木曜日, 7月 29, 2021
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「Huang Xoo Veen (Xoo)を知るための6つのポイント」

Huang Xoo Veen (Xoo)のアート作品はどれもパステル画のような柔らかいタッチで描かれているが、全てアクリルで制作されている。特徴としてマチエール(仏:matière)と呼ばれる「絵肌」や「素材の質感」のような物は殆ど感じない。幻想的で滑らかなタッチだ。「宇宙の体の器官と人間の体の器官は似ている」と表現するHuang Xoo Veen。今回は宇宙という美しく壮大なテーマを中心に、抽象的な表現を加えながら自身の感性を表現し続けるその作家性を読み解いていこう。

Huang Xoo Veen (Xoo)のCreate-New - TRiCERA(トライセラ)
(Create-New/72.7cm×90.9cm/アクリル)

1.経歴

子供のころからアートには多大な興味を示していたが、学生の時に参加したコンテストで受賞したのをきっかけに、画家になりたい!という想いが強くなった。大学に入学するも、家庭の事情で7年間の休学。「二度と絵を描くことは無い」とまで思っていた。しかし時が経ち7年ぶりに大学4年生に再編入。心の中の傷を表現するあまり、先生には「憂鬱で、陰鬱で、グロテスクだ」と表現されてしまうような絵しか描けなかった。30歳で卒業した後に大学院へ進学。美しいものが好きでは無かったが、たまたま夜空を見た時に、月や星の美しさに目覚め、宇宙へ好奇心を抱き始めた。その時から作品に宇宙を取り込むようになった。

2.アートとコミュニケーション

誰しも自分が辛く感じた出来事を人に話したい、感情移入して聞いて欲しいと願っている。大学時代のHuang Xoo Veenは、その心の傷を作品に表現していた。自分の心の傷を癒したい、見てもらいたいという一方的な感情をぶつけるような絵であったことが感じ取れる。大学院への進学も「人とコミュニケーションが取れるような絵を描きたい」という願いを持つようになったからだ。会話はキャッチボールと言われているが、一方的に相手にボールを投げるような事をしてもそれは会話とは言えない。今では「宇宙」という壮大なテーマを含めて描くことで相手と同じ土台のテーマを作り、作品を通して私達とコミュニケーションを取っている。

3.作品への探求心の強さ

一度はアートから離れようとしたが、向き合う覚悟を決め再びアートの世界に戻っている。そこから作品への深い情熱や探求心を感じる。家庭の事情があったようだが、例え年月が経っていたとしても、自己表現やアートを諦めずにいても良いという勇気が貰える。苦しい経験も、次に生み出す作品への大切なステップ。諦め無ければ、空白の期間の出来事も全て作品をつくる素材としてステップアップできる。アートを制作するうえで人生に無駄な部分は無いと考えさせられた。

4.コズミックアーティストとは

主なコンセプトとして、宇宙・夜空・死・細胞・胎児などを挙げて、自分のことを「コズミックアーティスト(cosmic artist)」と名乗っている。作品の中で「宇宙」を様々な側面から捉えて、別の多種多様な要素と組み合わせている。例えば、宇宙と社会問題を組み合わせた「Ardent-Rising」という作品がある。Huang Xoo Veenは現代社会では同じように利点があっても男性の方が優遇されるという「男女格差」を感じ、それでも輝きたいという願いを込めて、宇宙の中に銀河のような赤い花を咲かせている。宇宙の静かで雄大な輝きと、自分の中にある果てしない願いを重ねて表現しているようだ。

Huang Xoo Veen (Xoo)のArdent-Rising - TRiCERA(トライセラ)
(Ardent-Rising/91cm×116.8cm/アクリル)

5.Huang Xoo Veenが持っている感性

宇宙と不屈の精神を重ねた作品で、名前を「Immortal」という。宇宙は今も永遠に膨張し続けていて、銀河は消滅したり新たに合体したりを繰り返している。その宇宙の様子と、困難な瞬間に直面しても再び蘇る精神を、宇宙のように「繰り返し動き続ける」という点に重ね合わせて表現している。宇宙を科学的な側面で見ながらも、人間の心情に重ねて1つのアート作品にしようという発想には驚かされる。

Huang Xoo Veen (Xoo)のImmortal - TRiCERA(トライセラ)
(Immortal/116.8cm80.3cm/アクリル)

「Again」という作品では、輪廻を思わせるようなキャプションが載せられている。宇宙には始まりも終わりも無く、それは人生もある意味で同じ。強い生命力を感じるような赤い光を持つ星が、絵の中で銀河の中心に描かれているのも興味深い。今度は「宇宙の不滅性」と、人生を巡る「輪廻の不滅性」を重ね合わせている。難しいテーマである生命を、巧みに宇宙と結びつける独特な感性が発揮されている。

Huang Xoo Veen (Xoo)のAgain - TRiCERA(トライセラ)
(Again/112.1cm162.2cm/アクリル)

6.作品に込められたメッセージ

美しく幻想的な絵はもちろんのこと、テーマと宇宙の共通点が何なのか考えたり、宇宙の様々な深い魅力を見つけることができるのは作品の魅力の1つだ。
作品に込められた強いメッセージ性。それを感じながら作品を通して共感したり、深く考えたりすることで、Huang Xoo Veenの言葉にじっくりと耳を傾けていきたい。

Manami Yonedahttps://www.tricera.net/
高校で3年間美術コースを受講、その後2年制の専門学校を卒業し、社会人経験を経てフリーランスのライター兼デザイナーとして、各種メディアにてアートや生活に役立つ情報を発信。 アート、健康、福祉、ライフハック、インテリア、の記事を得意領域としている。

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漫画はアートとしてどう流通するか?集英社によるマンガアート「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」が始動。

集英社はこの度、同社がこれまでに発行したコミックスを限定エディションのマルチプル作品として国内外に販売するプロジェクト「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」を始動。ポスターなど複製品としてコミックスが流通するケースはあったが、あくまでもアートワークのコンテクストに則って展開されることは国内でも例がない。漫画をアートというフォーマットにどのように落とし込み、どのように事業として成長させるのか。ECサイトの封切りに伴い、このプロジェクトのディレクター 岡本正史、それから現代アートの越境EC「TRiCERA.net」を運営する株式会社TRiCERAの井口泰が対談を行った。   アートとして「漫画」をどう見るか 井口泰(以下、井口) 第一声から申し訳ありませんが、まず1人の漫画ファンとして今回の対談はすごく嬉しく思っています(笑)。 岡本正史(以下、岡本) ありがとうございます(笑)。 井口 今回は集英社さんが開始される「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」、それからアートとして漫画の可能性についてお話ができればと思っていますが、まず後者の方の漫画をアートとして展開しようと考えたきっかけと言いますか、プロジェクトの経緯から聞いてもいいですか? 岡本 話を遡ると、実は発端となっているのは2007年頃になるんですね。その頃に集英社のコミックスをデジタルアーカイブしようという動きが立ち上がったんですが、とはいえ当時はまだスマホもないし、デジタルデータを活用して何か新しいことをしようという機運も活発とは言えなかった。ガラケーのコミックスに使ったり、あとは海外の翻訳出版のために使えればと。「デジタルアーカイブ」という言葉というか、その概念自体がまだ新しかった時代です。 井口 対象は集英社が出版したコミックス全てですか? 岡本 ほとんど全てですね。 井口 膨大な数になるような...(笑)。 岡本 なります(笑)。集英社は年間で800点ほど新しいコミックスを出しているので、今はだいたい300万ページ分くらいかな。スキャナーも、当時はイスラエル製の最高の機材を使って、とにかくクオリティの高いアーカイブを作成しよう、と。それが時を経てスマホ革命もあり、デジタルコミックスの製作にアーカイブデータが活用できるようになりました。でも作品の中にはすごく描き込みがされた絵もあって、「これは別の形でも世の中に出すべきじゃないか?」と思い始めたんですね。コミックスやタブレット、スマホのサイズではなく、媒体も変えて、何か違うフォーマットで世の中に打ち出すことも出来るんじゃないか、と。 井口 なるほど。つまり作成したアーカイブをアウトプットする方法としてアートを、ということですよね。興味深いなと思うのは、同じ絵でも、コミックスの時と絵画にした時では見え方が違うと思うんです。漫画はストーリーがあって、体験としてはすごく流動的。でもアート、特に平面作品は基本的には壁に固定されているわけで、体験として大きく開きがあると思うんです。 岡本 おっしゃる通りで、漫画は時間芸術なので、一枚の絵として抜き出して鑑賞する場合は違った風に見えてくるとは思いますね。例えば『ONE PIECE』の読者でも「こんなシーンあったっけ?」と思うはず。壁にかけられた状態で対峙する漫画は、またコミックスのそれとは違った発見があると思うんですね。 井口 漫画というコンテンツをベースに異なる体験を生み出す。 岡本 まさに。このプロジェクトはアーカイブという、漫画の原画の保存という観点から始まったわけですけど、「ただデジタル化して終わり」とか、単なる複製品をつくりたいわけではない。コミックスや作家さんのクリエイションを違う体験を通して受け継いでいくところがしたいし、そこにこそ意義があるとは考えてますね。 アートとしての価値をどうつくるか 井口 一方で、これはもっと実際的な話になりますけど、「漫画をアートとして販売する」ことには色んな課題が含んでいると思うんですね。現代アートという産業には既存の仕組みがあり、その中でどうやってポジションをつくっていくかという問題もある…。それに、もっと言えばアートの市場自体は漫画と比べると小さい。マーケットとして異なる業界への参入にはどう考えていますか? 岡本 その話で言うと、少し数字的なところから入るけれど、USBのレポートによれば世界の美術品市場は全体で7億円くらいですよね。で、日本のアート産業はと言うと3590億円で、美術品に絞ると2580億円程度。実はこの数字自体はすごく馴染み深くて。実は2020年の日本のデジタルコミックス売上が3400億円強で、大体同じなんですね。この規模感を見ていくと、5年後、10年後に「マンガアート」を100億円程度の大きさに育てていくビジョンを立てることは難しくはないと思っていて。 井口 漫画全体で考えると大きな規模になるでしょうね。 岡本 まさにそうで、集英社だけでも『ONE PIECE』や他の漫画数作品を手掛けているだけでも、絶対的に手一杯になってしまう。他の出版社の作品も入ってくれば、マーケットのサイズも成長が見込めるだろう、と。 井口 しかも「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」は越境ECですよね。海外のマーケットの方が圧倒的に大きいアートマーケットのことを考えると鋭い判断だったと思います。 岡本 評価いただき、ありがとうございます。でも「アートマーケット」の中で、既存のジャンルとバッティングするようなことにはしたくないとも考えています。絵画にしろ、彫刻にしろ、アートにも様々なジャンルがあると思うんですけど、市場の中でそれらと競合し、シェアを奪うようなことはしたくない。「したくない」と言うより、面白くないと思うんですよね。 むしろ、他のジャンルとコラボレーションする。工芸の作家さんとコラボレーションして、漆塗りの額縁をいっしょに作ってもらうとか。アート作品として、しかも日本のクリエーションとして海外にプレゼンテーションしていくと考えた時、そういう他のジャンルと協力することが重要になって来るとは思いますね。 井口 漫画をアートのジャンルに広げながら、既存のアートとの共生というか、新しい価値を生み出していく。 岡本 そう、そこが面白いと思うんです。これまでもポスターとか、例えば複製画とかはあった。でもアートとしてのクオリティを担保させた、つまりアートワークとしてコミックスを展開させる発想はどこにもなかったわけですよね。もちろん集英社としても初めての試みだし、業界にとっても新しいことだとは思うんです。 井口 今「アートとして」と仰いましたけど、その点で言うと、僕なんかはブロックチェーンによる証明書の発行は面白いと言うか、ある種の核心をついていると思います。アートに携わっている者の業と言いますか(笑)、ブロックチェーンや証明書と聞くと流通のあり方や価値形成や担保について考えているだろうな、とは想像がつくんです。というのも、今回はマルチプルな作品として展開させると思うんですが、そうなった時にはエディション管理の話は必須になってくる。 岡本 そうですね。そもそも、このプロジェクトに可能性を感じたきっかけもまさにそれで。今回はとにかく「複製品を売っている」と捉えられることは避けたかった。そうするとエディション管理とか、流通のさせ方にも工夫というか、アート作品として市場に流れていくロジックが必要だったんですよね。スタートバーンのブロックチェーンシステムはそういう意味では一つの大きなきっかけでしたね。 井口 今のお話にポイントがあったと思うんですが、その「アートとして流通させる」という点はすごく重要で、僕は現代アートとはジャンルというよりは一つの仕組みだと思っているんですね。けれど、そう考えた時、先ほどの話の繰り返しになりますけど、やはり版画や写真のような再制作が可能な作品の流通ではエディション管理、もっと言えば市場での価値の管理がすごく重要になる。 岡本 おっしゃるとおりだと思います。 井口 むしろそこさえクリアできれば、なんと言いますか、土壌は出来ていると思うんです。今の現代アートではKAWSをはじめ、もともとは外の世界にいた人たちが受容されていく傾向がある。ストリートアートやポップアート、あるいはイラストレーションが一つのジャンルになったわけですよね。言い過ぎかもしれませんが、そこに漫画という新しいジャンルが入ってくる下地はあるんじゃないのかな、と。こんなこと言うと、また方々から「言い過ぎだ」とかお叱りを受けるかもしれませんが(笑)。 岡本 いや、でも言っていることは分かります。でも、だからこそいかに丁寧に価値をつくっていくか、というところは重要になる。梱包一つとってもそうだし、配送もそう、もちろん証明書の話だってそうですよね。 井口 フランスでは漫画は九番目のアートとも言われているし(笑)。でも今お話になっている通り、現代アートは仕組みの世界で、そこにはルールがある。その「お作法」と言いますか、商慣習のようなものをおさえている点がストイックだし、このプロジェクトが本気なのだなと感じます。 岡本 ただその文脈で話をすると、一方では現代アートというか、ファインアートの中枢みたいなところとのバッティングは避けたい。あくまでも漫画というバックグラウンドは意識するし、ファインアートにも既存のやり方や作法がある。そこへ無理に合わせようとするとよくないんじゃないか、と。もちろん全く無視はしないし、だからこそブロックチェーン証明書の話もあるんですが…。もっと広い意味でのアートとして定着させたいし、それ独自の文脈や価値を考えていく必要があると思っています。 井口 なるほど。あと価値の点で言うと、これは個人的な意見ですけど、価値って感じ取るもので、それは共通の価値つまり認識が生まれることで大きくなっていくと思うんですね。その共通の価値が大きくなって総体的な価値が生まれる。マンガアートがどうやってアートとしての価値を生み出していくのか、この点はすごく可能性があるし、興味があります。 漫画の継承の方法としての「マンガアート」 井口 核心と言うか、少し突っ込んだ話ですが、この「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」と複製品の最大の違いはどこにあると考えてますか? 岡本 一番はリサーチと修復ですね。実は漫画の原画というのは退色や劣化がものすごく早いんです。油絵などよりもずっと脆弱です。というのも、週刊や月刊連載をベースにしている漫画の原画は、その制作速度に適応するために乾きやすい染料系のインクを使うことが多いんですね。この画材があって漫画の表現が豊かになっているんですが、一方でこうしたインクは退色や変色が早いんです。あとは写植を貼る接着剤など、紙を傷める要素がいっぱいある。 井口 そうか、印刷を前提にするから原画を長持ちさせるという発想はないんですね。 岡本 そう、まさに。アーカイブの専門家からすると「100年は保たない」という話もあると聞きます。きちんとした設備状況で保存しても、です。漫画の原画は、どれもくまなく、現在進行形で劣化に向かってるわけですよ。だから今回の作品化する際にも、元の状態がどうだったかというのをリサーチし、修復しながら制作するんですね。 井口 単純にプリントしているとか、そういう話じゃないですね。 岡本 そうなんです。それに漫画と違い、原画を縮小ではなく拡大している。だから撮影からプリントまできちんと行わないと鑑賞に耐えられないものになる。制作から流通まで、全て細かいコントロールをきかせながらするわけですけど、そうなると単純に複製品をやってます、とは言えない。 井口 アートにすることで残していく。 岡本 絵として残すことで、つまりコミックスの状態とは違う体験を与えるものとしてね。今は紙の原画がオークションで高値で落札された話も聞きますけど、そもそも原画の保存が間に合っていない。デジタルアーカイブはしているけど、大元の紙については劣化が進むばかりなんです。だからこそこのプロジェクトでお金が生まれれば原画の保管の研究にも回せるし、もちろん作家さんへの還元もできる。 井口 漫画家の新しい活動領域を生み出せますよね。 岡本 まさにそうで、やはりコミックスの世界も段々と厳しくなっている現状はあって。原稿料や印税だけで生計を立てるのは難しい作家さんでも、自分が描いた絵をアートとして活用できれば違った可能性も見えて来るかもしれない。将来的には新人漫画家さんの絵も作品化していきたいとは考えてますね。 井口 そう考えると、「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」の目指すところはだいぶクリアですよね。漫画の継承、漫画作家の新しい可能性。 岡本 漫画は、やはりどうしたって日本の重要な産業でもあるし、文化でもある。それを時代に適応しながら継承していく方法については考えなくてはならないし、これまで漫画を世の中に送り出していきた集英社だからこそ真剣にならなきゃいけない問題だとは思っています。アートとしての漫画が成立するのか、それをこれから丁寧に、そしてもちろん挑戦的に積み重ねていきたいですね。 岡本 正史 | Masashi Okamoto 「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」事業責任者・ディレクター。東京芸術大学美術学部卒業後、株式会社集英社入社。女性誌~女性誌ポータルサイトを 経て、マンガ制作のデジタル化に参加。集英社刊行の主要コミックスをアーカイヴしデー タベース運用する「Comics Digital Archives」を企画・実現。「少年ジャンプ」等マン...

deTaka|無常の世に光る人生表現、鮮烈と洗練。

現役の歯科医であるdeTakaは、ある日、デヴィット・ボウイの死が報じられた日のこと、不意に、唐突に、作家として出発を決意したという。友人親族の葬儀が続いた頃のだった。 作家としては京都芸術大学を2018年に卒業し、2019年にはニューヨークjadite galleryにてグループ展にも参加している。人生の儚さと無常さの悟りから、後世に残る表現を志す彼は、敬愛するデクーニングやピカソ、マティス、セシリーブラウンの影響下、荒々しいタッチに色合いとマチエールの味わい深さが共存した、力強く大胆な作品を手掛ける。 アクリル画を主たる表現の舞台とするdeTakaの懐は深く、mixed mediaやデジタルでの表現においても個性が光る。ジャクソンポロックのように床置きで描き、シリーズとして「東洋の詫び寂び」対「西洋のポップさ」を展開する背景には、学生時代の英ロックの影響に、有限たる人生への畏敬、または歯科用具も制作に使用する柔軟性と、彼ならではの人生経験がある。今後ますます、かのミュージシャンの如く洗練と鮮烈を観る者に届けることであろう。 アーティスト詳細はこちらから

さめほしの個展「entropy | エントロピー」を開催

この度TRiCERA MUSEUM では、6/12(土) - 7/10(土)の会期にて、 さめほしの個展「entropy | エントロピー」を開催致します。 崩壊と生成をテーマにペインティングを行ってきたさめほしの活動を、 物理学用語であるエントロピーという概念に擬えながら、新作と共にご紹介致します。 ーーーーーーーーーーー 【さめほし個展entropyのご案内】 明日11:00〜6/25金までの間 新作版画の制作につき、 展示作品の一部が会場から持ち出されます為 ご高覧できない作品がございます。 持ち出し中の作品に関しましては 6/26(土)に復帰予定です。 上記期間中ご来場の際はご理解ご協力のほど よろしくお願いいたします。 ーーーーーーーーーーー さめほしは1997年京都府出身、2020年武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒し、 現在は東京を拠点に活動。 これまでは「One Scene」(新宿眼科画廊/2018/東京)、 「ショートケーキのうみで目が覚めたら」(新宿眼科画廊/2019/東京)といった個展、 さらに今年度のアートフェア東京2021に参加するなど活動を行なってきました。 崩壊と生成をキーワードに、顔の造形が崩れた少女等をモチーフとした、 細かい線描を交えたペインティング作品を中心に発表してきましたさめほしですが、 一見するとその作品は2000年代から台頭しつつあったイラストレーションを背景にした ペインティングの特徴が目立ちますが、その先には可愛らしさを崩壊させることによる、 本人の言葉を借りるならば 「取り返しのつかない現象とそこに対する感情」を描き出そうとする試みが見られ、 それは言うなれば、東洋的な無常の美的感覚にも通じる要素を持った絵画作品とも言えるでしょう。 今回の展示では物理学において《乱雑さ》を意味するエントロピーになぞらえ、 一貫して可愛らしさを持った少女たちが崩壊していく様を描いてきたさめほしの活動を 新しいアングルから紹介することを目指します。会場では新作ペインティングに加え、 リアルタイムで崩壊していくデコレーションケーキ、 19のかけらに粉砕したメインビジュアル作品などをご案内します。 この機会にぜひ、お楽しみください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 開催場所:TRiCERA MUSEUM https://g.page/tricera?share 開催時間:11:00-19:00 ※日・祝は休廊 TRiCERA Page(プリント作品販売中): https://www.tricera.net/ja/artwork/art-prints-and-multiples/giclee-printing/id81021490001 さめほし Instagram @samehoshi Twitter @Samehoshi -------------------------- 出品作品や個展詳細についてのお問い合わせは下記までお知らせください。 03-5422-8370 customer_support@tricera.co.jp  会社概要:世界80カ国、17,000点の作品を購入できる、 アジア最大級のグローバルアートマーケットプレイス「TRiCERA ART」を運営 TRiCERA ARTは下記画像リンクから

Jose Cachoを知るための6つのポイント

モダンな雰囲気を感じさせる美しいアート作品を生み出すJose Cacho。作品の中で女性の立ち姿が多く描かれているが、これは演劇鑑賞のように、見ている人達が作品の中に入りやすくするための1つの手段として描いている。世界的にも有名なグスタフ・クリムトの絵画から影響を受けており、小さなモザイクが生み出す視覚的なアートの表現に力を入れている。こだわりを感じるのは、様々な種類の画材を使って、何千ものモザイク部分の素材を自分で作っているところだ。 1.経歴 メキシコを中心に活動をしている男性のアーティスト。2016年から2020年の間に制作された作品では、人間の状態に関連する問題、特に「生命」や「知識」を社会的なバランスの原因として意識しテーマにしている。また多くの作品の中で女性が描かれているが、これは知恵と愛を永遠に伝える存在として「地球上の女性の存在」を意識し、描写されている。 2.インスピレーションの昇華 Jose Cachoにとってアート作品を制作するのに大切であるインスピレーションの源は、新聞やファッション雑誌、広告などの身近なメディア。そこから得たインスピレーションを個人的なビジョンを通して作品へと変換することで、人間の本質を捉えたメッセージ性を作品の中に持たせている。メディアから「情報」として得たものを、深く考えることで新しく目に見える形としてアート作品を生み出すという、その巧みな技には驚かされる。独りよがりな作品では無く、実際に今、この瞬間を生きる人々が問題としていることを作品に取り上げたいという熱意を感じた。 3.モザイクが与える視覚的な効果 Jose Cachoの作品は非常にシンプルな構図で描かれている。モチーフの数も少ない。でもそのシンプルな構図のおかげで、何千もの種類で描かれたモザイクの部分に注目して見ることができる。モザイクの部分のディテールが細かいために、シンプルなのに飽きさせないという独特な個性を持っているアート作品だ。例えば「Turn it over」という作品では、2人の女性がシンメトリーに立っていて、2人が着ているスカートは、それぞれの正方形に一つ一つ違う模様が描かれたモザイク柄になっている。女性の顔には立体的な表現を表す影が描写されているが、体には立体感を表すような影などは描かれていない。わざと目に付くように平坦なスペースにモザイクを描くことによって、ディテールをよく鑑賞することができる。さらに体の立体感で、モザイクの印象を後ろに下げないという効果がある。 4.人間の本質を捉えたメッセージ 「Sel Love」という作品では、シンメトリーに配置された同じ顔の2人の女性が一緒に1つの薔薇の花を持っている様子が描かれている。この作品を読み解いていくと、人間の本質を捉えた面白いメッセージが伝わってくる。実はこの2人の女性は別々の存在では無く、一人の女性が自分を見つめなおしている様子を描いたものだ。ここでは「自己愛」について取り上げており、人間が抱えがちな虚無感に対して警告とアドバイスをしている。その虚無感を埋めるために、世の中では会社を探す人が多いが、「本当に大切なのは自分自身との関係だ」とJose Cachoは言う。自分を愛せない人はいつまでも幸せにはなれないし、満足感を覚えることもない。人間関係の中には、自分自身と向き合うことも含まれている。 5.モザイクの印象を操る 女性が横を向いて腕を組んでいる様子が描かれている「Impatient」という作品。ここでは今までとは違って、モザイクの一つ一つが大きく同じようなパターンの模様で描かれているのが特徴的だ。モザイクの印象を大きく変えることで表現の幅を広げており、ここではターコイズと温かみのあるゴールドから背景の質感に深みを演出している。腕を組んで穏やかな様子では無い女性からは「焦り」の大切さを伝えていて、時には自分で自分に圧力をかけることで、焦って大切な答えを見つけようとする。人生において「これは正しいのだろうか?」と疑う瞬間は誰にでもある。そんな時に焦ることは正確な決断を下すために、自分の味方になってくれるという前向きな味方が込められている。 6.Jose Cachoのメッセージ 作品に込められているメッセージは、どれも私達を激しく糾弾するようなものでは無い。人間の本質的な問題に対するアドバイスや、解決策を多く教えてくれている。そこから作品を通して、彼の優しさを感じ取れた。問題を抱えがちな人間だからこそ、Jose Cachoの作品を見るたびに、生きていくうえで大切なことを忘れないようにしたい。そしてこれから彼が見つけだす、人間の状態を掴んだ新しいメッセージにも目を止めていきたい。

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意外な万能役者; 家で愉しむ抽象画 pt.2

抽象絵画によく聞かれる「美術館やギャラリーの壁には良いけど、自宅には向かなさそう」という偏見とは裏腹に、実は、あなたの部屋をテイスト良く飾るのにはうってつけのアートである。単体だとやや難易度高めに見えがちなアブストラクトだが、部屋との調和を図るのは具象的な作品よりもとても簡単だ。一度実例を見れば、お気に入りの作品を自宅の壁に掛ける日常を瞬時に想像できるであろう。 ほら、この通り。 まだ納得行かない方の為に、もちろん実例写真は更に用意してある。こちらからシリーズのpart.1をスクロールして頂きたい。 未定義の真実を求めて; 家で愉しむ抽象画 – 前編 パート1を読んだなら、知的な存在として人類が、万事に説明を求めることを理解されたであろう。だからこそ「未知のもの」や「説明のつかないもの」に史上疑問を抱き、空想してきた。そして今、その探求は現代美術へと変貌を遂げる。 抽象芸術の万能さ。 抽象芸術が理想的なホーム・デコレーションである理由はたくさんある。例えばひとつ、抽象画は具象絵画のように、それ自身や、その部屋を定義しないと言うこと。ホテルの部屋に飾られている絵や写真のイマイチな趣味を批判した経験は誰でも少なからずあろうかと察する。それは、その特定の何かがあなたの好みではなかったから。一方で、抽象的なものの理解と好みは抽象的である。なんやねんそれ、と突っ込みたくなるようなこの理由が大いに寄与して、どんなテイストのどんなスタイルの部屋にでも、意外と不自然なく飾ることができるのだ。 自分の好みに自信を持って! 幾何学模様や色柄のファン? ヨガ部屋でもっと禅体験?こちらはいかが? ヴィンテージ家具でエレガントな部屋とも合う?もしくは気さくで自然調なカントリースタイルの部屋だと?問題無し!抽象絵画はたやすく折衷可能。 ユニークさが全てと言う貴方には、普通ではない素材を使った抽象アートはいかが? シンプルな美しさ、ミニマルな美しさがお好み?この通り単純にゴージャス。 TRiCERAでは、他にもまだまだ抽象アート作品を検索可能。一日中眺めても飽きないような作品が見つかること間違い無し。もっと楽しい発見が欲しい貴方、是非ニュースレターのご購読をお忘れなく。

アートで恐怖の館?ハロウィン編

もしもハロウィンのお祭り騒ぎが大好きならば、今年はコロナウイルスのおかげで、例年のようなパーティーが出来なくてガッカリしていることであろう。仮装を披露する相手も少ないし、「マスク」を着けるのはもう日常の風景となってしまった。そこでTRiCERAが提案するのは、あなたの予算とパーティー精神を自宅の装飾に当ててみてはいかが? いつものハロウィンの家の装飾に加えて、あなたはアートを一つ二つ追加して気分を盛り上げてみる。季節の移ろいと共にインテリアを衣替えするのは素晴らしい日本らしい美意識。そこにハロウィンも加えて、来る年々のために特別な装飾を。あなたと家を訪ねたゲストに背筋に寒気の走るような、怖〜いお気に入りアート作品を探してみよう。 Jure Kralj Help me please! by Jure Kralj100 x 70 cm  Abduction by Jure Kralj120 x 150 cm MIchele Pau Villain by MIchele Pau24 x 21 cm  Yumimi Little Cho Fear...

東京を拠点に活動する銅版画家, Jihye Kim

1993年 韓国生まれ 2018年 韓国ソウル・弘益大学校美術学部版画学科卒業(ダブル専攻) 2018年~ 東京藝術大学大学院修士課程在学中 1.一言で言うとどんな作家さんですか? - 銅版画家です。 2. 作品を作る時に一番大切にしていることは何ですか? - 作品を作る時に大切にしていることは何ですか?雰囲気のある題材で感情を伝えたいと思っています。 3.アートについて、ビジュアルとコンセプト、どちらが重要ですか? -ビジュアルアートで一番大事なのは視覚化だと思います。観客の共感を得られない作品は、ビジュアルアートとしての機能を果たせないと思います。アーティストの最終的な目標は、良いコンセプトを魅力的に表現して、視覚化することで観客を説得することだと思います。 4.アートとは何だと思いますか? -人間の本能である、何かを創造しようとすること。 5. どのようにしてアーティストになったのですか? -自分の作品は自分の人生の記録だと思っています。だから、日記を書くような感覚で作品を作っています。作品を作ることは、自分の存在意義を証明することと同じなので、それが芸術家になった理由だと思います。このような思いは、私の作品のメインテーマにもつながっています。生きることへの強烈な思いをモノにできるのが、アーティストの喜びだと思います。 Kim Jihye , Time to leave, mezzotint, 12x15cm, 2019 ©️Kim Jihye 6.尊敬するアーティストはいますか? -エドワード・ホッパー、ゲルハルト・リヒター、中林忠義、ドホ・ス。 7.あなたのキャリアの中で一番幸せなことと一番大変なことは何ですか? -自分の作品を愛してくれている人に認められた時はとても嬉しいです。逆に、アーティストではない友達とは違う道を歩んでいるような気がします。社会が求める標準化された時間とは違う時間を生きているような気がして、悲しくなることもあります。 8. どんな人に作品を見せたいですか? -昼より夜が好きな人、一人の時間が好きな人。なんとなく、こういう人には共感してもらえると思います。 9. 5年以内に実現したい夢や計画を1つ教えてください。 - 作品の方向性を考えて、変化を起こそうとしています。5年後の自分がどうなっているかはわかりませんが、満足できるように成長できればいいなと思っています。 10. 嫌いなコンセプトや避けたいコンセプトはありますか? -...

毒と浄化の物語 – 城蛍インタビュー –

城蛍は1996年愛知県出身。2019年に上京して作家活動を開始。今年3月には山下舞子キュレーションによって銀座のGallery Camelliaで初個展を開催した。曰く「瞬間的な物語を切り取る」というスタンスにおいてペインティングされたキャンバス、それから本人曰く「彫刻」と呼称する自作した額縁によって構成される作品を制作する彼女に、今回は作品と制作を中心に、その活動について話を聞いた。 作品の外形的なところから伺いたいのですが、城さんの作品は絵画と額縁に分かれているものとそうでないものがあります。ご自身では額縁の部分を「彫刻」と呼び、装飾物としての額縁と分けておられます。尋ねたいのは、城さんの作品において、この木枠の部分がどういうポジションにあるのかという点です。 一般的に額縁は装飾物の意味合いが強い。絵の飾りという立ち位置。私としては絵画と枠と、別個の存在をつくっている意識はないんですよね。絵を描いて、お手製の額をつけているわけではない。額縁として設定してしまうと、どうしても絵の飾りという聞こえ方になってしまうけれど、でも絵のためにあるわけではない。どちらかが主役で、どちらかが脇役ということはない。 いわゆる平面と立体という区分がし難い作品だと思いますが、その自覚はありますか? 平面かどうかについて言えば、限定してはいないと思う。このかたちの最初期の作品に〈老人と海Ⅲ〉というのがあるのですけど、それはストーリーの瞬間を切り取るというつくり方をして、その瞬間の保存という意味を込めて枠を使いました。そもそも、額縁は大切な写真とか記憶の保存に使うものだから。でも木枠の部分は絵の飾りではないから、平面というか、絵の部分がメインという考え方はしていない。かと言って立体でもないですけれど。だからどっちでもないし、分けるのは難しい。その必要もないと思う。 例えばリチャード・タトルや、あるいは最近の日本では安井鷹之助さんなど、平面と立体のボーダーラインに立とうとする作家さんがいます。城さんにもその意識はありますか? いえ、特に意識はしていなかったです。最初の最初で言えば、キャンバスの四角さが嫌だった。決まった形であることに嫌気が差したんですよ。そもそも絵だけだと角があったり、横があったり、紙だったら紙の厚みがあったりするけど、そういうのが気になるんです。すごく気になる。キャンバスの横に釘を打つなら、絶対にそれは隠したい。邪魔に見えて仕様が無い。そういう考えの人なんですけど、まだ東京に来ていない時、制作をしていてキャンバスの形がすごく気になった。居心地が悪かったんだと思います。それで外側にはみ出そうと思って、キャンバスの四角形から。最初は勢いというか、何か「やっちゃえ」みたいな。 「はみ出す」ための手段として額にたどり着いた。偶発的なことでしたか? いや、論理はあった。だから...偶然とは少し違うと思います。そうすればもっと広がりがあると思っていたから。 キャンバスを形態に手を加える表現方法としてはキャンバスを破いたり切ったり、燃やしたりと色々な先行例があります。中でも絵の外周に進んだ点が興味深いです。 絵の表面に暴力的なことはしたくなかったんですよ。傷をつけるのは嫌だった。 「キャンバスの外」を意識して制作された最初の作品は何でしょうか。 意識の話で言えば〈老人と海Ⅲ〉かな。あれは色々なことがはっきりした作品。でもそこで方向性が生まれたわけではなくて、それ以前にも(木枠を使う作品は)あるにはあったんです。だから...発見に近いのかな。それまでは自分でも気付いていなかった、無意識に続けていたことが自分の中で「そういうことだったのか」と思えた。今はそのやり方を整えている感じです。 例えば〈鯨と波〉は額縁がない円形の作品です。先ほど「ストーリーを切り取るつくり方」と仰っていましたが、つまり最初に作品化したいストーリーの瞬間やモチーフがあって、その実践プロセスで絵画と額縁への分化が必要な場合、そうでない場合があるということですか? そうです、その通りです。だから(額縁を使うかどうかは)場合によりけり。使っている場合にはやはり必然だと思う。だけど、そうじゃない作品もある。無いと成立しないという話ではなくて、必要な場合に採用するやり方。〈鯨と波〉では登場する必然がなかったし、逆にというか、支持体が丸くなる方に進んだ。それが作品にとっては一番自然だったから。無くても完結はするんですよ。枠があるのは、それが作品にとって自然な形だからに過ぎない。 つまり額縁は、あくまで表現の延長線上にあるんですね。ストーリーがあって、絵があって、場合によっては額縁があり変形な支持体がある。 そう、だからとにかく、私としては別々に捉える理由がない。どちらも一つの表現でつながっているから。それに枠があっても無くてもやっていることは同じ。〈鯨と波〉もそうですけど、例えば人の手によって違う姿になった生き物とか、それが生きていた風景とか場所とかを描いている作品もある。そういう作品には枠という形であるべきなのかなって。だから、それぞれですね。 形態から中身に話を移しますが、先ほどのストーリーというのは、映画や小説のように時間軸があるのですか。時間の流れが先か、映像が先かの話ですが。 モチーフが先ですね。描きたい対象があって、その周りにはどういう人がいるのか、それに関わる人物や場所が出てくる。その対象を軸に、それを見た人が目にした景色とか思い出している光景とか、その人たちの脳みその中を考える。結果的にはストーリーとか時間を切り取ってることになりますけど、でもモチーフが先。瞬間的な物語性というか。出てくる人たちの10秒とか10分とか、そういう瞬間的なストーリーです。一生分は考えていない。 登場人物の記憶にフォーカスしているように聞こえますね。 人には限りませんけど、記憶というのはそうかもしれない。だから登場する生き物の見た景色とか出会った人、昔した会話の内容、過去に存在していた場所について考えるのかもしれない。そもそもの最初に額縁を使った時も思い出や記憶に纏わっている。 記憶に焦点を置いているとして、モチーフの出所はどうですか。全くの空想か、それとも身の回りから取材しますか? モチーフが向こうから出て来る感覚に近いのですけど、どうだろう、でもメモはしています。生活する中で目に入ったもの、気になったものを書き留めておく。「あ、これ描きたいな」と思ったものをメモする。断片を集めたりしていて、その中で特に癖のある事柄があるんですけれど、例えば車のヘッドライトとか土偶とか、基本的にそれが作品のメインのモチーフとして出てきたりします。 物語の形式でも、例えば小説には一人称・二人称・三人称とありますが、城さんが制作する際の視点はどうでしょうか。 モチーフの視点かもしれない。だから三人称が近いと思います。自分の思ったことも入るけれど、でも一番近いのはモチーフ。モチーフや第三者が思ったこと、天候とか湿度も割と考えたりします。モチーフとなる存在がどういう場所にいるのか、いたのか、その周りの環境はどうなのかって。例えば土偶をモチーフにした作品なら、そもそも土偶を作った昔の人とか、長い時間をそれと一緒に過ごした持ち主のこととか。その場にいる存在の全てを考える。 メモの話で「描きたいと思うもの」を書き留めると話していましたが、そこに共通点はありますか。というのは、作品には暗色の画材が登場しません。選ばれるモチーフや画材は、目指している世界観と関わりがありますか。 基本的には描きたいものを描いていますけど、確かに共通点はある。暗いとか少し怖いとか、謎っぽいとか、毒があるとか気持ちが悪いとか。明るい部分もありますけど。でも作品にすることでそれを浄化している感覚が近いかもしれない。今は黒を使わないんですけど、それは多分バランスが悪いから。使うと、暗く描かれてしまう。それは少し違うと思うんですよ。暗さが根っこにあっても明るさはあっていい。きれいにしたい気持ちが強いのかもしれない。 負の浄化。 そうですね、それは近い。根本的には自分のだし、表層的には他人にとっての。作品を制作することそのものというか、その瞬間を残しておくことが浄化なのかな。自分であれ他人であれ、作品として、自分のフィルター越しに投影することで浄化になるのかなと。だから白い色を使うんですよ。その方が落ち着けるじゃないですか。 少しバッググラウンドに話を伸ばしたいのですが、例えば城さんが記憶に留めている作家もそういった世界観が多いですか。 どうだろう。シーレ、ボナール、デュマス、ペイトン、ワイエス、あとは村瀬恭子さんとクリス・ヒュン・シンカン、ハマスホイとか無限にいますけど、近さはどうだろう。好きだけど、でも違うと思う。私が描くべき作品でないことが多いと思います。でもハマスホイは、そうですね、違和感があるから......。予備校の先生が「ハマスホイの魅力は違和感」と仰っていて、制作でも、何か足りないと思った時にはその言葉を思い出しています。 コンテンポラリーのペインターが多いですが、元から現代アートに関心が高かった? というわけでも無くて、高校の時に油絵を専攻していたんですけど、そこで学んでいたのはいわゆる伝統的な油彩画だった。いかに描くか的な、技術的な話が多い学校だった。むしろ浪人している時ですね。今の作品がどういう風に成立しているか勉強していたら好きになりました。 少し話がそれますが、城さんは愛知から東京に出てこられて活動をスタートさせましたね。今年で2年目だと思いますが、そもそも上京したきっかけは? 単純にモチベーションの話ですね。私は美大に通っていないのですけど、2年浪人をして、でも細々と制作は続けようと。予備校を辞めてアルバイトしながら暮らしてたんですけど、その間、正直絵はほとんど描いていなかった。......年に2、3枚くらいだったかな。働いて、帰って、疲れたって、本当にその繰り返しだったんですよ。そういう時期にたまたま画家のやましたあつこさんから声をかけて頂いたんです。「続けるなら東京の方がいい。東京においで」って。それは正解だったと思う。環境が全然違うし、入ってくる情報がまるで違うから。 ある部分において、現代アートは戦略的な世界です。城さんは東京に出て来られて、その2年目に最初の個展を開催された。そしてキュレーションは山内舞子さん。非常に好調なスタートですが、自分のポジショニングは考えますか。 ポジションとかは、どうだろう、あまり考えてないです。まだはっきりとはしてないだけかもしれないですけど。でも私の好きな作品があって、それは見る場合もそうですけど、作家が心の底から楽しんでいる作品が良いと思う。そういう作品をつくっていきたい。あとは作品のことだけですね、考えるのは。でも制作は気持ちの面が大きく影響するから、この先どうなるかは分からないですよね。 作品はより変化をしていきますか。例えば、全く額縁を使わなくなるとか。あるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも私自身ペインターという自覚もないんですよ。だから作品を絵画に限定するつもりもない。でも、だからと言って彫刻家でもない。今後は(キャンバスと額縁を分けずに)同じ支持体とか、キャンバスの厚みを増していくとか、制作の方向も色々と考えていますけれど、でも絵を描いている部分があることとか、絵を描くこと自体を止めるつもりはないです。......絵は描いていると思う。でもどういうやり方でやっているのか、それは自分でも分からないです。今のところは。 TRiCERAのページはこちらから