水曜日, 10月 20, 2021
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星空を旅する時代のアートとは?

 星座の歴史は約5,000年前にさかのぼります。

メソポタミアの羊飼いたちが星空を見上げて星を繋いでいたという事実は、私たち人間が古代から漠然と宇宙に惹かれていたことの証拠です。

アポロ11号が月面着陸してから50年以上が経過した今、星空や星座を題材にした作品が数多く生まれています。科学の力で宇宙の秘密が少しずつ明らかになっていく中で、宇宙を題材にした作品も変わってきたのでしょうか。

内藤 博信

  日本人は昔から月に魅了されてきました。それは、現代まで続く月見の行事や、和歌に月が詠まれていることからも明らかです。内藤は、鉱物顔料を用いて月を叙情的に描いています。

Guide
76 x 57.7 cm

見上げて空に輝く月を見ると、自分の人生を振り返り、心の中に「静寂」を感じるという。目の粗い絵の具で描かれた青い月は、見る人の心に静けさを残してくれることでしょう。

Blue moon
116.7 x 91 cm

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椛田ちひろ

 インクジェット紙に黒のボールペンで不規則な形を描くことで知られる椛田。繊細で力強いボールペンの動きで、様々なものを描いています。

Unknown planet, aurora borealis
90 x 90 cm

宇宙に散らばる惑星は、観測されたものから人間の想像力を加工して生み出されてきた。しかし、蒲田の「惑星」は、その存在があり得ないと思われる抽象的な形をしている。しかし、概念的な表現の中に「未知」の魔法がある。

The unknown planet, Atlanta
90 x 90 cm

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前川奈緒美

前川は、星の性質を自らの創造物と同一視する精神的な観念で描いています。

I feel that the future of the universe, which we have not yet seen, resembles the human heart.
100 x 40 cm

星が終焉を迎えた時、自分の中心へと向かい、物質を破壊し、爆発し、元素を撒き散らし、存在から消えていくと言われています。私は自分を知るために、自分の中心、自分の心を描いてきました。すべてはつながっている。前川の作品はエネルギーに満ち溢れているように見える。

オイルバー(油絵具や蜜蝋で固めたもの)を使い、時には筆の代わりに自分の指でキャンバスと体を一体化させている。

I am in this square. The infinity of the universe. The story has begun.
53 x 53 cm

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言うまでもなく、宇宙は広大で、常に拡大し続けています。したがって、仮に人類の化学が究極の進化を遂げたとしても、その全てを知ることはできない。しかし、だからこそ、これからも人類の最大の廃棄物であり続けるであろう宇宙について考えずにはいられない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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「西洋の外見と東洋の内面を併せ持つ」START ARTIST vol.1 ~ Zeng Chao

TRiCERA発のオークションイベント「START」第一弾の出展作家の"なぜSTARTに出展したか"を主軸にしたインタビュー、ならびに新作の紹介を行います。 オークションイベント「START」とは 2021年2月に行われた「START」。アートに携わる様々な人たちを「セレクター」としてゲストに招き、それぞれの視点からアーティストを選び、そしてその魅力を伝える言葉と共に、その作品をオークション形式で販売いたしました。「アートをこれから始める」という方にも分かりやすい設計を行い、またオークションがはじめての方、オンラインではじめてアートを買う方など、様々なひとたちの「スタート」になるような企画となっております。 作家紹介 曾超 (Zeng Chao) 1985年、中国、湖南省生まれ。 東京造形大学大学院 造形研究科 博士後期課程 造形専攻 美術研究領域修了。 「START」に参加したきっかけ 私がモチーフとして描いている「仮山石(かざんせき)」は中国で伝統的に使われている"庭石"です。そういった古来からある中国のスタイルを現代の技法を用いて表現し、過去と現代を混在させた作品になります。新しくアートに興味を持たれる人に、こういった新旧が折り重なるコンセプトの作品をお見せできればと思い参加いたしました。 「START」では著名人からセレクトされた作品が出展されましたが、TRiCERA ARTの発足当時から親しくさせていただいているTRiCERA社代表の井口さんに選出していただきました。 「START」に出典した作品について 作品名:KS191004 サイズ:53 × 53cm 技法:キャンバスに油彩 作品のタイトルには「仮山石」のK、「皴法(しゅんぽう)」のSという二つのキーワードで構成されている。 「皴法」とは、墨のタッチにより山や岩の質感を表しており、筆を滑らかに滑らせることによって描く山水画における技法である。 「仮山石」は、中国、江蘇省で見られる、自然の力によって複雑な形の凹凸や様々な穴がついた岩のことである。 START展に出典した「KS191004」は、「KS」シリーズの作品であり、モチーフは「仮山石」という庭石であり、中国の庭園造形の歴史を象徴するものある。 このシリーズはスノーボードをイメージして、「仮山石」を筆を滑らせて執筆しており、KS191004は背景との明暗を強調して、世界の万物は気から生じるという中国の伝統的な考え方を文字通り表現した作品となっている。 既存作品の紹介 作品名:Self Portrait 3 作品サイズ:530 × 460 mm 技法:キャンパスに油彩   作品価格 360,000円 購入はこちらから 現在の中国の思想はヨーロッパからの影響が強く、外見は西洋に様変わりしてきている。しかし、中国の本来のアイデンティティは精神性であり、内面には強い気の力を秘めている。 今回紹介する「Self Portrait 3」という作品にはそんな彼の意図が込められている。 顔になっているのが、「仮山石」という曾超の作品の代名詞とも言えるモチーフを作品にしたものであり、中国のアイデンティティを表している。 この作品の人物像はスーツと赤色のネクタイを身につけているが、スーツは西洋の文化、赤いのネクタイは社会主義を象徴しており、伝統と現代、東洋と西洋の組み合わせに社会主義が入り混じった正に現在の中国そのものを表現している。   作品名:KS191025 作品サイズ:1940 × 1940 mm 技法:キャンパスに油彩   作品価格 1,250,000円 購入はこちらから 今日の中国においては、都市化が進み、以前には見られなかったような経済とテクノロジーの価値を中 心とした街の風景があふれている。それでも今なお伝統的な「仮山石」が都市の中の庭園にたたずんでいる。 現実の仮山石の形を単に再現するのではなく「気刀」や「気筆」による様々な筆致を強調し、そこに制作者としての独特な感性を追求するものである。それによって画面上での筆法によって生み出された形象の中に「気」の生成の現象を重ね、「皴法(しゅんぽう)」と「気韻(きいん)」と自己の制作の複合的な関わり合いを実現することを目指したものである。   作品名:KK130925 作品サイズ:910 × 910 mm 技法:キャンパスに油彩   作品価格 320,000円 購入はこちらから 仮山石の「形似」(現実対象物のリアルな再現)だけを追求するために行われるのではない。「気韻」という概念と自己の制作において見出される表現上の現代的な観念の関わり合いを通して、「気韻」...

ヌードの現在系-「裸」に向き合う現代絵画-

 人間のありのままの姿を表現するヌード。遥か昔、紀元前のギリシャ美術の時代からヌード作品は制作されているばかりか、体系化されていない原始美術などでも全世界的に盛んに制作されてきた。  ミラノ勅令後、ヨーロッパはキリスト教の名の下に社会の統治が行われてきたわけだが、公序良俗を掲げる時代にあっても芸術の世界では「裸」は不可侵の領域であった。ヌードを扱うには「寓意性や神話性を持っている」というエクスキューズが必要だったとはいえ。  しかし「聖書や神話、物語のワンシーンを描いた神話画・歴史画」以外の領域で、ゴヤによって描かれた西洋美術史において最初の卑俗的で具象的な女性ヌード絵画《裸のマハ》によって新たな地平が開ける。  その後も、人々がその魅力に囚われ続けるヌードはアートの世界を超え、様々な登場人物によってドラマチックな変遷を辿った。だがしかし、このインターネット時代、いつでもどこでもスマートフォン一つで「裸」に接続できてしまう。その点、官能性で他のメディアに勝てるのかといえば疑問が残るが、それでも今日のアーティストが「裸」を扱う意義とはなにか?本記事で紹介する作品を通して、共に考えていきたい。 Fiona Maclean 作家の詳細はこちらから Andrea Vandoni 作家の詳細はこちらから Isabel Mahe 作家の詳細はこちらから Zakhar Shevchuk 作家の詳細はこちらから Badri Vaklian 作家の詳細はこちらから

寺床まり子|記憶の景色に魅せられて

絵を描くことは寺床まり子にとってライフワークであり、過去現在そして未来へと絶え間なく続く営みだ。幼少期から絵画に親しみ、今日までその道から視線を外さずに今日の立ち位置まで歩んできた。三重県に生まれ、名古屋造形短期大学で洋画を専攻。「多くの素晴らしい画家や先生に出会う過程で、その影響が自分を作家として育ててくれた」と語る。 寺床の洗練された抽象画は、日本のみならず世界の美術界でも高い評価を得ている。自由美術協会に所属しつつ、これまでに埼玉県立近代美術館、東京のギャラリーや、ソウル・Kepcoアートセンターなどで個展を開催し、2022年11月にはニューヨークのArtifactでの個展開催も決定している。また、グループ展参加も多数、米国での発表にアジアのアートフェア参加と精力的な活動を繰り広げる。   作品のテーマを「記憶の色」と説明するように、彼女の絵画は、観る者に人生の心温まる瞬間を思い起こさせる。水、山、空、植物などの自然の色や街の色を、美しい色彩の重なりを巧みに用いて表現していく。それは彼女の個人的な記憶でありながらも、鑑賞者をも、美しいデジャブのような「記憶の風景」に誘い込み魅了する。 アーティスト詳細はこちらから

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水平線を引き直す

米蒸千穂は、視界に霞がかったようなイメージを描く日本画家である。 彼女のこの作風は、ホワイトアウトを体験したことに由来しており、 当時の体験について彼女は以下のように述べる。 ”1メートル先が見えず、見えるものすべてが真っ白で、方向感覚を失ったような気がしました。自分がまっすぐ立っているのかどうかもわからない。まるで宇宙空間に放り出されたような感覚です。” 実際には重力があり、上下は認識ができるはずだが、視覚情報による空間把握が、ホワイトアウトによって混乱し方向感覚が欠損することで、 真っ白な空間の中に自身が浮かんでいるような状態、もしくはミルク色の海に落ちたような感覚が彼女を襲ったのだろう。それは、自身の生命に関わる恐怖体験であったとともに、認識不可能で無限に拡張する空間、上下も左右もなくただ漠として広がり続ける空間という概念の体験でもあったはずである。この体験は、彼女にとって世界のさまざまな境界を曖昧にさせた。作品では、都市や森林や海などさまざまな風景が描かれ、近景ははっきりと遠景になるほど霞がかっていく。都市では奥に広がっていると思われるビル群が、森林では森自体の深さが、そして海では地平線が喪失している。都市や森林では、その空間の広さや大きさが曖昧になっているのに対し、海景では、水平線という空と海の視覚的な境界概念が曖昧になっている。 (The gap between the sky and the sea,H 72.7cm x W 91cm x D 2.7cm,Chiho Yonemushi, 2019) 作品詳細はこちら 森林と都市が空間把握の不可能性であるのに対し、海景は水平線という錯覚によって生まれる境界概念の喪失という点では、むしろ視覚によって認識される表面的な世界の虚構をあばき、 その奥に在る世界の実態へと私たちを誘うものでもある。この意味で米蒸の作品は、日常的なモチーフを通して、既存の認識を揺さぶり、日々の世界の見え方を再構築するきっかけになるものであると言える。海景というモチーフについては、杉本博司の「海景」シリーズを避けては通れないだろう。本シリーズについて杉本は、自身のウェブサイトにて以下のように説明する。 "水と空気、このあまりにも当たり前のように在るために、ほとんど注意を引くことのない存在が、私達の存在を保証している。この世の始まりは「水と空気が与えられたとせよ」という神話から始まったのだ。生命現象は、水と空気、それに光も加わって発生した。どうしてそのようなことになったのか、については偶然という神が存在した、とでも言っておくしかない。太陽系の中で、水と空気が保たれている惑星があって、おまけに太陽から適度の距離にあって、たまたま温度が生命発生の条件に適していた。そんな惑星なら、この広い宇宙の中にもう一つぐらいあってもよさそうなものだが、見渡すかぎり、似たような惑星はひとつとして見つけることはできない。このありがたくて不思議な水と空気は、海となって私達の前にある。私は海を見る度に、先祖返りをするような心の安らぎを覚える。そして、私は海を見る旅に、出た。" 上記の通り、彼は本作品シリーズにおいて、空気と水という生命にとって根源的な要素を捉えることを試みている。そうして捉えられた波の細かな表情や空気中の粒子を捉えたような空気の雰囲気は、 米蒸の作品の不明瞭さとは対照的でありながらも、世界の真実を捉え、表現しようという点において類似しているとも言える。また、杉本はいわゆる銀塩プリントの手法によって作品を制作する。これはフィルムに映し出されたイメージを暗室にて印画紙にプリントするものである。これは銀粒子の酸化還元を利用したプリント方法であり、写真によって独特な粒子感を見てとることができる。つまりこのイメージは言わば粒子の集合なのである。これに対し、米蒸が用いる胡粉は貝殻から作られ、岩絵具はその名の通り鉱物を砕いて作られる。それらもまた共に粒子なのである。そして、彼女の場合、この粒子が画面を(すなわち視界を)覆うという構造は作家自身が体験したホワイトアウトと重なるものでもあるのだ。 (Between the Sky and the Sea,H 41cm x...

小山登美夫ギャラリーでのVarda Caivano’s個展

Varda Caivano,"Untitled", 2019, water-based oil paint (gouache and ink) on linen, 90.9 x 57.6 cm (frame: 150.9 x 117.6 cm), ©Varda Caivano, Courtesy of...

誠実さと自己投影の絵画について。Yuta Okudaインタビュー

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FALSE SPACES:FALSE SPACESとは何かを問う

TOKAS Project Vol.2 "FALSE SPACES" 東京芸術劇場本郷にて 東京を代表するアートセンターの一つであるTOKAS本郷では、展覧会を開催しています。 "FALSE SPACES" "FALSE SPACES "は、TOKAS Project Vol.2で企画された。 関係者によると、2018年から始まったTOKAS Projectは番組として 思索的に芸術や社会などに光を当てることを目的とした 多文化の視点からのテーマを、国際的な活動との連携を図りながら、世界に向けて発信していきます。 アーティスト、キュレーター、アートセンター、文化団体。 TOKAS「FALSE SPACES」では、ホンとコラボ。 香港を拠点に活動するインディペンデント・キュレーターのIP Yuk-Yiu氏と香港芸術センター(HKAC)が共同で開催する展覧会。 本展では、主に日本と香港のメディアアートに焦点を当てています。 をベースにしたアーティストたちと キュレーターIP Yuk-Yiuとキュレーターチームの共同キュレーションにより 本展では、日本人アーティストのITO Ryusuke, TSUDAの3名が展示されます。 Michiko, NAGATA Kosuke、香港からの3人のアーティストNG Tsz-Kwan, Stella SO そして WAREです。 日本と香港の現代アートシーンにおけるメディアアートの鑑賞が「FALSE...

Feature Post

「食べる」を見る。アートにおける食事の話。

「パンさえあれば、ほとんど悲しみは耐えられる」スペインの小説家で『ドン・キホーテ』の著者であるセルバンデスはこう語ったが、パンや白米にそれほどまでに万能薬と言えるかどうかは別にして、確かに食事は、言うまでもなく人間にとってなくてはならない存在だろう。 作品の詳細はこちらから 一食欠けばイライラが募り、一週間も飲まず食わずを続ければ死に至る。一方で「食事」という行為は、人間社会における重要な役割も果たしてきた。 例えば古代ギリシャ最強の軍事国家と目されたスパルタは「共同で食事すること」に重きを置いていた。食事を共にすることが団結力を高めると信じていたからだ。 他にも「食のルール」もある。もちろん個人の好み(例えば「夜は炭水化物を食べない」など)に限らず、例えばイスラーム教では豚肉が、ヒンドゥー教では牛肉を食べることが禁じられているし、あるいは仏教では午前中の食事だけが許された派閥もあるし、宗教によっては食事に厳密なルールを課すこともある。 果たして人間にとって重要であるように見える食物や食事だが、アートの世界ではどうだろうか?人間は、自分たちにとってウェイトの重いこの事柄を、いったいどのように造形化して来ただろうか? 例として絵画で見てみよう。絵画には具象画と抽象画、そしてその中間という、ざっくりしたタイプがある。Airaの場合はその最後の分類になるだろうが、ポップアート的な画面世界のこの作品は、多様な色彩を用いて葡萄をイメージ化し、その果物が元々備えていたフォルムから自由な形状になっている。 作品の詳細はこちらから 「美味しそうな作品」という意味ではどうだろうか。中島健太の描いている寿司は、エロティックに食欲を刺激するリアリズムの手法が使われている。18世紀の文筆家レッシングは『ラオコーン』で「絵画は、適切な瞬間を捉えるべき」と言った。中島の寿司は、まさに職人が握り、客に差し出された瞬間の、つまり、もっとも美味な瞬間を捉えているというべきだろうか。 作品の詳細はこちらから 弁当という食事の形態も興味深い。一般的に、食事とは自宅もしくはレストランで腰を下ろして実地される行為を指す。だが出先で食料調達が困難な場合などは弁当という、ポータブル式の料理形態を用いることが日本や台湾では古くからあった。733カロリーと20gのタンパク質が含有が示されている、Shintakuのペインティングがまさにそうだ。戯れにこれを「誰かが、誰かのために作った弁当」と解釈してみようするとストーリーが見えて来るだろう。こんな風に、喧嘩の翌朝は米だけが箱に詰められているかもしれないし、その反対であればこの作品のように時間と具材がふんだんに使われた弁当に巡り合えるかもしれない。ある意味で弁当は、無言の、食物を介したコミニケーションとも言える。 作品の詳細はこちらから そもそも「食事をする」とはどういうことか。極端なミニマリストと動物は別にして、人間にとっては「食事」と「栄養摂取」は別だ。好きなものを、好きな時に、好きな場所で、好きな方法で食べる。人間固有の快楽。もしくは、人間固有の遊戯かもしれない。 作品の詳細はこちらから 極端に個人の好みやこだわりが反映される「食事」という行為は、ある意味、その人となりを表現する方法だ。一方、アートを買うことは、アーティストの才能やアイディアの買うことでもある。食物や食事を描いている作品を買うことは、それに加えて、そのアーティストの生活を覗き見ることでもあるかもしれない。

富士山と絵画の蜜月関係

 現在の静岡県と山梨県の間に聳える世界遺産「富士山」。  日本一の高さを誇るこの山は古来より、神仙が宿る山として崇められていた。それは、日本一の山であると同時に、圧倒的に美しい稜線を誇っているからに他ならない。また一方で、噴煙を上げる火の山として畏怖の念を抱かせる存在だったことも一つの要因だろう。  さて、周知の通り富士山は日本画でも人気の題材であった。しかし、現在でもただの自然の一部ではなく、一つの山に宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観は衰えていないようだ。本記事では富士山を描くアーティストを紹介する。 中島健太/Kenta Nakajima 作家の詳細はこちらから やまゆりの/Yurino Yama 作家の詳細はこちらから 麻生彩花/Ayaka Aso 作家の詳細はこちらから YUKIMI 作家の詳細はこちらから 高橋浩規/Hiroki Takahashi 作家の詳細はこちらから 松崎大輔/Daisuke Kawai 作家の詳細はこちらから 河合眞平/Shinpei Kawai 作家の詳細はこちらから deTaka 作家の詳細はこちらから  同一のモチーフでいえば、富士山以上長い間繰り返し描かれたものはないのではないだろうか。しかし、それでも飽きがこないのは日本画誇る美しき霊峰とアーティストのなせる業なのだろう。

デジタルアート専門のアートフェアがフランスで開催

デジタルアート並びに現代アート専門のアートフェア「Contemporary and Digital Art Fair (以下、CADAF) 」は、この度新型コロナウイルスの影響を鑑み、今年の開催をオンラインに切り替えることを発表した。 2019年にスタートした新興フェアであるCADAFはデジタルアートおよび現代アートに特化した唯一のカラーを備えたアートフェア。前回はマイアミとニューヨークで開催されたが、今年は新型コロナウイルスに影響によってオフライン開催を断念、その代わりに2020年6月11日から13日の会期で、パリを拠点にオンライン開催を実施する。 デジタルアートと言えば、明らかにインターネットの成長と伴に開拓されてきたアートの方法あるいは媒体の一つだが、最近ではルーメン賞などの国際賞の登場などその地歩を固めつつある。イニシャルコストの低さやブロックチェーンなど最新技術との相性の良さもアドバンスの一つだろう。 今回、CADAF サイドは約50のアーティスト並びに15のギャラリーの参加を公表しているものの詳細は明らかにしていない。会場となるサイトはホワイトキューブを意識したバーチャルブースとなり、また来場者は無料で入場が可能だと言う。最高責任者のElena Zavelev氏は「デジタルアートの作家の発表のためのプラットフォームはまだ整っていない」と語るが、現況も併せ、同ジャンルの台頭は加速するだろうか。 参照元:https://cadaf.art/

Delta N.A – 芸術の自由の中の二つの魂

1つのキャンバスに2つの異なる魂をマージ - また、Delta N.Aとして知られているデュオアーティストネバエポックとアレッサンドロ-ヴィニョーラは、同じキャンバスに一緒に彼らの感情的な融合を表現する能力を開発しました。 心理学者としてのキャリアをスタートさせた時に、アートは自分たちに喜びを与えてくれるものだと気付いたという。それ以来、肖像画や具象作品を制作し、2008年には初の個展を開催し、世界に向けて作品を発表する勇気を与えてくれました。国際的な現代アートシーンに自分たちの作品を持ち込み、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのギャラリーや美術館でグループ展や個展を多数開催。以来、彼らの作品は多くのプライベート・パブリック・コレクションに収蔵されています。 Delta N.Aの表現は、人間や自然の象徴的な構造物に幾何学的なサインが重なったユニークなものです。彼らのアーティスティックなインスピレーションは、現代人の内なる二項対立から解き明かされます。           See More Of Delta N.A's Artworks

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