月曜日, 3月 8, 2021
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この国でしか出来ない造形を | 野田怜眞インタビュー

1995年愛知県一宮市出身、現在は東京藝術大学 大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中の野田怜眞。昆虫や果実など自然物の造形性を実験的に、工芸の技術やコンテキストを駆使して作品化し、「この国で表現をすること」へ向き合う野田の制作と作品について話を聞いた。

《進化》70.0×185.0×170.0, 乾漆・銀箔・夜光貝

昆虫とバナナをモチーフにした作品が多い印象ですが、まずはその辺りから話していただけますか。
-僕の作品はカブトムシなど昆虫、あと最近はバナナをモチーフに漆を使って表現しています。表現したいのは、自然のそれぞれのストーリー。内容としてはごくごくシンプル。というのは基本的なスタンスとして自然を表現のターゲットにしているのと、あとは昆虫や自然を見ていて思うのんですけど、やっぱり人間の作り出す形では敵わないなと。圧倒的にすごいんですよ。自然が生み出した姿形、色の偉大さは僕らじゃ太刀打ちできない。だったら人間の自分には何が出来るだろうと考えた時、その自然の姿形を含め、その背景にあるストーリーを表現し、伝えることだと思って今の表現に至りました。

漆の使用もですが、技法的には工芸に負うところが多いですか。
-僕自身が工芸の領域を学んでいるせいもありますけど、でもこの国で造形表現をしようと思った時には重要な素材だなと。気候にせよ、文化にせよ、漆が持っている特性や文脈はとても大きいと思います。あとは工芸自体もそうですね。このジャンルは良くも悪くも素材の制約が強い。マイナスもあるかもしれないけど、でも素材を突き詰めることが出来るし、それに表面処理の技術は卓越していると思う。手を掛ける部分が多いこともあって(工芸は)作品一つ一つへの責任感が強い気がするんですね。そこも好きなところです。

でもプレゼンスする先は現代アートにしている?
-そうですね、あくまでもコンテンポラリーアートとして見せたいとは思ってはいます。現代アートを意識したのは、多分、学部4年くらいかな。もともとはジャンル云々ではなくて造形が好きだったんです。違う言い方をすると「目で完結できるもの」。言葉がなくても完結している傾向は、特に工芸の世界に強く見えたんですよ。

《Vanana 刺》20.0×11.3×4.6, 乾漆・銅

コンテンポラリーの作家で注目している人はいますか?
-新しいことをやっている意味で感動したのは、やっぱりデミアン・ハーストとか。流行りとかはどうでも良いんですけど、ものとしての価値観が変えられる作品には影響されていると思う。ハーストの作品もそうだし、あとは《泉》とか。

それでいくと彫刻を学ぶ道もあったと思うんですが、それはさっきの素材の問題もありますか?
-そうですね、それはある。正直、彫刻でもいいかなとは考えました。だけど、やはり工芸よりも素材的な束縛が少ないせいもあって(彫刻は)ジャンルとして広過ぎるなと。最初に身に着けるべき方法としては工芸が合っていると思ったんです。表現するにあたって手段として考えた時に工芸がよく見えた。今も現代アートを自分の畑にはしたいけど、でも工芸の文脈を捨てるつもりはないですね。

《Vanana 覆》19.0×11.0×4.0, 乾漆・卵殻

表現の方に話を戻しますけど、最近はバナナのシリーズを始めましたね。興味深いのは、どうしてこの果物がモチーフに選ばれたのかなと。
-最初にやろうと思ったのは卒制ですね。きっかけは正直大したことはなくて、金色の大きいバナナがあったら面白いなと。だったら現物を見ようと思って、千葉の農園に。そこがけっこう転機なんですけど、というのは実物がすごくカッコ良かった。太腿くらいの幹に2〜300本ほどが重力に逆らうみたいに生えてて、本当に感動した。それで「これは自分で勝手にデフォルメしちゃ駄目だな」と。まだ自分には早いと思って持ち帰ったんです。最近になって着手してるって感じですね。

基準は自分が感動するかどうか?
-もちろんそれもありますけど、でも…、そうですね、何というか少し飛躍するかもですが、美術にとって一番大事なことを考えた時に、それってポジティブさなんじゃないかと。格好いい文脈とかじゃなくてアレなんですけど(笑)。でも見ていてポジティブになれるものを創ることが一番のポイントなのかなと思っていて。マイナスな気持ちにさせるものじゃなくて、見る人にとっていい思い出とか勝利とか高揚感とか、前向きな気持ちを起させるものが大事なんじゃないかと。僕自身、そういう精神性を造形にしたいし。

《Vanana 煌》 20.0×13.0×4.2, 乾漆・鮑貝

そのスタンスのバックグラウンドが気になりますね。
-多分、学部3年生の頃のカンボジア旅行がきっかけですね。漆のある地域へ行ける奨学金をもらったんですけど、やっぱり現地は日本と比べると貧富の差が激しい反面、でも寺院はめちゃくちゃ派手につくられていて、そこにかける彼らの宗教的な感覚に感動したんですよ。幸福の感じ方って人それぞれだと思うんですけど、お祈りをすることで何か物をもらえるわけじゃないし、物理的な変化はないかもしれない。それでも、少なくとも僕には彼らがそれによって自分の生活をポジティブにしているように見えて。自分の作品もそうありたいなと。

その考えが直に影響した作品は何でしょう。
-《尋常に》というカブトムシの作品ですね。とにかく人間の等身大サイズがやりたかった。祈るべき存在としてイメージしたので、そのサイズ感が必要でした。でもこれは自分の化身というか、理想の存在を造形化したかった。それからこの国で表現するなら何が適切かと考えた時、日本には特有のカブトムシがいるし、それにしようと。金箔を使ったのは寺院とかの影響もありますね。やっぱり、金は人を魅了する色だし。

《尋常に》 50.0×220.0×150.0㎝, 乾漆・金箔・鮑貝

話を聞いていると、作品は象徴的な方向に進むように聞こえますね。
-そうですね。例えばカブトムシだったら、ある種の強さの象徴。戦国武将の兜もそうですけど、威厳や強さを表象するものをモチーフには選んでますね。その意味ではバナナも同じ。「Vananaシリーズ」と呼んでいるのですけど、頭文字の「V」は「Victory」と同じでもあるし、あとはさっきの話の続きになりますけど、バナナの持っている力強い生命感はそのシンボルになると思う。

コンセプトがはっきりしている反面、表現に対してミニマルな考え方があると思うのですけど、それは自然の造形に対する気持ちが影響していますか?
-どうでしょう…、でも確かに敬意はある。話は逸れるかもしれませんけど…、個人的にどの生物も生まれて来た意味を同じだと思っていて、それでバナナも昆虫も同等の生物として見たときにそれを人間独特の価値観で判断したり、人間と同じ時間感覚で捉えることに違和感があるんですよ、すごく。表現するにも、このままで、つまり人間サイドの尺度でやってしまって良いのかなと。

さっき話していた「人間としてできる表現とは」の話にも繋がりますね。
-そう、そうですね。バナナについても、僕は本物から型取りするんですけど、それはバナナが生きたり成長した証をそのまま表現にしてあげたいから。あとは見たときに感じたエネルギーとかを汲み取って、それを色と形ですよね、あとは素材とか技法、そういうものに制約されながらどう表現していくかを考える。人によって見方は色々あると思いますけど、昆虫の姿形って、僕はカッコいいし綺麗だと思っていて。だから変に僕が茶々入れたりするべきじゃない。

《Vanana 鯱》20.0×12.0×3.8cm, 乾漆・金箔・琥珀

今話していたような言葉と作品の距離が近いように思うのですけど、それは意識している?
-しているし、そう思って頂けるのは嬉しい。モチーフへに対する気持ちもそうだけど、あとは今言って頂いたみたいにやっぱり目で完結したいし、だとしたら最初に見た時から僕の伝えたいことまでの距離は短くて良いと思っていて。…僕の苦手な作品というか、個人的に抽象画とか読み取るのがすごい苦手で(苦笑)。少しストレスなんですよね。全般的に見ることが好きなんですけど、見る方としても目で完結していたい。そういう意味で造形物とか、あとは虫ですね。虫は一番ストレスが少ない、鑑賞してて。

制作ではビジュアルが先行しますか。
-しますね、断然。形自体も、最初にエスキースでやるんですけど、三次元に起こす時—つまり造形化する時に形としてないと把握できない。あとは僕自身、制作自体はぼんやりした言葉の元でしていて、終わった後でコンセプトをしっかり固めるタイプ。手で考えていくタイプですね。その逆はあまり得意じゃないかな。細かく設定するとズレてくるし「文章で良くない?」と思ってしまう。

ジャンルに話を戻しますけど、現代アートのフィールドでやろうとする時、工芸のバックグラウンドは邪魔になりますか?
-邪魔にはならないですね。でも表現上、工芸の観点からいうと僕はけっこう無茶をしている。ハンダ付をしたり、技術的なところですね、主に。でも工芸の魅力は落としたくないし、その可能性は絶対あると思ってるので。…とはいえ、確かに(工芸は)良くも悪くも技法や素材に対して意識が傾きがちではあるとは思う。講評でも使用した技法のレベルを美術館にあるような伝統工芸品と比較されたりとか。「いや、もっとバナナのオーラ見てよ!」って感じなんですけど(笑)。でもそれはそれで良い。考え方の違いだし。違う考え方の人がいるのは、むしろ良いことだと思っていて。自分の表現したいことを語り合って、ぶつけ合うのってすごく大事だし。閉じ籠もっちゃダメだなって思いますね。

その姿勢が面白いですね。最後に、今後に挑戦したいことや計画していることはありますか?
-今はブラッシュアップですね。新しいものというより、今やっているバナナとか今の表現を掘り下げたい。ちょうど修了制作の時期でもあるし、なので自分の言いたいことをより伝わりやすいように進化させるにはどうすればいいか、今はそこに磨きをかける時期かなと。出来るだけ多くの人に共有してもらいたいと思っているので、そうですね、より伝わるようにはしていきたい。今は「ここがなあ」とか思う点もあるので。あとは、そうだな…、カブトムシみたいに華美でやり過ぎなものは目指したいです(笑)

野田怜眞 / Ryoma Noda
1995年愛知県一宮市出身。2014年に愛知県立起工業高等学校デザイン科を卒業し、2015年東京藝術大学工芸科に入学。昨年は東京藝術大学卒業展示にて取手市長賞を受賞。現在は同大学大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中。

作品ページ:https://www.tricera.net/artist/8100422
Instagram:https://www.instagram.com/ryoma_noda/?hl=ja

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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デジタルペインティングは現代アートの一部として考えるべきなのか?もちろん、疑いの余地もない。確かにキャンバスと油絵具やアクリル絵具のようなリアルな材による従来の芸術とは異なるが、それでもやはり、描画や構図などの芸術的なスキル、そして何よりも創造性を必要とします。  また、デジタル絵画は、従来よりも更にタイムリーに現在の世情を反映することができる。当時の王侯のリアルな肖像画や戦争のキュビズム解釈など幅はあれど、常に歴史の鏡や視覚的な記録との役割を担う事実も、芸術の一つの重要な要素である。2020年は多くの無視できぬ出来事が続いており、より一層デジタルアーティストがこの前例のない年を描き出している。 デジタルの作品は、ほとんどがプリントで手元に届き、自明の理として立体的な質感や、 "オリジナル "の実感には欠ける。しかし、その一方で、特徴的なクリーンな線や想像を絶するような色使いを実現することができる。文頭の問いの答えは、良し悪しでの問題ではなく、新たなスタイルとして認められるべき、と。あなたも、この有無を言わせぬ独創的な芸術の力に納得するはずだ。 Le Thai Huyen Chauo  新興のサイケデリック・カラーの魔術師。彼女はロックダウン下の日常風景を、シニカルに、終末的なディスコへと変える。 fkXrnbw 芸術のタバスコ。辛辣なユーモアとシュールレアリスムの出会い。歪んだ創造性は、あなたを「夢の中の夢」の中で目覚めさせてくれる。 SAD MARIA 心の健康への意識を促す優しいビンタ。ミニマリスティックな構成がメッセージを強調している。 이창희 とろけるようなファンタジアへの招待状 - 入り組んだディテールとパターンの混ざり合いが魅力的。

現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

中国でアートのチャリティーオークションが開催。コロナ禍でアートは何ができるか?

 アートは人間の役に立つか?  あらゆる考え方ができるだろうが、実際的な機能を考えれば役に立たないと考えることもできる。この頃のニュースで忙しなく流れていたように表現するならば「不要不急」といったところであろう。  コロナ禍において、日本では文化・芸術に携わる職業者に対し国が補助金を与えることについて批判する声が小さくない。「文化芸術不要不急説」が横行しているのだ。ドイツを筆頭に世界各国が文化・芸術に手厚い支援を行う昨今、日本は逆行する情勢にあるのだ。ただ我々日本人が知らなければならないのは、現在のような有事の際に、アートは思わぬ形で社会に役立つ、ということである。  アメリカのアートマガジン”ArtReview”によれば、中国の美術館や文化団体から成るグループが、コロナウイルスのパンデミックの影響を受けた100以上の学校に予防衛生用品を提供することを決定したという。資金源は「Standing Together Through Thick and Thin」と題した一連のチャリティーオークションはHOW美術館、Yitiao、Modern Media Group(ArtReviewとArtReview Asiaが加盟している)、ART021、そして中国国内外の80以上の主要なアート機関やギャラリー(Hauser & Wirth、Edouard Malingue、BANK、Perrotin、Lissonを含む)によって開始された。寄贈された美術品、版画、希少な収集品の売却益は慈善団体である「上海宋慶齢基金会」が子供用マスク、デジタル体温計、消毒剤、その他の保護物質を購入するために使用される。   Yitiaoオンラインプラットフォームを介して行われるオークションは、3月2日(エディション、版画、収集品)、3月3日(現代美術I)と3月4日(現代美術II)に開始され、それぞれ2日間続く。He Xun、aaajiao、Yin Xiuzhen、Lorna Simpson、Gregor Hildebrandt、Esther Mahlanguなど錚々たるメンバーの作品がすでに寄贈されているが、オークションはさらに個人のアーティストやパトロン、企業からの寄贈も募っている。   募金活動の声明の中で、主催者は「伝染病で確認された患者の数が増加している背景には、非感染者の貧しい生活があります。この流行に直面して、私たちは最前線で繰り広げられる医療の戦いを行っている人々に敬意を表します。ウイルスと闘うための勇気ある努力は、私たちをより安全な位置に置くためのものです。私たちは芸術を通じて、困難な現在に芸術が勇気を奮い立たせる力を持っていることを示し、この大きな不安の時代を経て、より良い生活への憧れを抱くことができるように、私たちのやらなければならないことを遂行したいと考えています」と述べた。    先日、緊急事態宣言が解除されたものの「with コロナ」の生活は今後も続き、引きこもりがちな生活はしばらく続きそうだ。その際、我々を楽しませてくれるゲームや漫画、テレビといったエンタメも、自分の作品に人生を費やしたアーティストやそれを支援する者によって培われた文化・芸術という強固な地盤があったからこそ生まれたのだ。  アートのように「不要不急」なものにこそ、人生の豊かさが潜んでいるのではないだろうか。 参照元: https://artreview.com/news-27-february-2020-auctions-coronavirus-pandemic/ Copyright the ArtReview 

横断者たち-ファインアートと陶芸の境界線-

 陶芸、という響きに古めかしい響きがあるのは否めない。  日本人であれば、どうしても華道や茶道など古くからの日本文化を想起するであろうし、他国であっても何らかの伝統的文化と紐づくこと請け合いである。それもそのはず原始的なものであれば粘土と火さえあれば完成してしまう人類の最も古いテクノロジーだからである。  しかし、現代に生きる陶芸アーティストは、他のメディアと同じく常にアップデートを図っている。日本でいえば青木克世、桑田卓郎、上出恵悟などが手がける作品は、質はいうまでもなく目にも楽しい。  日本は世界的に見ても土性や焼成方法が多様であり、あらゆる陶芸の形が存在するわけだが、それと比例して陶芸のファンの数も多いことから現代アートとほぼ同等のマーケットを持つ。本記事ではそんな日本から、陶芸の世界に新たな息吹を吹き込むアーティストを3名紹介したい。 Saeka Komatsu 作家の詳細はこちらから 吉田芙希子/Fukiko Yoshida 作家の詳細はこちらから 長田沙央梨/Saori Osada 作家の詳細はこちらから

Feature Post

光をカタチに落とし込む-藤野真司 インタビュー-

 国内での数々の展覧会を行い、2019年にはスロベニアにて行われたアーティスト・イン・レジデンスに参加。ヨーロッパ圏のアーティストと共に制作と展示を行うなど、精力的な活動を行う藤野真司。アーティストになるに至った経緯、光を扱う作品をめぐる思索までインタビューを行った。  ガラスやアクリルに透明な筆跡を施し、作品が置かれた場所の光によって視覚化される《光の標本》シリーズ。藤野の代表的シリーズである当シリーズは「光が我々に何を見せてくれるか」をテーマに制作が行われている。光に対し特別の関心を抱く藤野であるが、はたして彼にとって光とはどのような存在なのだろうか。次のように語った。 「光は場所に関係なくどこにも存在し、鑑賞者の内面的な在り様によって様々なとらえ方ができます。」  人間にとって、切っても切り離せない普遍的な存在でありながら、捉えどころない光。藤野はジェームス・タレルのように光をマテリアルの一つとして取り扱うアーティストに影響を受けたという。そもそも藤野がプロとして創作の世界に足を踏み出したキッカケも光に関連するものだった。  「美術系高校と美大でアートを学び、卒業後はキュレーターとして活動していましたが自分自身が『理屈で考えること』に囚われてしまい、とても窮屈な状態を過ごしていました。そんな中、旅行をした先で室内に射し込む美しい自然光を見てぼんやりと眺めているうちに『理屈で考えること』から離れ開放的な気持ちになることができました。」  藤野によってターニングポイントとなったこの原体験。ある種の天啓を受け取った存在が光であったのだ。また作品性に反映されている藤野のバックグラウンドとして、もう一つ興味深いエピソードを語った。  「私の実家は小さな宿屋を営んでいました。幼少期から絶えず外から人が訪れ、また送り出すという循環の中に身を置いたことで『人は多様だ』という事を感じ取りました。」  作品単体だけでなく、設置された環境と鑑賞者の目線によって作品体験が成立する《光の標本》シリーズ。藤野が掲げるテーマにも通底する。 「心を忙しくしている方に、作品を手に取って頂きたいです。自分が身を置く場所の光が、充分に美しいと感じて頂くきっかけになれば、とても嬉しいです。」  人の多様性を前提とした《光の標本》シリーズ。その包み込むような優しさはまさしく陽光のようである。 アーティストの詳細はこちらから 作品の詳細はこちらから 作品の詳細はこちらから 藤野真司の作品はこちらから

現代アートは遊び場になり得るのか?

"今が遊び時" 東京都現代美術館 大人になると、「ゲームをやめろ、おもちゃや友達と遊ぶのをやめろ」などと言われてきましたが、大人になってからも同じようなことを繰り返しているかもしれません。大人になってからも、同じようなことを繰り返し、このような質問をすることがあります。仲間とつるむのをやめようか、もっと勉強して頑張ろうか」とか、そんなことを