができます。 《Nameless 3321》(2021) W 70 x H 90 x D 1.8 cm 作品販売ページはこちら 人物の抽象化にはどういった意味があるのでしょうか。またどういったプロセスで抽象化を行いますか? カラーパレットは、美しさと痛みの間のアイロニーを示しています。つまり、私たちが抱える痛みとストレスを意味します。 記憶喪失、混乱、アンバランスな生活。見ているのに見えないとき。想像力のない思考、魂のない生活。マルチタスクになればなるほど、特に顔や内面の記憶においては、輪郭がはっきりしていても、細部がはっきりしなくなります。この絵は、忘れていく過程や手の届かないところにある思考を表しています。 "目の前に顔があるのに、それが何なのかピンとこない" そう言った感覚を表現しています。 抽象化のプロセスについて、最初は、その場で選んだ色を流し込み、パレットナイフでテクスチャーを作るのが好きです。この工程における、遊び心や自由さは私に満足感をもたらします。その後は、ミキシングパレットを使ってテクスチャーを重ね、ポートレートの奥深さを表現していきます。 最終的にケーキチューブを使って独特のテクスチャーを作り、耳や首などの細部のシャープさを強調していきます。 《Nameless -...

ミッドセンチュリーな部屋をつくる、6つのアート作品

1.ミッドセンチュリーとは何か 直接的に訳すと「世紀の半ば」という意味があります。ミッドセンチュリーな部屋とは、1950~1960年代の欧米をイメージしたインテリアのことです。昔から愛されているテーマであり、レトロやノスタルジックのような印象を与えます。モダンさも兼ね備えており、ヴィンテージなインテリアや、当時はそれまでに無かった「新しい素材」として人気だったプラスチックなどの椅子を部屋に取り入れることが多いです。 2.ミッドセンチュリーはアートが不可欠 ミッドセンチュリーな部屋では、壁を飾ることが必要不可欠です。シンプルなデザインや幾何学模様、パブリックパネル、ノスタルジックな印象を与えてくれるアート作品との相性がとても良いという特徴があります。アート作品を飾るうえでレトロな雰囲気を演出するために「木製の額に入れる」という裏技もあります。複数個購入して並べて飾りたいという場合は、同じテイストの作品で統一感を出すのがオススメです。 3.ミッドセンチュリーな部屋をつくる6つのアート作品 3-1.「Space Cloud - 8th Planet」 夕焼けの空でしょうか、もうすぐ夜になってしまう空の移り変わりの色彩が美しく、非常にノスタルジックな雰囲気にさせてくれるアート作品です。自然というモチーフなこともあり、空を覆っている雲のオレンジ色はビンテージさ溢れる木のインテリアによく馴染みます。デジタルプリントによる作品のため、雲などのディテールが細かく映されており、シンプルな部屋の中でも埋もれず目を惹く存在感になります。 3-2.「Lover」 全体的にはベタ塗りでシンプルな構成ですが、顔料を用いており、女性が着ているスカートや隣の植物のような模様の部分が、複雑なモザイク模様になっている面白い作品です。背景にグランジテクスチャのようなかすれた表現があるため、真新しさを感じさせず、レトロな雰囲気にピッタリです。ミッドセンチュリーな空間では、ポスターのようなシンプルなデザインとの親和性が高いため、部屋に導入しても違和感を感じさせません。女性が両目を閉じて凛と立っている様子や落ち着いた配色からは、大人っぽいモダンなテイストも感じ取れます。 3-3.A.I. 美しい幾何学模様が画面いっぱいに描かれているのが特徴的なアート作品です。幾何学模様はシンプルですが、簡単にモダンな空間を演出してくれます。全体的に緑色で描かれており、木のインテリアや、濃いブラウンが多くなりがちなミッドセンチュリーな部屋とも相性が良いです。緑色を微妙に変化させており、その効果でキラキラしているように見えるアクリルの表現もミッドセンチュリーの1つの要素である「新しい素材」の印象を与えます。部屋に存在している質感を偏らせないことで、部屋のインテリアのクオリティも上がります。 3-4.「肖像画3号」 肖像画ですが民族的な独特のタッチで描かれており、マチエールと呼ばれる絵の具の盛り上げを利用した技法が用いられています。民族的な要素は温かく、ヴィンテージな印象を与えやすいため、ミッドセンチュリーの空間をつくるのによく用いられています。顔が大きく描かれたアート作品は部屋に導入するのが難しい一面がありますが、この作品では遠くを見つめた柔らかい表情で描かれているので、威圧感を与えません。それでも気になるという場合は、周りに小さい作品を飾ることで顔の印象を下げることができます。 3-5.「New York City」 ニューヨークのビルを直線を上手く用いながらデザイン的に描いており、ビルをグレーなどの決まりきった色で表すのではなく、カラフルな色を使って表現しているところが珍しい作品です。線だけで見ると幾何学模様のように見えますが、ビルには月や空、向かいにある建物などが反射して写っている様子がユニークに描かれています。欧米であるニューヨークの街並みと、シンプルなデザインのアート作品はミッドセンチュリーとの相性が非常に良いです。 3-6.「Festival 3」 画面いっぱいの鮮やかな赤と黄色がインパクトを与えているアート作品です。「様々な生命のかけらが世界を構成している様子」を描いたという、作者であるHANHYONIのパワフルな感性が発揮されています。部屋を落ち着いたダークトーンで統一することが多いミッドセンチュリー。そこに差し色としてパワフルで鮮やかな印象を与えるアート作品を飾ることで視点を集め、部屋の印象を明るく変えてくれます。2つで1セットの作品になっているため、並べてみたりあえてアシンメトリーにしてみるなど、飾り方も楽しめるでしょう。 おわりに ミッドセンチュリーな部屋は一見難しそうに思えるかもしれませんが、アート作品を壁に飾ることで簡単につくることができます。モダンさも兼ね備えており、性別を問わず長く愛されているテーマです。是非、ヴィンテージ感溢れる温かい空間にアート作品を取り入れてみてください。

3分で学ぶAlexandra Dobreikinの魅力

必見アーティストの魅力をギュッと3分でお届け   空間のエネルギーを取り込む現代アーティスト「 Alexandra Dobreikin 」の魅力をクイックにお届け。   現在TRiCERA ARTでは、世界126カ国以上から、4,000人を超えるアーティストと約52,000点のアート作品を掲載中です。その中から、今見逃せないアーティストをキュレーターがご紹介いたします。     作家の特徴 新たな発見と、多彩な技術の融合 画材や手法への熱心な探究心、研究と実践を重ねている 空・海、自然現象などからインスピレーションを受けている インテリアデザインやテキスタイルデザインにも精通       Pink - Gold Geode Art, Marble Art. Gold, White, geode wall art, Resin art, Resin painting, Modern art W 30.00cm x...

Editor's Choice