日曜日, 6月 20, 2021
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内容と画法で目を引く作品

Maria Farrar “Too late to turn back now” OTA FINE ARTS


Installation view of “Too late to turn back now” (2019) by Maria Farrar
at OTA FINE ARTS
Courtesy of the artist and OTA FINE ARTS


新進気鋭の若手アーティスト、マリア・ファーラーがアジアでの初個展「Too late to turn back now」をOTA FINE ARTSで開催します。マリア・ファラーは1988年にフィリピンで生まれ、15歳まで下関で育ったロンドン在住のアーティストです。

ファラーの作品は、彼女の日常の記憶や経験、感情などから導き出された情景をベースにしています。ありきたりなテーマではありますが、彼女の独特の色彩やモチーフへの触れ方が私たちの目を引きます。

女性の背中、犬、ハイヒールの靴、パン屋さんの風景などがよく登場します。これらのモチーフは繰り返し出てくるので、観客は彼女の作品を解釈しようとする傾向があります。観客は、彼女のモチーフには社会問題などの強いメッセージが込められているのではないかと推測してしまいます。作家が意図していたかどうかは別にして、彼女の作品は様々な可能性を与えてくれます。彼女の作品は、どちらかというと、捉えた瞬間の表現方法に焦点を当てているような気がします。


Maria Farrar, Writer, 2019, oil on linen, 180 x 130 cm Courtesy of the artist, mother’s tankstation Dublin | London and Ota Fine Arts, Tokyo / Singapore / Shanghai

ファーラーの作品の魅力は、それぞれの作品にストーリー性のある作品として風景を描くことで、私たちの好奇心を刺激することにある。しかし、彼女の絵画技法に目を向ければ、内容やテーマと同じくらい魅力的な要素もある。作家」の下の方には、アウトラインが顕著に現れています。ファラーは、アジアの伝統的な絵画からマンガ、アニメに至るまで、アジアでよく見られる画法のように、靴をアウトラインで描いている。また、床や子犬の描写に使われている筆遣いは、書道のようでもあります。

彼女の作品は、私たちに内容や技法を考えさせ、作品の前にいる時間を長くさせてくれます。上述のように、一見すると「ジェンダーの問題を語ろうとしているのではないか」と思われるかもしれませんが、それ以上に、ファラーの象徴や風景、記憶などの好みから生まれた作品なので、理解するには鑑賞の時間が必要です。また、東洋画と西洋画を融合させたような画法は、鑑賞者を長く作品の前に留まらせています。


Installation view of “Too late to turn back now” (2019) by Maria Farrar
at OTA FINE ARTS
Courtesy of the artist and OTA FINE ARTS


Installation view of “Too late to turn back now” (2019) by Maria Farrar
at OTA FINE ARTS
Courtesy of the artist and OTA FINE ARTS

鮮やかな色調のバラエティに富んだ作品も多く、「色のぶつかり合いで、集まった作品は絶対に合わないだろう」という偏見を持たれがちだが、プロの画家である彼女は、その偏見を打ち破る。 しかし、ファラーはプロの画家なので、その偏見を打ち破る。鮮やかな色彩を多用していても、ギャラリーに入った瞬間の印象は、思っていたものとは違うかもしれません。それを直に感じたい方は、8月24日から9月21日までOTA FINE ARTSで開催されている「OTA FINE ARTS 展」に足を運んでみてはいかがでしょうか。また、今回の展覧会では最新作も展示されています。

Maria Farrar “Too late to turn back now” OTA FINE ARTS O

DATES : 2019年8月24日(土)~9月21日(日)
営業時間 : 午前11時~午後7時
日曜・祝日は休館。
入場無料。

記事を書いた人:Jeongeun Jo
韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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Photography by MIYAJIMA Kei About Mizuma Art Gallery 1994年にSueo Mizumaによって東京に設立され、流行にとらわれない独自の視点で、日本とその周辺地域のアーティストをグローバルな舞台で紹介してきました。 よりグローバルな視点でアーティストを紹介するため、2012年にシンガポールにスペースを開設し、インドネシアやニューヨークにもスペースを持ち、アートバーゼルや国際見本市への出展も意欲的に行っている。 MIZUNO Rina, A Tile Flower, 2019, Oil on canvas, 53 × 53...

抑圧され、薄れゆく自己を見つめる。齊藤拓未インタビュー

公園の遊具、部屋の片隅、道端など日常のさりげない景色を虚心としたタッチで描いている齊藤拓未。「大人になるにつれ抑圧される自分がいる」と語る彼女は、自身の幼い頃の感性を呼び起こすような風景やオブジェクト、そしてそこに紐づく幼少期の自らの感情を少女の形姿に変換し、キャンバスに描き出す。今回はこれまでの経歴から自らの情緒性をベースにする齊藤の制作背景について話を聞いた。 齊藤さんは日常のスナップのような風景と少女を組み合わせたペインティングをメインに発表していますが、絵画の中ではそれぞれがどう関係しているのか、まずは作品の背景から伺ってもいいですか? 私の絵には女の子が登場するものとそうでないものがあるんですけど、女の子は私自身そのままというより、昔の自分につながる感情のような存在です。風景の方は幼少期のことを彷彿とさせるものが多いです。普段から景色とかものとか、どこか昔のことを連想させる何か見かけた時にはメモをしたり、カメラで撮影したりするのですが、それが作品のベースになっていますね。 WAITING ROOM, 2020, 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 齊藤拓未の作品はこちらから つまり少女はかつての齊藤さん自身のメタファーのように登場している。風景もかつてのことを連想させる役割をになっていますが、どちらも昔のことがキーポイントになっているんですね。  大人になるにつれて自分が抑圧されていると感じていて。それにつれて昔の自分なら持っていたような何かが流れていってしまうというか、どんどん自分がなくなっていく感覚がある。とても嫌な感覚なんですけど、それは。 でも風景とか、あとはモノですよね、そういう存在が昔の自分を思い出させてくれて。自転車を漕いでいる時に香ってきた落ち葉とか、雨が上がったあとの匂いとか、そういう日常的なものを通して昔のことを思い出せることがあるんです。「あ、これだ」というか、言葉ではうまく言えないんですけど、記憶が蘇ってくる感触がある。「あの時と同じだな」って。 その抑圧というのは人付き合いによって自分が押し止められるということですか。 ニュアンスは近い…かもしれないです。だんだんと集団でいることが嫌になっていくんですけど、でもそれに合わせてしまう自分がいる。「一緒に帰ろうね」とか「どこそこで待ち合わせね」とか、周りの友達がそう言ってくれることさえ少し窮屈だった。悪気があるとかはもちろん考えてないんですけど。 私にとって中高は空白期間で、思い出せる出来事がほとんどないんですよね。本当に、どうしてと思うくらい何もない。大人になるにつれて多くなると思うんですけど、そういう人付き合いとか、色んな制約とか、我慢しなくちゃならないこととか。でもそれに合わせているとだんだんと自分の中で何かが薄れていく感じがしていて、それにすごく危機感がある。「ああ、このまま自分が無くなっちゃうのかな」と。 friend, 2020, 45.5×38cm, oil on canvas そうすると作品はある意味で記録に近いようでもあるし、単純な風景や少女の描写ではない。 残しておきたいとしたら風景とか、目に見えてる何かというよりは感情の方ですね。女の子を描いていない景色も、あとはモノとかも、全て昔の自分につながる働きをしていて、だから人は描いていないけど、でも痕跡として残っているようには見せたいと思ってます。 だから「風景と女の子の絵ね」と思われがちな気がしますが、でも状況を描きたいわけではないんです。 経歴の話に少し移ると、齊藤さんは日本画を学ばれてますね。もともと日本画が志望だったんですか?  というより、最初はイラストの方でした。中高と漫画研究会に所属していたのですけれど、でも漫画というよりはずっとイラストを描いていました。その頃からなんとなく女の子の絵とかは描いていましたけど、当時は本当にイラストで。  でも周りの子みたいにものすごい詳しいとかでもなかったし、好きなイラストレーターの人の挿絵がある本は読んだりしてたけど、でもどっぷりという感じでもなくて。だから中途半端。  高校一年生の頃からぼんやりと美術系の大学に進みたいと考えていて、イラストを描いていたせいもあると思うんですけど、特に平面的な表現ができるなと思った日本画を選びました。どちらかというと画壇系の盛り盛りな感じよりはフラットな表現が好きだったし、受験の頃から立体的に描くのがすごく苦手で。デッサンとかも本当に苦手なんですよ。  現在ではアクリルや油彩を使っていますが、マテリアルの扱いに関しては文法が大きく異なると思うんですが、違和感はなく?  学部の頃は日本画の画材を使ってたんですけど、でも岩絵具を使っていると「なぜ使うのか?」のような意味づけを求められてしまう。あとは学部の頃から女の子を描いていたんですけど、日本画材でそれをすると美人画の文脈で受け取られてしまうんじゃないか、と。そちらに進みたいわけではなかったし、自分の描きたいものを考えるとアクリルでも問題なくできた。だから画材から描き方までけっこう変えましたね。 昔は髪とか顔とか、もっとディティールを描き込んでいたんですけど、もっと単純化させ、平面感を強める方向にシフトしました。普段描いていたドローイングがそれに近かくて、ノートにちょこちょこと描いていたものをタブローとして描いてみようと。結果的にそっちの方が自分にとって苦じゃなかったんですよね。 ただルールというか、自分で制限はもうけているとは思います。もうできないことはあまりしないようにしよう、と思っていて。色合いも薄くして、場所によっては色鉛筆を重ねてみたり、曖昧になってしまうので特定の方向に強めるような感じです。 忘れる, 2020, 31.8×41cm, oil on canvas  現在の風景と少女の組み合わせを画面に持ち込んだのはいつ頃から?  2年前くらいです。学部を出た頃かな。その頃は写真で切り取った風景とかを入れたり、少し画面がごちゃごちゃとしていたんですけど、それも幼少期という時間に設定しようと決めて。  よく分からない感じというか、より複雑にはしたいと思ってますね。ただでさえ平坦なタイプなのでペラペラになってしまいがちになる。もっと分かりにくく、もっと複雑に、とは気をつけているかな。その方が何回も見たくなると思うんです。でも最近はそのまま描きすぎているかな、とも。  作品と自分自身のつながりが強いことに抵抗はありますか?  個人的な作品になっているということがですか? それは前に少し悩んでいて、というか、今も時々は考えるんですが…。 あまりにも描いていることが個人的過ぎるのかな、と。ただマイクロポップの作家さんのように、あとはナビ派の人たちとか、いつの時代にも個人的なこととか、身の回りのことを描く人たちはいるのかなとも考えていて。自分の描きたい作品とか、描いていて無理がない作品について考えるとそっちなんじゃないか、と。あとは納得の問題だとは思うんですけど。 個人的なことを描いている作家は好きですか?  好きですね。個人的というか、さりげない、身の回りのものを使った作品と日常の断片を描いている方々は好きです。この間ワタリウムでやっていた青木さんとか、西村有さんとか、古いところでいうとドニ、ヴュイヤールとか…。  モランディも好きです。いつも画集は近くに置いてます。あとはナビ派の人たちはやっぱり好きですね。テーマとかモチーフの点ですごく参考になる。それから画家ではないんですけど、青山静男さん。子供を描き始めた時に一番影響を受けたし、今でも見失いそうになる時によく見ています。  イラストをずっと描いてきたということですが、イラストの遺伝子は自分の絵画に感じますか?  …どうだろう。でも、確かに言われる時はありますね。「イラストだね」とか、そこまで露骨なわけじゃないですけど、でも言われます。  ただ最近はどっちもかな、とは思います。イラストとも言われるし、絵画とも言われる。確かにイラストはずっと描いてたので、その感じがあっても不思議ではないと思う。好きなイラストレーターの人とかもいますし。だから最近は中間でいいかなって考えていて。 イラストと絵画の中間を。 どっちの要素もあっていいんじゃないかって。どっちの要素もあるんなら、それはそれで本当なんだろうし。 描いている少女には表情が描かれていませんね。  描いている時の自分は冷静なんです。だから描かれている人物には表情がない。そこには距離があるんですよね。前に絵を見てくれた人から「齊藤さん自身は諦めている感じだね」と言われて、それはそうかもなと思いました。女の子というか、子供が登場している理由はさっきも話したと思うんですけど、でも子供を描いている理由自体はコンプレックスというか…、どこか憧れに近いのかもしれないです。子供であることに対しての憧れ。 やはり幼少期の自分自身や現在の自分を取り巻く環境とか、あり方に対する強く関係している。  やっぱり今の自分と小学生の頃の自分が地続きでない感覚がどこかにあって。小学生の頃の写真とか、先生からのコメントとか見ているとずっと明るいんですよね。「ああ、そうだったんだ」って。環境も変わったし、自分が変わってきて、昔から大人しい人もいると思うんですけど、私は変わったんだなって。 午後の公園, 2020, 33.3×33.3cm,...

鈴木潤~芸術が脈打つ~生命を宿すボールペン画。

緻密かつ独創性に溢れるアートを生み出し「ボールペン一本で勝負したい」と語る鈴木潤の姿勢は、刀に懸けた侍のそれの様に頼もしく、又、清々しい。20代前半で本格的に活動を開始して以来、コンペティションの受賞や「細密画展」参加、2020年には個展の開催等、精力的な活動を見せる。 父は陶芸家で母は絵付け師。幼少期より芸術に親しむ中で自然と絵を描き始めた鈴木に衝撃的な出会いが訪れるのは中学生時代。大友克洋の漫画「AKIRA」、細かく描かれたペンの線に魅せられ、模写、研究を重ねる。また、60・70年代の洋楽アルバムジャケットやアートポスターにも影響されたと語る通り、緻密に描き込まれた種々多様なデザインだけでなく、優れた画面の構図やバランス感覚に鍛錬の日々が結実されている。 主にケント紙とボールペンを使用した表現にこだわる彼は、気も遠くなる様な細かな線・点描だけでなく、幅を広げる為、別紙に描いて切り貼りする手法を試す等日々の探究を止むことはない。愛や生命のエネルギー、異世界や生死などの大きなテーマを、親しみやすくも意外性に富んだ芸術で表す。自らの人生を画面に凝縮し、鑑賞者と心で繋がる生命の宿るボールペン画を極める旅は続く。 アーティスト詳細はこちらから

Feature Post

人間にとっての動物、もしくは動物にとっての世界の話。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『小貂を抱く貴婦人』とは−言うまでもなく著名な作品ではあるけれど−上品そうな女性がオコジョを腕に抱いているにおける、54.8 cm × 40.3 cmのペインティングだ。オコジョは純潔性の象徴らしいが、一方で14-5世紀の貴族の間では著名なペットでもあったという。 人と動物の共生の歴史は長く古く、遡ればラスコーの時代から人々は動物を飼い慣らし、時に愛玩し、時に狩のパートナーとして生活を共にしてきた。 古代エジプトでは動物に名前を与えていたし、古代ギリシャでは亡くなった犬のために墓穴を掘り、墓石を建て、飼い主はその墓にメッセージを刻みつけて悲しみを形容する習慣があった。 作品の詳細はこちらから かくも長い歴史だが、とはいえ、動物が絵画の題材となり始めたのは、動向としては、主に17-8世紀頃のことだった。 博物学の一環として動植物がイラストレーションされることは多々あった。けれど「動物画」として、つまり絵画の一ジャンルとしてフラン・スナイダーズやジョージ・スタッブスのように動物をメインをモチーフとした画家たちの登場はその時期を待たなくていけない。 では、なぜ人は動物の絵を描くのだろうか。 第一に、ダ・ヴィンチ のような象徴的用法もあるだろう。実在する動物ではないが(少なくとも筆者は見たことがない)、例えばユニコーンは、少女の清らかさを指し示すモチーフとして15世紀の絵画界で使用された。 この象徴という見方は、絵画の中に動物がいることについて一種のストーリーを読み取ることを許すだろう。例えば少女と動物をモチーフにするSELUGI KIMの作品を見てみよう。 作品の詳細はこちらから 彼女の絵画の中の少女が一緒にいるのは友人でも家族でも、ましてや学校の先生でもミッキー・マウスでもなく、一匹のフラミンゴだ。 「文化と愛という名のもと、社会では偽装が多く行われている」と彼女は語るが、その言葉と共に鑑賞すると、フラミンゴと少女しかいない世界は社会の矛盾や清廉さとは反対の、ある種の理想郷的な世界を物語っている様を読み取りたくなる。 作品の詳細はこちらから 動物の「イメージ」という点ではどうだろう。 例えば狼は『赤ずきんちゃん』『三匹のこぶた』など物語の中では常に悪役だ。そして狼と聞けば、どうだろう、善良的なモラリストをイメージすることは少ないのではないか。この物語が作り出した狼の運命について、苅谷はそれとなく言及している。 人間によって紡がれ、語られて来た物語のおかげ嫌われ者になってしまった狼。ある種のイメージ操作の結果をを、そしてそのイメージを固定し続ける者たちの姿を、彼女は公平な視点から描き出している。 作品の詳細はこちらから ペットという視点ではどうだろうか? 人はペットを、自分たちの異種の家族を、どう描いてきただろう。そのストーリーはどうだろうか。 萩原のペインティングにおけるペットは、ある意味、現代の風俗が見て取れる。 〈we use botanical shampoo〉と名付けられた作品に描かれる犬たちは、思うに、普段からボタニカル・シャンプーで身を清めているに違いない。 作品の詳細はこちらから 反面、ペットの視点から描かれた作品も存在する。久保俊太郎の絵画がそれだ。...

ペーパーアートに魅了されて – パート2

作品の詳細はこちらから アート素材としての紙のユニークさを説明したペーパーアートのシリーズ part 1を未読の方は、ぜひこちらからご一読あれ。 https://blog.tricera.net/post-tetsujiyamashita-lacybarry/ 紙と人類の蜜月関係 今回は少々の雑学から始めるとしよう。 考古学の研究によると、紙は紀元前100年頃の中国で発明され、以後は文明の片棒を担いながら発展してきた。「紙」という言葉の語源は、エジプト文明で使われた厚紙状の筆記媒体「パピルス」にあり、起源はなんと紀元前2560年~2550年までさかのぼる。 2020年現在、デジタル技術の隆盛により私たちの紙に対する愛着は薄れている。とは言え、それでも一夜にして紙文化が消滅することはありえない。例えば、メールやLINEにZoomで全てが済む時代でも、年賀状や結婚式、誕生日などの機会には未だに手紙を出すし、軽くて薄いタブレットひとつに何百冊もの本が入れども未だに、重くてかさばる紙の本を買う人も多い。時代遅れにも思えるこの素材と私たちを結びつけるのは、人類として記憶に刷り込まれたアナログさ、つまり紙への郷愁なのだ。 いくら世情が変わろうとも、4,000年以上にわたる人と紙との蜜月関係は、今もなお世界中で続く。筆者が滞在しているフランス、全国で年に数回開催される骨董市は大変な人気なのだが、特に人の興味をそそっている品は数十年前に書かれた手紙であったりもする。美しく手書きされたはがきや手紙は黄ばんでいるが、そこに記された心情は今も生々しい。インクのにじみや筆跡に、書き手の迷いや興奮が色あせる事なく見られる。 作品の詳細はこちらから 薄くても丈夫な和紙は、筆と墨に適合し発展してきた。その美しい風合いから、和明かりや障子など、家具にも使われるのはご存知の通り。古くには、神道のお供え物の包装材として使われた事に始まり、儀礼折として、折り方や折り目の知識が高位の武家教育の一環となっていく。江戸時代になり、今日私たちの知る「折り紙」遊びとして一般に広まった。若輩の私も日本で育った身、書道を嗜み、折り紙を作り、紙飛行機を飛ばし友人と遊ぶ中で、常に日本の上質な紙に慣れ親しんできた。 作品の詳細はこちらから さて、アートにおいて、「アナログ」媒体である「紙」はいかに重要なのだろうか?インドを拠点に活動するビジュアル・アーティスト、Janaki Leleは、ハンドカットによる切り絵を通して物語を紡ぐ。「Telepathy」と言う作品には詩が添えられ、彼女は「エネルギー網は目に見えない線を通り...、二つの心をつなぐ...、私のこと想ってくれていたの?実は私もあなたの事を考えていた所なの。」とささやく。なるほど、私たちの脳をつなぐのは、目に見える電力ケーブルという現代的なエネルギーだけでないのだと、改めて他人とのつながり方を考え直させられる。私たちが思考を表現する営みは、凧や鳥を空の流れに解き放つ様。この流れが、私たちの頭の中にある風車や水車のタービンを回し、相互作用のなかでエネルギーを生み出す。どうやら、テレパシーのような繫がりは、このアナログなメカニズムで同調している時に起こるであろう。 作品の詳細はこちらから もう一つの作品「Star Catchers」には優しくも朧げな夢物語が描かれる。友人の子と、窓を通りすぎる夕日をつまんで遊んだ時間から着想を得たと言う。これらの物語は全て、シルエットとわずかな奥行きを利用し、たった一枚あるいは数枚の紙の上で繰り広げられる。わずか数マイクロミリメートルの厚さの紙に、すべてのドラマを受け止め伝達するキャパシティと可能性が秘められているとは驚嘆だ。なぜそんな事が可能なのか。それは、紙が有機的な存在であることに秘密があろう。思考とコミュニケーションが有機的に形成される様を見たように、生物学的エネルギーが人間と紙のアートの間で相互作用しているのだ。紙が触媒として芸術家と芸術を、また芸術と私たちを結びつける。 作品の詳細はこちらから 日本を拠点に活躍する百鬼丸は、これまでに1万点以上の作品を手がける多作の切り絵作家として、侍たちを21世紀の世界に紙で躍動させてきた。彼の描く線にはまるで日本刀のような切れ味の良さが際立つ。日本の歴史小説の表紙デザインを多く手がける彼のモチーフは、武士や忍者が活躍していた時代のものが多く、その大胆な構図は、浮世絵の躍動感とマンガのキャッチーさを併せ持つ。これらの要素と、生き生きとした人物描写が相まった彼の作品には生命力が溢れている。有機的な紙にその生命を宿す包容力があることは言わずもがなである。 作品の詳細はこちらから 彼の作家活動は、作品と同様にパワフルだ。平面・立体の切り絵アートを制作するだけでなく、テレビ出演、日米仏での展示会、そして興味深いことにライブで切り絵パフォーマンスも行うと言う。彼の武者デザインが施されたマスクも販売されているそうで、ウィズコロナ時代には頼もしい限りだ。百鬼丸は大学で建築を学び、その後陶芸の修行をしたりと、まるで浪人侍のようなキャリアを歩んできたやも知れぬ。しかし今、日本切り絵界の先鋒として自らのキャリアを切り拓き、後進に道を描き示す。  https://www.youtube.com/watch?v=yDVpG4p948E&feature=youtu.be TRiCERAでは今後もアーティストの情報をお届けしていきます。切れ味鋭い知見や味わい深いコラムをもっと読みたい方々については、ArtClipニュースレターの登録をお忘れなく。

Yuna Okanishi: 筆跡の中に禅を見つける

“書道は単に線を引くだけではなく、線と線の間の空間も大切にしています。” Yuna Okanishi 若い頃から墨と紙のモノクロームの世界に惹かれていたYuna Okanishi。7歳の時には書道を正式に学び始め、書道への理解を深めていく。彼女にとって書道とは、単に線を描くことだけではなく、線と線の間の空間、つまり空虚さと充実感の二項対立を意味しています。 黒は空虚を表し、白は充足を表します。何が本当で何が本当でないかわからない世の中で、何が本当に大切なのかを見極める努力が必要だとOkanishiは考えています。 今回のインタビューでは、Okanishiの作品の原点、Okanishiにとっての作品とは何か、そして禅の思想が創作活動に与えた影響についてお話を伺いました。このインタビューは、長さとわかりやすさのために軽く編集されています。 現実と想像の世界を描く "空虚さと充実感 "の二項対立 書道から水墨画まで 簡素化と禅のライフスタイル 書道は命 岡西由奈のアートを購入する場所 現実と想像の世界を引き寄せる 水墨画家になるまでの経緯を教えてください。 7歳の頃から書道の練習をしていて、2010年に初めて個展を開きました。水墨画をMr. Sekizawaに習おうと思ったのは2012年のことでした。Sekizawaは日本画・水墨画の巨匠として有名なKawai Gyokudoに師事されていて、その技術は本当に並外れていました。 私はSekizawaから水墨画を学ぶことが大切だと思い、Sekizawaに連絡を取り、すぐにSekizawaの指導を受けることになりました。この時、私は全力で墨書画の習得に励み、多くのことを教えていただきました。 Yuna Okanishiの大と小 Sekizawa先生から学んだ一番大切なことは何ですか? 授業中に何度も楽しい? と何度も聞かれたのを覚えています。関沢さんはいつも「よかった、よかった!」と喜んでくれました。 Sekizawaさんは、「楽しいことが一番の描き方」とよく話してくれました。書道は自分の心の状態を映し出す鏡なので、楽しんで描いていたかどうかは見ている側にも伝わります。また、制作過程そのものを楽しむことが、芸術を追求し続けるための鍵であるとおっしゃっていましたが、私は作品を制作する際に常に意識しています。その楽しさは、作品だけでなく、自分自身にも広がっていくので、制作中は本当に楽しいと感じます。 "描く一本一本の線は、自分の姿、自分自身を表している" 7歳から書道を習っていたそうですが、その影響はいかがでしたか? 一本一本の線が自分を表していると思います。例えば、単純な直線を描けなかったら、自分に自信がないとか、自信がないとか、そういうことですよね。 あなたの心が正しい場所にない場合は、それは線の中で表示されます;あなたが続けるようにまっすぐなストロークは蛇行し始めるでしょう。しかし、あなたの心が設定されている場合 - あなたの心の最も深い部分から自分自身の確信しているとき - あなたの描画は、これを反映します。 私にとって、私は書道はあなたの心と精神を表すように非常に人生そのもののようなものだと思います。私の書道がますます洗練されていくにつれ、私はより成熟し、自分の人生をより明確に理解するようになりました。ある意味、書道は人生のバロメーターのようなものです。 6 by Yuna Okanishi "空虚さと充実感 "の二項対立 アートシリーズ「空虚と充満」のコンセプトはどのようにして生まれたのですか? 子供の頃からずっと考えていたことなので、"生まれた "わけではありません。真実とは何か、嘘とは何か?私が見ている世界は現実なのか?私の目で見ている世界は、私の魂の目で見ている世界と同じなのだろうか?このような疑問は、私の心の中に常に存在していました。 Yuna Okanishiのパラレルワールドとのコミュニケーション 例えば、私は小さい頃、キャンバスは粒子に分解できるので、その小さな粒子の上に世界が存在していて、その粒子の上に何かが生きているのではないかと信じていました。私たちが生きているこの世界、私たちが生きている宇宙が、誰かにとってのもう一つの「粒子」に過ぎないとしたら?もしかしたら、私たちはバービー人形のように弄ばれているのかもしれません。 真実とは何なのか?これは、私がまだ答えを出せていない問いです。 大人になってからも、これらの疑問は私と一緒に残っていた。私が見ている光は何億光年も前に作られたものかもしれない。では、今、私が見ている光は何なのか?真実とは何か、嘘とは何か。 "空虚そのものを描いているかのように 白い空白をどう残すかを いつも深く考えています" 人に会っても、こんなことを自問自答し続けています。もしかしたら、自分と仲良くなれない人の中にも、自分が学ぶべきことがあるのではないかと。真実は意外なところにあるし、その逆もある。私は、「空虚と充足」の世界で答えを探して生きているのだと思います。 私たちは生まれる前からすべてを知っていて、意図的に生まれてきた両親のもとで育つことを選んでいるのだと思います。何かに抑圧されているわけではないので、この人生の最初の数年間の記憶はとても貴重で大切なものだと思います。作品を制作する際には、このような人生の初期段階の記憶を常に思い出すようにしています。 あなたの作品のどのような点が他のカリグラフィーアーティストとの差別化になっていますか? よく見ている方から「私の書道は独特のスタイルを持っている」と言われることがありますが、正直なところ、それを自分で発見するには至っていません。ただ、私がいつも気にしているのは、空虚さそのものを描くように白い余白をどう残すかということです。書道だけではなく、文字の周りの空間をどのように見せるか、ということにもこだわっています。 書道から水墨画へ 普通の書道と墨絵の違いは何ですか? 書道は自分の心や精神状態がとてもよく反映されています。例えば、心が不安定な時に線がぼやけてしまう。私の心を映し出してくれます。 カタナ(剣) Yuna Okanishiさんの 墨書画は、水墨画に見られる技法を用いて描かれています。もちろん、書道のように精神状態を反映したものではありますが、墨書画は文字のように露骨なものを描くのではなく、より抽象的なイメージや概念を描くことを目的としています。 技術的な面では、書道では二度書きが禁止されていますが、墨書画は、軽い筆の上に重い筆を重ねて、インクの自然な流れを楽しみながら重ねていくものです。そういう意味では、水墨画に近いですね。 書写画は、書道と日本画の中間に位置する芸術だと思います。 簡素で禅的なライフスタイル 禅の哲学は、あなたのライフスタイルと芸術の両方に見出すことができます。禅の考え方を取り入れたきっかけを覚えていますか? 子供の頃、私はアトピーに悩まされていて、母は介護に苦労していました。私は市販のものにアレルギーを持っていたので、自然のものしか使えませんでした。 アトピーをきっかけに、母は環境への意識が高まり、環境に優しい生活を送るようになりました。そんな母を見て育った母の生き方には、何事も大切にする、物を大切にするなど、禅の思想に通じるものがありました。禅の本を読み始めた時に、その精神に真実があると思い、禅哲学を修行したいと思いました。 禅哲学に興味を持った理由はもう一つあります。忙しい現代社会の中で、歩きながらスマホを使い、食事をしながらテレビを見ていると、その瞬間を生きづらくなるのはおかしいと感じました。禅の修行では「今を生きる」ことを実践すると聞いて、2014年に非常に厳しい修行で知られる永平寺で学ぶことにしました。 先ほど、「書道は心を映すもの」とおっしゃっていましたが、ご自身の成長が作品にどのように影響しているのでしょうか。ご自身の成長は作品にどのような影響を与えているのでしょうか? 私の作品には曲線を描く線が多いのですが、この曲線は時間の経過とともに大げさになってきていると思います。 それは自然の曲線であり、雲海であり、アーチを描く枝でもあります。自然を愛することで自分をもっと発見していくと、海に潜ったり、大自然の中に出てみたりして、世界の「曲線」をもっと発見して、自分の線がもっと曲線になっていくことがよくあります。私の作品は私を表しているので、私の作品がどのように進化してきたかに満足しています。 書道は命 私は、書道は人生だと思っています。 書道の練習をするときは、まず「臨書」の文字を写すことから始めます。 臨書の練習には三段階の段階があります。 第一に、文字の形を真似る「桂林」です。これにより、師匠の技を習得することができます。 第二に、書家の意味や思想を理解し、その思想に浸りながら文字を描く「入林」。 三つ目は、今まで学んできたことを忘れて、自由に描いて、自分だけのオリジナルなものを作る「毛琳」。 この段階は、人生そのものにも当てはまると思います。生まれた瞬間から、周りの人の真似をして言葉を覚え、人を理解しようとしながら自分の個性を伸ばしていく。 書道には、人生と似た要素がたくさんあります。だからこそ、書道は人生だと思っています。 Yuna Okanishiさんのアートを購入する場所 TRiCERAでは、Yuna Okanishiの作品を多く取り扱っております。他の日本の現代書家の作品に興味がある方は、書道アートのページをご覧ください。

東京にあるユニークなアートスペースでIzumi Katoの作品

Izumi Katoの個展「LIKE A ROLLING SNOWBALL」(原美術館) 現在、東京と香港を拠点に活動する世界的に有名な日本人アーティスト、Izumi Katoは、東京・品川の原美術館、群馬県の原美術館アークで個展を開催しています。 原美術館アークがKatoの作品を総合的に紹介 原美術館では、最新作の69点を展示します。の作品を展示しています。原美術館での「LIKE A ROLLING SNOWBALL」展は Katoの東京の美術館での初の大規模な個展となる「現代美術」。また、原美術館での本展のポイントは は、彼の最新のセンスとユニークな展開をキャッチするチャンスと言えます。美術館の雰囲気 最近の作品は、石や布など様々ですが 版画制作。 Katoの作品は、絵画や彫刻による原始的で神秘的な人間模様の描写で知られています。彼の作品はトーテムを想起させます。また、原始的な精霊が、歪んだ顔や体の形として作品に閉じ込められているようにも見えます。Katoの作品をよく見てみると、彼は常に対になることを追求している。Katoの人型彫刻は、常に男女の作品であり、絵画もまた、二つの別々の作品が一つの作品になるような構成になっています。また、石と綿とソフトビニールで作られた彫刻作品についても、頭と体は石とソフトビニールと綿という全く異なる素材で作られていますが、ある意味では軽さと重さという二つの異なる属性を対にしているようにも見えます。様々な意味でのペアの追求は、儀式的なもののように思えます。 当館では、いくつかの特徴的な作品をご紹介します。ギャラリーⅠで展示されている「Untitled」は、布、革、石、アルミなど様々な素材を使った巨大なインスタレーション作品に挑戦しているKatoの最新作。原美術館という場所の特徴に合わせて、他の作品もよく展示されていました。原美術館の庭園には、自然との出会いをテーマにした作品「Untitled」が2点設置されています。庭園に設置された作品は、美術館の中から見えるように設計されている。 原美術館の場所について 原美術館を訪れたら、東京では珍しい異国情緒あふれる独特の雰囲気に癒されるかもしれません。日本最古の現代美術館のひとつである原美術館は、東京・品川区に位置し、椰子の木に囲まれた庭園の中にあります。この建物は、現在の原美術館理事長である原俊夫氏の祖父である原邦三氏の私邸として1938年に建設されました。設計は、東京国立博物館の本館も手がけた著名な建築家・渡辺仁氏が担当しています。 戦後、フィリピン大使館やスリランカ大使館などで使用された後、1979年に美術館となりました。2008年に大規模な改修工事が行われた後、新しい照明システムが設置され、修理が行われました。 日本で最初の現代美術館の一つとして 20th世紀初頭のヨーロッパ建築様式を取り入れた昭和初期の建築物としては数少ない例の一つです。 しかし、約80年の時を経たことによる維持管理の困難さから、財団は2020年12月31日をもって閉館し、原美術館アークがすべての活動の場となることを決定しました。独特の雰囲気を持つ美術館がなくなる前に、Izumi Katoの最新作を鑑賞できる機会に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。 IZUMI KATO – LIKE A...