土曜日, 11月 27, 2021
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花の言葉、花の絵画-ものの意味を描く絵画について-

 植物に象徴的な意味を担わせる伝統は世界の多くの文化が持っている。

 なにかめでたいことがあれば花束を渡して祝福をし、人が亡くなれば花を供えて見送る。そうやって人は花をただの植物以上のものとして共に歩んできた。

 人が花に意味を見出した例として、花言葉は恰好の例であろう。その起源については不明な点が多いが、現在行われているような花言葉の慣行は、19世紀の西欧社会で盛んになったという。こうした流行を背景に、1819年頃には最初期の花言葉辞典、シャルロット・ド・ラトゥール著《花言葉》が出版。

 ラトゥールは《花言葉》の中で、色の違いのほか本数ごとに花言葉を考案・紹介するなど、とりわけバラは特別に扱われた。それは「花の中の花」と称されるほど西欧文化において重視されてきた花の一つで、伝承や神話に由来する意味づけが既になされていたことがある。

 本記事では、古今東西で多くの人々の心を惹きつける「花の中の花」、薔薇のペインティング作品を花言葉と合わせて紹介したい。

浜浦敦子/Atsuko Hamaura

黄色い薔薇
31.8 x 41 cm

黄色い薔薇の花言葉:「友情」「平和」「愛の告白」

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山田久美子/Kumiko Yamada

三つの薔薇
72.7 x 72.7 cm

3本の薔薇の花言葉: 「愛しています」「告白」

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Jessica Veilleux

桃薔薇の花束
35.6 x 27.9 cm

ピンク色の薔薇の花言葉:「しとやか」「上品」「可愛い人」「美しい少女」「愛の誓い」

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中村公紀/Koki Nakamura

Rose
60 x 60 cm

白色の薔薇の花言葉:「純潔」「清純」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」

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Tatiana Alive

The Rose
102 x 71 cm

1本の薔薇の花言葉: 「一目ぼれ」「あなたしかいない」

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広田稔/Minoru Hirota

Blue&Rose
47.6 x 38.5 cm

青い薔薇の花言葉:「夢かなう」「奇跡」「神の祝福」

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Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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水平線を引き直す

毒と浄化の物語 – 城蛍インタビュー –

城蛍は1996年愛知県出身。2019年に上京して作家活動を開始。今年3月には山下舞子キュレーションによって銀座のGallery Camelliaで初個展を開催した。曰く「瞬間的な物語を切り取る」というスタンスにおいてペインティングされたキャンバス、それから本人曰く「彫刻」と呼称する自作した額縁によって構成される作品を制作する彼女に、今回は作品と制作を中心に、その活動について話を聞いた。 作品の外形的なところから伺いたいのですが、城さんの作品は絵画と額縁に分かれているものとそうでないものがあります。ご自身では額縁の部分を「彫刻」と呼び、装飾物としての額縁と分けておられます。尋ねたいのは、城さんの作品において、この木枠の部分がどういうポジションにあるのかという点です。 一般的に額縁は装飾物の意味合いが強い。絵の飾りという立ち位置。私としては絵画と枠と、別個の存在をつくっている意識はないんですよね。絵を描いて、お手製の額をつけているわけではない。額縁として設定してしまうと、どうしても絵の飾りという聞こえ方になってしまうけれど、でも絵のためにあるわけではない。どちらかが主役で、どちらかが脇役ということはない。 いわゆる平面と立体という区分がし難い作品だと思いますが、その自覚はありますか? 平面かどうかについて言えば、限定してはいないと思う。このかたちの最初期の作品に〈老人と海Ⅲ〉というのがあるのですけど、それはストーリーの瞬間を切り取るというつくり方をして、その瞬間の保存という意味を込めて枠を使いました。そもそも、額縁は大切な写真とか記憶の保存に使うものだから。でも木枠の部分は絵の飾りではないから、平面というか、絵の部分がメインという考え方はしていない。かと言って立体でもないですけれど。だからどっちでもないし、分けるのは難しい。その必要もないと思う。 例えばリチャード・タトルや、あるいは最近の日本では安井鷹之助さんなど、平面と立体のボーダーラインに立とうとする作家さんがいます。城さんにもその意識はありますか? いえ、特に意識はしていなかったです。最初の最初で言えば、キャンバスの四角さが嫌だった。決まった形であることに嫌気が差したんですよ。そもそも絵だけだと角があったり、横があったり、紙だったら紙の厚みがあったりするけど、そういうのが気になるんです。すごく気になる。キャンバスの横に釘を打つなら、絶対にそれは隠したい。邪魔に見えて仕様が無い。そういう考えの人なんですけど、まだ東京に来ていない時、制作をしていてキャンバスの形がすごく気になった。居心地が悪かったんだと思います。それで外側にはみ出そうと思って、キャンバスの四角形から。最初は勢いというか、何か「やっちゃえ」みたいな。 「はみ出す」ための手段として額にたどり着いた。偶発的なことでしたか? いや、論理はあった。だから...偶然とは少し違うと思います。そうすればもっと広がりがあると思っていたから。 キャンバスを形態に手を加える表現方法としてはキャンバスを破いたり切ったり、燃やしたりと色々な先行例があります。中でも絵の外周に進んだ点が興味深いです。 絵の表面に暴力的なことはしたくなかったんですよ。傷をつけるのは嫌だった。 「キャンバスの外」を意識して制作された最初の作品は何でしょうか。 意識の話で言えば〈老人と海Ⅲ〉かな。あれは色々なことがはっきりした作品。でもそこで方向性が生まれたわけではなくて、それ以前にも(木枠を使う作品は)あるにはあったんです。だから...発見に近いのかな。それまでは自分でも気付いていなかった、無意識に続けていたことが自分の中で「そういうことだったのか」と思えた。今はそのやり方を整えている感じです。 例えば〈鯨と波〉は額縁がない円形の作品です。先ほど「ストーリーを切り取るつくり方」と仰っていましたが、つまり最初に作品化したいストーリーの瞬間やモチーフがあって、その実践プロセスで絵画と額縁への分化が必要な場合、そうでない場合があるということですか? そうです、その通りです。だから(額縁を使うかどうかは)場合によりけり。使っている場合にはやはり必然だと思う。だけど、そうじゃない作品もある。無いと成立しないという話ではなくて、必要な場合に採用するやり方。〈鯨と波〉では登場する必然がなかったし、逆にというか、支持体が丸くなる方に進んだ。それが作品にとっては一番自然だったから。無くても完結はするんですよ。枠があるのは、それが作品にとって自然な形だからに過ぎない。 つまり額縁は、あくまで表現の延長線上にあるんですね。ストーリーがあって、絵があって、場合によっては額縁があり変形な支持体がある。 そう、だからとにかく、私としては別々に捉える理由がない。どちらも一つの表現でつながっているから。それに枠があっても無くてもやっていることは同じ。〈鯨と波〉もそうですけど、例えば人の手によって違う姿になった生き物とか、それが生きていた風景とか場所とかを描いている作品もある。そういう作品には枠という形であるべきなのかなって。だから、それぞれですね。 形態から中身に話を移しますが、先ほどのストーリーというのは、映画や小説のように時間軸があるのですか。時間の流れが先か、映像が先かの話ですが。 モチーフが先ですね。描きたい対象があって、その周りにはどういう人がいるのか、それに関わる人物や場所が出てくる。その対象を軸に、それを見た人が目にした景色とか思い出している光景とか、その人たちの脳みその中を考える。結果的にはストーリーとか時間を切り取ってることになりますけど、でもモチーフが先。瞬間的な物語性というか。出てくる人たちの10秒とか10分とか、そういう瞬間的なストーリーです。一生分は考えていない。 登場人物の記憶にフォーカスしているように聞こえますね。 人には限りませんけど、記憶というのはそうかもしれない。だから登場する生き物の見た景色とか出会った人、昔した会話の内容、過去に存在していた場所について考えるのかもしれない。そもそもの最初に額縁を使った時も思い出や記憶に纏わっている。 記憶に焦点を置いているとして、モチーフの出所はどうですか。全くの空想か、それとも身の回りから取材しますか? モチーフが向こうから出て来る感覚に近いのですけど、どうだろう、でもメモはしています。生活する中で目に入ったもの、気になったものを書き留めておく。「あ、これ描きたいな」と思ったものをメモする。断片を集めたりしていて、その中で特に癖のある事柄があるんですけれど、例えば車のヘッドライトとか土偶とか、基本的にそれが作品のメインのモチーフとして出てきたりします。 物語の形式でも、例えば小説には一人称・二人称・三人称とありますが、城さんが制作する際の視点はどうでしょうか。 モチーフの視点かもしれない。だから三人称が近いと思います。自分の思ったことも入るけれど、でも一番近いのはモチーフ。モチーフや第三者が思ったこと、天候とか湿度も割と考えたりします。モチーフとなる存在がどういう場所にいるのか、いたのか、その周りの環境はどうなのかって。例えば土偶をモチーフにした作品なら、そもそも土偶を作った昔の人とか、長い時間をそれと一緒に過ごした持ち主のこととか。その場にいる存在の全てを考える。 メモの話で「描きたいと思うもの」を書き留めると話していましたが、そこに共通点はありますか。というのは、作品には暗色の画材が登場しません。選ばれるモチーフや画材は、目指している世界観と関わりがありますか。 基本的には描きたいものを描いていますけど、確かに共通点はある。暗いとか少し怖いとか、謎っぽいとか、毒があるとか気持ちが悪いとか。明るい部分もありますけど。でも作品にすることでそれを浄化している感覚が近いかもしれない。今は黒を使わないんですけど、それは多分バランスが悪いから。使うと、暗く描かれてしまう。それは少し違うと思うんですよ。暗さが根っこにあっても明るさはあっていい。きれいにしたい気持ちが強いのかもしれない。 負の浄化。 そうですね、それは近い。根本的には自分のだし、表層的には他人にとっての。作品を制作することそのものというか、その瞬間を残しておくことが浄化なのかな。自分であれ他人であれ、作品として、自分のフィルター越しに投影することで浄化になるのかなと。だから白い色を使うんですよ。その方が落ち着けるじゃないですか。 少しバッググラウンドに話を伸ばしたいのですが、例えば城さんが記憶に留めている作家もそういった世界観が多いですか。 どうだろう。シーレ、ボナール、デュマス、ペイトン、ワイエス、あとは村瀬恭子さんとクリス・ヒュン・シンカン、ハマスホイとか無限にいますけど、近さはどうだろう。好きだけど、でも違うと思う。私が描くべき作品でないことが多いと思います。でもハマスホイは、そうですね、違和感があるから......。予備校の先生が「ハマスホイの魅力は違和感」と仰っていて、制作でも、何か足りないと思った時にはその言葉を思い出しています。 コンテンポラリーのペインターが多いですが、元から現代アートに関心が高かった? というわけでも無くて、高校の時に油絵を専攻していたんですけど、そこで学んでいたのはいわゆる伝統的な油彩画だった。いかに描くか的な、技術的な話が多い学校だった。むしろ浪人している時ですね。今の作品がどういう風に成立しているか勉強していたら好きになりました。 少し話がそれますが、城さんは愛知から東京に出てこられて活動をスタートさせましたね。今年で2年目だと思いますが、そもそも上京したきっかけは? 単純にモチベーションの話ですね。私は美大に通っていないのですけど、2年浪人をして、でも細々と制作は続けようと。予備校を辞めてアルバイトしながら暮らしてたんですけど、その間、正直絵はほとんど描いていなかった。......年に2、3枚くらいだったかな。働いて、帰って、疲れたって、本当にその繰り返しだったんですよ。そういう時期にたまたま画家のやましたあつこさんから声をかけて頂いたんです。「続けるなら東京の方がいい。東京においで」って。それは正解だったと思う。環境が全然違うし、入ってくる情報がまるで違うから。 ある部分において、現代アートは戦略的な世界です。城さんは東京に出て来られて、その2年目に最初の個展を開催された。そしてキュレーションは山内舞子さん。非常に好調なスタートですが、自分のポジショニングは考えますか。 ポジションとかは、どうだろう、あまり考えてないです。まだはっきりとはしてないだけかもしれないですけど。でも私の好きな作品があって、それは見る場合もそうですけど、作家が心の底から楽しんでいる作品が良いと思う。そういう作品をつくっていきたい。あとは作品のことだけですね、考えるのは。でも制作は気持ちの面が大きく影響するから、この先どうなるかは分からないですよね。 作品はより変化をしていきますか。例えば、全く額縁を使わなくなるとか。あるかもしれないし、ないかもしれない。そもそも私自身ペインターという自覚もないんですよ。だから作品を絵画に限定するつもりもない。でも、だからと言って彫刻家でもない。今後は(キャンバスと額縁を分けずに)同じ支持体とか、キャンバスの厚みを増していくとか、制作の方向も色々と考えていますけれど、でも絵を描いている部分があることとか、絵を描くこと自体を止めるつもりはないです。......絵は描いていると思う。でもどういうやり方でやっているのか、それは自分でも分からないです。今のところは。 TRiCERAのページはこちらから

画家とキャンバスと向こう側

「画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見てみたい」 キャンバスを切り開き、ステンドグラスや鉱物などをコラージュ的に画面へと配置していく画家 佐々木成美。複数のマテリアルによって重層化した彼女の絵画世界は、本人曰く「あくまでもキャンバスを掘り進める作業」に近いという。 今回、代官山のLOKO GALLERYにて大学院卒業後初となる個展が開催されたことを機に話を聞いてみた。 Tulip, Night Oil on Canvas/Ceramics, 42× 33cm, 2018 まずは今回の個展と作品について簡単に説明して頂けますか? -構成としては、この1年半ほどやってきた中から選りすぐった作品を中心に並べました。大学を出たのが1年半ほど前で、そこからの個展も初めてだったこともあったので。 作品の方は、そもそも「これは彫刻なのか、立体なのか、絵画なのか」とよく言われるんですけど、私の中では絵画として描いてるし、発表していて。これまでずっと絵を描き続けてきて、絵画とは何なのかについて、もう一度自分の中で丁寧に探ってきた期間があって、あまり意識はしていなかったのですけれど、今回はそれが作品とか展示として外に出てきたのかな、という印象です。 編まれた芝 Oil on Canvas/Stone, 50 × 32.5cm, 2018 それは描くという行為そのものをですか? それとコラージュ的要素が目立つ作品だと思うのですが、これもその結果として出てきたものですか? えっと…、キャンバスを切ったりコラージュのように何か組み合わせたりする方向へ決定的に変わったのは2017年ぐらいです。そのタイミングで、実は半年ほどフランスに留学していた時期があって、そこが結構大きな起点になっていて。 そもそも近代の芸術を研究しにいったんですけど、中でも宗教施設にすごく興味が沸いて。向こうはキリスト教の教会もあればイスラムの寺院もあって、それからユダヤ教もあって、色んな情勢からミックスされた施設もあって。そういう所で装飾美術を見ることに興味があったんですけど、いくつか行くうちに何か強烈に、ひとが生きる上で求める、或いは求めざるを得ない精神構造とそれに伴ってくる産物っていうものが、それぞれは当たり前だけどイコールで…ということに夢中になって。描くことというのは、まだ上手く言葉には出来ないんですけど、もしかしたらそういう欲求に近いのかもしれないなと。でも、その欲求が達成されるにはそれだけじゃなくて、なにか違う、こう…自分の手に負えない大きな力が働くように、待たなければいけないというのは、本当によく感じました。それで作品が変わってきたかな。 その結果からキャンバスを切ったりが始まったということですか? -そうですね。具体的に因果関係みたいなのは言葉に出来ていないのですけど、最初は組み合わせることからはじめて、それこそある種の装飾のようにキャンバスを埋めるみたいな行為を、色んな素材で。 素材にもバリエーションがあるようで、それでいて共通項があるようですが。 そうですね、その素材も、一応は自然に近いものを選んでいます。木とか陶器とか、あとはガラスですね、ステンドガラス。そういうものが混ざった状態というか、それはいつもいいわけじゃなくて、全然よくないなと思うこともあるんですけど、その組み合わせをしながら自分で待っているということをしていて。キャンバスを切るようになったのはそれからなんですけど。 それは、その混ざった状態に対しての対処法として? -描いてて待てなくなるというか。どうしようもない、飽和した状態に絵を描いているとなることがあって。で、それをどうにか大きくひっくり返すようなことがしたい…というか、ひっくり返したい欲求を持つときにキャンバスを切るんですけど…。 でも、切るとめちゃくちゃ驚くんですよ、自分でも。自分で切ってるのに(笑)。あ、切っちゃったって。 それでも切ると強いというか、戻れない感じがして。一気に世界が変わってしまったような、それこそ天変地異が起こったなと思うんです。そうした一つの状況が壊れちゃうような、本当に丸きり変わってしまうようなことがあるけれど、でもそれが大きなきっかけになるというか。ゼロになるわけではなくて、こう…、ある形のあったものが壊れて現状回復されつつも違う要素が組み込まれていくし、それによって絵の中の組み換えが活性化してくる。でも、その天変地異的な状況を何とかしていく中で立ち現れてくる絵画というのが、もちろんそれは自分が求めているものだけれど、でも自分が求めている以上に美しかったりする。で、その状態自体が、私はすごくこの世界そのものに似ているなと思うところがあって。世界というのも色んな規模があって、すごく大きなところでいうと宇宙構造に似ていてと思うこともあれば、その問題を縮小して、いまこうして話している対人関係にも世界というものはあるなと。その関係とか在り方っていうのを、私は絵を描く時に分かっていきたいと思う。 コラージュに話が戻しますが、こうした重層性を持たせるのは、意識して? -制作中は意識しないんですけど、確かに私の作品はすごく重なっている、層になっていることが多いし、描いた結果を見てみると「あ、大事なんだな」と思うことは多いですね。というのも、キャンバスって絵を描く前に見ると、白くて壁みたいに見えるんですよ。何か幕というか、何かが隠してある幕のようにも見える。で、その描く時になにを求めているのかというと、多分、私の中ではキャンバスの奥に何かがあるんじゃないかと。 …描く時に触ることがあるんですけど、キャンバスを。白いし何もないし、でもその奥にその何かがあって、何かに繋がるかもしれないと感じる。その奥側に行きたいんだけれども、でもキャンバスっていう壁がすごく厚くて。 そこに行くためのアプローチを続けていくんですけど、そういう時に奥行きっていう構造はすごく重要で。 画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見たい。 だから、ちょっと掘り進めている感じに近い。このキャンバス材を突き破って向こう側に到達したいと思うので、だから結果として重層的にならざるを得ないところはあるかな。 掘りすすめる/重層化させるにあたって、自然に近い素材を選ぶのが重要? -単純に素材との相性もあるんですけど、石とか土にすごい興味があって。…凄く抽象的な言い方ですけど、石とか土のどうにもならない感じというか、どうにもならないけれど、石とかは時間が経っても変わらないようでありながら磨くと姿形を変える、石が石を産むっていうこともあるし、その沢山の可能性というか、意味というか、石にしても木にしても、それぞれが秘めている力がある気がして想像力が膨らみやすいなと。 ガラスについて言えば、使うようになったのも教会を見に行っていた影響なんですけれど、 ステンドグラスってキャンバスみたいに壁に設置されていて、空に向かって立っていて、ステンドグラスの奥側からくる光によって照らされて色彩がこちら側にやってくるっていう、それに何とも言えない情動が湧き上がる仕組みがあるなって思って。 かつ壁画の人に聞いたんですけど、ステンドグラスを切るのってシスターの修行にもなっているらしくて、何かの霊性を秘めながら切ったり貼ったりしていくっていう成り立ちも気になるところで。その機能もそうだし、その背景自体にも意味がある気がして、私の中では特別な素材ですね。 例えば《柔軟なコスモス》等はどこか風景画にも感じられるのですが、そこに先程のたどり着きたいとおっしゃっていた『キャンバスの向こう側』を想定することは可能ですか? -正直、まだ私の言葉ではうまく表現できていなくて。何か凄く…、タッチしたいんだけど何かは分からなくて、明確に私の言葉では言えなくて、便宜上ギャラリーの方から『形而上的なもの』と形容してもらったんですけど、私の中ではまだしっくり来ていなくて でも風景というのはひとつ、的を得ていて…、個展タイトルが「・/♯ La la la la la la...

日本のアートを買うべき理由」を他のアジアのアートマーケットの統計と比較してみる

世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

Quick Insight Vol.8 日本画の繊細さで瞬間の情動を描く作家、丁子紅子の秘密

髪の毛の1本1本までこだわりぬいて描かれた作品を描く丁子紅子。 数多くの個展や受賞歴を持つ彼女を、見かける方も多いのではないだろうか。 作家、丁子紅子の魅力の秘密はどこにあるのか。 洗練され削ぎ落とされた線の中で表現されるディテールの密度とは裏腹に、空間と余白が重要だと彼女は語る。今回は彼女が作品制作を通じて描かれようとしているテーマをインタビューしました。 アーティストになられたきっかけを教えてください。 私は大学生の頃はアーティストになろうとは全く考えていませんでした。 学生時代に特に芽が出ることもなかったですし、 ちょっと作家活動ができればいいなという程度に考えジュエリーのオーダーメイドの会社へ就職をしました。 しかしわたしは高校生の頃から美術科へ進学していた為、 高校、大学の毎日に当たり前にあった"絵を描く時間"を取ることが難しくなり 初めて自分の心を保つためには絵を描くという時間が必要不可欠だということに気が付きました。 それから真剣に向き合い、アーティストとして独り立ちをしようと決意をしました。 女性をモチーフにした作品が多いと感じますが、女性を選ばれたきっかけはあったのでしょうか。 私は“美人画“にこだわっているわけではなく、 絵画として一番表現したいと考えているのが“心”です。 心を複雑にもちあわせているものはやはり人で、私自信が女性ということもあり、 心=人物が女性像として表現するのが自分の中で自然に感じたからです。 その中で大切にしている女性のやわらかな存在感やライン、 表情は私の表現したい心の表情の儚さにも通じているような気がしています。 (A Story, H 50cm x W 38cm x D 4cm, Painting) 作品詳細はこちらから 作風が出来上がる過程で、かつて受けた影響や作風の完成の経緯があれば教えてください。 2013年に大学を卒業するまで、自分の心をそのまま絵に投影させぶつけるような絵画を描いていました。 強く、激しくぶつけるという表現の方が近いことも多かったように感じます。自分の心を浄化させるための絵画でした。 大学卒業後は就職をし、 ジュエリー会社では接客をしながらお客様のジュエリーの修理を承ったり リフォームのデザインをご提案するような仕事をさせていただきました。 いままで自分のために絵を描いていたのに、幸せな気持ちで手に取ってもらうために考え、 デザインをしたり、絵を描いたりと、何かを提供する側になりました。 そこでふと我にかえり、絵も同じでなくてはいけないんだと気がつくことが出来たのが私の今の原点です。 そこからは手の向かい側には必ず見てくださる方がいるということ意識しはじめました。 そこから私はすべて削ぎ落とした“無”というところへ辿り着き、今の作風が完成しました。 丁子紅子さんがもっとも重視しているテーマをお伺いしたいです。 私が一番大切にしているテーマは"移り変わりの時間の切り取り"です。 1から2に移る、目には見えないその間の時間はとても尊いものだと思っています。 そこには必ず空間があり、ひとが普段感じ取れない空気があるように感じていて、 実はとても大切な移り変わりの表情や心の色の変化がそこにある気がするのです。 無の時間であると思うのですが時が止まる絵だからこそ表現ができるものだと考えています。 (An offering, H 91cm x W 65cm x D 2cm, Painting) 作品詳細はこちらから 最後に、TRiCERAでは世界中に作品を届けていく支援をしております。丁子紅子さんにとって海外に作品が広がっていくことはどんな意味があるでしょうか。 わたしは日本画というジャンルのなかで作家をしていくにあたり、天然の岩絵具や筆、 素材をとても大切にして制作をしています。 日本画だから出来ること。日本人だからこその余白の感性。 その部分を大切にしているからこそ、古来からの日本画の画風とは違うかもしれませんが 素材の素晴らしさや美しさを伝えていけると考えています。 もっともっと世界を超えて日本画画材の素晴らしさに触れていただきたいと願っています。 (Everything is one, H...

風景の分解と再統合-加藤公佑インタビュー-

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プログラミングは今やアーティストのツールでもあります。

 中田拓法は主に風景画を制作していますが、プログラミングの手法を絵画に取り入れるという一風変わった方法で制作しています。それは、美術を学ぶ前にデジタルメディアを学んでいたからというだけではなく、「新しいものは絵画だけでは生まれない」と語る彼が、絵画の歴史の第一線で活躍しようとしているからでもあります。もしかしたら、彼は新世代のアーティストのお手本になるかもしれませんね。 アートの前にデジタルメディアの勉強をされていたとのことですが、そうですか? - 元々はデジタルメディアの勉強をしていました。大学の美術部に入ったのがきっかけでアートにハマってしまいました。その後、デジタルメディアを専攻していたにも関わらず、表現としてのデジタルを敬遠するようになってしまいました。最終的には美大に再入学し、具象画を学びました。 風景画に力を入れている理由はありますか? - 人間に焦点を当ててしまうとリアリティが失われてしまうような気がして、昔から見るのも描くのも風景が好きなんです。人間と自然は等価だと思っていますが、絵の中の人間はどちらかというと記号のようなものだと思っています。 あなたにとって現実とは何ですか? - 私にとってのリアリティとは「死」です。ちょっと怖いような気もしますが、死の世界と生の世界のつながりを感じられるような風景を描くようにしています。物心ついた限りでは、風景には何か特別なものを感じていて、その気持ちを絵で表現したいと思っていました。 Friend Who I Hasn't Seen in a While, 45.5cm×38cm その「特別感」はどのように作品に盛り込んでいますか? -ーー絵を作り終えた後に、わざと絵を割ったりしていました。絵に工夫がなく、どちらかというと偶然の産物のようなものを目指していました。一枚一枚の作品が本当に完成するまでには時間がかかりますが、自分が目指しているものを作るにはこれしかありません。 絵の中にプログラミングの要素を取り入れているようですが、プログラミングの要素はどのようにして取り入れているのでしょうか? -ーー2018年からプログラミングの要素を混ぜ始めました。主にPhotoshopを使っていましたが、目的もなくプログラミングをいじっていると複雑さや偶然性が出てきます。イコノグラフィーは全てアニメーションにして、良い部分を切り取って画像にして、それをペインティングにしています。 目的も方法も同じですが、アニメーションを作るのは、どちらの画像が良いかを確認するようなものです。でも結局、アナログとプログラミングではtry&errorのパラメータが全然違うんですよね。 Mrs. Strage, 72.7×91cm テーマやコンセプトは重視していますか? -テーマやコンセプトは重視していません。ただ、美術史で言えば、メタファーとシンボルの関係性の問題を解決するには、今の方法が一番いいのではないかと思っています。もちろん新しい絵画を作ることを目標にしていますが、ただ描くだけでは「新しい」ものは作れない、少なくとも私はそう感じていますし、今の私の作品制作のアプローチ/プロセスはその距離を縮めていると思います。だから今振り返ってみると、デジタルを学んだことはとても役に立ったと思います。最近では、プログラミングと言語は似ていると思っているので、言語の恣意性に興味を持っています。これからもアーティストとして活動していきたいですし、世の中に新しい何かを提供することが自分の役割だと思っています。 Meeting Place, 91×116.7cm 

抑圧され、薄れゆく自己を見つめる。齊藤拓未インタビュー

公園の遊具、部屋の片隅、道端など日常のさりげない景色を虚心としたタッチで描いている齊藤拓未。「大人になるにつれ抑圧される自分がいる」と語る彼女は、自身の幼い頃の感性を呼び起こすような風景やオブジェクト、そしてそこに紐づく幼少期の自らの感情を少女の形姿に変換し、キャンバスに描き出す。今回はこれまでの経歴から自らの情緒性をベースにする齊藤の制作背景について話を聞いた。 齊藤さんは日常のスナップのような風景と少女を組み合わせたペインティングをメインに発表していますが、絵画の中ではそれぞれがどう関係しているのか、まずは作品の背景から伺ってもいいですか? 私の絵には女の子が登場するものとそうでないものがあるんですけど、女の子は私自身そのままというより、昔の自分につながる感情のような存在です。風景の方は幼少期のことを彷彿とさせるものが多いです。普段から景色とかものとか、どこか昔のことを連想させる何か見かけた時にはメモをしたり、カメラで撮影したりするのですが、それが作品のベースになっていますね。 WAITING ROOM, 2020, 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 齊藤拓未の作品はこちらから つまり少女はかつての齊藤さん自身のメタファーのように登場している。風景もかつてのことを連想させる役割をになっていますが、どちらも昔のことがキーポイントになっているんですね。  大人になるにつれて自分が抑圧されていると感じていて。それにつれて昔の自分なら持っていたような何かが流れていってしまうというか、どんどん自分がなくなっていく感覚がある。とても嫌な感覚なんですけど、それは。 でも風景とか、あとはモノですよね、そういう存在が昔の自分を思い出させてくれて。自転車を漕いでいる時に香ってきた落ち葉とか、雨が上がったあとの匂いとか、そういう日常的なものを通して昔のことを思い出せることがあるんです。「あ、これだ」というか、言葉ではうまく言えないんですけど、記憶が蘇ってくる感触がある。「あの時と同じだな」って。 その抑圧というのは人付き合いによって自分が押し止められるということですか。 ニュアンスは近い…かもしれないです。だんだんと集団でいることが嫌になっていくんですけど、でもそれに合わせてしまう自分がいる。「一緒に帰ろうね」とか「どこそこで待ち合わせね」とか、周りの友達がそう言ってくれることさえ少し窮屈だった。悪気があるとかはもちろん考えてないんですけど。 私にとって中高は空白期間で、思い出せる出来事がほとんどないんですよね。本当に、どうしてと思うくらい何もない。大人になるにつれて多くなると思うんですけど、そういう人付き合いとか、色んな制約とか、我慢しなくちゃならないこととか。でもそれに合わせているとだんだんと自分の中で何かが薄れていく感じがしていて、それにすごく危機感がある。「ああ、このまま自分が無くなっちゃうのかな」と。 friend, 2020, 45.5×38cm, oil on canvas そうすると作品はある意味で記録に近いようでもあるし、単純な風景や少女の描写ではない。 残しておきたいとしたら風景とか、目に見えてる何かというよりは感情の方ですね。女の子を描いていない景色も、あとはモノとかも、全て昔の自分につながる働きをしていて、だから人は描いていないけど、でも痕跡として残っているようには見せたいと思ってます。 だから「風景と女の子の絵ね」と思われがちな気がしますが、でも状況を描きたいわけではないんです。 経歴の話に少し移ると、齊藤さんは日本画を学ばれてますね。もともと日本画が志望だったんですか?  というより、最初はイラストの方でした。中高と漫画研究会に所属していたのですけれど、でも漫画というよりはずっとイラストを描いていました。その頃からなんとなく女の子の絵とかは描いていましたけど、当時は本当にイラストで。  でも周りの子みたいにものすごい詳しいとかでもなかったし、好きなイラストレーターの人の挿絵がある本は読んだりしてたけど、でもどっぷりという感じでもなくて。だから中途半端。  高校一年生の頃からぼんやりと美術系の大学に進みたいと考えていて、イラストを描いていたせいもあると思うんですけど、特に平面的な表現ができるなと思った日本画を選びました。どちらかというと画壇系の盛り盛りな感じよりはフラットな表現が好きだったし、受験の頃から立体的に描くのがすごく苦手で。デッサンとかも本当に苦手なんですよ。  現在ではアクリルや油彩を使っていますが、マテリアルの扱いに関しては文法が大きく異なると思うんですが、違和感はなく?  学部の頃は日本画の画材を使ってたんですけど、でも岩絵具を使っていると「なぜ使うのか?」のような意味づけを求められてしまう。あとは学部の頃から女の子を描いていたんですけど、日本画材でそれをすると美人画の文脈で受け取られてしまうんじゃないか、と。そちらに進みたいわけではなかったし、自分の描きたいものを考えるとアクリルでも問題なくできた。だから画材から描き方までけっこう変えましたね。 昔は髪とか顔とか、もっとディティールを描き込んでいたんですけど、もっと単純化させ、平面感を強める方向にシフトしました。普段描いていたドローイングがそれに近かくて、ノートにちょこちょこと描いていたものをタブローとして描いてみようと。結果的にそっちの方が自分にとって苦じゃなかったんですよね。 ただルールというか、自分で制限はもうけているとは思います。もうできないことはあまりしないようにしよう、と思っていて。色合いも薄くして、場所によっては色鉛筆を重ねてみたり、曖昧になってしまうので特定の方向に強めるような感じです。 忘れる, 2020, 31.8×41cm, oil on canvas  現在の風景と少女の組み合わせを画面に持ち込んだのはいつ頃から?  2年前くらいです。学部を出た頃かな。その頃は写真で切り取った風景とかを入れたり、少し画面がごちゃごちゃとしていたんですけど、それも幼少期という時間に設定しようと決めて。  よく分からない感じというか、より複雑にはしたいと思ってますね。ただでさえ平坦なタイプなのでペラペラになってしまいがちになる。もっと分かりにくく、もっと複雑に、とは気をつけているかな。その方が何回も見たくなると思うんです。でも最近はそのまま描きすぎているかな、とも。  作品と自分自身のつながりが強いことに抵抗はありますか?  個人的な作品になっているということがですか? それは前に少し悩んでいて、というか、今も時々は考えるんですが…。 あまりにも描いていることが個人的過ぎるのかな、と。ただマイクロポップの作家さんのように、あとはナビ派の人たちとか、いつの時代にも個人的なこととか、身の回りのことを描く人たちはいるのかなとも考えていて。自分の描きたい作品とか、描いていて無理がない作品について考えるとそっちなんじゃないか、と。あとは納得の問題だとは思うんですけど。 個人的なことを描いている作家は好きですか?  好きですね。個人的というか、さりげない、身の回りのものを使った作品と日常の断片を描いている方々は好きです。この間ワタリウムでやっていた青木さんとか、西村有さんとか、古いところでいうとドニ、ヴュイヤールとか…。  モランディも好きです。いつも画集は近くに置いてます。あとはナビ派の人たちはやっぱり好きですね。テーマとかモチーフの点ですごく参考になる。それから画家ではないんですけど、青山静男さん。子供を描き始めた時に一番影響を受けたし、今でも見失いそうになる時によく見ています。  イラストをずっと描いてきたということですが、イラストの遺伝子は自分の絵画に感じますか?  …どうだろう。でも、確かに言われる時はありますね。「イラストだね」とか、そこまで露骨なわけじゃないですけど、でも言われます。  ただ最近はどっちもかな、とは思います。イラストとも言われるし、絵画とも言われる。確かにイラストはずっと描いてたので、その感じがあっても不思議ではないと思う。好きなイラストレーターの人とかもいますし。だから最近は中間でいいかなって考えていて。 イラストと絵画の中間を。 どっちの要素もあっていいんじゃないかって。どっちの要素もあるんなら、それはそれで本当なんだろうし。 描いている少女には表情が描かれていませんね。  描いている時の自分は冷静なんです。だから描かれている人物には表情がない。そこには距離があるんですよね。前に絵を見てくれた人から「齊藤さん自身は諦めている感じだね」と言われて、それはそうかもなと思いました。女の子というか、子供が登場している理由はさっきも話したと思うんですけど、でも子供を描いている理由自体はコンプレックスというか…、どこか憧れに近いのかもしれないです。子供であることに対しての憧れ。 やはり幼少期の自分自身や現在の自分を取り巻く環境とか、あり方に対する強く関係している。  やっぱり今の自分と小学生の頃の自分が地続きでない感覚がどこかにあって。小学生の頃の写真とか、先生からのコメントとか見ているとずっと明るいんですよね。「ああ、そうだったんだ」って。環境も変わったし、自分が変わってきて、昔から大人しい人もいると思うんですけど、私は変わったんだなって。 午後の公園, 2020, 33.3×33.3cm,...

現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

シャビーシックな部屋をつくる、6つのアート作品

1.シャビーシックの意味とインテリア shabbyとは「使い古された」、chicは「粋な」「上品な」を意味する言葉で、シャビーシックとは2つを合わせて「古いけれど上品で味がある」という意味です。シャビーシックインテリアでは花やレース、アンティークなどのアイテムを取り込むことでフェミニンで華やかな印象を与えてくれます。特に女性に人気があり、若い人の間でも注目を集めているインテリアです。部屋全体を白・クリーム色・パステルカラーなどの明るい色でまとめる傾向があります。女性らしい落ち着きや上品さが表れるテーマです。 2.シャビーシックとアートの結びつき シャビーシックな空間ではアイテム選びがとくに重要視されているため、壁にアート作品を飾ることが非常に多いです。部屋に調和するように白色が多く使われている作品や、上品さを感じる作品、差し色となるようなパステルカラーが含まれている作品を選ぶのがポイントです。またアート作品自体はシンプルなデザインのものを選び、アンティークな額縁に入れて飾ることで、額縁の方に視線を集めるというテクニックもあります。 3.シャビーシックな部屋をつくる、6つのアート作品 3-1.「Silver」 時の流れで曇ってしまった古い鏡からインスピレーションを受けた、というアート作品です。古びた金属の質感がわかるように、マットな絵の具とメタリックシルバーの絵の具が使い分けられています。モチーフの通りアンティークな雰囲気に溢れており、色もシルバーのため白い部屋の中にも馴染みやすくなっています。シャビーシックにおいて、古い金属の質感を家具などのインテリアから選ぶのは難しさがあるのですが、このようなアート作品を飾ることで絵の質感から簡単に部屋へ取り込むことができます。 3-2.「journey」 パステルカラーやビビットな色などを使って描かれた、可愛らしい雰囲気のアート作品です。その可愛らしい雰囲気が女性らしさを演出してくれるため、部屋の印象が明るくなります。アンティークさを求めすぎると、重厚感が強くなりすぎてしまうことがあるのですが、このようなポップな作品を飾ることで重厚感を減らすことができます。白とパステルカラーは非常に相性が良く、初心者でも導入しやすい作品です。 3-3.「Untitled (19-39)」 複数の素材を組み合わせて絵肌を表現しているのが特徴的なアート作品です。抽象画ですが、デザイン的なタッチで描かれています。シャビーシックの中でも、海外インテリアなどを中心にした高級感溢れる部屋にぴったりです。全体的に暗めの落ち着いたトーンで描かれており、白く明るい部屋の印象を引き締めます。作品の表面はニスが塗ってあり、絵の具を保護してくれているため、お手入れが簡単にできるのもポイントです。 3-4.「Your title 3」 フェミニンな雰囲気を持たせつつユニコーンが優雅に立っている様子が描かれています。シャビーシックな部屋の中でも、カフェのような温かみがある空間にしたい人にピッタリな作品です。温かみが出やすい白いレンガ調の壁にも合います。あえて均等に塗りつぶさず、筆のタッチを強く残すことで、絵肌から人の手の温もりを感じることができます。フェミニンかつガーリーな雰囲気が好きな方にオススメです。 3-5.「Abstract Flowers (Pink x Purple)」 抽象的に花が描かれており、背景のピンクからはフェミニンな雰囲気を感じる作品です。 黒いストライプのように表現された茎は大胆かつシンプルに表現されていますが、画面上にある花は、よく見ると繊細で細かい模様がインクで描かれており、非常にディテールにこだわった作品です。縦に細長いサイズのため、部屋の中の空間を活かした飾り方ができるでしょう。植物をテーマにしているアート作品は、シャビーシックな空間とも相性が良く、飾りやすいという特徴があります。 3-6.「Hono Badi Nei, 2016」 独特な雰囲気の絵ですが点や影で形を表したり、オイルを多く含ませて薄く伸ばした絵の具を使って、上から模様を描いたりと様々な表現がされている面白い作品です。上品で落ち着いた色合いになっており、植物を取り入れている部屋にもマッチします。シャビーシックな部屋にありがちな、くすんだ水色やグレーの壁に飾ってみるのも良いでしょう。大きいサイズの作品なので、部屋の上の方の空間が物足りない印象になっている時に、ワンポイントとして役立ちます。物が少ない広い空間にも、この作品を1点飾ることで足りなかったインパクトを与えることができます。 おわりに シャビーシックな部屋は、部屋の中のアイテムひとつひとつで大きく印象が変わってしまうという特徴があります。自分の理想のシャビーシックな部屋をつくるためにお伝えしたポイントと、アート作品を活かしてみてください。

Feature Post

ARTIST CONNECT – TRiCERA → mamoru

TRiCERA ARTにアーティストとして参加された方を紹介しインタビュー後に紹介いただいた別のアーティストを紹介していく企画 ARTIST CONNECTについて 本企画は、最近TRiCERA ARTに参加された方へインタビューを行い、お話の最後に、まだTRiCERA ARTを知らない人から既にTRiCERA ARTに参加されている人も含めて知っているアーティストを紹介していただく不定期企画。 今回は最近TRiCERAに参加いただいたmamoruさんにインタビューを行いました。 mamoruさんと作品について教えてください。 作品の話をする前に、まず私についてお話しすると、もともと、武蔵野美術大学を卒業してすぐにアーティストになったわけではなく、卒業後はCM制作会社、芸能事務所のマネージャーなどをしていました。アーティストとしては仕事のかたわらで活動をしていて、初めは風刺画や、動物、自然などさまざまなモチーフの作品を原画として制作していました。今のモチーフになったのは最近で、脱力感のある女の子を中心に作品を制作しています。 mamoruさんの作品一覧はこちら タイトル:でち  サイズ:30 X 30 cm | 作品の詳細はこちら “でちは「デートに遅刻する時ちょっと和む」をテーマとして、デートに遅れてしまった女の子をポップかつコミカルに表現した作品である。Tシャツに書いてある「でち」とは「デートに遅刻する時ちょっと和む」の、で"(デート) と"、”ち”(遅刻)頭文字で構成されている。” タイトル:ずっとマヨネーズでいいのに。 サイズ:30 X 30 cm | 作品の詳細はこちら “ずっとマヨネーズでいいのに”は"ずっと真夜中でいいのに"のパロディー作品。なぜ女の子がマヨネーズを持っているのか、なぜずっとマヨネーズなのか、なぜ薄着なのか、湧いてくる疑問を一掃してしまう女の子の冷静なようで何も考えていないような表情がとても魅力的である。” TRiCERA ARTに参加しようと思ったきっかけはなんですか。 TRiCERA ARTは聞いたことがなかったのですが、声をかけていただきTRiCERA ARTとして海外への配送も行っているのが面白いと思いました。 最近は台湾など日本以外のフォロワーさんも増えていたのでタイミング的に興味があり、参加させてもらいました。 次はichi_gomochiさんとmarinboo_123さんを紹介予定。

日本と西洋の間の絵画を描いている。

 オーストラリア在住の大泉沙知は、最初は油絵を学び、その後日本画を学び始めました。彼女の作品の特徴は、洋画の油絵と日本画の伝統的な画風を併せ持つことです。日本以外の国に長く住んでいたこともあり、「日本人と外国人のハーフ」と表現しています。異文化への感性を持っているからこそ、多様な作品を生み出すことができるのです。 日本画を始めたきっかけは? -オーストラリアに移住してから日本画を始めました。メルボルンのアンティークショップで日本画を見つけて、美しいと思ったのがきっかけです。私自身が日本人であるにも関わらず、日本にいない時に日本を客観的に見ていることに気付きました。だから、海外に住んでみて日本画の特徴に気がつきました。 日本画は絵画の表現だけではなく、生物でもあると思うんです。有機的な素材を使っているからかもしれませんが、有機的な世界が日本画の魅力の一つだと思います。 Samantha Summer Solstice, 116×116cm 油絵と日本画では画材や手法が違います。どうやって慣れたんですか? -ーーそうですね。作り方が大きく変わりましたね。油絵はインスピレーションが大事で、それに頼っていました。でも、日本画は根気が必要なんですよ。準備が全てで、一つ一つの工程がはっきりしている。先を考えて描くチェスのようなものですね。過程だけでなく、作品に対する姿勢も変わってきたかもしれません。 アプローチの仕方や制作の仕方を変えるのは大変そうですね。どうやって適応したんですか? -そうですね、大変だったかもしれません。でも、オーストラリアに引っ越してきた時に、全く絵が描けなかった時期がありました。たぶん7~8年くらいは全然描けなかったんですよ。 オーストラリアは自然が豊かだったので、絵が描けない時は昆虫採集をしたりしていました。それが影響してか、日本画の有機的な部分に興味を持つようになりました。有機的なものや自然環境などの大きな枠組みを見ていると、それまでやっていたインスピレーションに満ちた創作は、とてもナルシストで小さく感じられました。 An Asian plum, 14×18cm それで仕事を見直されたんですか? -そうですね、もっと広い世界が見えた気がしました。そこから「本物の絵とは何か」ということを自問自答するようになりました。 その時に思ったのは、20代と60代の頃に作った作品と、20代の頃に作った作品の方が良いという比較をしていたんです。それをきっかけに、もっと真剣に自分の絵と向き合わなければいけないと思いました。 モチーフやテーマは何ですか? -リザードがよく家に来るので、それをスケッチしてモチーフにしています。私の絵の世界はどちらかというと抽象的な世界だと思います。手前に有機物を使うことが多いので、背景に世界が見えるようにしています。金色は説得力があるのでよく使います。 Jungle garden, 72×100cm 今後の活動について教えてください。 -日本画の経験がまだ少ないので、もっと勉強したいです。日本画は技術がとても重要なので、もっと技術を磨いていきたいです。また、私自身は日本人ですが、海外での生活が長くなってきたので、「フル」というよりは「ハーフ」になってきています。円山応挙のような古い伝統的な絵画が好きなので、日本の文化を海外に広めていきたいです。

星空を旅する時代のアートとは?

 星座の歴史は約5,000年前にさかのぼります。 メソポタミアの羊飼いたちが星空を見上げて星を繋いでいたという事実は、私たち人間が古代から漠然と宇宙に惹かれていたことの証拠です。 アポロ11号が月面着陸してから50年以上が経過した今、星空や星座を題材にした作品が数多く生まれています。科学の力で宇宙の秘密が少しずつ明らかになっていく中で、宇宙を題材にした作品も変わってきたのでしょうか。 内藤 博信   日本人は昔から月に魅了されてきました。それは、現代まで続く月見の行事や、和歌に月が詠まれていることからも明らかです。内藤は、鉱物顔料を用いて月を叙情的に描いています。 見上げて空に輝く月を見ると、自分の人生を振り返り、心の中に「静寂」を感じるという。目の粗い絵の具で描かれた青い月は、見る人の心に静けさを残してくれることでしょう。 アーティストの詳細はこちら 椛田ちひろ  インクジェット紙に黒のボールペンで不規則な形を描くことで知られる椛田。繊細で力強いボールペンの動きで、様々なものを描いています。 宇宙に散らばる惑星は、観測されたものから人間の想像力を加工して生み出されてきた。しかし、蒲田の「惑星」は、その存在があり得ないと思われる抽象的な形をしている。しかし、概念的な表現の中に「未知」の魔法がある。 アーティストの詳細はこちら 前川奈緒美 前川は、星の性質を自らの創造物と同一視する精神的な観念で描いています。 星が終焉を迎えた時、自分の中心へと向かい、物質を破壊し、爆発し、元素を撒き散らし、存在から消えていくと言われています。私は自分を知るために、自分の中心、自分の心を描いてきました。すべてはつながっている。前川の作品はエネルギーに満ち溢れているように見える。 オイルバー(油絵具や蜜蝋で固めたもの)を使い、時には筆の代わりに自分の指でキャンバスと体を一体化させている。 アーティストの詳細はこちら 言うまでもなく、宇宙は広大で、常に拡大し続けています。したがって、仮に人類の化学が究極の進化を遂げたとしても、その全てを知ることはできない。しかし、だからこそ、これからも人類の最大の廃棄物であり続けるであろう宇宙について考えずにはいられない。

Koalanov – アニメとリアリズムの魅力を持つ女の子

フィリピーノの若手アーティスト、コアラノフは、iPadを使って半現実的なものからアニメーションのようなドローイングまでを制作しています。彼女の作品には魅力的なキャラクターが描かれており、暖色系の色と焦げた色合いで描かれ、光と影のコントラストを生み出しています。 彼女の作品の特徴は、誰かの記憶の中にありそうなシーンを描くことが好きなので、作品の背景にあるストーリーよりも、少女のポーズを重視しています。音楽、友人、ショー、夢など、様々なものからインスピレーションを受けている彼女の絵を見て、その思い出を楽しんでもらいたいと思っています。 過去にはミュージシャンとのコラボレーションや、リリースされたばかりの楽曲のカバーを手がけたこともある。今後もミュージシャンやイラストレーターとのコラボレーションを楽しみにしている。今後もアーティストとしての活動の幅を広げていきたいとのことなので、作品が公開されている今のうちにチェックしておきましょう。 See More Details See More Details See More Details See More Details See More Details

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