金曜日, 2月 26, 2021
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星空を旅する時代のアートとは?

 星座の歴史は約5,000年前にさかのぼります。

メソポタミアの羊飼いたちが星空を見上げて星を繋いでいたという事実は、私たち人間が古代から漠然と宇宙に惹かれていたことの証拠です。

アポロ11号が月面着陸してから50年以上が経過した今、星空や星座を題材にした作品が数多く生まれています。科学の力で宇宙の秘密が少しずつ明らかになっていく中で、宇宙を題材にした作品も変わってきたのでしょうか。

内藤 博信

  日本人は昔から月に魅了されてきました。それは、現代まで続く月見の行事や、和歌に月が詠まれていることからも明らかです。内藤は、鉱物顔料を用いて月を叙情的に描いています。

Guide
76 x 57.7 cm

見上げて空に輝く月を見ると、自分の人生を振り返り、心の中に「静寂」を感じるという。目の粗い絵の具で描かれた青い月は、見る人の心に静けさを残してくれることでしょう。

Blue moon
116.7 x 91 cm

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椛田ちひろ

 インクジェット紙に黒のボールペンで不規則な形を描くことで知られる椛田。繊細で力強いボールペンの動きで、様々なものを描いています。

Unknown planet, aurora borealis
90 x 90 cm

宇宙に散らばる惑星は、観測されたものから人間の想像力を加工して生み出されてきた。しかし、蒲田の「惑星」は、その存在があり得ないと思われる抽象的な形をしている。しかし、概念的な表現の中に「未知」の魔法がある。

The unknown planet, Atlanta
90 x 90 cm

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前川奈緒美

前川は、星の性質を自らの創造物と同一視する精神的な観念で描いています。

I feel that the future of the universe, which we have not yet seen, resembles the human heart.
100 x 40 cm

星が終焉を迎えた時、自分の中心へと向かい、物質を破壊し、爆発し、元素を撒き散らし、存在から消えていくと言われています。私は自分を知るために、自分の中心、自分の心を描いてきました。すべてはつながっている。前川の作品はエネルギーに満ち溢れているように見える。

オイルバー(油絵具や蜜蝋で固めたもの)を使い、時には筆の代わりに自分の指でキャンバスと体を一体化させている。

I am in this square. The infinity of the universe. The story has begun.
53 x 53 cm

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言うまでもなく、宇宙は広大で、常に拡大し続けています。したがって、仮に人類の化学が究極の進化を遂げたとしても、その全てを知ることはできない。しかし、だからこそ、これからも人類の最大の廃棄物であり続けるであろう宇宙について考えずにはいられない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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日本と西洋の間の絵画を描いている。

 オーストラリア在住の大泉沙知は、最初は油絵を学び、その後日本画を学び始めました。彼女の作品の特徴は、洋画の油絵と日本画の伝統的な画風を併せ持つことです。日本以外の国に長く住んでいたこともあり、「日本人と外国人のハーフ」と表現しています。異文化への感性を持っているからこそ、多様な作品を生み出すことができるのです。 日本画を始めたきっかけは? -オーストラリアに移住してから日本画を始めました。メルボルンのアンティークショップで日本画を見つけて、美しいと思ったのがきっかけです。私自身が日本人であるにも関わらず、日本にいない時に日本を客観的に見ていることに気付きました。だから、海外に住んでみて日本画の特徴に気がつきました。 日本画は絵画の表現だけではなく、生物でもあると思うんです。有機的な素材を使っているからかもしれませんが、有機的な世界が日本画の魅力の一つだと思います。 Samantha Summer Solstice, 116×116cm 油絵と日本画では画材や手法が違います。どうやって慣れたんですか? -ーーそうですね。作り方が大きく変わりましたね。油絵はインスピレーションが大事で、それに頼っていました。でも、日本画は根気が必要なんですよ。準備が全てで、一つ一つの工程がはっきりしている。先を考えて描くチェスのようなものですね。過程だけでなく、作品に対する姿勢も変わってきたかもしれません。 アプローチの仕方や制作の仕方を変えるのは大変そうですね。どうやって適応したんですか? -そうですね、大変だったかもしれません。でも、オーストラリアに引っ越してきた時に、全く絵が描けなかった時期がありました。たぶん7~8年くらいは全然描けなかったんですよ。 オーストラリアは自然が豊かだったので、絵が描けない時は昆虫採集をしたりしていました。それが影響してか、日本画の有機的な部分に興味を持つようになりました。有機的なものや自然環境などの大きな枠組みを見ていると、それまでやっていたインスピレーションに満ちた創作は、とてもナルシストで小さく感じられました。 An Asian plum, 14×18cm それで仕事を見直されたんですか? -そうですね、もっと広い世界が見えた気がしました。そこから「本物の絵とは何か」ということを自問自答するようになりました。 その時に思ったのは、20代と60代の頃に作った作品と、20代の頃に作った作品の方が良いという比較をしていたんです。それをきっかけに、もっと真剣に自分の絵と向き合わなければいけないと思いました。 モチーフやテーマは何ですか? -リザードがよく家に来るので、それをスケッチしてモチーフにしています。私の絵の世界はどちらかというと抽象的な世界だと思います。手前に有機物を使うことが多いので、背景に世界が見えるようにしています。金色は説得力があるのでよく使います。 Jungle garden, 72×100cm 今後の活動について教えてください。 -日本画の経験がまだ少ないので、もっと勉強したいです。日本画は技術がとても重要なので、もっと技術を磨いていきたいです。また、私自身は日本人ですが、海外での生活が長くなってきたので、「フル」というよりは「ハーフ」になってきています。円山応挙のような古い伝統的な絵画が好きなので、日本の文化を海外に広めていきたいです。

オープンしたばかりのアートスペース「PARCEL」では、彫刻と絵画の中間のような作品が展示されていました。

小牟田 悠介個展“Space|aspec” at PARCEL The Installation view of “Space|aspec” (2019) by Yusuke Komuta at PARCEL Courtesy of the artist and PARCEL 今年6月、東京に新しいギャラリー「PARCEL」がオープンした。その第二弾として、9月21日から10月31日まで小牟田悠介の個展が開催されています。小牟田 悠介は、SCAI THE BATH HOUSEの代表アーティストの一人であり、大阪生まれの新進気鋭のアーティストです。 彫刻も絵画も専攻していないにもかかわらず、彼の作品は彫刻と絵画の中間のようである。 このような具象的な特徴の面白さとともに、彼の作品のテーマは素材の扱い方と同じくらいユニークです。彼の作品は、折り紙を広げた飛行機や鶴の線をモチーフにしたシリーズを制作しています。  ...

毒と浄化の物語 – 城蛍インタビュー –

城蛍は1996年愛知県出身。2019年に上京して作家活動を開始。今年3月には山下舞子キュレーションによって銀座のGallery Camelliaで初個展を開催した。曰く「瞬間的な物語を切り取る」というスタンスにおいてペインティングされたキャンバス、それから本人曰く「彫刻」と呼称する自作した額縁によって構成される作品を制作する彼女に、今回は作品と制作を中心に、その活動について話を聞いた。 作品の外形的なところから伺いたいのですが、城さんの作品は絵画と額縁に分かれているものとそうでないものがあります。ご自身では額縁の部分を「彫刻」と呼び、装飾物としての額縁と分けておられます。尋ねたいのは、城さんの作品において、この木枠の部分がどういうポジションにあるのかという点です。 一般的に額縁は装飾物の意味合いが強い。絵の飾りという立ち位置。私としては絵画と枠と、別個の存在をつくっている意識はないんですよね。絵を描いて、お手製の額をつけているわけではない。額縁として設定してしまうと、どうしても絵の飾りという聞こえ方になってしまうけれど、でも絵のためにあるわけではない。どちらかが主役で、どちらかが脇役ということはない。 いわゆる平面と立体という区分がし難い作品だと思いますが、その自覚はありますか? 平面かどうかについて言えば、限定してはいないと思う。このかたちの最初期の作品に〈老人と海Ⅲ〉というのがあるのですけど、それはストーリーの瞬間を切り取るというつくり方をして、その瞬間の保存という意味を込めて枠を使いました。そもそも、額縁は大切な写真とか記憶の保存に使うものだから。でも木枠の部分は絵の飾りではないから、平面というか、絵の部分がメインという考え方はしていない。かと言って立体でもないですれど。だからどっちでもないし、分けるのは難しい。その必要もないと思う。 例えばリチャード・タトルや、あるいは最近の日本では安井鷹之助さんなど、平面と立体のボーダーラインに立とうとする作家さんがいます。城さんにもその意識はありますか? いえ、特に意識はしていなかったです。最初の最初で言えば、キャンバスの四角さが嫌だった。決まった形であることに嫌気が差したんですよ。そもそも絵だけだと角があったり、横があったり、紙だったら紙の厚みがあったりするけど、そういうのが気になるんです。すごく気になる。キャンバスの横に釘を打つなら、絶対にそれは隠したい。邪魔に見えて仕様が無い。そういう考えの人なんですけど、まだ東京に来ていない時、制作をしていてキャンバスの形がすごく気になった。居心地が悪かったんだと思います。それで外側にはみ出そうと思って、キャンバスの四角形から。最初は勢いというか、何か「やっちゃえ」みたいな。 「はみ出す」ための手段として額にたどり着いた。偶発的なことでしたか? いや、論理はあった。だから...偶然とは少し違うと思います。そうすればもっと広がりがあると思っていたから。 キャンバスを形態に手を加える表現方法としてはキャンバスを破いたり切ったり、燃やしたりと色々な先行例があります。中でも絵の外周に進んだ点が興味深いです。 絵の表面に暴力的なことはしたくなかったんですよ。傷をつけるのは嫌だった。 「キャンバスの外」を意識して制作された最初の作品は何でしょうか。 意識の話で言えば〈老人と海Ⅲ〉かな。あれは色々なことがはっきりした作品。でもそこで方向性が生まれたわけではなくて、それ以前にも(木枠を使う作品は)あるにはあったんです。だから...発見に近いのかな。それまでは自分でも気付いていなかった、無意識に続けていたことが自分の中で「そういうことだったのか」と思えた。今はそのやり方を整えている感じです。 例えば〈鯨と波〉は額縁がない円形の作品です。先ほど「ストーリーを切り取るつくり方」と仰っていましたが、つまり最初に作品化したいストーリーの瞬間やモチーフがあって、その実践プロセスで絵画と額縁への分化が必要な場合、そうでない場合があるということですか? そうです、その通りです。だから(額縁を使うかどうかは)場合によりけり。使っている場合にはやはり必然だと思う。だけど、そうじゃない作品もある。無いと成立しないという話ではなくて、必要な場合に採用するやり方。〈鯨と波〉では登場する必然がなかったし、逆にというか、支持体が丸くなる方に進んだ。それが作品にとっては一番自然だったから。無くても完結はするんですよ。枠があるのは、それが作品にとって自然な形だからに過ぎない。 つまり額縁は、あくまで表現の延長線上にあるんですね。ストーリーがあって、絵があって、場合によっては額縁があり変形な支持体がある。 そう、だからとにかく、私としては別々に捉える理由がない。どちらも一つの表現でつながっているから。それに枠があっても無くてもやっていることは同じ。〈鯨と波〉もそうですけど、例えば人の手によって違う姿になった生き物とか、それが生きていた風景とか場所とかを描いている作品もある。そういう作品には枠という形であるべきなのかなって。だから、それぞれですね。 形態から中身に話を移しますが、先ほどのストーリーというのは、映画や小説のように時間軸があるのですか。時間の流れが先か、映像が先かの話ですが。 モチーフが先ですね。描きたい対象があって、その周りにはどういう人がいるのか、それに関わる人物や場所が出てくる。その対象を軸に、それを見た人が目にした景色とか思い出している光景とか、その人たちの脳みその中を考える。結果的にはストーリーとか時間を切り取ってることになりますけど、でもモチーフが先。瞬間的な物語性というか。出てくる人たちの10秒とか10分とか、そういう瞬間的なストーリーです。一生分は考えていない。 登場人物の記憶にフォーカスしているように聞こえますね。 人には限りませんけど、記憶というのはそうかもしれない。だから登場する生き物の見た景色とか出会った人、昔した会話の内容、過去に存在していた場所について考えるのかもしれない。そもそもの最初に額縁を使った時も思い出や記憶に纏わっている。 記憶に焦点を置いているとして、モチーフの出所はどうですか。全くの空想か、それとも身の回りから取材しますか? モチーフが向こうから出て来る感覚に近いのですけど、どうだろう、でもメモはしています。生活する中で目に入ったもの、気になったものを書き留めておく。「あ、これ描きたいな」と思ったものをメモする。断片を集めたりしていて、その中で特に癖のある事柄があるんですけれど、例えば車のヘッドライトとか土偶とか、基本的にそれが作品のメインのモチーフとして出てきたりします。 物語の形式でも、例えば小説には一人称・二人称・三人称とありますが、城さんが制作する際の視点はどうでしょうか。 モチーフの視点かもしれない。だから三人称が近いと思います。自分の思ったことも入るけれど、でも一番近いのはモチーフ。モチーフや第三者が思ったこと、天候とか湿度も割と考えたりします。モチーフとなる存在がどういう場所にいるのか、いたのか、その周りの環境はどうなのかって。例えば土偶をモチーフにした作品なら、そもそも土偶を作った昔の人とか、長い時間をそれと一緒に過ごした持ち主のこととか。その場にいる存在の全てを考える。 メモの話で「描きたいと思うもの」を書き留めると話していましたが、そこに共通点はありますか。というのは、作品には暗色の画材が登場しません。選ばれるモチーフや画材は、目指している世界観と関わりがありますか。 基本的には描きたいものを描いていますけど、確かに共通点はある。暗いとか少し怖いとか、謎っぽいとか、毒があるとか気持ちが悪いとか。明るい部分もありますけど。でも作品にすることでそれを浄化している感覚が近いかもしれない。今は黒を使わないんですけど、それは多分バランスが悪いから。使うと、暗く描かれてしまう。それは少し違うと思うんですよ。暗さが根っこにあっても明るさはあっていい。きれいにしたい気持ちが強いのかもしれない。 負の浄化。 そうですね、それは近い。根本的には自分のだし、表層的には他人にとっての。作品を制作することそのものというか、その瞬間を残しておくことが浄化なのかな。自分であれ他人であれ、作品として、自分のフィルター越しに投影することで浄化になるのかなと。だから白い色を使うんですよ。その方が落ち着けるじゃないですか。 少しバッググラウンドに話を伸ばしたいのですが、例えば城さんが記憶に留めている作家もそういった世界観が多いですか。 どうだろう。シーレ、ボナール、デュマス、ペイトン、ワイエス、あとは村瀬恭子さんとクリス・ヒュン・シンカン、ハマスホイとか無限にいますけど、近さはどうだろう。好きだけど、でも違うと思う。私が描くべき作品でないことが多いと思います。でもハマスホイは、そうですね、違和感があるから......。予備校の先生が「ハマスホイの魅力は違和感」と仰っていて、制作でも、何か足りないと思った時にはその言葉を思い出しています。 コンテンポラリーのペインターが多いですが、元から現代アートに関心が高かった? というわけでも無くて、高校の時に油絵を専攻していたんですけど、そこで学んでいたのはいわゆる伝統的な油彩画だった。いかに描くか的な、技術的な話が多い学校だった。むしろ浪人している時ですね。今の作品がどういう風に成立しているか勉強していたら好きになりました。 少し話がそれますが、城さんは愛知から東京に出てこられて活動をスタートさせましたね。今年で2年目だと思いますが、そもそも上京したきっかけは? 単純にモチベーションの話ですね。私は美大に通っていないのですけど、2年浪人をして、でも細々と制作は続けようと。予備校を辞めてアルバイトしながら暮らしてたんですけど、その間、正直絵はほとんど描いていなかった。......年に2、3枚くらいだったかな。働いて、帰って、疲れたって、本当にその繰り返しだったんですよ。そういう時期にたまたま画家のやましたあつこさんから声をかけて頂いたんです。「続けるなら東京の方がいい。東京においで」って。それは正解だったと思う。環境が全然違うし、入ってくる情報がまるで違うから。 ある部分において、現代アートは戦略的な世界です。城さんは東京に出て来られて、その2年目に最初の個展を開催された。そしてキュレーションは山内舞子さん。非常に好調なスタートですが、自分のポジショニングは考えますか。 ポジションとかは、どうだろう、あまり考えてないです。まだはっきりとはしてないだけかもしれないですけど。でも私の好きな作品があって、それは見る場合もそうですけど、作家が心の底から楽しんでいる作品が良いと思う。そういう作品をつくっていきたい。あとは作品のことだけですね、考えるのは。でも制作は気持ちの面が大きく影響するから、この先どうなるかは分からないですよね。 作品はより変化をしていきますか。例えば、全く額縁を使わなくなるとか。あるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも私自身ペインターという自覚もないんですよ。だから作品を絵画に限定するつもりもない。でも、だからと言って彫刻家でもない。今後は(キャンバスと額縁を分けずに)同じ支持体とか、キャンバスの厚みを増していくとか、制作の方向も色々と考えていますけれど、でも絵を描いている部分があることとか、絵を描くこと自体を止めるつもりはないです。......絵は描いていると思う。でもどういうやり方でやっているのか、それは自分でも分からないです。今のところは。 TRiCERAのページはこちらから

初めて現代アートを購入するなら版画がオススメ!-高精彩プリント作品-

この度TRiCERAでは各国より選りすぐった13名のアーティストによる限定エディション・高精彩プリント作品をDNP社からの技術協力を得て販売致します。プリントだからこそ味わえる、アーティストが描き出すイメージの力をダイレクトにお楽しみ下さい。なお今回の企画に伴い、購入後のインタビュー(5~15分:メールもしくはお電話)にお応え頂いた方すべてにオリジナル額(Aの場合:2万円相当)を無料プレゼントいたします。額装をした上で配送させて頂きます。 *11月30日までの期間限定キャンペーン*ご好評のため12月31日まで期間延長!!ご希望の方は、購入後にお送りするメールにご返信ください。 今回の版画作品に関して A. 本格的な現代アートを楽しむ:10万円(税抜) B. 現代アートを幅広く味わう:(A3) 5万円(税抜)、(B3) 3万円(税抜) C. 入門編として現代アートに親しむ:(A3) 1万5千円(税抜) 版画-複数の人が楽しめるアート DNPの技術革新 今回の版画作品に関して 今回の企画には使用する素材や技法、テーマが異なる総勢13名のアーティストが参加し、それぞれ下記のような3つの種類で版画作品を用意しました。 A. 本格的な現代アートを楽しむ A2(42 × 59.4cm)の大型サイズに加え、エディションナンバーとアーティストによる直筆サインがつきます。また、最新のブロックチェーンを使用した証明書によって永久に真贋が保証されます。 サイズ、直筆サイン、エディションナンバーがあることで価格も10万円(税抜)となりますが、しっかりとアートを楽しみたい方、コレクションされたい方におすすめです。 B. 現代アートを幅広く味わう A3サイズ(29.7 x 42.0cm:横長の場合)に加え、B3サイズ(36.4 × 51.5cm:横長の場合)を用意し、エディションナンバーとアーティストのサインデータが印字されています。 価格はA3サイズは3万円(税抜)、B3サイズは5万円(税抜)とご用意しております。ご自宅の壁のサイズに合わせてお好きなサイズをお選び頂けます。 C. 入門編としてアートに親しむ サイズはA3(297 ☓...

遠くにある景色、近くにある心

風景画に関する見解は、それぞれの立場の違いはあれ、一般的には「風景を写しとった絵画」というところに落ち着くでしょう。 今回の記事で紹介する桜井旭、只野彩佳、ニールの作品は物理的な意味では現実の風景とは距離を置き、その画面で広がるイメージは彼らの感情を伴い、全く新しい形象を獲得しています。 アーティストが風景に息づく感情や記憶、ものの気配や痕跡を繊細に読み取り、それらが彼らの心の動きや内実性と混合し、現実の複写ではない、作家のまなざしが絡み合った新しい風景が生まれるまでの歩みに、ぜひ思いを馳せてみて下さい。 桜井旭 / Asahi Sakurai(1996〜, JAPAN) 移り変わる時間(noon)19 x 33.3cm, Acrylic on canvas25,000 JPY 作品はこちらから 移り変わる時間(night)19 x 33.3cm, Acrylic on canvas25,000 JPY 作品はこちらから 海岸(wide)22 x 54.6cm, Acrylic on canvas45,000 JPY 作品はこちらから ニール・トムキンズ /...

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個展開催記念 期間限定販売ページ このサイトはsoryoの期間限定オンライン販売サイトです。 下記の作品からお好きなものを選んでいただき、ご購入ください。 こちらのサイトではクレジット決済のみとなります。 *決済画面で作品番号を必ずご記入ください。 soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額なし : 10,000円(税抜き) 送料込み soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額付き:20,000円(税抜き)送料込み 額の色:ホワイト、ブラック、シルバー、ゴールドからお選びいただけます。決済ページで色の指定をお願い致します。 展示作品 soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額なし : 10,000円(税抜き) 送料込み soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額付き:20,000円(税抜き)送料込み 額の色:ホワイト、ブラック、シルバー、ゴールドからお選びいただけます。決済ページで色の指定をお願い致します。 About soryo -ソウリョ- 東京都八丈島出身。神主の資格を得るため上京し、その際、裏原宿の文化に触れる。 横尾忠則現代美術館の作品群や、高校時代の恩師から譲り受けた靉光の作品集、小学校高学年の時期にやり込んだ RPG テレビゲームの世界観に影響を受ける。日々のストレスから精神衛生を保つため、iPhone でのグラフィック作りを続けながら、今に至る。 2017 年 7 月 アイドルの顔から「輪郭」「目元」「鼻」「口元」の 4 パーツを切り取り 福笑いの技法で架空のアイドル少女を作り出す個展【GIRLS】 2018 年 8 月...

アルテ・ポーヴェラの提唱者が逝去

美術館の閉鎖や展覧会の中止や延期など暗いニュースが続いているが、そこに畳み掛けるような時報が、つい先日入った。伝説的な批評家でキュレーター ジェルマーノ・チェラーノ/Germano Celant(1940-2020)の訃報だ。 Celantは1940年イタリア出身。ジェノバ大学で美術史を学んだ後に編集職としてキャリアをスタートさせ、その後1967年に「Im Spazio」を開催、同展によって「アルテ・ポーヴェラ」を提唱し、一躍アートワールドの要注目人物となった。 イタリア語で「貧しい芸術」を意味する「アルテ・ポーヴェラ」の運動は、新聞紙やロープなど日常的かつ粗末な素材を用いた作品を提示したが、チェラーノの功績は、これによってイタリアのミニマリズムほかその時代の若手作家の動向を世界に知らしめた点に一端がある。 この他グッゲンハイム美術館やヴェネチア・ビエンナーレでのキュレーションによって世界的なキュレーターの一人に数えられる彼の訃報は、通例ならば、その後に功績の顕彰が展示という形でなされただろうが、しかしそうもいかないところが、現況の辛い点だろう。心よりご冥福をお祈りする。

Emily Mae Smithの初個展がペロタン東京で開催されます。

Emily Mae Smithの初個展がペロタンギャラリーだけでなく、アジアでも開催されます。 ニューヨークを拠点に活動するEmily Mae Smithの初個展がペロタンギャラリーにて開催されます。"Avalon"は、ペロタンギャラリーでの初個展であり、アジアでも初の個展となります。今回のペロタンギャラリーでの個展では、Emily Mae Smithが絵画の中で自身の物語を語っています。 彼女の作品には、アーティストとしての技術力が確立されていると同時に、自己発見のプロセスやコンセプトがよく練られています。彼女の作品には様々なモチーフが取り入れられており、象徴主義、アール・ヌーヴォー・グラフィック、ディズニー・アニメーションなど、西洋の美術史やポピュラーカルチャーからの引用が多いです。彼女はアーティストとしてのキャリアを通じて、アートシーンの多くが男性によって作られたものであり、男性のためにデザインされたものであることを知りました。彼女の作品では、これらのモチーフを鋭く皮肉を込めて再利用し、性差別の蔓延や男性の権力構造をアートや日常生活の中で指摘しています。しかし、彼女は有能なアーティストとして、モチーフをそのまま使うのではなく、モチーフを巧みに扱っています。作品に表現されているモチーフや表現方法は比喩的である。 口や舌などの体の部分をクローズアップし、それがやがて夢のように浮かんでくる。彼女の作品に登場するほうきは、シュールなファンタジーのようでありながら、どこか親近感があります。ご存知の方も多いと思いますが、1940年の古いディズニー・アニメーション映画「ファンタジア」には、生きているように見えるほうきが登場しています。「掃除屋と私」ではほうきが部分的に登場しますが、上半身だけのほうきがフレームの中に登場することで、男性器のイメージを浮かび上がらせることができます。同時に、女性の仕事や家事、画家の筆などの道具の象徴としても表現でき、その意味は大きく開かれています。 また、"Gleaner Odalisque"からは、ジャン・オーギュスト・ドミニク・イングレスによる美術史の有名な作品"Grande Odalisque"を認識しているように、私たちにとっては全く新しいものに見えるが、見慣れたものであることが分かるかもしれない。 視覚的にも、彼女の作品はグラフィックな感覚を与えてくれます。ポスターを貼ったり、作品としてバニタスや風景画、シュルレアリスムの絵画を連想させたり。には多くのモチーフが含まれており、ジャンルを横断しています。瞬間的に感じるもの、慣れないもの または親しみやすさ、歴史的参照、または現代アート作品としてのステートメント。エミリーの作品を解釈するための空間がたくさん残されています。最終的には 様々なモチーフを用い、象徴的な意味を明らかにしていく彼女の作品は、テーマを中心に制作されています。美術史やカルチャーシーンから現代アートまで。 1979年生まれのEmily Mae Smithは現在ニューヨークのブルックリンを拠点に活動しており、これまでにコンソーシアム美術館(フランス、ディジョン)やワズワース・アテネウム美術館(ハートフォード、CT州)で個展を開催しています。 東京、日本、ペロタンでの初個展となり、2019年8月28日thから11月9日まで東京にいる方は必見です。 Emily Mae Smith "Avalon" 日時:2019年8月28日(水)~11月9日(土)時間: 午前11時~午後7時日曜・月曜・祝日は休館。入場無料。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。 

誠実さと自己投影の絵画について。Yuta Okudaインタビュー

「自分のやっていることに嘘はない」とyuta okudaは語る。細密画と墨を用いるペインターである彼に、真摯さを何よりも最も尊ぶという制作姿勢を始め、その作品について話を聞いた。 細密画の技法をベースにした生き物のペインティングが多い印象ですが、まずは作品について簡単にご説明願えますか?-自分の作品は全て、無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちの単体の作品を思い浮かべ、それを意識レベルでコンセプトワーク、例えば般若やマリリンや狛犬などにしていきます。無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生きものたちで『beautiful foodchain』コンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。作品の表現手法は年々、ここ数年で、線のみの計算された細密画から、墨のにじみを使った偶然性を線画で活かした作品へと変化してきていますね。環境や心の変化が大きく影響だと思うのですが。それから細かい線画を描く理由は、おそらく気質だろうと思いますね。 デザイナー出身だそうですが、アーティストになったきっかけは?-きっかけは色々とありますが、第一には、きっとアーティストになりたい気持ちが強かったからだと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。デザイナーとしての私は「柄に力を入れる」類の、非常にクリエイティブ志向の強いタイプでした。でも商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要。それが、思ったよりもストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。 そうして、すぐに絵を描き始めたのですか?-いいえ、最初は自宅で描いているだけでした。ストレス発散の意味合いが強かったですね。ただひたすら描く。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。必死というか、鬼気迫る印象という方が近いのかな。本当にストレス発散だったし、負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。 それでも発表活動をされた、つまりプロのアーティストとしてスタートを切ったわけですよね。-認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブが丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きでしたね。驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーでは、そんなこと絶対にないですから。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。アーティストを目指したいと思ったのは、だから嫉妬心かも。それでもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。 作品は自己投影的と仰っていましたね。制作のプロセスは、当初から「無意識→意識」のように定まっていたのですか?-最初の頃は、もうひたすら描く、に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思って。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」。ファッションとは逆ですね。そっちではコンセプトメークが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。 ですが、ご自身の経験をベースにしているとインプットが大変じゃありませんか?-最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年だと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しくつくっていく。今は第二のスタートに立っている気分ですね。 最近では初期の細密画に加え、墨などを使用した作品も増えました。その変化は意図的なものですか?-私の作品は、やはり、私自身と連動しているから変わりはする。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。さっきも話に出ましたけど、私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。一方で制作や技法のことを言えば、まず大作や多作の点が課題ですね。以前は絵を描いて食べれること自体が幸せでしたが、今は目標をより上に置いているせいもあり、今後は作品の点数にも気を付けていきたい。他にも、例えば素材については常にアップデートをかけるように心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。 3年間の制作と発表という形でご自身の整理整頓をして、新しい目標と課題も見えてきて、今は次のステップを目指されると。その目標は、もう具体的に見えているんですか?-私の作品は自己投影なので、やはり、将来のビジョンの全てがはっきりとはしていません。言えることは、それでも自分に嘘はないということ。制作では裸でありたいし、正直でありたい。だから自ずと出て来る自分の経験を活かしたいですね。先ほども少し出ましたが、私の絵は、無意識のレベルで言えば常に花や生きもの、その美と醜や生と死に言及しています。自分の見たいもの、見ようとしているもの、絵画として描きたい者が少しずつ明確になってきている。ようやく空っぽに慣れたので、これからは様々な経験を取り入れ、それを絵画に練り上げていく仕事が待っていると思います。多分、絵はどんどん変わっていく。今の私と、絵を描き始めた当初の私は違う。だから昔のような切羽詰まった雰囲気ではないかもしれません。でも、変わる部分があることが悪いとは思わないんです。むしろ環境や自分の変化を理解しつつ、取り入れつつ、いかに自分だけの絵画を描いていくかを考えていきたい。どう変わっても、私の場合は自分の活動に嘘がなく、疑問がなく、正直であるならば大丈夫なんです。私にとって絵は一番の裸の部分、正直な部分を見せることですから。

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誠実さと自己投影の絵画について。Yuta Okudaインタビュー

「自分のやっていることに嘘はない」とyuta okudaは語る。細密画と墨を用いるペインターである彼に、真摯さを何よりも最も尊ぶという制作姿勢を始め、その作品について話を聞いた。 細密画の技法をベースにした生き物のペインティングが多い印象ですが、まずは作品について簡単にご説明願えますか?-自分の作品は全て、無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちの単体の作品を思い浮かべ、それを意識レベルでコンセプトワーク、例えば般若やマリリンや狛犬などにしていきます。無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生きものたちで『beautiful foodchain』コンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。作品の表現手法は年々、ここ数年で、線のみの計算された細密画から、墨のにじみを使った偶然性を線画で活かした作品へと変化してきていますね。環境や心の変化が大きく影響だと思うのですが。それから細かい線画を描く理由は、おそらく気質だろうと思いますね。 デザイナー出身だそうですが、アーティストになったきっかけは?-きっかけは色々とありますが、第一には、きっとアーティストになりたい気持ちが強かったからだと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。デザイナーとしての私は「柄に力を入れる」類の、非常にクリエイティブ志向の強いタイプでした。でも商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要。それが、思ったよりもストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。 そうして、すぐに絵を描き始めたのですか?-いいえ、最初は自宅で描いているだけでした。ストレス発散の意味合いが強かったですね。ただひたすら描く。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。必死というか、鬼気迫る印象という方が近いのかな。本当にストレス発散だったし、負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。 それでも発表活動をされた、つまりプロのアーティストとしてスタートを切ったわけですよね。-認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブが丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きでしたね。驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーでは、そんなこと絶対にないですから。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。アーティストを目指したいと思ったのは、だから嫉妬心かも。それでもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。 作品は自己投影的と仰っていましたね。制作のプロセスは、当初から「無意識→意識」のように定まっていたのですか?-最初の頃は、もうひたすら描く、に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思って。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」。ファッションとは逆ですね。そっちではコンセプトメークが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。 ですが、ご自身の経験をベースにしているとインプットが大変じゃありませんか?-最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年だと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しくつくっていく。今は第二のスタートに立っている気分ですね。 最近では初期の細密画に加え、墨などを使用した作品も増えました。その変化は意図的なものですか?-私の作品は、やはり、私自身と連動しているから変わりはする。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。さっきも話に出ましたけど、私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。一方で制作や技法のことを言えば、まず大作や多作の点が課題ですね。以前は絵を描いて食べれること自体が幸せでしたが、今は目標をより上に置いているせいもあり、今後は作品の点数にも気を付けていきたい。他にも、例えば素材については常にアップデートをかけるように心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。 3年間の制作と発表という形でご自身の整理整頓をして、新しい目標と課題も見えてきて、今は次のステップを目指されると。その目標は、もう具体的に見えているんですか?-私の作品は自己投影なので、やはり、将来のビジョンの全てがはっきりとはしていません。言えることは、それでも自分に嘘はないということ。制作では裸でありたいし、正直でありたい。だから自ずと出て来る自分の経験を活かしたいですね。先ほども少し出ましたが、私の絵は、無意識のレベルで言えば常に花や生きもの、その美と醜や生と死に言及しています。自分の見たいもの、見ようとしているもの、絵画として描きたい者が少しずつ明確になってきている。ようやく空っぽに慣れたので、これからは様々な経験を取り入れ、それを絵画に練り上げていく仕事が待っていると思います。多分、絵はどんどん変わっていく。今の私と、絵を描き始めた当初の私は違う。だから昔のような切羽詰まった雰囲気ではないかもしれません。でも、変わる部分があることが悪いとは思わないんです。むしろ環境や自分の変化を理解しつつ、取り入れつつ、いかに自分だけの絵画を描いていくかを考えていきたい。どう変わっても、私の場合は自分の活動に嘘がなく、疑問がなく、正直であるならば大丈夫なんです。私にとって絵は一番の裸の部分、正直な部分を見せることですから。

3分ニュース-次のアーティストが来る場所

 新宿にある損保ジャパンの美術館は、1976年に設立されました。ゴッホの「ひまわり」をはじめ、ゴーギャン、セザンヌなどの作品を収集し、年5回の展覧会を開催している東京を代表する美術館です。 A hunter's feast Shiori Saito oil/canvas, 162×194cm, 2019 若者の発掘にも力を入れているこの美術館が、第8回目のコンペを開催しました。年齢や所属を問わず、本当に力のある作品」を条件に、全国から作品を募った。 コロナウイルスの影響で展示は中止となりましたが、今回は全国から応募された875点の中から選ばれた71点の入賞作品が展示されました。 Looking at tomorrow Kazuhiro Otsuki Acryl on canvas, 162×194cm, 2019 今回は、いくつかの作品が受賞したハイライトを通して、日本の若いアートシーンを紹介したいと思います。 A record about physical Matsuura Kiyoharu Acryl on canvas, 162×130.3cm, 2019 

目にも眩しい新進気鋭のデジタルペインター

デジタルペインティングは現代アートの一部として考えるべきなのか?もちろん、疑いの余地もない。確かにキャンバスと油絵具やアクリル絵具のようなリアルな材による従来の芸術とは異なるが、それでもやはり、描画や構図などの芸術的なスキル、そして何よりも創造性を必要とします。  また、デジタル絵画は、従来よりも更にタイムリーに現在の世情を反映することができる。当時の王侯のリアルな肖像画や戦争のキュビズム解釈など幅はあれど、常に歴史の鏡や視覚的な記録との役割を担う事実も、芸術の一つの重要な要素である。2020年は多くの無視できぬ出来事が続いており、より一層デジタルアーティストがこの前例のない年を描き出している。 デジタルの作品は、ほとんどがプリントで手元に届き、自明の理として立体的な質感や、 "オリジナル "の実感には欠ける。しかし、その一方で、特徴的なクリーンな線や想像を絶するような色使いを実現することができる。文頭の問いの答えは、良し悪しでの問題ではなく、新たなスタイルとして認められるべき、と。あなたも、この有無を言わせぬ独創的な芸術の力に納得するはずだ。 Le Thai Huyen Chauo  新興のサイケデリック・カラーの魔術師。彼女はロックダウン下の日常風景を、シニカルに、終末的なディスコへと変える。 fkXrnbw 芸術のタバスコ。辛辣なユーモアとシュールレアリスムの出会い。歪んだ創造性は、あなたを「夢の中の夢」の中で目覚めさせてくれる。 SAD MARIA 心の健康への意識を促す優しいビンタ。ミニマリスティックな構成がメッセージを強調している。 이창희 とろけるようなファンタジアへの招待状 - 入り組んだディテールとパターンの混ざり合いが魅力的。

ドイツのアートメディアがコンテンツを無償で提供

Gruner + Jahrが運営するドイツの老舗美術雑誌 Art - Das Kunstmagazin は、自らのウェブサイトにて自社発行の雑誌約40冊あまりをオンライン上で無料提供すると発表した。Das Kunstmagazinは1971年創刊、主に現代アートのジャンルを撮り扱う。メディア活動のほか、有力なキュレーターを顕彰するコンテストの開催など業界へのコミットメントは高い(同賞からはフランクフルト・アム・マインの近代美術館の館長 スザンヌ・プフェッファーが出ている)。 同誌の編集長であるティム・ゾンマーは「素晴らしい写真と巧緻かつ平易なテキストによって読者の家庭にアートを届けることは、常に私たちが強みとしてきたこと」とコメント。このプロポーザルと自分たちの本分が合致している旨を語った。今回の取り組みは現況の新型コロナウイルスによる美術館、ギャラリーの閉鎖などアートへのディスアクセスな状態が続いていることへの対抗策の一つだ。ドイツのアート業界も日本そしてその他の国々同様にウイルスの二次的被害を受けている。ドイツといえば最近では約500億ユーロのアーティストやフリーランサーへの経済支援を発表して注目を集めた。のみならずグリュッタース外相による「アーティストは(民主主義社会にとって)必要不可欠名ばかりではなく、生命維持に不可欠」という言葉も喝采を受けた。 さて、もちろん日本でもオンライン・ビューイングの配備をはじめとしたwithコロナへの対応策が進んでいる。「新しい状況には、新しい道具」をということだろうか。それも大事だが、今回のArt - Das kunstmagazinのように持ちうるリソースの活用を工夫する方向も考えてもいいだろう。こんな時だからこそ、20年前の展覧会、あるいは雑誌などをプレイバックしても面白いかもしれない。 参考:https://www.art-magazin.de/