月曜日, 3月 8, 2021
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それぞれ異なる距離からの異なる視線

“Gaze and Distance” at KOTARO NUKAGA


The Installation View of “Gaze and Distance” (2019) ©KOTARO NUKAGA, Courtesy of KOTARO NUKAGA

パブロ・ピカソやポール・セザンヌなどの歴史的なアーティストと現代のアーティストの展覧会を見たことがあるだろうか。東京のギャラリー「KOTARO NUKAGA」では今月、そのような展覧会を開催したばかりだ。同ギャラリーでは、20世紀初頭から現在までのヌード絵画を中心としたグループ展「Gaze and Distance」を開催した。テーマが面白かっただけに、参加作家のリストも面白かった。

ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、エゴン・シーレなどおなじみの作家をはじめ、トム・ヴェッセルマン、キース・ヘリング、マレーヌ・デュマなど20世紀を代表する作家が参加していた。また、日本のアーティストでは、藤田嗣治、斎藤誠、井田幸昌の3人がリストアップされていました。日本の新鋭作家の一人である井田幸正がまだ29歳であることを知れば、この展覧会のリストがいかに新鮮なものであったかがわかるだろう。今回の展覧会では、「裸体絵画」をテーマに、現代美術と歴史的な作品の両方を美術史の文脈で楽しむことができた。

ギャラリーによれば、ヌード絵画の歴史を辿ることは、美術の進化である美術史を振り返ることと同じだという。多様な身体描写は、20世紀のアカデミズムの終焉を経て、現代美術の始まりとして発展してきました。それはセザンヌから始まる。セザンヌのヌード画の作風は、当時の他の画家とは一線を画していた。彼は作品全体の構成のために、意図的に身体を絵画的要素の一つとして使用していた。三角形の構造を利用して構図を安定させ、人物と風景を調和させた「水浴客」シリーズは有名であり、現代美術の父と呼ばれるようになった。

身体描写の幅を広げた後、フォービズム、キュビスム、未来派、ダダなど様々な芸術運動が生まれました。例えば、パブロ・ピカソがセザンヌの浴場のシリーズに触発されて『アヴィニョンの若い女性たち』を制作したことは広く知られていますが、この作品では、セザンヌが描いた浴場のシリーズに触発されて『アヴィニョンの若い女性たち』を制作しました。


The Installation View of “Gaze and Distance” (2019) ©KOTARO NUKAGA, Courtesy of KOTARO NUKAGA


The Installation View of “Gaze and Distance” (2019) ©KOTARO NUKAGA, Courtesy of KOTARO NUKAGA



The Installation View of “Gaze and Distance” (2019) ©KOTARO NUKAGA, Courtesy of KOTARO NUKAGA

ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、エゴン・シーレを19世紀から20世紀の同時代の芸術家とするならば、1930年以降に生まれた芸術家は、トム・ウェッセルマン、キース・ヘリング、マルレーヌ・デュマと言えるでしょう。特にウェッセルマンとヘリングは、第二次世界大戦後にアートシーンの新たな中心地となったニューヨークの出身です。

当時のニューヨークを代表するアート・ムーブメントは「ポップ・アート」と呼ばれ、大量生産とイメージ消費の文脈の中で身体を描くのが一般的でした。ウェッセルマンの作品にもポップ・アートの特徴が見られます。目は魂の鏡という古い言葉がありますが、彼の作品では、目のない人物には魂がないように見えます。モデルのまなざしはないが、異性の男性と観客のまなざしがある。

最後に、展示されている西洋の歴史的な作家たちと並んで、日本の作家たちの名前を見ることができる。斎藤誠、藤田嗣治、井田幸昌。彼らの作品に焦点を当ててみると、近現代美術におけるヌード絵画のあり方が見えてきます。

特に、それぞれのヌード画の描写や表現は特徴的で印象的でした。例えば、藤田の繊細な墨の輪郭や、斉藤の作品における女性の性器の集中的な描写は、性行為の際に撮影した写真をコンピュータ処理した画像を元にしていると思われる。

また、人生の中で出会った人々のポートレートを素早く集中的に描く、世界的にも注目されている新進気鋭のアーティスト、井田幸昌。直接会った人だけでなく、美術史に登場する人物をはじめとする歴史上の人物など、間接的に出会った人たちを描いています。

視線と距離展を通して、私たちは裸体をどのように表現してきたのか、それを「芸術家」の視線としてどのように表現してきたのか、「鑑賞者」の視線としてどのように見てきたのかなど、様々な視点から考えることができました。また、時に削除され、限定的に表現されてきた「モデル」のまなざし。様々なまなざしを追いながら、過去と現代の美術の文脈を理解し、それらのアーティストから新たな身体表現の可能性を見出すことができる展覧会となりました。

“Gaze and Distance” at KOTARO NUKAGA

DATES:2019年10月19日(土)~12月7日(土)

営業時間:午前11時~午後6時(火・水・木+土)
午前11時~午後8時(金)
日曜・月曜・祝日はお休みです。
入場無料。


記事を書いた人: Jeongeun Jo
韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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 アーティストが取りあげるテーマが壮大であったとして、しかしその創作の源泉となるのは意外にも身近なものであったりする。特に恋と愛などはその際たるものだ。  世界的に名の知れたピカソの《泣く女》もモデルとなった愛人、ドラ・マールや、モネの「散歩、日傘をさす女性」も嫁のカミーユの存在無くして生まれなかった名画であろう。そもそも「恋人たち」という主題は、西洋美術史では伝統的なものであった。  本記事では「恋愛」「恋人たち」という普遍的テーマにアーティストたちがどんな現代的エッセンスを加えているのか。是非ともご覧いただきたい。 Imai Atsushi 作家の詳細はこちらから Tea Ercoles 作家の詳細はこちらから 中村成二/Seiji Nakamura 作家の詳細はこちらから Jose Cacho 作家の詳細はこちらから Delta N.A 作家の詳細はこちらから 奈倉珠生/Tamao Nagura 作家の詳細はこちらから

ART & TIPS – 作品の額装から保管まで –

アートを買いたいけど額装が分からない。アートを買ったけど保管の方法が分からない。などなど、この記事では「アートを買う上・持つ上で分からないこと」を解説します。 アートとの暮らし方 - 額装から修復まで - 100万円の絵を買うために - 分割払いってアリ?ナシ? - アートと末長く、いつまでも - 買った作品は売ってもいいの? ダメなの? - アートとの暮らし方 - 額装から修復まで - 実はワタクシ、作品を購入しまして。しかもはじめて! お、いいですね。どんな作品を買ったの? ドローイングなんですけど、ギャラリーの人に「額はついてないんですけど、額装しますか?」って聞かれて一瞬困ったんですよね。「え...額装ってなにさ!?」って。 はじめてだとそうだよね。 そうなんですよ。でも、そもそも絵画には額装されているもの、そうでないものがありますよね。何が違うんですか? 一番は作品の違いだね。絵画にはキャンバスや木製パネルに描かれたもの、紙に描かれたものがあって、キャンバスならそのまま壁に掛けることが出来るけど、でも紙の作品は壁に掛けにくいですよね。だから額縁に入れて飾りやすくするんですよ。 あ、じゃあ写真とかプリントも紙だから額装はしますか? そのケースが多いね。額縁にも種類があって、いわゆる枠がついた額縁もあるし、アクリルやガラスに挟んだだけのものもあるよ。作品を買ったところに「この作品を額装したいんですけど、おすすめはありますか?」と聞けば案内してくれると思うよ。 私の買ったドローイングは紙に描かれているから額装した方がいいんですね。「壁に掛ける」って具体的にどうするんですか? お母さんが「紙なら壁にはっつけちゃえば?」って言ってたんですけど、でもちょっと抵抗あって...。 壁に金具を取り付けたり、ピクチャーレールと呼ばれる器具を取り付けたり、方法は色々あるね。直接くっつけるのは、作品を傷つけることもあるからオススメはしないかな。 え...金具や器具を取り付けるって...壁に穴を開けるんですか...? うちは賃貸だからちょっと気になりますね...。大家さんに原復しろ!って言われたら怖い...。 特殊な練りゴムをつけて壁を傷つけない方法もあって、ひっつき虫とか呼んだりするんだけど、画材屋さんやホームセンターに行って聞くと詳しく教えてくれるよ。 なるほどー。でも飾らない時ってどうしたらいいんですか? 押入れで保管していいものですか? 作品によっては湿気が苦手だったりするから、注意は必要だね。特に紙は湿気に弱いし耐久性も低いから。「湿気・温度・日差し・虫食い」は、紙に限らず、作品を保管する上で要注意のエネミーだね。一般的にはすのこを下に敷いて、出来る限り陽の当たらない場所に置いた方がいいかな。紙の場合は箱に入れてあげてね。 ふーん。倉庫とかで預かってくれないんですか? 倉庫ももちろんアリだよ。だけどアートを専門にしているか?は要確認だね。湿温対策や防虫対策をしているかはチェックした方がいいかな。あとはお財布とご相談。 それでも傷んじゃうことってありますよね。子供がぶつかってしまったり、地震が来たりして...。私って家でパーティしたりするので、結構ひとが来るんですよね。 修復士という、作品の修繕を専門にしている人もいるよ。でも、まずは作品を買ったギャラリーや作家さんに聞いてみるといいかもしれないね。作品を一番分かっているのは作家さんとギャラリーだから。 100万円の絵を買うために -...

ヌードの現在系-「裸」に向き合う現代絵画-

 人間のありのままの姿を表現するヌード。遥か昔、紀元前のギリシャ美術の時代からヌード作品は制作されているばかりか、体系化されていない原始美術などでも全世界的に盛んに制作されてきた。  ミラノ勅令後、ヨーロッパはキリスト教の名の下に社会の統治が行われてきたわけだが、公序良俗を掲げる時代にあっても芸術の世界では「裸」は不可侵の領域であった。ヌードを扱うには「寓意性や神話性を持っている」というエクスキューズが必要だったとはいえ。  しかし「聖書や神話、物語のワンシーンを描いた神話画・歴史画」以外の領域で、ゴヤによって描かれた西洋美術史において最初の卑俗的で具象的な女性ヌード絵画《裸のマハ》によって新たな地平が開ける。  その後も、人々がその魅力に囚われ続けるヌードはアートの世界を超え、様々な登場人物によってドラマチックな変遷を辿った。だがしかし、このインターネット時代、いつでもどこでもスマートフォン一つで「裸」に接続できてしまう。その点、官能性で他のメディアに勝てるのかといえば疑問が残るが、それでも今日のアーティストが「裸」を扱う意義とはなにか?本記事で紹介する作品を通して、共に考えていきたい。 Fiona Maclean 作家の詳細はこちらから Andrea Vandoni 作家の詳細はこちらから Isabel Mahe 作家の詳細はこちらから Zakhar Shevchuk 作家の詳細はこちらから Badri Vaklian 作家の詳細はこちらから

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