月曜日, 10月 18, 2021
Home Curator’s Eye 「食べる」を見る。アートにおける食事の話。

「食べる」を見る。アートにおける食事の話。

「パンさえあれば、ほとんど悲しみは耐えられる」
スペインの小説家で『ドン・キホーテ』の著者であるセルバンデスはこう語ったが、パンや白米にそれほどまでに万能薬と言えるかどうかは別にして、確かに食事は、言うまでもなく人間にとってなくてはならない存在だろう。

Life is
91 x 117cm

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一食欠けばイライラが募り、一週間も飲まず食わずを続ければ死に至る。
一方で「食事」という行為は、人間社会における重要な役割も果たしてきた。

例えば古代ギリシャ最強の軍事国家と目されたスパルタは「共同で食事すること」に重きを置いていた。
食事を共にすることが団結力を高めると信じていたからだ。

他にも「食のルール」もある。
もちろん個人の好み(例えば「夜は炭水化物を食べない」など)に限らず、例えばイスラーム教では豚肉が、ヒンドゥー教では牛肉を食べることが禁じられているし、あるいは仏教では午前中の食事だけが許された派閥もあるし、宗教によっては食事に厳密なルールを課すこともある。

果たして人間にとって重要であるように見える食物や食事だが、アートの世界ではどうだろうか?
人間は、自分たちにとってウェイトの重いこの事柄を、いったいどのように造形化して来ただろうか?

例として絵画で見てみよう。
絵画には具象画と抽象画、そしてその中間という、ざっくりしたタイプがある。
Airaの場合はその最後の分類になるだろうが、ポップアート的な画面世界のこの作品は、多様な色彩を用いて葡萄をイメージ化し、その果物が元々備えていたフォルムから自由な形状になっている。

grape(2020#3)
47 x 54cm 

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「美味しそうな作品」という意味ではどうだろうか。
中島健太の描いている寿司は、エロティックに食欲を刺激するリアリズムの手法が使われている。
18世紀の文筆家レッシングは『ラオコーン』で「絵画は、適切な瞬間を捉えるべき」と言った。
中島の寿司は、まさに職人が握り、客に差し出された瞬間の、つまり、もっとも美味な瞬間を捉えているというべきだろうか。

寿司- 魬 -​
18.5 x 18.5cm

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弁当という食事の形態も興味深い。
一般的に、食事とは自宅もしくはレストランで腰を下ろして実地される行為を指す。
だが出先で食料調達が困難な場合などは弁当という、ポータブル式の料理形態を用いることが日本や台湾では古くからあった。
733カロリーと20gのタンパク質が含有が示されている、Shintakuのペインティングがまさにそうだ。

戯れにこれを「誰かが、誰かのために作った弁当」と解釈してみようするとストーリーが見えて来るだろう。
こんな風に、喧嘩の翌朝は米だけが箱に詰められているかもしれないし、その反対であればこの作品のように時間と具材がふんだんに使われた弁当に巡り合えるかもしれない。ある意味で弁当は、無言の、食物を介したコミニケーションとも言える。

BENTO-May 18, 2018(熱量733kcal、蛋白質20g、脂質32.8g、炭水化物85.7g、塩分1.75g/原材料名:御飯、ウィンナー、ほうれん草とたまご炒め、なすとおくら炒め、にんじん、とうもろこし、おくら、こんにゃく、ブロッコリー、チーズ、ふりかけ(かつお)、サラダ油、しょうゆ、みりん風調味料、ごま
35.5 x 45.5cm 

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そもそも「食事をする」とはどういうことか。
極端なミニマリストと動物は別にして、人間にとっては「食事」と「栄養摂取」は別だ。好きなものを、好きな時に、好きな場所で、好きな方法で食べる。
人間固有の快楽。
もしくは、人間固有の遊戯かもしれない。

no title91
37 x 27cm

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極端に個人の好みやこだわりが反映される「食事」という行為は、ある意味、その人となりを表現する方法だ。

一方、アートを買うことは、アーティストの才能やアイディアの買うことでもある。
食物や食事を描いている作品を買うことは、それに加えて、そのアーティストの生活を覗き見ることでもあるかもしれない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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ART & MOVIE ーシーンとイメージが導く映画と絵画の共振

今回は、映画とアートという2つをペアリングしていこうと思います。 映画には画、音楽、物語など多くの要素があり、 人によって映画の着眼点や感じ方はさまざまでしょう。 そのため、一口にペアリングをすると言ってもどのようにペアリングをしていくのか、 最初に決める必要があります。まずは映画を構成する要素を考え、 それらを様々な芸術へと当てはめてみることにします。 カット、シーン→絵画、写真 シーン、シークエンス→ビデオアート サウンド(BGM)→サウンドアート 演技、役者の身体→パフォーマンス 脚本、プロット→小説、文学、詩など セット、役者の身体→彫刻 こうしてみてみると映画というのは、舞台などと同様に総合芸術であると言えます。 総合芸術であるところの映画を一つの芸術作品をもって表現することは、 不可能ではありませんが、少し難しいため今回は映画全体と作品をペアリングするのではなく、 映画の中で印象に残ったシーンと作品をペアリングしていくことにします。 それでは、今回は3作の映画についてペアリングをしていきたいと思います。 映画のネタバレを含むことがありますので、ご注意ください。 1: バッファロー’66(1998)x 《E=MC2》(Jan Smeltekop) and 《A Moment》(Ken Sakamoto)   ヴィンセント・ギャロが監督と主演を務めたバッファロー’66は、刑期を終えた主人公が「フィアンセを連れて帰る」と実家に嘘をつき、 フィアンセ役を立てるため途中で出会った少女レイラを拉致し、 彼女と過ごす中で少しずつ変化していくという物語です。この映画の中で印象的なシーンの1つは、 ボーリング場でキング・キリムゾンの“Moonchild”をBGMにレイラがダンスをする場面です。 このシーンには、Jan Smeltekopの《E=MC2》をペアリングしてみました。 この作品は暗闇の中に佇む女性を描いています。女性の妖艶な姿と暗い画面が、キング・クリムゾンの曲の中で踊るレイラを想起させます。 また、画面に描かれた「E=MC2」はエネルギーの計算式を表しており、作品と映画シーンの両者がもつ独特な吸引力を感じることができます。 《E=MC2》(Jan Smeltekop) また、この映画でもう一つ印象的なのは、実家に戻った主人公と家族が食卓を囲んでいるのですが、 両親はあまり彼に興味がなく、ほとんど相手にされていないというシーンです。主人公のやるせなさや苛立ちとともに、 家族というものの歪なバランスが表れているように思います。 このシーンには、Ken Sakamotoの《A Moment》をペアリングしてみました。この作品は人の痕跡が残った食卓を描いており、 その粗雑な雰囲気とモチーフの荒削りな描き方からは、そこに集う人々の関係の危うさを感じます。 それは、彼らがいなくともそこに横たわり続ける「家族や家庭という形式的な現実の空虚さ」と、 映画の中で食卓を去った主人公が最後に道中を共に過ごしたレイラを抱きしめたように、「互いに向き合うこと、 その事実の重み」を想起させます。 《A Moment》(Ken Sakamoto) 2: 花とアリス(2004)x 《7,PM1913.》(MIZUKI)   岩井俊二監督によるこの作品は2015年に前日譚となるアニメーション「花とアリス殺人事件」が公開されたことでも話題となりました。2人の高校生の少女の恋と成長を描いた本作品は、岩井俊二作品特有の淡い光と、どこか不器用な人物たちの日常が印象的です。 朝靄の中の街を描いたMIZUKIの《7,PM1913.》には、映画と近い匂いを感じることができます。また、画面に並んでいるスッと伸びた角度の異なる電柱たちは、映画の最後に蒼井優演じる有栖川徹子がバレエを踊りながら、部屋の中を自由に動いてゆくシーンを連想させます。 《7,PM1913.》(MIZUKI) 3: インターステラー(2014)x 《Cornfield》(Alexander Levich) クリストファー・ノーランによるこの映画は、環境問題が深刻化し、人間が住むことすら困難になってきた地球において、現状を打開するために元空軍パイロットのジョセフ・クーパーが移住可能な惑星を求めて宇宙へと旅立つ話です。この作品には、別の惑星やブラックホール、四次元空間の描写など印象的なシーンが多々ありますが、個人的にはクーパーが出発前に子供たちと過ごした家と、その周りを囲むとうもろこし畑のシーンが印象的です。それは、今の地球上にもある風景であるとともに、近い未来その風景が変わってしまうのかもしれないということを考えさせられます。 Alexander Levichの《Cornfield》はまさにこのシーンと同じようなとうもろこし畑を描いています。そこに人影はなく、映画の中のディストピア的シチュエーションを感じさせますが、人との営みとは関係なく、畑は黄金色に輝いており、地球上の自然界にもお独自の時間、環境があり、彼らはその世界線で生きているのだということを再認識させてくれます。クーパーと彼の娘マーフィーはトウモロコシ畑の前でマーフィーの法則について話します。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こるのだ」と。 《Cornfield》(Alexander Levich) 以上、今回はバッファロー’66(1998)、花とアリス(2004)、インターステラー(2014)の3本の映画について ペアリングをしてみました。このペアリングは、自分が映画やアートを普段どんな視点で観て、どのような要素に反応しているのか明らかにしてくれます。 また、実際にペアリングをしていくと1つの画面の中に映画のもつ多様な要素に意識がはたらき、 作品や映画の新しい一面を発見することができます。他者のペアリングも、映画と芸術作品の新しい見方を知る機会になるのではないでしょうか。           本日紹介した作品はTRiCERA ARTで購入できます

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世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

Quick Insight Vol.4 多方メディアで注目を集める画家 なぜ今タケダヒロキが選ばれるのか

多方メディアで注目を集める画家 なぜ今タケダヒロキが選ばれるのか 水彩画を得意とするアーティスト、タケダ ヒロキさんは今年に入り、 大手通信アプリのメディアで注目されSNSでもファンの数を伸ばしている。 動物のかわいらしさを強調して描く作家は多いが、 彼のように動物のかわいらしさを表現しつつ、リアルで立体的な動物を描く作家は数少ない。 表情や色使いなど、他にはない作品作りに取り組んでいる作家だ。 今回はタケダヒロキの独特な技法と注目の理由について話を聞いた。 Q1タケダさんが絵を描く際に最も大事にしているテーマを教えてください。 "1つあげるとしたら、立体感ですね。植物やお花の可愛い素材で描くのですが、 見えてくるのはリアルで存在感のある動物にしたいので、 影や光を意識して立体的に見えるように色の明暗や、 体のラインにそって植物を描いたりします。" (elephant, 2020, H 33.2cm x W 45.4cm x D 3.5cm, 絵画 (水彩画)) Q2 最近Instagramでのタケダさんの作品に対する注目が集まっていますが、 どんなきっかけがありましたか? "前まではスキャンした作品の背景は消したり、 色をイジって綺麗に加工したものをのせていたのですが、 スキャンしたそのままをアップするようにしました。 画用紙の質感も見えるし原画に近いので紙に描いている水彩の作品なんだと、 見る人に知っていただけるようになったのだと思います。 あとは、インスタLiveで描いている所をお見せして、 本当に手で描いているアナログ作品という事をアピールするようにしてます。" (takeda_hiroki Instagram) Q3 タケダさんのコミッションワークを拝見する機会が多いですが、 どのようなきっかけでご依頼される方が多いのでしょうか "インスタで猫や犬のイラストをアップしているので、うちのペットを描いてほしいという注文をいただきます。" (Hedgehog, 2020, H 29.7cm x W 21cm x D...

デジタルはリアルの対義語か?平田尚也が目指す新しい彫刻の「場所」をめぐって。

ネット上から収集した素材を、仮想空間上にアッサンブラージュして制作される平田尚也の作品は、彼曰く「彫刻」として成立している。「あくまでもトラディショナルな彫刻をやっている」という彼の、厚さも重さもない、空間上に固定されることが存在要件でもあった彫刻をアップデートするその方法論や作品について話してもらった。 平田さんは仮想空間における彫刻作品を制作していますね。厚みや重さの無い、従来の空間的な尺度が無い彫刻作品です。ご自身の活動は、あくまで「彫刻家」という認識なんですよね。 -意識的なことで言えば、自分のことは彫刻家であり美術家と呼んでいます。主眼を置いているのは”形”を追求し彫刻史の現代的な見解を考察することです。実際にやっていることは、少なくとも私の中では、これまで彫刻をやって来た人たちと変わらないと思っています。形はつくっているけれど、でもそのアプローチが仮想空間の世界であるという点しか違いがない。 預言者 33 × 27.5cm 彫刻というと物質や空間の制限を受けるジャンルと連想しますが、そのフィルターは邪魔にならなかったのですか? -現在のスタイルのように映像でアウトプットする理由は、正直、最初は定まっていなかった。定まっていない時は、大方いつも情報量の不足から来る。色々と本を読んだり、あとは教わった先生が「彫刻とは時間と空間を伴うもの」と仰っていて。その時間化と空間化を彫刻の要素とするならば、私のやっていることは彫刻の条件を満たしているなと。現在の作品のアウトプットは映像や平面としてやっているのですが、その映像という出力の仕方が、自身の彫刻表現を考える時には合っていると思いますね。 ですが、その仮想空間における彫刻というアイディアはどこから出たんでしょうか。 -デジタルでやり始めたのは、だいたい学部4年ごろから。当時のちょっとグレた先輩が3DCGソフトで遊んでいるのを見かけ、すぐさま「これだ」と思いました。当時の自分が抱えていたものを解決できると思ったし、何よりこれは彫刻がつくれると直感しました。 でも、実はそれに先行して実写映像でやっていた時期があるんですよ。通っていた学校では3年生になると自由な制作期間が与えられるんですが、その時に困ったのが素材の問題で。つまり素材を入手する資金がなかった。彫刻はお金がかかるし、その問題に直面した時、自分が扱いたい素材はほとんど除外されてしまったんです。 DINER 33 × 36.6cm その打開策が、映像だった? -そう、まさに。少しうろ覚えですが、当時影響を受けたマシュー・バーニーが自分の映像作品を彫刻と呼んでいて「なるほど」と。つまり彫刻性さえ保てればアウトプットに制限することはなかったんです。それで試してはみたんですが、しかしクオリティが低かった。失望しましたね、自分に。同時にこれではダメだと思った。もともと海外のアーティストに憧れていたし、自分もそのレベルの作品をつくっていきたかったので。そうこうしている中で出会ったのが件の3DCGソフトだったので、まさに「これだ」でしたね。 平田さんの作品はオンライン上から素材集め、つまりデジタルな既製品をコラージュ的に構成使用して制作されますね。その点は、ご自身の何の意図と結びついていますか。 -意図というより、最初は方法の問題だったんですよ。自分としては従来の彫刻家とやっていることは変わらないつもりでいますが、でもデジタルで彫刻を制作すると、あくまで見え方や見せ方の話ですが、既存の映画やゲームとの線引きが難しくなってくる。つまり、どうやって現代アートの文脈上で作品を成立させていくかが課題でした。 Ouija #2 (The Grantham Tomb) 118.9 × W 84.1cm しかも彫刻作品として。 -そう、その方法が既製品を寄せ集める、つまりアッサンブラージュだった。実際の場合、使用した素材は物質として元の場所からなくなってしまうけれど、でもデジタルの場合は基本コピーだから無くならない。使用した素材が、この世界のどこかでは残っている。それが面白い。私の作品は、つまり世界のどこかで、いつ誰が作成したのか分からないものの寄せ集めなんですよ。ある意味で、それは現代の情報の結晶のように思えるんです。そこに気がついてからはコンテキストの構築は難しくなくなりましたね。 平田さんがデジタルにリアリティを感じられるのは世代的に、ネットの成長が並走的だったこともあるでしょうか。 -確かに私にとっては石とか木材の方が距離があるかもしれない。自分自身を含めて私の世代は、ネットと同時に育ってきた。ある時代の人たちにとっては自然や都市がそうであったように。生まれた頃からテレビゲームがあるし、インターネットがあって、オンラインの世界が構築されている世代だった。だからバーチャルには親しみが持てるし、それは並列的な存在として扱える。鉄や石と同じ列で見ることが出来る素材なんです。 Ouija #5 (Penelope) 118.9 × 84.1cm その素材が存在する場所が、つまり鉄などとは違うだけで。 -まさにその通り。私が扱う素材は、木材などとは違う場所、違う次元に存在している。情報として世界中のネットという場所に所在している。その点だけなんです。作品へのアプローチやそれ自体の成り立ちは、あくまで伝統に沿っているつもりですが、でも仮想空間やその他デジタルな用語や方法はけっこう時事的だし、そこだけ切り取られてしまう傾向にはありますけど。 実際の空間と仮想空間では、存在する情報が違いますよね。重さや手触りなどがそうですが、その点から見た場合の平田さんの彫刻作品のアップデートはどこにありますか。 -アップデートかどうかはともかく、私の作品には厚みが全くない。私の彫刻は内側が虚無なんですよ。これは今までにはあり得なかったこと。厚みを伴わない彫刻なんて無かった。その分というか、彫刻にとって重要なポイントである表面性にフォーカスする必要もありますが、存在の仕方として新しい局面に立つことは出来ると思うし、そうしたいと思いますね。私の作品の本体は仮想空間にあって、展示されているアウトプットされた平面や映像はそのアバターであり、プラトン的に言えばイデアの投影。複数要素を抑えた上で、形をつくる人として何が追求できるかが、つまり今後の課題になるでしょうね。 アーティストページはこちらから:https://www.tricera.net/artist/8100587

コラージュをめぐる錬金術

 アートの世界では「錬金術」ともいわれる手法、コラージュ。  その方法論的な歴史は深く(本や新聞の切り抜き、身の周りの雑多な物体などを組み合わせる方法)、紀元前200年ごろの中国まで遡ることができるという。  ファインアートの一ジャンルとして確立することとなったのは、20世紀にシュールレアリストを中心に劇的なムーブメントを起こし、同時期に”コラージュ"という言葉がジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソによって作られたことによるだろう。  その後、現在まで途切れることなくアッサンブラージュ、フォト・モンタージュとコラージュ的手法は様々に展開されてきたわけだが、近年ではテクノロジーの発達により新たな分野も産まれた。それがデジタルコラージュだ。本記事では、デジタルコラージュを制作する作家を紹介していく。 上田タカヨシ/Takayoshi Ueda 作家の詳細はこちらから WELCOME BOY 2ND 作家の詳細はこちらから IL VENTO Nakajima 作家の詳細はこちらから 平田尚也/Naoya Hirata 作家の詳細はこちらから soryo 作家の詳細はこちらから

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