日曜日, 2月 28, 2021
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風景の分解と再統合-加藤公佑インタビュー-


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「風景の視覚情報を一度分解し、幾何学的な図形に変換する」という加藤公佑。「絵画が生成されるストーリーに興味がある」と語る本人の制作と作品について話を聞いた。

まずは、作品についてお伺いできますか?
-基本的に風景をモチーフにしています。ただ風景画を描くのではなくて、そこから視覚情報を分解して、一度幾何学的な模様に置き換えるというプロセスを踏んだ作品を制作しています。参考にしているのは、ローラ・オーウェンスなどですね。風景を描き始めたきっかけは、些細と言うか、まず「大きい作品をつくりたい」と思ったから。そうなれば対象は大きい方が良いし、大きい対象といえば、この世界全体というか、風景かなと。加えて、風景は情報量が多いし、再統合にあたっての解体のしやすさがある。


snowscape, 194×162cm

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制作を始めた頃から、風景画を描いていた?
-いえ、最初は写実絵画とミニマリズムを組み合わせた作風でした。アイディアとしては、実は安直で(笑)。写実絵画は売れているし、そこに日本的な「詫び・寂び」を構成的に入れた作品であれば売れるだろうと。でも色々と模索する中で「どうせやるんなら、自分の好きな方向を突き詰めよう」と真剣に現代アートの歴史やシーンを学び始めました。都内の美術館を巡ることはもちろん、美術書を読み、知識を含めていった感じでした。ベタな話ですが、西欧のアートシーンの文脈からは影響を受けたと思いますね。今の風景画を描き始めたのは、ちょうど2019年辺りからです。

制作にあたって、重要なのはアイディアや自分の感性ですか? それとも、アートの文脈?
-どちらかと言うと伝統を意識しますね。温故知新と言うか、やはり歴史を知らないと新しいものは生み出せないと思うので。古いものを知ってこそ、新しい絵画が描けると思う。自分は画家でありたいし、そうである以上、新しい絵画を創造すると言う、そのコンテキストには乗っていきたいですね。


Awkward Tree, 91×117cm

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新しさについて、加藤さんの見解は何でしょう?
-「新しさ」とは別の論点かもしれませんが、個人的に、今はキュビスムが面白いと思っていて。あの運動は抽象性が高いですが、私が思うに、キュビスムの本質的な狙いはイメージの再統合にあると思う。その意味では、私がやっている「視覚情報の解体と再統合」と言う絵画の方法論と似ているところがあるのかなと。一回、イメージを崩壊させる。その手法を、また別のイメージで行っているのが自分の絵画かもしれない。

話は変わりますが、そもそもアーティストを志した理由はなんですか?
-絵を描くのは好きでしたね。でも得意意識はなかった。特にものすごく褒められた経験もないし。きっかけとしては、多分、高校の美術教師の影響が大きいかもしれないですね。その人はいろいろな美術の本を見せてくれて、その中にジャクソン・ポロックなどもあったのですけど、それに感動した。「絵画ってそもそも何か?」と言う、疑問とか、好奇心に近い感情が原点にあると思う。


Nojima, 91×91cm

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今後の活動は、どうされていく考えでしょうか?
-2019年から風景画のシリーズを始めて、最近になって改めて考えるのは、自分の関心は絵画が生成されるプロセスに集中しているなということ。反面、ストーリーを見せるメディアとしての絵画についてはどうなのかなと。絵画とは何か、その歴史まで遡って、絵画という存在が生まれるプロセスというストーリーを見せることができる作品を描いていきたいし、そちらの方に興味がありますね。あとは、最も大事だと思うのは、同時代性。現代は検索の時代。S N Sなどプライベートの共有が当たり前のこの時代に、そこからイメージを引っ張って来て自分の絵画に落とし込めたら面白いかな、と。今、この時代だからこそ描ける新し絵画を突き詰めていきたいです。

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Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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指先と紙、そしてアーティスト。-ペーパーアート・ストーリー part 2-

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この4月27日、イギリスで新しい現代アートの公募賞が始まった。名前は「Sequested Prize(Sequestedは隔離されたの意味)」で、新型コロナウイルス(COVID-19)の災禍を被っている現代社会を意識したネーミングになっている。 アーティストのW. K. Lyhne、アートキュレーター兼アドバイザーのFru Tholstrupを発起人とするこの賞は、新型コロナウイルスに苛まれる現状に抗うプラットフォームの創生を意図し、既存のアーティスト及び新人アーティストのための公募として創設された。応募規定は以下のようになる。 ・現役の美大生あるいは過去20年間にアート系の学位を取得・卒業した者 ・作品は自画像に限定する ・サイズは縦横1.5m以内 ・締切は2020年6月30日 ・作品提出はオンライン 受賞者は最大で15名に絞られ、受賞作品は1週間の会期でトリスタン・ホア・ギャラリーにて展示・販売される。売上の10%は公式慈善団体への寄付に、10%は展覧会の費用に充当される予定だ。 「アート市場は苦しんでいるが、同時に、アーティストは自己反省の機会を育むことができる」とアナウンスする創設者。この取り組みが果たして業界のモチベーション維持や市場沈滞にコミットするかどうか、それは定点観測してみなければ分からない。だが現状では、少なくとも現代アートの市場や業界を支える立場にあるプレイヤーは、改善を求めて行動しなくてはならないのだ。 また「誰にでも開かれた賞」を公言しているこのコンペだが、参加資格は十八歳以上及び英国在住の者に限られる。何事も「とは言え」はつきものということか。 段落 参照元:https://www.thesequestedprize.com/

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肖像画に写る社会の歪み

個人的かつ感情的に捉えるすゝめ 美術館でコレクションを散策しているとしよう。あなたは良くある肖像画コーナーをじっくり見るタイプ、それとも筆者のように早足に通過するタイプだろうか。このエリアは、私にはどうも居心地が悪くて仕方ない。なぜなら壁一面のポートレートは、無邪気な悪さの故に何時間も叱られていた校長室の壁を思い出させるのだ。それでも中には、苦い思い出に負けずに私を魅了してやまない作品らも決まってあり、それらのモデルや作家の時代を超えた語り口、無視できぬ存在感についつい足を止めてしまう。 庶民の肖像にことさら興味深いドラマを感じるのは私だけでは無いようだ。例えば、オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールの傑作「真珠の耳飾りの少女」は、トレイシー・シュヴァリエに500万部以上売り上げ、映画化までされた同名小説を書かせるきっかけとなった。マウント・ラシュモアに彫られたアメリカ大統領の顔は精悍だが近付き難いように、どんなに美しく描かれていても、典型的な特権階級の面々に魅了されることはやや稀でなかろうか。 良いポートレートはそのモデルと画家そして鑑賞者との不思議な三角関係に誘い込む力があって然るべき。我々もそこに愛着を感じることを恐れる必要はない。シュヴァリエの執筆も長年越しの関係があってこそだ。TRiCERAに掲載されている今日の肖像画の中には、庶民、特に歪んだ社会的次元の住民が描かれているものがある。その歪んだ次元に飛び込む準備は良いだろうか。 「シートベルトをお締めください。大変プライベートで感情的なフライトとなるでしょう。」 「作品が叫び声となる事を願う」- James Earley イギリス出身のジェームズ・アーリーは、今最も期待されているハイパーリアリズムの画家であり、ロンドン・ビエンナーレ2019では一等賞を受賞している。 彼は 「ホームレスやメンタルヘルス、戦争などの問題への意識を高めるため」に、問題を抱えた人物を表現することが多いと言う。意外にも、彼の型破りなモデル達は悲哀や疲弊というネガティブさよりも遥かに、人情味や平穏と言ったポジティブな印象を湛える。 いわゆる 「一般人 」に届く叫びは、この 「不幸な彼ら」と我々の間に何ら違いがないということだ。隠したい人生の悩みは誰にでもある。 だが、彼らの場合はそれを覆う社会的な衣装を持たないせいで露呈しているだけだ。 視線を集めるこの男性の足裏は、まさに我々が必死に覆い隠している人生の苦労や汚れを象徴する様で、それを露わにされた気まずさを鑑賞者に呼び起こす。 アーリーの絵に感じるこの気まずい感覚は私も身に覚えがあり、それが強い愛着を抱く理由でもある。2015年に、世界で最も住みよい街として知られるカナダのバンクーバーに越して来た時、通りに飽和状態のホームレスの姿は私には衝撃的だった。なんせ、観光客で日夜賑わう通りのわずか1ブロック先は最大のホームレス街なのだから。彼らに囲まれて暮らし、直接的な害を被ることはなかったが、間接的ダメージは大きかった。彼らの中には同年代の若い男女も多く、その横を通り過ぎる度に胸が痛んで止まないのである。 ささやかな貯金とアルバイトの給料から家賃、食費、高額な授業料を支払い、私のダウンタウンでの生活は日に日に苦しくなっていく。かろうじて家計をやりくりしていたそんな時、同い年のカナディアンの友人が秘密の過去を教えてくれた。彼女は、私と同じ境遇にいたのだが転落し、数ヶ月間ホームレスとなりその後シェルターに滞在した経験があると言うのだ。傍目にはキレイで陽気な彼女も、それを偽装の下に見事に隠していたのである。その日を境にホームレスは他人の問題ではなくなった。下手すれば自分も…この悟りと恐怖は原動力ともなったが、最終的にはダウンタウンを出るきっかけとなった。 悲惨な現実から逃避して何年か経ったある日、モントリオールから来たジャン・マークというホームレスの男性から、あの店でこれを買ってきてくれと頼まれた。いつもは小銭をせびられるだけなのだが、彼は人当たりがよく年齢も同じくらいだったので、つい彼の頼みを引き受けた。その後一緒に数ブロック歩く間、彼は自分の身の上話を嬉しそうに教えてくれた。数日後の夜、通りで彼に再会し少しおしゃべりしたりもした。彼のために大した援助はできなかったが、今でもたまに元気にしているか気にかける日がある。 そんな私は、アーリーの親密なポートレートの中に、ジャン・マークの照れ笑いを見かけた気がして涙を流してしまったのだ。この作家には、共感と思いやりに満ちた心だけでなく、彼らの悲しみを共有し、それを耐えうる強さがあるに違いないと察する。この絵に見られるような本物の笑顔を引き出せるのは慈善事業ではなく、彼の偽りのない人となりなのだ。アーリーは、現実には瞬間的な喜びを芸術として永久化し、見過ごされている人生に光を灯す。 社会の歪みを反映したポートレートはこれだけでない。 若い世代では、「(他人と同じく)ユニークであれ」というプレッシャーがますます高まる。生来内在する個性の尊さと、社会的に支持された人気ある個性との狭間で、彼らは自己を見つけるのに格闘しているのだ。ラファ・マタは、この矛盾を芸術と言葉で的確に指摘している。 曾超は、現代中国社会におけるイデオロギーの対立を人物肖像として描く。一方のグループは中国社会主義の影響を受け、もう一方は中国の古代哲学である道教の影響があると言う。彼はこの人物に社会主義の象徴的な服装を纏わせ、頭を彼の道教由来のモチーフ「仮山石」で置き換える。油絵の具を使ったダイナミックな筆致のコントラストには驚嘆だ。 鏡に映る像は自分自身なのか、それとも他人から見た像なのか。見えるものの不確かさを問うことが、清水伶のテーマである。彼は、「私たちは他者が示すイメージによって自分自身を理解し、定義している。よって他者は私たちの鏡である」と言う。この自画像は、多様な社会の鏡に見られる様々な自分の姿をモザイクとして人物化したものなのだ。 肖像画が表現する所は、例えば風景画のように理解し易いものとは違うかも知れない。しかし、その曖昧さの故に、行間を読む自由な鑑賞方法もある。鑑賞者として何を感じるのか。画家はモデルをどのように解釈したのか。そして、モデルの目には何が映っているのか。個人的、感情的な見解からポートレートを楽しむのも良い。  私の同僚は、肖像画についての別の記事を書いている。「人はなぜ顔を描くのか?」 彼は他にも多くの作品を技術的な視点より分析する。ご興味のある方々については是非ArtClipのニュースレターの購読をお忘れなく。

抑圧され、薄れゆく自己を見つめる。齊藤拓未インタビュー

公園の遊具、部屋の片隅、道端など日常のさりげない景色を虚心としたタッチで描いている齊藤拓未。「大人になるにつれ抑圧される自分がいる」と語る彼女は、自身の幼い頃の感性を呼び起こすような風景やオブジェクト、そしてそこに紐づく幼少期の自らの感情を少女の形姿に変換し、キャンバスに描き出す。今回はこれまでの経歴から自らの情緒性をベースにする齊藤の制作背景について話を聞いた。 齊藤さんは日常のスナップのような風景と少女を組み合わせたペインティングをメインに発表していますが、絵画の中ではそれぞれがどう関係しているのか、まずは作品の背景から伺ってもいいですか? 私の絵には女の子が登場するものとそうでないものがあるんですけど、女の子は私自身そのままというより、昔の自分につながる感情のような存在です。風景の方は幼少期のことを彷彿とさせるものが多いです。普段から景色とかものとか、どこか昔のことを連想させる何か見かけた時にはメモをしたり、カメラで撮影したりするのですが、それが作品のベースになっていますね。 WAITING ROOM, 2020, 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 齊藤拓未の作品はこちらから つまり少女はかつての齊藤さん自身のメタファーのように登場している。風景もかつてのことを連想させる役割をになっていますが、どちらも昔のことがキーポイントになっているんですね。  大人になるにつれて自分が抑圧されていると感じていて。それにつれて昔の自分なら持っていたような何かが流れていってしまうというか、どんどん自分がなくなっていく感覚がある。とても嫌な感覚なんですけど、それは。 でも風景とか、あとはモノですよね、そういう存在が昔の自分を思い出させてくれて。自転車を漕いでいる時に香ってきた落ち葉とか、雨が上がったあとの匂いとか、そういう日常的なものを通して昔のことを思い出せることがあるんです。「あ、これだ」というか、言葉ではうまく言えないんですけど、記憶が蘇ってくる感触がある。「あの時と同じだな」って。 その抑圧というのは人付き合いによって自分が押し止められるということですか。 ニュアンスは近い…かもしれないです。だんだんと集団でいることが嫌になっていくんですけど、でもそれに合わせてしまう自分がいる。「一緒に帰ろうね」とか「どこそこで待ち合わせね」とか、周りの友達がそう言ってくれることさえ少し窮屈だった。悪気があるとかはもちろん考えてないんですけど。 私にとって中高は空白期間で、思い出せる出来事がほとんどないんですよね。本当に、どうしてと思うくらい何もない。大人になるにつれて多くなると思うんですけど、そういう人付き合いとか、色んな制約とか、我慢しなくちゃならないこととか。でもそれに合わせているとだんだんと自分の中で何かが薄れていく感じがしていて、それにすごく危機感がある。「ああ、このまま自分が無くなっちゃうのかな」と。 friend, 2020, 45.5×38cm, oil on canvas そうすると作品はある意味で記録に近いようでもあるし、単純な風景や少女の描写ではない。 残しておきたいとしたら風景とか、目に見えてる何かというよりは感情の方ですね。女の子を描いていない景色も、あとはモノとかも、全て昔の自分につながる働きをしていて、だから人は描いていないけど、でも痕跡として残っているようには見せたいと思ってます。 だから「風景と女の子の絵ね」と思われがちな気がしますが、でも状況を描きたいわけではないんです。 経歴の話に少し移ると、齊藤さんは日本画を学ばれてますね。もともと日本画が志望だったんですか?  というより、最初はイラストの方でした。中高と漫画研究会に所属していたのですけれど、でも漫画というよりはずっとイラストを描いていました。その頃からなんとなく女の子の絵とかは描いていましたけど、当時は本当にイラストで。  でも周りの子みたいにものすごい詳しいとかでもなかったし、好きなイラストレーターの人の挿絵がある本は読んだりしてたけど、でもどっぷりという感じでもなくて。だから中途半端。  高校一年生の頃からぼんやりと美術系の大学に進みたいと考えていて、イラストを描いていたせいもあると思うんですけど、特に平面的な表現ができるなと思った日本画を選びました。どちらかというと画壇系の盛り盛りな感じよりはフラットな表現が好きだったし、受験の頃から立体的に描くのがすごく苦手で。デッサンとかも本当に苦手なんですよ。  現在ではアクリルや油彩を使っていますが、マテリアルの扱いに関しては文法が大きく異なると思うんですが、違和感はなく?  学部の頃は日本画の画材を使ってたんですけど、でも岩絵具を使っていると「なぜ使うのか?」のような意味づけを求められてしまう。あとは学部の頃から女の子を描いていたんですけど、日本画材でそれをすると美人画の文脈で受け取られてしまうんじゃないか、と。そちらに進みたいわけではなかったし、自分の描きたいものを考えるとアクリルでも問題なくできた。だから画材から描き方までけっこう変えましたね。 昔は髪とか顔とか、もっとディティールを描き込んでいたんですけど、もっと単純化させ、平面感を強める方向にシフトしました。普段描いていたドローイングがそれに近かくて、ノートにちょこちょこと描いていたものをタブローとして描いてみようと。結果的にそっちの方が自分にとって苦じゃなかったんですよね。 ただルールというか、自分で制限はもうけているとは思います。もうできないことはあまりしないようにしよう、と思っていて。色合いも薄くして、場所によっては色鉛筆を重ねてみたり、曖昧になってしまうので特定の方向に強めるような感じです。 忘れる, 2020, 31.8×41cm, oil on canvas  現在の風景と少女の組み合わせを画面に持ち込んだのはいつ頃から?  2年前くらいです。学部を出た頃かな。その頃は写真で切り取った風景とかを入れたり、少し画面がごちゃごちゃとしていたんですけど、それも幼少期という時間に設定しようと決めて。  よく分からない感じというか、より複雑にはしたいと思ってますね。ただでさえ平坦なタイプなのでペラペラになってしまいがちになる。もっと分かりにくく、もっと複雑に、とは気をつけているかな。その方が何回も見たくなると思うんです。でも最近はそのまま描きすぎているかな、とも。  作品と自分自身のつながりが強いことに抵抗はありますか?  個人的な作品になっているということがですか? それは前に少し悩んでいて、というか、今も時々は考えるんですが…。 あまりにも描いていることが個人的過ぎるのかな、と。ただマイクロポップの作家さんのように、あとはナビ派の人たちとか、いつの時代にも個人的なこととか、身の回りのことを描く人たちはいるのかなとも考えていて。自分の描きたい作品とか、描いていて無理がない作品について考えるとそっちなんじゃないか、と。あとは納得の問題だとは思うんですけど。 個人的なことを描いている作家は好きですか?  好きですね。個人的というか、さりげない、身の回りのものを使った作品と日常の断片を描いている方々は好きです。この間ワタリウムでやっていた青木さんとか、西村有さんとか、古いところでいうとドニ、ヴュイヤールとか…。  モランディも好きです。いつも画集は近くに置いてます。あとはナビ派の人たちはやっぱり好きですね。テーマとかモチーフの点ですごく参考になる。それから画家ではないんですけど、青山静男さん。子供を描き始めた時に一番影響を受けたし、今でも見失いそうになる時によく見ています。  イラストをずっと描いてきたということですが、イラストの遺伝子は自分の絵画に感じますか?  …どうだろう。でも、確かに言われる時はありますね。「イラストだね」とか、そこまで露骨なわけじゃないですけど、でも言われます。  ただ最近はどっちもかな、とは思います。イラストとも言われるし、絵画とも言われる。確かにイラストはずっと描いてたので、その感じがあっても不思議ではないと思う。好きなイラストレーターの人とかもいますし。だから最近は中間でいいかなって考えていて。 イラストと絵画の中間を。 どっちの要素もあっていいんじゃないかって。どっちの要素もあるんなら、それはそれで本当なんだろうし。 描いている少女には表情が描かれていませんね。  描いている時の自分は冷静なんです。だから描かれている人物には表情がない。そこには距離があるんですよね。前に絵を見てくれた人から「齊藤さん自身は諦めている感じだね」と言われて、それはそうかもなと思いました。女の子というか、子供が登場している理由はさっきも話したと思うんですけど、でも子供を描いている理由自体はコンプレックスというか…、どこか憧れに近いのかもしれないです。子供であることに対しての憧れ。 やはり幼少期の自分自身や現在の自分を取り巻く環境とか、あり方に対する強く関係している。  やっぱり今の自分と小学生の頃の自分が地続きでない感覚がどこかにあって。小学生の頃の写真とか、先生からのコメントとか見ているとずっと明るいんですよね。「ああ、そうだったんだ」って。環境も変わったし、自分が変わってきて、昔から大人しい人もいると思うんですけど、私は変わったんだなって。 午後の公園, 2020, 33.3×33.3cm,...

A.C.D – 色のメタモルフォーゼ

A.C.Dは、色や形を用いて絵画に視覚的な物語性を持たせることを探求しています。2019年よりアーティストとしての活動を開始し、アメリカでの展覧会や東京でのシンワオークションに参加するなど精力的な活動を展開しています。 フランス生まれ、現在はアメリカ在住。カリフォルニア大学デービス校で英文学の学士号を取得して卒業後、ニューヨークでファッションデザインを学び始める。ファッションデザインだけでなく、Cal Artsではタイポグラフィー、ロゴの歴史、文字などを学ぶ。蝶々を見たことがきっかけで、絵を描くことに興味を持つようになり、正式にアートの世界に足を踏み入れることになる。 A.C.D.の作品の特徴は、色ときれいな線のストロークです。彼女自身、四色の視覚を持っているので、他の人は一色しか見えないのに、オンバー、モーヴ、異なる色がそれぞれの色に融合して見えるのです。色相と彩度をコントロールするために、彼女は同時に色を塗り、混ぜています。彼女のユニークなビジョンが、彼女の絵画に使われている美しい色を生み出しています。 See More Of Artworks By A.C.D

Quick Insight vol.1 – yuta okuda-

日本や台湾などアジアのアートシーンを舞台に活動しているyuta okudaは、生き物や花を通し、自然の摂理にある美しさの描き出し、その姿を肯定しようと試みる。『TAKEO KIKUCHI』のファッションデザイナーからアーティストへ転身した彼の活動とその背景について話を聞いた。 まずは作品について簡単にご説明願えますか?作品は無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちを思い浮かべ、それを意識レベルで般若やマリリンや狛犬などにしていきます。 無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生き物なんですが、食物連鎖をコンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。 wisdom 743×607, 2019, pigment ink /Kent Paper 作品はこちらから もともとはファッションデザイナーだったそうですが、アーティストになったきっかけは?きっとアーティストになりたい気持ちが強かったからだと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要なんです。でも、それがストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。 そうして、すぐに絵を描き始めたのですか?いいえ、最初は自宅でひたすら描いているだけでした。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。 Purple Rose (Pink x Purple) 33.3×24.2cm, アクリル・顔料インク・キャンバス 作品はこちら プロとしてスタートしたきっかけは何でしたか?認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブが丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーではそんなこと絶対に有り得ない。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸です。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。でもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。 作品は自己投影的と仰っていましたね。当初から同じスタンスですか?最初の頃は「ひたすら描く」に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思って。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」。 ファッションとは正反対です。そっちではコンセプトメークが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。 Abstract Bouquet (Navy x Purple) 33.3×24.2cm, アクリル・顔料インク・キャンバス 作品はこちら ご自身の経験をベースにしているとインプットが大変じゃありませんか?最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年だと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しくつくっていく。 最近では墨を使用した作品も増えました。その変化は意図的なものですか?私の作品は、やはり、私自身と連動しているから変わりはするんです。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。さっきも話に出ましたけど、私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。一方で素材については常にアップデートを心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。 Abstract Single Flower (Sax x...